大手拓次訳 「墓鬼」 シャルル・ボードレール / 岩波文庫原子朗編「大手拓次詩集」からのチョイス~完遂
[やぶちゃん注:本電子化注は、初回の冒頭に示した通りで、岩波文庫の原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年刊)からチョイスし、概ね漢字を正字化して、正規表現に近づけて電子化注したものである。
以下は、底本の最終パートである『訳詩』に載るもので、原氏の「解説」によれば、明治四三(一九一〇)年から昭和二(一九二七)年に至る約百『篇近い訳詩から選んだ』とあり、これは拓次数えで二十三歳から四十歳の折りの訳になる詩篇である。
ここでは、今までとは異なり、一部で、チョイスの条件が、かなり、複雑にして微妙な条件を持ち、具体には、既に電子化注した死後の刊行の『大手拓次譯詩集「異國の香」』に載っていても、別原稿を元にしたと考えられる別稿であるもの、同一原稿の可能性が高いものの表記方法の一部に有意な異同があるものに就いては、参考再掲として示す予定であるからである。それについての詳細は、初回の私の冒頭注の太字部分を見られたい。
これを以って底本からのチョイスを完遂した。]
墓 鬼 シャルル・ボードレール
するどい刃物の突きのやうに
いたましい わたしの胸へはひつてきたお前、
惡魔のむれのやうに 恐恐(こはごは)しく
また おろかしく みえをつくつて
ふみにしられた わたしの心を
そのみの臥床(ふしど)と領土とにしようとやつてきたお前、
――罪の囚人(しうと)を鎖につなぐやうに
いつこくな遊(あそ)び人(にん)を うんぷてんぷの賭事(かけごと)に
だらけた醉(ゑ)ひどれを 酒德利(とつくり)に
蛆蟲(うじむし)を腐つた肉にたからせるやうに
わたしの縛(しば)りつけられた人非人(ひとでなし)、
――呪はれよ 詛(のろ)はれよ お前こそ!
わたしは 自由をとりもどさうと
手ばやの劍(けん)にたのみをかけた
また わたしの怯儒(よわみ)を救はうと
不義の毒藥にも 談(はな)しをかけた。
ああ! 毒藥もその劍も
憎憎(にくにく)と さげすむやうに わたしに言つた。
お前は 詛はれた奴隷(どれい)の身から
浮ばせてやるの ねうちもない、
弱蟲め!――その血みどろの國土(さかひ)から
やつと お前を解きはなしてやつたとて
またも お前の接吻で生きかへすだらう、
お前の墓鬼(はかおに)の その埋められた亡骸(なきがらを!』
[やぶちゃん注:「刃」「劍」は詩集「藍色の蟇」での用字に従った。
この原詩は詩集「悪の華」(‘ Les fleurs du mal ’)の冒頭のパートである‘ Spleen et Idéal ’(「憂鬱と理想」)の第三十一篇の‘ Le Vampire ’(ル・ヴァンピール:「吸血鬼」)である。所持する堀口大學譯「惡の華 全譯」(昭和四二(一九六七)年新潮文庫刊)の「註」によれば、本篇は『雜誌『兩世界評論』一八五五年六月一日號に發表。この時の表題は『ベアトリース』だつた。』とあり、例の『ジャンヌ・デュヴァル詩篇』であるとある。
原詩を私の所持するフランスで一九三六年に限定版(1637印記番本)で刊行されたカラー挿絵入りで、個人が装幀をした一冊(四十年前、独身の頃に三万六千円で古書店で購入したもの)の当該詩篇を参考に以下に示すこととした。
*
LE VAMPIRE
Toi qui, comme un coup de couteau,
Dans mon cœur plaintif es entrée,
Toi qui, forte comme un troupeau
De démons, vins, folle et parée,
De mon esprit humilié
Faire ton lit et ton domaine ;
― Infâme à qui je suis lié
Comme le forçat à la chaîne.
Comme au jeu le joueur têtu,
Comme à la bouteille l’ivrogne,
Comme aux vermines la charogne,
― Maudite, maudite sois-tu !
J’ai prié le glaive rapide
De conquérir ma liberté,
Et j'ai dit au poison perfide
De secourir ma lâcheté.
Hélas ! le poison et le glaive
M’ont pris en dédain et m’ont dit :
« Tu n'es pas digne qu’on t’enlève
A ton esclavage maudit,
Imbécile ! ― de son empire
Si nos efforts te délivraient,
Tes baisers ressusciteraient
Le cadavre de ton vampire ! »
*
最後に。
私が底本の原子朗氏の「解説」中、激しく感動した末尾部分を引用して、終わりとする。
《引用開始》
以上で解説をおわるが、結びのことばとしていっておきたいことがある。口語自由詩を完成させたのは萩原朔太郎であるといった受け売りの意見を、平気で書いている本も世上には少なくない。朔太郎に先だち、朔太郎にも直接影響を与えた拓次のいち早い口語象徽詩の完成度の高さは、日本の象徴詩史の中においてばかりか、一般詩史の記述の中でも、あるいは近代日本語表現の歴史の記述の中でも、あるいはまたフランス文学受容史の中でも、ほとんど無視されるか、軽視されている。大手拓次は、少なくとも、そうしたマンネリズムのきらいのある詩史や文学史に一石も二石も投じる詩人であることを、何よりも彼の詩自身が物語っていよう。編者が解説中で必要以上に詩の成立年代にこだわったのも、彼の詩を時代にスライドさせて他の詩人を比較して読んでもらいたい、しかも時代をこえている彼の詩の特質を見てもらいたい、という意図からであった。
《引用終了》]