[やぶちゃん注:本訳詩集は、大手拓次の没後七年の昭和一六(一九三一)年三月、親友で版画家であった逸見享の編纂により龍星閣から限定版(六百冊)として刊行されたものである。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」のこちらのものを視認して電子化する。本文は原本に忠実に起こす。例えば、本書では一行フレーズの途中に句読点が打たれた場合、その後にほぼ一字分の空けがあるが、再現した。]
薔 薇 の 連 禱 グルモン
――上田敏氏の譯し落した部分から――
靑銅の色の薔薇の花、 太陽に灼(や)かれた煉粉、 靑銅の色の薔薇の花、 烈しい投槍がお前の肌にあたつて潰(つぶ)れる、 僞善の花、 無言の花。
火の色の薔薇の花、 背いた肉のために特別な坩堝(るつぼ)、 火の色の薔薇の花、 おゝ子供の時の同盟者の天命、 僞善の花、 無言の花。
肉色の薔薇の花、 魯鈍な、 健康の滿ちた薔薇の花、 肉色の薔薇の花、 お前は吾等に非常に赤い又溫和な酒を飮ませて、 そそのかす、 僞善の花、 無言の花。
櫻色の繻子の薔薇の花、 凱旋した唇の優美な寬大、 櫻色の繻子の薔薇の花、 彩(いろど)つたお前の口は吾等の肉の上に、 迷想(めいさう)の葡萄色の印章を置いた。
處女の心の薔薇の花、 まだ話したことのない、 ぼんやりした淡紅色(ときいろ)の靑年、 處女の心の薔薇の花、 お前は吾等に何も言はなかつた、 僞善の花、無言の花。
すぐり色の薔薇の花、 汚辱と可笑(をか)しい罪惡の赤い色、 すぐり色の薔薇の花、 人々がお前の外衣(うはおほひ)を大層皺(しわ)にした、 僞善の花、 無言の花。
夕暮の色の善薇の花、 退屈に半ば死んだ人、 晚霞の煙、 夕暮の色の薔薇の花、お前は勞れたお前の手を接吻しながら戀わづらひをする、 僞善の花、 無言の花。
紫水晶の薔薇の花、 朝の星、 司敎の慈愛、 紫水晶の善薇の花、 お前は信心深い、 やはらかい胸の上に眠る、 聖母マリアに捧げた寶玉、 おゝ玉のやうな修道女、 僞善の花、 無言の花。
濃紅色の薔薇の花、 羅馬敎會の血の色の薔薇の花、 濃紅色の薔薇の花、 お前は戀人の大きい眼を想ひ出させる、 彼女の靴下留めの結び目にひとりならずお前をさすだらう、 僞善の花、 無言の花。
法王の薔薇の花、 世界を祝福する御手から水そそぐ薔薇の花、 法王の薔薇の花、 黃金お前の心は銅のやうである、 空しい花冠の上に珠となる淚は、それはクリストのおなげきである、 僞善の花、 無言の花。
僞善の花。
無言の花。
[やぶちゃん注:レミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont 一八五八年~一九一五年)はフランスの批評家・詩人・小説家。ノルマンディーの名門の出身で、カーン大学に学び、後、パリの国立図書館司書となるが、免官された。『メルキュール・ド・フランス』(Mercure de France)誌に載せた論文「愛国心という玩具」(Le Joujou patriotisme:一八九一年四月)の過激な反愛国主義的口調のためであった。その頃、今一つの不幸が彼をみまう。「真性皮膚結核(true cutaneous tuberculosis)」の「尋常性狼瘡(ろうそう)(lupus vulgaris)」(皮膚結核の一型。病態により違いがあるが、私がネットで確認出来たものでは、かなり激しい顔面の特に頬に出現することが多い、不整形の強い紅色を呈した凹凸が生じ、ひどくなると顔が崩れたように見える)という病いが醜い跡を顔に残して、一層の孤独幽閉の生活を強いられたからである。この二つの出来事と重なり合って始まる彼の文学活動は、象徴主義的風土と充実した生の現実、知的生活と感覚的生活、プラトニックな恋愛と官能的恋愛の間を、絶え間なく微妙に揺れ動きつつ、バランスを保った。有名な「シモーヌ」(Simone, poème champêtre:一九〇一年)詩編を含む「慰戯詩集」(Divertissements. Poèmes en vers:一九一二年)、二十世紀を見事に先取りした作品「シクスティーヌ或いは頭脳小説」(Sixtine, roman de la vie cérébrale:一八九〇年)、そして、特に傑作とされる「悍婦(アマゾーヌ)への手紙」(Lettres à l'Amazone:一九一四年)等、孰れも前記のテーマに沿っている。批評家としての彼は、「観念分離」なる用語を用いて、観念、或いは、イメージの月並み部分を排除することを説いたが、実をいうと、例の反愛国主義的論文も、それの一例であった。批評での知られた作品が多い(以上は小学館「日本大百科全書」を主文に用いた)。
本詩篇の原形は彼の最初期の詩篇で、一八九二年『メルキュール・ド・フランス』社刊の「薔薇連禱」(Litanies de la rose)の一部である。但し、所持する一九六二年岩波文庫「上田敏全訳詩集」(山内義雄・矢野峰人編)の「解題」に従うなら、上田が行った抜粋訳は同社の一八九六年刊の‘Le Pèlerin du silence, contes et nouvelles’(「沈黙の巡礼者、物語と短編小説」)に載る版を元にした訳で大正二(一九一三)年一月発行の北原白秋編集の文芸誌『朱欒(ザンボア)』(三ノ一)に発表されたものである。原詩全体はフランス語サイトのこちらにある四十八連(冒頭の「Fleur hypocrite,」と下げの「Fleur du silence.」、及び最後の「Fleur hypocrite,」と「Fleur du silence.」を独立一連と数えた)からなるものが初版のものである。上田敏の訳した分は、彼の訳詩集「牧羊神」(上田の死から四年後の大正九年十月に金尾文淵堂から刊行)に載り、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらから視認出来るが、六十三連を数える。読み難ければ、「青空文庫」のこちらに、概ね正字化(残念ながら、題名が「薔薇連祷」なのは鼻白んだ)されてあるので見られたいが、異様に連数が多いのはやはり、「沈黙の巡礼者、物語と短編小説」に載る版をもとにしているからであろうか。そちらの後発版の原詩を探す気には、もう、なれない。悪しからず。
なお、以上の本文では、一箇所だけ、操作を加えた。それは第七連目の「晚霞の煙、 」の箇所である。この「晚霞の煙」は底本では行末にきており、読む分には改行で意識上では無意識にブレイクが入って違和感がないのであるが、以下に示す岩波の原子朗氏の版では、「晚霞の煙、」となっているのである。これは物理的に、底本の版組が、行末に禁則処理としての読点を打てない組版であったが故に、かくなったものと考えられるからである。そもそも「晚霞の煙夕暮の色の薔薇の花、」では、詩句として全く以って成立していない。されば、「、 」を挿入したものである。
「すぐり色」「赤い色」と続くから、これはユキノシタ目スグリ科スグリ属フサスグリ Ribes rubrum ととる。漢字では「房酸塊」で、当該ウィキによれば、『ヨーロッパ原産。果実の色が赤色の系統をアカスグリ(赤すぐり、レッドカーラント)、白色の系統をシロスグリ(白すぐり)と呼ぶ。黒色のクロスグリ(カシス)は別種である。別名としてフランス語由来でグロゼイユ(Groseille)とも』あり、まさに上記の初版詩篇にもこの一連はあった。
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Rose groseille, honte et rougeur des péchés ridicules, rose groseille, on a trop chiffonné ta robe, fleur hypocrite, fleur du silence.
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である。
但し、どうも、拓次の本詩集の本篇は、不全なものであるらしい。原子朗編「大手拓次詩集」(一九九一年岩波文庫刊)に載るものは、二十三連あるからである。以下に本底本詩集に合わせて恣意的に概ね正字化し、操作(原氏のもので添えられてある一部の読みを添えた。これは拓次が振ったもので、読みが振れると判断されたものを原氏がチョイスして挿入したものである。拓次の原稿は概ね漢字にルビを振ってあるのだそうである)を加えたものを以下に示す。原氏のそれでは、各連の頭が行頭で、二行目に及ぶ時は、二行目以降は総て一字下げであるが、ブログではブラウザの不具合が生ずるので無視し、本詩集と同様にした。而して、これは初版のフレーズやコンセプトと概ね一致を見る。
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薔 薇 の 連 禱 グルモン
――上田敏氏の譯し落した部分から――
靑銅の色の薔薇の花、 太陽に灼(や)かれた煉粉、 靑銅の色の薔薇の花、 烈しい投槍がお前の肌にあたつて潰(つぶ)れる、 僞善の花、 無言の花。
火の色の薔薇の花、 背いた肉のために特別な坩堝(るつぼ)、 火の色の薔薇の花、 おゝ子供の時の同盟者の天命、 僞善の花、 無言の花。
肉色の薔薇の花、 魯鈍な、 健康の滿ちた薔薇の花、 肉色の薔薇の花、 お前は吾等に非常に赤い又溫和な酒を飮ませて、 そそのかす、 僞善の花、 無言の花。
櫻色の繻子の薔薇の花、 凱旋した唇の優美な寬大、 櫻色の繻子の薔薇の花、 彩(いろど)つたお前の口は吾等の肉の上に、 迷想(めいさう)の葡萄色の印章を置いた。
處女(をとめ)の心の薔薇の花、 まだ話したことのない、 ぼんやりした淡紅色(ときいろ)の靑年、 處女の心の薔薇の花、 お前は吾等に何も言はなかつた、 僞善の花、無言の花。
すぐり色の薔薇の花、 汚辱と可笑(をか)しい罪惡の赤い色、 すぐり色の薔薇の花、 人人がお前の外衣(うはおほひ)を大層皺(しわ)にした、 僞善の花、 無言の花。
夕暮の色の善薇の花、 退屈に半ば死んだ人、 晚霞(ゆふやけ)の煙、 夕暮の色の薔薇の花、お前は勞(つか)れたお前の手を接吻しながら戀わづらひをする、 僞善の花、 無言の花。
あをい薔薇の花、 虹色の薔薇の花、 シメールの眼の花の怪物、 あをい薔薇の花、 お前の瞼(まぶた)をすこしお開(あ)け、 お前はお前が人に見られるのが怖いのか、 眼のなかの眼シメールよ、 僞善の花、 無言の花。
みどりの薔薇の花、 海の色の薔薇の花、 女怪(シレーヌ)の臍(へそ)、 みどりの薔薇の花、 波のやうにゆらゆらする又物語めいた寶玉、 指がお前に觸れたなら、 そのままお前は水になる、 僞善の花、 無言の花。
紅玉色の薔薇の花、 龍の黑い額に咲いた薔薇の花、 紅玉色の薔薇の花、 お前は帶の留金にすぎない、 僞善の花、 無言の花。
朱色の薔薇の花、 溝のなかに寢ころんでゐる戀された田舍娘、 朱色の薔薇の花、 牧者はお前を熱望し、 また牡山羊はお前を食べた、 僞善の花、 無言の花。
墓場の薔薇の花、 屍から發散する冷氣、 全く可愛らしい淡紅色(ときいろ)の墓場の薔薇の花、 美しい腐敗の心持の好い薰、 お前は食物(たべもの)の風(ふり)をする、 僞善の花、 無言の花。
暗褐色の薔薇の花、 陰鬱な桃花心木(アカジウ)の色、 暗褐色の薔薇の花、 正しい悅び、 智慧、愼重と豫知、 お前は赤い眼で吾等を視る、 僞善の花、 無言の花。
罌粟色(けしいろ)の薔薇の花、 一樣な娘達のリボン、 罌粟色の薔薇の花、 少さい人形の名譽、 お前は愚かか狡猾か、 少さい兄弟の玩具(おもちや)よ、 僞善の花、 無言の花。
赤と黑との薔薇の花、 怠惰と祕密の薔薇の花、 赤と黑との薔薇の花、 お前の怠惰とお前の赤は德をつくる讓和(じやうわ)のなかに靑白くなつた、 僞善の花、 無言の花。
石盤色の薔薇の花、 ぼんやりした德の鼠地(ねずぢ)の浮彫(うきぼり)、 石盤色の薔薇の花、 お前は、 年とつた寂しい長椅子にのぼり、 そのまはりに花をひらく、 夕暮の薔薇の花、 僞善の花、 無言の花。
芍藥色の薔薇の花、 豐かな庭の謙讓な虛榮、 芍藥色の薔薇の花、 風は偶然にお前の葉を捲きあげるばかりだ、 それでお前は不滿ではなかつた、 僞善の花、 無言の花。
雪のやうな薔薇の花、 雪とそして鵠(はくてう)の羽の色、 雪のやうな薔薇の花、 お前は雪が脆いことを知つてゐて、 お前はもつとめづらしい時でなければお前の鵠の羽をひらかない、 僞善の花、 無言の花。
透明な薔薇の花、 輝く泉の色が草のなかから噴き出る、 透明な薔薇の花、 Hylas(イラス)はお前の眼を愛した事から死んだ、 僞善の花、 無言の花。
蛋白石の薔薇の花、 おお、 女部屋の匂ひのなかに寢かされたトルコ皇后、 蛋白石の薔薇の花、 變らない愛撫のけだるさ、 お前の心は、 滿足した不德の深い平和を知つてゐる、 僞善の花、 無言の花。
紫水晶の薔薇の花、 朝の星、 司敎の慈愛、 紫水晶の善薇の花、 お前は信心深い、 やはらかい胸の上に眠る、 聖母マリアに捧げた寶玉、 おお玉のやうな修道女、 僞善 の花、 無言の花。
濃紅色の薔薇の花、 羅馬(ローマ)敎會の血の色の薔薇の花、 濃紅色の薔薇の花、 お前は戀人の大きい眼を想ひ出させる、 彼女の靴下留めの結び目にひとりならずお前をさすだらう、 僞善の花、 無言の花。
法王の薔薇の花、 世界を祝福する御手から水そそぐ薔薇の花、 法王の薔薇の花、 黃金お前の心は銅のやうである、 空しい花冠の上に珠となる淚は、それはクリストのおなげきである、 僞善の花、 無言の花。
僞善の花。
無言の花。
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二箇所の「少」(ちひ)「さい」の漢字表記はママ。
「シメール」は、初出の以下に出る。
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Rose bleue, rose iridine, monstre couleur des yeux de la Chimère, rose bleue, lève un peu tes paupières : as-tu peur qu'on te regarde, les yeux dans les yeux, Chimère, fleur hypocrite, fleur du silence !
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この「Chimère」は生物学の「キメラ細胞」(chimer:同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態及びそうした生物個体)の語源であるギリシア神話に登場するハイブリッドの怪物キマイラ(Chimaira)のフランス語である(音写は「スィメール」)。
「女怪(シレーヌ)」も初出に出る。
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Rose verte, rose couleur de mer, ô nombril des sirènes, rose verte, gemme ondoyante et fabuleuse, tu n'es plus que de l'eau dès qu'un doigt t'a touchée, fleur hypocrite, fleur du silence.
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「sirènes」はギリシア神話で同じみの歌声で船乗りを誘惑する人魚型妖怪「セイレン」。音写は「シレェーヌ」。
「桃花心木(アカジウ)」初出の以下。
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Rose brune, couleur des mornes acajous, rose brune, plaisirs permis, sagesse, prudence et prévoyance, tu nous regardes avec des yeux rogues, fleur hypocrite, fleur du silence.
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「acajous」(アカジュゥ)はマホガニーのこと。高級家具材・楽器材として知られるムクロジ目センダン科マホガニー属 Swietenia は北アメリカのフロリダや西インド諸島原産で、心材は赤み掛かった色をしている。
「讓和」相手のことを思いやり、譲る気持ちがあれば、双方の利益が調和し、互いに幸せになることが出来る状態を指す。出雲大社に伝わる教えにある語だが、それを拓次は知っていて使ったものかどうかは判らぬ。
「鵠(はくてう)」平安以来の白鳥(はくちょう)の古名。「くひ」「くくひ」。広義の「白鳥」(鳥綱カモ目カモ科ハクチョウ属 Cygnus 或いは類似した白い鳥)の古名であるが、辞書によっては、ハクチョウ属コハクチョウ亜種コハクチョウ Cygnus columbianus bewickii ともする。本邦ならそれだが、初出は以下。
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Rose neigeuse, couleur de la neige et des plumes du cygne, rose neigeuse, tu sais que la neige est fragile et tu n'ouvres tes plumes de cygne qu'aux plus insignes, fleur hypocrite, fleur du silence.
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フランス語の「cygne」(スィーニャ)は、ここではまず、ハクチョウ属オオハクチョウ Cygnus cygnus であろう。
「Hylas(イラス)」初版のここ。
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Rose hyaline, couleur des sources claires jaillies d'entre les herbes, rose hyaline. Hylas est mort d'avoir aimé tes yeux, fleur hypocrite, fleur du silence.
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「Hylas」(ユーラス)はギリシア神話のヒュラース。ヘーラクレースに仕え、彼に愛された美少年。しかしヘーラクレースに従って黄金の羊を求めるための「アルゴ探検隊」に参加したものの、美しさ故に泉のニンフに攫われて失踪したとされる。
「蛋白石」「opale」(オパァル)で「オパール」のこと。初版の以下。
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Rose opale, ô sultane endorrnie dans l'odeur du harem, rose opale, langueur des constantes caresses, ton cœur connaît la paix profonde des vices satisfaits, fleur hypocrite, fleur du silence.
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この「トルコ皇后」は「sultane」(シュルタンナ)、トルコ語で「厳しく立ち入ることが管理された女性の居室」を言う「ハレム」で寝ているオスマン・トルコ皇帝の妻を指す。]