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カテゴリー「「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文)【完】」の49件の記事

2023/12/12

ブログ2050000アクセス突破記念「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「にんじんのアルバム」+訳者岸田國士氏の「譯稿を終へて」(挾込)+本書書誌及び限定出版の記載+奥附 / 同前新ブログ版~完遂

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、本文を含め、拗音・促音は、一切、使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」(所謂、「トロン・ポワン」の真似だが、現在の我々から見ると、激しい違和感がある)であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本最終章は全三十章から成り、各章は、各左右ページの孰れかの初めから仕切り直しているため、各章の行空けが不規則にある。ここでは、意味がないので、二行空けとした。また、私の注は、アルバムを汚さないように、各章の後注とした。

 なお、これは、二〇〇六年五月十八日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、私のブログ「Blog鬼火~日々の迷走」が、本日、二十分程前、2,050,000アクセスを突破した記念として公開することとした。【二〇二三年十二月十六日午後十二時四十八分 藪野直史】]

 

Ninjinnoarubamu

 

     にんじんのアルバム

 

 

      

 

 たまたま何處かの人が、ルピツク一家の寫眞帖をめくつてみると、きまつて意外な顏をする。姉のエルネステイヌと兄貴のフエリツクスは、立つたり、腰かけたり、他處行きの着物を着たり、半分裸だつたり、笑つたり、額に八の字を寄せたり、種々樣々な姿で、立派な背景の中に納まつてゐる。

 「で、にんじんは――」

 「これのはね、極く小さな時のがあつたんですけれど・・・」と、ルピツク夫人は答へるのである――「それや可愛く撮(と)れてるもんですから、みんな持つてかれてしまつたんですよ。だから、一つも手許には殘つてないんです」

 ほんとのところは、未だ嘗て、にんじんのは撮つた例しがないのだ。

 

[やぶちゃん注:「撮つた」原本では“La vérité c’est qu’on ne fait jamais tirer Poil de Carotte.”で、この“ tirer ”という単語は「引き伸ばす」を筆頭に、多様な意味を持つが、「写真を撮る」の意味がある。しかも、原本では御覧の通り、この単語のみが斜体になっている。臨川書店『全集』の佃氏の訳では、正しく『にんじんをけっして「撮ら」せたりしないのだ。』と訳しておられる。この強調指示は、やはり訳でもほしいところである。]

 

 

      

 

  彼はにんじんで通つてゐるが、その通り方は、ひと通りではない。家のものが彼のほんとの名を云はうとしても、すぐにはちよつと浮かんで來ないのである。

 「どうしてにんじんなんてお呼びになるんです? 髮の毛が黃色いからですか」

 「性根(しようね)ときたら、もつと黃色いですよ」

と、ルピツク夫人は云ふ。

 

[やぶちゃん注:「性根(しようね)」のルビ「しようね」はママ。]

 

 

      

 

 その他の特徵を擧げれば――

 にんじんの面相は、まづまづ、人に好感をもたせるやうに出來てゐない。

 にんじんの鼻は、土龍の塚のやうに掘れてゐる。

 にんじんは、いくら掃除をしてやつても、耳の孔に、しよつちゆうパン屑を溜めてゐる。

 にんじんは、舌の上へ雪をのせ、乳を吸ふやうにそれを吸つて、溶かしてしまふ。

 にんじんは燵(ひうち)をおもちやにする。そして、步き方が下手で、佝僂かしらと思ふくらゐだ。

 にんじんの頸は、靑い垢で染まり、まるでカラアを着けてゐるうあうだ。

 要するに、にんじんの好みは一風變つてゐる。しかも、彼自身、麝香の香ひはしないのである。

 

[やぶちゃん注:「燧」火打石のこと。石英の一種。火打ち金と打ち合わせて火を起こすのに用いた。ここは一種「火遊び」の好きな惡ガキのニュアンスであろうか。火遊びの好きな子は、にんじんのようにお漏らしをする、といふことは、私の小さな頃にも、よく言つたものである。

「要するに、にんじんの好みは一風變つてゐる。しかも、彼自身、麝香の香ひはしないのである。」この部分、やや不審。原文は“Enfin Poil de Carotte a un drôle de goût et ne sent pas le muse.”であるが、この“et”に挟まれた両分は、有機的に結びついていると思われる。だから、“drôle de goût”は「変わった嗜好や趣味」ではなくて、「奇妙な風味や匂い」といふことであろう。即ち、「そうした『にんじん』という、この子の体(からだ)は、結局のところ、独特の、実に風変わりな、何とも言い難い、奇妙な匂いがするのである。いやいや! それは麝香なんて言うようなかぐわしい香りなんねてもんじゃあ、これ、ない。』といふ感じではなかろうか。

「麝香」「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 麝(じやかう) (ジャコウジカ)」の私の注を参照されたい。]

 

 

      

 

 彼は一番に起きる。女中と同時だ。で、冬の朝など、日が出る前に寢臺から飛び降り、手で時間を見る。指の先を時計の針に觸れてみるのである。

 珈琲とコヽアの用意ができる。すると、彼は、何の一片(きれ)でもかまはない、大急ぎでつめ込んでしまふ。

 

 

      

 

 誰かに彼を紹介すると、彼は顏を反向(そむ)け、手を後ろから差し伸べ、だんだん縮こまり、脚をくねらせ、そして、壁を引つ搔く。

 そこで、人が彼に、

 「接吻(キス)してくれないのかい、にんじん」

と、賴みでもすると、彼は答へる――

 「なに、それにや及ばないよ」

 

 

      

 

ルピツク夫人――にんじん、返事をおし、人が話しかけた時には・・・。

にんじん――アギア、ゴコン。

ルピツク夫人――ほらね、さう云つてあるだらう、子供はなんか頰ばつたまゝ、物を言ふんぢやないつて・・・。

 

[やぶちゃん注:「アギア、ゴゴン。」これでは分からない。私は中学二年生の時、倉田氏の訳で読んだときには、「にんじん」が習いたてのラテン語で答えたのかと思つたほどだ。これは原作は“Boui, banban.”とある。これは、食事中の「にんじん」が食い物を「頰(ばつ)たまゝ」、しかし、答えなければいけないと思い、“Oui,maman.”と言ったつもりのくぐもった声を、音訳したものであろう。]

 

 

      

 

 彼は、どうしても、ポケツトへ手をつつこまずにはいられない。ルピツク夫人がそばへ來ると、急いで引き出すのだが、いくら早くやつたつもりでも、遲すぎるのである。彼女はとうとうポケツトを縫(ぬ)いつけてしまつた――兩手をつつこんだまま。

 

 

      

 

 

 「たとへ、どんな目に遭はうと、噓を吐くのはよくない」と、懇ろに、名づけ親のピエエル爺さんはいふ――「こいつは卑しい缺點だ。それに、なんの役にも立たんだらう。だつて、どんなこつても、ひとりでに知れるもんだ」

 「さうさ」と、にんじんは答へる――「たゞ、時間が儲からあ」

 

[やぶちゃん注:「噓を吐く」戦後版で『嘘を吐(つ)く』とルビする。それを採る。]

 

 

      

 

 怠け者の兄貴、フエリツクスは、辛うじて學校を卒業した。

 彼は、のうのうとし、ほつとする。

 「お前の趣味は、一體なんだ」と、ルピツク氏は尋ねる――「もうそろそろ食つて行く道を決めにやならん年だ、お前も・・・。なにをやるつもりだい?」

 「えつ! まだやるのかい?」

と、彼は云ふ。

 

[やぶちゃん注:この全体は兄フェリックスのカリカチャアである。ルナールの実兄モーリス・ルナール(Maurice Renard)がモデル。成人して土木監督官となった。]

 

 

      

 

 みんなで罪のない遊戲をしてゐる。

 ベルト孃が、いろんなことを訊ねる番に當たつてゐた。

 にんじんが答へる――

 「それや、ベルトさんの眼は空色だから・・・」

 みんなが叫んだ――

 「素敵! 優しい詩人だわ」

 「うゝん、僕あ、眼なんか見ないで云つたんだよ」と、にんじんは云ふ――「なんていふことなしに云つてみたまでさ。今のは、慣用句だよ。修辭學の例にあるんだよ」

 

[やぶちゃん注:「ベルト孃」この少女は今までの本作中には出てこない。なお、最後の鼻につく言い振りから、既に寄宿学院「サン・マルク寮」に入って中学校へ通うようになってからの、帰郷の際のシークエンスととれる。]

 

      十一

 

 雪合戰すると、にんじんはたつた一人で一方の陣を承はる。彼は猛烈だ。で、その評判は遠くまで及んでゐるが、それは彼が雪の中へ石ころを入れるからである。

 彼は、頭を狙ふ。これなら、勝負は早い。

 氷が張つて、ほかのものが氷滑りをしてゐると、彼は彼れで、氷の張つてない草の上へ、別に小さな滑り場をこしらへる。

 天狗跳びをすると、彼は、徹頭徹尾、臺になつてゐる方がいゝと云ふ。

 人取りの時は、自由などに未練はなく、いくらでも捕まへさせる。

 そして、隱れんぼでは、あんまり巧(うま)く隱れて、みんなが彼のことを忘れてしまふ。

 

[やぶちゃん注:「彼れで」はママ。

「氷滑り」これの前者は原文を見るに、スケートではなく、斜面に出来た多くの者が楽しむ大きな自然の氷の「滑り台」のことと読める。

「天狗跳び」「馬跳び」のやうな遊びであろう。

「人捕り」「はないちもんめ」に類似した遊びか。]

 

 

      十二

 

 子供たちは丈(せい)くらべをしてゐる。

 一と目見たゞけで、兄貴のフエリツクスが、文句なしに、首から上他のものより大きい。しかし、にんじんと姉のエルネステイヌとは、一方がたかの知れた女の子だのに、これは肩と肩とを並べてみないとわからない。そこで、姉のエルネステイヌは、爪先で背伸びをする。ところが、にんじんは、狡いことをやる。誰にも逆ふまいとして、輕く腰をかゞめるのである。これで、心もち高低のあるところへ、ちよつぴり、差が加はるのである。

 

 

      十三

 

 にんじんは、女中のアガアトに、次のやうに忠告をする――

 「奧さんとうまく調子を合はせようと思ふなら、僕の惡口(わるぐち)を云つてやり給へ」

 これにも限度がある。

 といふのは、ルピツク夫人は、自分以外の女が、にんじんに手を觸れようものなら、承知しないのである。

 近所の女が、たまたま、彼を打(ぶ)つと云つて脅(おどか)したことがある。ルピツク夫人が駈けつける。えらい權幕だ。息子は、恩を感じ、もう、顏を輝やかしてゐる。やつと連れ戾される。

 「さあ、今度は、母さんと二人きりだよ」

と、彼女は云ふ。

 

 

      十四

 

 「猫撫聲! それや、どんな聲を云ふんだい?」

 にんじんは小さなピエエルに訊ねる。このピエエルは、おつ母さんに甘やかされてゐるのである。

 おほよそ合點が行つたところで、彼は叫ぶ――

 「僕あ、そんなことより、一度でいゝから、馬鈴薯の揚げたのを、皿から、手づかみで食つてみたい。それから、桃を半分、種のある方だぜ、あいつをしやぶつてみたいよ」

 彼は考へる――

 「若し母さんが、僕を可愛くつて可愛くつて食べちまふつていふんだつたら、きつと眞つ先に、鼻つ柱へ嚙りつくだらう」

 

[やぶちゃん注:「ピエエル」この少年は今までの本作中には出てこない。]

 

 

      十五

 

 時々は、姉のエルネスチイヌも兄貴のフエリツクスも、遊び倦きると、自分たちの玩具を氣前よくにんじんに貸してやる。にんじんはかうして、めいめいの幸福を一部分づゝ取つて、愼ましく自分の幸福を組み立てるのである。

 で、彼は、決して、餘り面白く遊んでゐるやうな風は見せない。玩具を取返されるのが怖いからだ。

 

[やぶちゃん注:「玩具」戦後版のルビを参考にするなら、「おもちや」である。]

 

 

      十六

 

にんじん――ぢや、僕の耳、そんなに長すぎるなんて思はない?

マチルド――變な恰好だと思うふわ。どら、貸してごらんなさい。こんなかへ泥を入れで、お菓子を作りたくなるわ。

にんじん――母(かあ)さんがこいつを引つ張つて、熱くしときさへすれや、ちやんとお菓子が燒けるよ。

 

 

      十七

 

 

 「文句を云ふのはおよし! 何時までもうるさいね。ぢや、お前は、あたしより父さんの方が好きなんだね」

と、ルピツク夫人は、折にふれ、云ふのである。

 「僕は現在のまゝさ。なんにも云はないよ。たゞ、どつちがどつちより好きだなんてことは、絕對にない」

と、にんじんの心の聲が應へる。

 

[やぶちゃん注:最後の心内語は二重鍵括弧が普通だが、最後の一行で読者を裏切る効果が抜群で、このままでよい。]

 

 

      十八

 

ルピツク夫人――なにしてるんだい、にんじん?

にんじん――なにつて、知らないよ。

ルピツク夫人――さういふのは、つまり、また、ろくでもないことをしてるつていふこつた。お前は、一體、何時でも、知つてゝするのかい、そんなことを?

にんじん――かうしてないと、なんだか淋しいんだもの。

 

[やぶちゃん注:不思議なシークエンスである。最後の「にんじん」の台詞は、「僕は、何時でも、自分でも判らないろくでもないことをしていないと、「なんだか淋しいんだもの。」と応じているのである。こういう認識は通常の見当識が僅かに欠けている境界例的な発達障害の可能性を「にんじん」に私は感じているのである。]

 

 

      十九

 

 母親が自分のほうを向いて笑つてゐると思ひ、にんじんは、うれしくなり、こつちからも笑つてみせる。

 が、ルピツク夫人は、漠然と、自分自身に笑ひかけてゐたのだ。それで、急に、彼女の顏は、黑すぐりの眼を並べた暗い林になる。

 にんじんは、どぎまぎして、隱れる場所さへわからずにゐる。

 

[やぶちゃん注:「黑すぐり」「木の葉の嵐」の私の同注を參照。「クロスグリの実のような恐ろしい闇に似た濃い紫色の」眼の色の謂い。海外版の心霊映像見たようにキビが悪い。]

 

 

      二十

 

 「にんじん、笑ふ時には、行儀よく、音を立てないで笑つておくれ」

 と、ルピツク夫人は云ふ。

 「泣くなら泣くで、どうしてだか、それが云へないつて法はない」

 と、彼女は云ふ。

 彼女は、また、かうも云ふ――

 「あたしの身にもなつて下さいよ。あの子と來たら、ひつぱたいたつて、もうきゆうとも泣きやしませんよ」

 

 

      二十一

 

 なほ、彼女はかう云ふのである――

 ――空に汚點(しみ)ができたり、道の上に糞(ふん)でも落ちてると、あの子は、これや自分のものだと思つてるんです。

 ――あの子は、頭の中で何か考へてると、お尻の方は、お留守ですよ。

 ――高慢なことゝ云つたら、人が面白いつて云つてくれゝば、自殺でもし兼ねませんからね。

 

 

      二十二

 

 事實、にんじんは、水を容れたバケツで自殺を企てる。彼は、勇敢に、鼻と口とを、その中へぢつと突つ込んでゐるのである。その時、ぴしやりと、何處からか手が飛んで來て、バケツが靴の上へひつくり返る。それで、にんじんは、命を取り止めた。

 

[やぶちゃん注:「水を入れたバケツで自殺を企てる」これは「自分の意見」の「庭の井戶」同樣(同章の注を參照されたい)、そうして、本作最後のルナールの父の自殺と、母の井戸へ落下して溺死する、不吉な「自死」「死」への偶然の凶兆的伏線である。]

 

 

      二十三

 

 時として、ルピツク夫人は、にんじんのことを、かういふ風に云ふ――

 「あれや、あたしそつくりでね、毒はないんですよ。意地が惡いつていふよりや、氣が利かないつて方ですし、それに、大事(おほごと)を仕でかさうつたつて、あゝ尻が重くつちや」

 時として、彼女は、あつさり承認する――

 若し彼に、けちな蟲さへつかなければ、やがては、羽振りを利かす人間になるだらうと。

 

[やぶちゃん注:「けちな蟲さへつかなければ」この部分は、私は「あばずれ女に骨の髄まで吸われちまうことさえなけりゃ」といふ意味と採る。そして、そこでオーヴァーラップしてくるのが、ルナールの「にんじん」の執筆動機となった、ルナールの妻への強い敵意である。本作冒頭の「鷄」の「ルピツク夫人」の私の注を参照されたい。

 

 

      二十四

 

 「若し、何時か、兄貴のフエリツクスみたいに、誰かゞお年玉に木馬を吳れたら、おれは、それへ飛び乘つて、さつさと逃げちまふ」

 これが、にんじんの空想である。

 

 

      二十五

 

 彼にとつて一切が屁の河童だといふことを示すために、にんじんは、外へ出ると口笛を吹く。が、後をつけて來たルピツク夫人の姿が、ちらりと見える。口笛は、ぱつたり止まる。恰も彼女が、一錢の竹笛を齒で嚙み破つたかの如く、そいつは痛ましい。

 それはさうと、嚏(くさめ)が出る時、彼女がひよつこり現はれたゞけで、それが止つてしまふことも事實だ。

 

 

      二十六

 

 彼は、父親と母親の間で、橋渡しを勤める。

 ルピツク氏は云ふ――

 「にんじん、このシャツ、釦が一つ脫(と)れてる」

 にんじんは、そのシヤツをルピツク夫人のところへ持つて行く。すると、彼女は云ふ――

 「お前から、指圖なんかされなくつたつていゝよ」

 しかし、彼女は、針箱を引寄せ、釦を縫ひつける。

 

 

      二十七

 

 「これで、父さんがゐなかつたら、とつくの昔、お前は、母さんをひどい目に遭はしてるとこだ。この小刀を心臟へ突き刺して、藁の上へ轉がしといたにきまつてる」

と、ルピツク夫人は叫ぶ。

 

 

      二十八

 

 「洟をかみなさい!」

 ルピツク夫人は、ひつきりなしに云ふ。

 にんじんは、根氣よく、ハンケチの表側へかみ出す。間違つて裏側へやると、そこをなんとか誤魔化す。

 なるほど、彼が風邪を引くと、ルピツク夫人は、彼の顏へ蠟燭の脂を塗り、姉のエルネスチイヌや兄貴のフエリツクスが、しまいに妬けるほど、べたべたな顏にしてしまふ。それでも、母親は、にんじんのために、特にはう附け加へる――

 「これや、どつちかつて云へば、惡いことぢやなくつて、善いことなんだよ。頭ん中の腦が淸(せい)々するからね」

 

[やぶちゃん注:「洟」「はな」。]

 

 

      二十九

 

 ルピツク氏が、今朝から彼を揶揄ひ通しなので、つい、にんじんは、どえらいことを云つてしまつた。

 「もう、うるさいツたら、馬鹿野郞!」

 遽かに、周圍の空氣が凍りつき、眼の中に、火の塊ができたやうに思はれる。

 彼は口の中でぶつぶつ云ふ。危(あぶ)ないと見たら、地べたへ潜り込む用意をしてゐる。

 が、ルピツク氏は、何時までも、何時までも、彼を見据えてゐる。しかも、危(あぶ)ない氣配は見えない。

 

[やぶちゃん注:「遽かに」「にはかに」。

「周圍」戦後版は『まわり』とルビする。それを採る。]

 

 

      三十

 

 姉のエルネステイヌは、間もなくお嫁に行くのである。で、ルピツク夫人は、彼女に、許婚と散步することを許す。但し、にんじんの監視の下にである。

 「先へ行きなさいよ。駈け出したつていゝわ」

 彼女は、かう云ふ。

 にんじんは先へ步く。一所懸命に駈け出しては見る。犬がよくやるあの走り方だ。がうつかり、速度を緩めやうものなら、彼の耳に慌たゞしい接吻(キス)の音が聞こえて來るのである。

 彼は咳拂ひをする。

 神經が高ぶつて來る。丁度、村の十字架像の前で、彼は帽子を脫いだ序に、そいつを地べたに叩きつけ、足で踏み躪り、そして叫ぶ――

 「おれなんか、絕對に、誰も愛してくれやしない!」

 それと同時に、ルピツク夫人が、しかもあの素捷(すばや)い耳で、唇のへんに微笑を浮べながら、塀(へい)の後(うし)ろから、物凄い顏を出した。

 すると、にんじんは、無我夢中で附け足す――

 「それや、母さんは別さ」

 

[やぶちゃん注:「許婚」「いひなづけ」。この姉「エルネステイヌ」のモデルであるアメリー・ルナール(Amélie Renard:ジュールより五歳年上)は一八八三年七月(当時のジュールは満十九歳)に、フランスの中南東部のロワール県県庁所在地であるサン=テティエンヌ(Saint-Étienne)のリボン卸売り商人であったアルベール・ミランと結婚している。なお、この年の九月以降には、ジュールは本格的な執筆活動をし始めてもいる。さても――水を差すようだが――この前年としても、既に十八歳で、この最後を括る小話にしては、自身がモデルとしては、あまりに大人になっちまった「にんじん」に過ぎ、創作性が強いことが推察されるのである。

「監視の下に」戦後版を見るに、「かんしのもとに」である。

「がうつかり」ママ。戦後版は『が、うっかり』となっているから、誤植(脱記号(読点))の可能性が高いか。

   *

 本章全体の原本は、ここから。

 なお、原文の最後の“FIN”と猫の挿絵は、戦後版にはなく、昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫14』の倉田清訳にもないもので、「Internet archive」の原本(但し、一九〇二年版)の本文パートの最後(ここ)にあるものを用いた(後者の猫の画像はscreen shot で読み込んだものをトリミングし、ぼやけているのを、かなりの回数、補正したものである)。

 

 

 

 

    L’Album de Poil de Carotte

 

    I

 

   Si un étranger feuillette l’album de photographies des Lepic, il ne manque pas de s’étonner. Il voit sœur Ernestine et grand frère Félix sous divers aspects, debout, assis, bien habillés ou demi-vêtus, gais ou renfrognés, au milieu de riches décors.

   – Et Poil de Carotte ?

   – J’avais des photographies de lui tout petit, répond madame Lepic, mais il était si beau qu’on me l’arrachait, et je n’ai pu en garder une seule.

   La vérité c’est qu’on ne fait jamais tirer Poil de Carotte.

 

    II

 

   Il s’appelle Poil de Carotte au point que la famille hésite avant de retrouver son vrai nom de baptême.

   – Pourquoi l’appelez-vous Poil de Carotte ? À cause de ses cheveux jaunes ?

   – Son âme est encore plus jaune, dit madame Lepic.

 

    III

 

   Autres signes particuliers :

   La figure de Poil de Carotte ne prévient guère en sa faveur.

   Poil de Carotte a le nez creusé en taupinière.

   Poil de Carotte a toujours, quoi qu’on en ôte, des croûtes de pain dans les oreilles.

   Poil de Carotte tète et fait fondre de la neige sur sa langue.

   Poil de Carotte bat le briquet et marche si mal qu’on le croirait bossu.

   Le cou de Poil de Carotte se teinte d’une crasse bleue comme s’il portait un collier.

   Enfin Poil de Carotte a un drôle de goût et ne sent pas le musc.

 

    IV

 

   Il se lève le premier, en même temps que la bonne. Et les matins d’hiver, il saute du lit avant le jour, et regarde l’heure avec ses mains, en tâtant les aiguilles du bout du doigt.

   Quand le café et le chocolat sont prêts, il mange un morceau de n’importe quoi sur le pouce.

 

    V

 

   Quand on le présente à quelqu’un, il tourne la tête, tend la main par-derrière, se rase, les jambes ployées, et il égratigne le mur.

   Et si on lui demande :

   – Veux-tu m’embrasser, Poil de Carotte ?

   Il répond :

   – Oh ! ce n’est pas la peine !

 

    VI

 

     MADAME LEPIC

   Poil de Carotte, réponds donc, quand on te parle.

     POIL DE CAROTTE

   Boui, banban.

     MADAME LEPIC

   Il me semble t’avoir déjà dit que les enfants ne doivent jamais parler la bouche pleine.

 

    VII

 

Il ne peut s’empêcher de mettre ses mains dans ses poches. Et si vite qu’il les retire, à l’approche de madame Lepic, il les

retire trop tard. Elle finit par coudre un jour les poches, avec les mains.

 

    VIII

 

   – Quoi qu’on te fasse, lui dit amicalement parrain, tu as tort de mentir. C’est un vilain défaut, et c’est inutile, car toujours tout se sait.

   – Oui, répond Poil de Carotte, mais on gagne du temps.

 

    IX

 

   Le paresseux grand frère Félix vient de terminer péniblement ses études.

   Il s’étire et soupire d’aise.

   – Quels sont tes goûts ? lui demande M. Lepic. Tu es à l’âge qui décide de la vie. Que vas-tu faire ?

   – Comment ! Encore ! dit grand frère Félix.

 

    X

 

   On joue aux jeux innocents.

   Mlle Berthe est sur la sellette :

      – Parce qu’elle a des yeux bleus, dit Poil de Carotte.

   On se récrie :

   – Très joli ! Quel galant poète !

   – Oh ! répond Poil de Carotte, je ne les ai pas regardés. Je dis cela comme je dirais autre chose. C’est une formule de convention, une figure de rhétorique.

 

    XI

 

   Dans les batailles à coups de boules de neige, Poil de Carotte forme à lui seul un camp. Il est redoutable, et sa réputation s’étend au loin parce qu’il met des pierres dans les boules.

   Il vise à la tête : c’est plus court.

   Quand il gèle et que les autres glissent, il s’organise une petite glissoire, à part, à côté de la glace, sur l’herbe.

   À saut de mouton, il préfère rester dessous, une fois pour toutes.

   Aux barres, il se laisse prendre tant qu’on veut, insoucieux de sa liberté.

   Et à cache-cache, il se cache si bien qu’on l’oublie.

 

    XII

 

   Les enfants se mesurent leur taille.

   À vue d’œil, grand frère Félix, hors concours, dépasse les autres de la tête. Mais Poil de Carotte et s œur Ernestine, qui pourtant n’est qu’une fille, doivent se mettre l’un à côté de l’autre. Et tandis que sœur Ernestine se hausse sur la pointe du pied, Poil de Carotte, désireux de ne contrarier personne, triche et se baisse légèrement, pour ajouter un rien à la petite idée de différence.

 

    XIII

   Poil de Carotte donne ce conseil à la servante Agathe :

   – Pour vous mettre bien avec madame Lepic, dites-lui du mal de moi.

   Il y a une limite.

   Ainsi madame Lepic ne supporte pas qu’une autre qu’elle touche à Poil de Carotte.

   Une voisine se permettant de le menacer, madame Lepic accourt, se fâche et délivre son fils qui rayonne déjà de gratitude.

   – Et maintenant, à nous deux ! lui dit-elle.

 

    XIV

 

   – Faire câlin ! Qu’est-ce que ça veut dire ? demande Poil de Carotte au petit Pierre que sa maman gâte.

   Et renseigné à peu près, il s’écrie :

   – Moi, ce que je voudrais, c’est picoter une fois des pommes frites, dans le plat, avec mes doigts, et sucer la moitié de la pêche où se trouve le noyau.

   Il réfléchit :

   – Si madame Lepic me mangeait de caresses, elle commencerait par le nez.

 

    XV

 

   Quelquefois, fatigués de jouer, sœur Ernestine et grand frère Félix prêtent volontiers leurs joujoux à Poil de Carotte qui, prenant ainsi une petite part du bonheur de chacun, se compose modestement la sienne.

   Et il n’a jamais trop l’air de s’amuser, par crainte qu’on ne les lui redemande.

 

    XVI

 

     POIL DE CAROTTE

   Alors, tu ne trouves pas mes oreilles trop longues ?

     MATHILDE

   Je les trouve drôles. Prête-les-moi ? J’ai envie d’y mettre du sable pour faire des pâtés.

     POIL DE CAROTTE

   Ils y cuiraient, si maman les avait d’abord allumées.

 

    XVII

 

   – Veux-tu t’arrêter ! Que je t’entende encore ! Alors tu aimes mieux ton père que moi ? dit, çà et là, madame Lepic.

   – Je reste sur place, je ne dis rien, et je te jure que je ne vous aime pas mieux l’un que l’autre, répond Poil de Carotte de sa voix intérieure.

 

    XVIII

 

     MADAME LEPIC

   Qu’est-ce que tu fais, Poil de Carotte ?

     POIL DE CAROTTE

   Je ne sais pas, maman.

     MADAME LEPIC

   Cela veut dire que tu fais encore une bêtise. Tu le fais donc toujours exprès ?

     POIL DE CAROTTE

   Il ne manquerait plus que cela.

 

    XIX

 

   Croyant que sa mère lui sourit, Poil de Carotte, flatté, sourit aussi.

   Mais madame Lepic qui ne souriait qu’à elle-même, dans le vague, fait subitement sa tête de bois noir aux yeux de cassis.

   Et Poil de Carotte, décontenancé, ne sait où disparaître.

 

    XX

 

   – Poil de Carotte, veux-tu rire poliment, sans bruit ? dit madame Lepic.

   – Quand on pleure, il faut savoir pourquoi, dit-elle.

   Elle dit encore :

   – Qu’est-ce que vous voulez que je devienne ? Il ne pleure même plus une goutte quand on le gifle.

 

    XXI

 

   Elle dit encore :

   – S’il y a une tache dans l’air, une crotte sur la route, elle est pour lui.

   – Quand il a une idée dans la tête, il ne l’a pas dans le derrière.

   –Il est si orgueilleux qu’il se suiciderait pour se rendre intéressant.

 

    XXII

 

   En effet Poil de Carotte tente de se suicider dans un seau d’eau fraîche, où il maintient héroïquement son nez et sa bouche, quand une calotte renverse le seau d’eau sur ses bottines et ramène Poil de Carotte à la vie.

 

    XXIII

 

   Tantôt madame Lepic dit de Poil de Carotte :

   – Il est comme moi, sans malice, plus bête que méchant et trop cul de plomb pour inventer la poudre.

   Tantôt elle se plaît à reconnaître que, si les petits cochons ne le mangent pas, il fera, plus tard, un gars huppé.

 

    XXIV

 

   – Si jamais, rêve Poil de Carotte, on me donne, comme à grand frère Félix, un cheval de bois pour mes étrennes, je saute dessus et je file.

 

    XXV

 

   Dehors, afin de se prouver qu’il se fiche de tout, Poil de Carotte siffle. Mais la vue de madame Lepic qui le suivait, lui coupe le sifflet. Et c’est douloureux comme si elle lui cassait, entre les dents, un petit sifflet d’un sou.

   Toutefois, il faut convenir que dès qu’il a le hoquet, rien qu’en surgissant, elle le lui fait passer.

 

    XXVI

 

   Il sert de trait d’union entre son père et sa mère. M. Lepic dit :

   – Poil de Carotte, il manque un bouton à cette chemise.

   Poil de Carotte porte la chemise à madame Lepic, qui dit :

   – Est-ce que j’ai besoin de tes ordres, pierrot ?

   mais elle prend sa corbeille à ouvrage et coud le bouton.

 

    XXVII

 

   – Si ton père n’était plus là, s’écrie madame Lepic, il y a longtemps que tu m’aurais donné un mauvais coup, plongé ce couteau dans le cœur, et mise sur la paille !

 

    XXVIII

 

   – Mouche donc ton nez, dit madame Lepic à chaque instant.

   Poil de Carotte se mouche, inlassable, du côté de l’ourlet. Et s’il se trompe, il rarrange.

   Certes, quand il s’enrhume, madame Lepic le graisse de chandelle, le barbouille à rendre jaloux sœur Ernestine et grand frère Félix. Mais elle ajoute exprès pour lui :

   – C’est plutôt un bien qu’un mal. Ça dégage le cerveau de la tête.

 

    XXIX

 

   Comme M. Lepic le taquine depuis ce matin, cette énormité échappe à Poil de Carotte :

   – Laisse-moi donc tranquille, imbécile !

   Il lui semble aussitôt que l’air gèle autour de lui, et qu’il a deux sources brûlantes dans les yeux.

   Il balbutie, prêt à rentrer dans la terre, sur un signe.

   Mais M. Lepic le regarde longuement, longuement, et ne fait pas le signe.

 

    XXX

   Sœur Ernestine va bientôt se marier. Et madame Lepic permet qu’elle se promène avec son fiancé, sous la surveillance de Poil de Carotte.

   – Passe devant, dit-elle, et gambade !

   Poil de Carotte passe devant. Il s’efforce de gambader, fait des lieues de chien, et s’il s’oublie à ralentir, il entend, malgré lui, des baisers furtifs.

   Il tousse.

   Cela l’énerve, et soudain, comme il se découvre devant la croix du village, il jette sa casquette par terre, l’écrase sous son pied et s’écrie :

   – Personne ne m’aimera jamais, moi !

   Au même instant, madame Lepic, qui n’est pas sourde, se dresse derrière le mur, un sourire aux lèvres, terrible.

   Et Poil de Carotte ajoute, éperdu :

   – Excepté maman.

 

 

                                 FIN

 

 

Chat

 

 

 

[やぶちゃん注:以下、底本の表紙の次の見返しに貼り付けにされてあるもの。ここと、ここ。]

 

   譯 稿 を 終 へ て

 

     (此の一文は考ふるところあつて特に挾込となす)          

 

 この飜譯は全く自分の道樂にやつた仕事だと云つていゝ。初めはのろのろ、しまい[やぶちゃん注:ママ。]には大速力で、足かけ五年かゝつた。創作月刊、文藝春秋、作品、新科學的文藝、詩・現實、新靑年、改造等の諸雜誌に少しづゝ發表した。

 最初に斷つておきたいことは、この小說を作者自身が脚色して同じ題の戲曲にした、それを、畏友山田珠樹君がもう七八年前、「赤毛」といふ題で飜譯をし、これが相當評判になつて、今日ルナアルの「ポアル・ド・キヤロツト」は「赤毛」といふ譯名で通つてゐるかも知れないことだ。僕は、「赤毛」といふ題も結構であると思ふが、元來譯しにくい原名であるから、山田君の「赤毛」は山田君の專賣にしておいた方がよいと思ひ、湯ら異を樹てる[やぶちゃん注:「たてる」。]意味でなく、自分は自分の流儀に譯してみたまでゞある。原名を直譯すれば「人參色の毛」である。

 初版の刊行は千八百九十四年、作者三十一歲の時である。

 この小說を書き出したのは千八百九十年で、一章づゝ次ぎ次ぎに雜誌や新聞へのせた。また、ある部分は、他の形式で本にしたこともある。初版には「壺」「パンのかけら」「髮の毛」「自分の意見」「書簡」等の項目はまだ加はつてゐない。從つて、千八百九十七年版以後のものが、現在の完成した形である。

 戲曲としては、千九百年三月、アントワアヌ座でこれを上演した。

 映畫になつたのは無論ずつと後のことだが、最近デュヴイヴイエの監督で發聲映畫になり、この秋日本でも封切される筈だ。

 「にんじん」は作者自身の肖像であることは、作者の日記を見ればわかる。

 日記の中で、彼は、この作品に少しばかり顰め面を見せていゐる。ルピツク婦人の老い朽ちる有樣を眼のあたりに見る「にんじん」四十歲の心境であらう。

 ルナアルは、この書を、その二人の子供、息子フアンテツクと娘バイイ(共に愛稱)とに獻げてゐる譯者も亦、この譯書を自分の二人の娘に贈りたく思ふ。

 

  昭和八年七月

 

[やぶちゃん注:思うに、戦後版が有意にルビが増え、漢字だったものがひらがなに多く書き代えられているのは、恐らく、岸田氏の二人の娘さんが、「読めない字が多いわ。」と不平したことからの仕切り直しのように私は感じた。なお、戦後版(リンクは私のサイト版一括HTML版)の最後の岸田国士氏の解説『「にんじん」とルナアルについて』を未読の方は、是非、読まれたい。

「山田珠樹君がもう七八年前、「赤毛」といふ題で飜譯をし」国立国会図書館デジタルコレクションの「赤毛」(『フランス文學の叢書 劇の部』第九篇(ルナアル 著・山田珠樹訳・一五(一九二六)年春陽刊)がそれ。岸田氏の本書「にんじん」が出た翌昭和九(一九三四)年にも改訳版があり、そちらも同デジタルコレクションで視認出来る(白水社刊「商船テナシチー」と「赤毛―戯曲にんじん―」のカップリング版)。山田珠樹(明治二六(一八九三)年~昭和一八(一九四三)年)はフランス文学者で、東京帝国大学助教授及び司書官を務めた。フランス文学者として辰野隆・鈴木信太郎らと東大仏文科を興し、また、司書官としては関東大震災後の東大図書館復興に力を尽くした。死の主因は肺結核のようである。この作品も電子化したい気持ちに駆られてきた。]

 

[やぶちゃん注:以下は、本文最後の左ページにある本書書誌(使用された紙の仕様を含む)を含む、限定出版の記載。下方の限定番号のアラビア数字はナンバリングによる手押し。]

 

 

ジユウル ルナアル作岸田

國士譯「にんじん」は越前國

今立郡岡本村 杉原半四郞

鼈漉「程村」鳥の子刷を貳拾

五部(第一刷より第貳拾五     122 

册)極上質紙刷を壹千部(1

より1000)他に非賣本各若

干部を刊行し玻璃版刷原作

者肖像壹葉を各册に附錄す

 

 

[やぶちゃん注:以下、奥附。上部に「岸田」の朱印。下方に以下。なるべく、実際の字配に似せて電子化した。]

 

 

發  行   福   岡    淸

印  刷   岩 本  米 次 郞

        森  田     巖

製  本   中  野  和  一

        麻  生  勇 助

譯   者 岸  田  國  士

 

東京都神田區小川町三丁目八番地

發行所    白    水    社

 

東京都赤坂區靑山南町二丁目十六番地

印刷所    愛    光    堂

 

昭和八年七月二十五日印刷同年八月

八日發行    頒價參圓五拾錢

 

2023/12/11

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「終局の言葉」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本章は二章から成るが、「二」は、改ページで右ページで配されてあるため、「二」の終りは、ここに見る通り、八行(「一」の後の七行分+「二」の前の一行分)行空けが施されている。ここでは、意味がないので、二行空けとした。]

 

Syuukyokunokotoba

 

     終局の言葉

 

 

 夕方、食事が濟む。ルピツク夫人は、病氣で寢てゐるので、一向姿を見せない。みんな默りこくつてゐる。習慣からでもあり、また、遠慮からでもある。ルピツク氏は、ナフキンを結び、そいつを食卓の上へ投げ出し、そして云ふ――

 「舊道の羊飼場まで散步に行くが、一緖に來ないか、誰も?」

 にんじんは、ルピツク氏がかういふ方法で彼を誘ひ出すのだと氣がつく。彼は同じく起ち上り、椅子を何時もの通り壁の方へ運び、おとなしく父親の後に從ふ。

 初めのうち、彼等は默つて步く。訊問はすぐには開かれない。たゞ、避けることは不可能だ。にんじんは、頭の中で、凡その見當をつけてみる。そして、返答のしかたを稽古してみる。用意ができた。激しくゆすぶられた揚句の彼は、いま聊かも後悔するところはない。晝間あれほどの大事件にぶつかつたのだ。それ以上の何を怖れるものか。ところで、ルピツク氏は、決心をする。その聲がまた、にんじんを安堵させた。

 

ルピツク氏――何を待つてるんだ? 今日、お前がやつたことは、どういふんだ、あれや? わけを云つてみろ。母さんはあんなに口惜しがつてるぢやないか。[やぶちゃん注:「口惜しがつてる」戦後版では、『口惜(くや)しがってる』。それに従い、「くやしがつてる」と読んでおく。]

にんじん――父さん、僕、今迄永い間、云ひだせずにゐたの。だけど、好い加減に形(かた)をつけちやはう。僕、ほんとを云ふと、もう、母さんが嫌ひになつたよ。

ルピツク氏――ふむ。どういふところが? 何時から?

にんじん――どういふところつて、どこもかしこも・・・。母さんの顏を覺えてからだよ。

ルピツク氏――ふむ。そいつは嘆かはしいこつた。せめて、母さんがお前にどんなことをしたか、話してごらん。

にんじん――長くなるよ、そいつは。それに、父さん、氣がつかない、なんにも?

ルピツク氏――つかんことはない。お前がよく膨れつ面をしてるのを見たよ。

にんじん――僕、膨れるつて云はれると、なほ癪に障るんだ。それやむろん、にんじんは、眞劍に人を恨むなんてこと、できないんだよ。奴さん、膨れつ面をするだらう。ほつとけばいゝのさ。するだけしたら、落ちつくんだ。機嫌を直して、隅つこから出て來るよ。殊に、奴さんにかまつてる風をしちやいけない。どうせ、大したことぢやないんだから。御免よ、父さん。大したことぢやないつていふのは、父さんや母さんや、それから、ほかのものにとつてはさ。僕あ、時々膨れつ面をするよ。それやそれに違ひないけど、たゞ形の上さ。しかし、どうかすると、まつたくの話、心の底から、何をツていふ風に、腹を立てることもあるの。で、その侮辱は、もう、どうしたつて忘れやしないさ。[やぶちゃん注:「奴さん」「やつこさん」誤読のしようはないが、老婆心乍ら、「にんじん」自身が、自分をルピック夫人に成り代わって、三人称で指しているのである。]

ルピツク氏――まあ、まあ、さう云はずに、忘れちまへ。揶揄(からか)はれて怒る奴があるか。

にんじん――うゝん、うゝん、あうぢやないよ。父さんはすつかり知らないからさ。家にゐることは、さうないんだもの。

ルピツク氏――出步かにやならんのだ。しやうがない。

にんじん(我が意を得たりといふ風に)――仕事は仕事だよ、父さん。父さんは、いろんなことに頭を使つてるから、それで氣が紛れるんだけど、母さんと來たら、今だから云ふけど、僕をひつぱたくより外に、憂さばらしのしやうがないんだよ。それが、父さんの責任だとは云はないぜ。なに、僕がそつと云ひ吩けれやよかつたのさ。父さんは、僕の味方になつてくれたんだ。これから、ぼつぼつ、もう以前(せん)からのこと話してみるよ。僕の云ふことが大袈裟かどうか、僕の記憶がどんなもんだか、みんなわかるさ。だけどね、父さん、早速、相談したいことがあるの。[やぶちゃん注:「云ひ吩けれや」「いひつけれや」。]

僕、母さんと別れちやいたいんだけど・・・。

どう、父さんの考へで、一番簡單な方法は?

ルピツク氏――一年に二た月、休暇に會ふだけぢやないか?

にんじん――その休暇中も、寮に殘つてちやいけない? さうすれや、勉强の方も進むだらう?

ルピツク氏――さういふ特典があるのは、貧乏な生徒だけだ。そんなことでもしてみろ、世間ぢいや、わしがお前を捨てたんだつて云はあ。それに第一、自分のことばかり考へちやいかんよ。わしにしてみてからが、お前と一緖にをられんやうになるぢやないか。

にんじん――面會に來てくれゝばいゝんだよ、父さん。

ルピツク氏――慰みの旅行は、高くつかあ、にんじん。

にんじん――是非つていふ旅行を利用したら・・・? ちよつと廻り路をしてさ。

ルピツク氏――いや、わしは、今迄、お前を兄貴や姉さんとおんなじに取扱つて來た。誰を特別にどうするつていふことは、決してしなかつた。そいつは變へるわけにいかん。

にんじん――ぢや、學校の方を止そう。寮を出しておくれよ。お金がかゝりすぎるとでも云つてさ。さうすれや、僕、何か職業を撰ぶよ。

ルピツク氏――どんな? 早い話が、靴屋へでも丁稚奉公にやつて欲しいつていふのか?

にんじん――さうでもいゝし、何處だつていゝよ。僕、自分の食べるだけ稼ぐんだ、さうすれや、自由だもの。

ルピツク氏――もう遲い、にんじん。靴の底へ釘を打つために、わしはお前の敎育に大きな犧牲を拂つたんぢやない。

にんじん――そんなら、若し僕が、自殺しようとしたことがあるつて云つたら、どうなの?

ルピツク氏――おどかすな、やい。

にんじん――噓ぢやないよ。父さん、昨日だつて、また、僕あ、首を吊らうと思つたんだぜ。

ルピツク氏――ところで、お前はそこにゐるぢやないか。だから、まあまあ、そんなことはしたくなかつたんだ。しかも、お前は、自殺を仕損つたといふ話をしながら、得意さうに、頤を突き出してゐる。今迄に、死にたいと思つたのは、お前だけのやうに考へてゐるんだ。やい、にんじん、我身勝手の末は恐ろしいぞ。お前はそつちへ布團をみんな引つ張つて行くんだ。世の中は自分一人のもんだと思つてる。

にんじん――父さん、だけど、僕の兄貴は幸福だぜ。姉さんも幸福だぜ。それから若し母さんが、父さんの云ふやうに、僕を揶揄つて、それがちつとも樂しみぢやないつて云ふんなら、僕あ、なにがなんだかわからないよ。その次ぎは、父さんさ。父さんは威張つてる。みんな怖わがつて[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]ゐるよ。母さんだつて怖わがつてるさ。母さんは、父さんの幸福に對して、どうすることもできないんだ。これはつまり、人類の中に、幸福なものもゐるつていふ證據ぢやないか。

ルピツク氏――融通の利かない小つぽけな人類だよ、お前は。その理窟は、屁みたいだ、それや。人の心が、いちいち奧底まで、お前にはつきり見えるかい?

ありとあらゆることが、もう、ちやんとわかるのか、お前に・・・?

にんじん――僕だけのことならだよ、あゝ、わかるよ、父さん。少なくとも、わからうと努めてるよ。

ルピツク氏――そんならだ。いゝか、にんじん、幸福なんていふもんは思ひ切れ! ちやんと云つといてやる。お前は、今より幸福になることなんぞ、決してありやせん。決して、決して、ありやせんぞ。

にんじん――いやに請合ふんだなあ。

ルピツク氏――諦めろ。鎧兜(よろひかぶと)で身を固めろ。それも、年なら二十(はたち)になるまでだ。自分で自分のことができるやうになれば、お前は自由になるんだ。性質や氣分は變らんでも、家は變へられる。われわれ親同胞(きようだい[やぶちゃん注:ママ。])と緣を切ることもできるんだ。それまでは、上から下を見おろす氣でゐろ。神經を殺せ。そして、他(ほか)の者を觀察しろ。お前の一番近くにゐる者たちも同樣にだ。こいつは面白いぞ。わしは保證しとく、お前の氣安めになるやうな、意外千萬なことが目につくから。

にんじん――それやさうさ。他の者は他の者で苦勞はあるだらうさ。でも、僕あ、明日、さういふ人間に同情してやるよ。今日は、僕自身のために正義を叫ぶんだ。どんな運命でも、僕のよりやましだよ。僕には、一人の母親がある。この母親が僕を愛してくれないんだ。そして、僕がまたその母親を愛してゐないんぢやないか。[やぶちゃん注:「明日」戦後版では「明日」『あした』とルビする。それを採る。]

 

 「そんなら、わしが、そいつを愛してると思ふのか」

 我慢ができす、ルピツク氏は、ぶつけるやうに云つた。

 これを聞いて、にんじんは、父親の方に眼をあげる。彼は、しばらく、その六ケ敷い顏を見つめる。濃い髭がある。あまり喋り過ぎたことを恥ぢるやうに、口がその中へ隱れてしまつてゐる。深い襞のある額、眼尻の皺、それから、伏せた瞼・・・步きながら眠つてゐる恰好だ。

 一つ時、にんじんは、口を利くことができない。この祕かな悅び、握つてゐるこの手、殆んど力まかせに縋つてゐるこの手、それがすべて何處かへ飛んで行つてしまふやうな氣がするのだ。

 やがて、彼は、拳を握り固め、闇の彼方に、うとうとゝ眠りかけた村の方へ、それを振つてみせる。そして、大袈裟な調子で叫ぶ――

 「やい、因業婆(いんごうばゝあ)! いよいよ、これで申分なしだ! おれはお前が大嫌ひなんだ!」

 「こら、止せ! なには兎もあれ、お前の母さんだ」

と、ルピツク氏は云ふ。

 「あゝ」と、にんじんは、再び、單純でしかも用心深い子供になり――「僕の母さんだと思つてかう云ふんぢやないんだよ」

 

[やぶちゃん注:「にんじん――僕、膨れるつて云はれると、なほ癪に障るんだ。それやむろん、にんじんは、眞劍に人を恨むなんてこと、できないんだよ。」この直接話法で、「にんじん」は、自身のことを“Poil de Carotte”と呼んでいる。これは本作の中で特異なことであると思われる。「にんじん」の“Poil de Carotte”といふ存在としての現存在としての自覚、その自己同一性が、この自己人称表現に於いて、逆に、正しく主体的自立的な「にんじん」の厳しく真面目な自己認識の印象を読者の与えるように私には思われる。

「ぼつぼつ、以前のことを話してみるよ」これは、読者を無意識的に作品の最初にフィードバツクさせ、そして、そのリピートするカット・バックが、更に効果的に新鮮なものとして読者に与えるものが、本書の掉尾の次章「にんじんのアルバム」なのである。この作品の構成は実に美事である。本作はコーダで幕が落ちる戯曲的なものではなく、すこぶる映像的なエンディングを持つのである。

「死にたいと思つたのは、お前だけのやうに考へてゐるんだ」これは「自分の意見」の「庭の井戶」同樣(同章の私の注を参照されたい)、甚だ偶然なるが故に、身震いさせる不吉な予兆的伏線となってしまうである。

「ルピツク氏――融通の利かない小つぽけな人類だよ、お前は。その理窟は、屁みたいだ、それや。人の心が、いちいち奧底まで、お前にはつきり見えるかい?」「ありとあらゆることが、もう、ちやんとわかるのか、お前に・・・?」この部分、「ありとあらゆることが、もう、ちやんとわかるのか、お前に・・・?」だけが、前から連続するルピック氏の臺詞でありながら、改行されている。岸田氏は、ここに僅かな間を置いて、ルピツク氏の、この一言を特に強調したかったものと思われる。原文のこの部分には、特にそのような操作は、なされてはいない。

「この祕かな悅び、握つてゐるこの手、殆んど力まかせに縋つてゐるこの手、それがすべて何處かへ飛んで行つてしまふやうな氣がするのだ。」先の「死にたいと思つたのは、お前だけのやうに考へてゐるんだ」に続く、本作最後の、近未来のカタストロフを後に予兆させてしまう結果としての、ルナールの父がショットガンで胸を撃ち抜いて自殺することになる、恐ろしい「死」の伏線である。

「やい、因業婆(いんごうばゝあ)! いよいよ、これで申分なしだ! おれはお前が大嫌ひなんだ!」原文は“Tais-toi, dit M. Lepic, c'est ta mère après tout.”で、この“mère”は、ここではフラットな「母」の意ではなく、俗語で、「年を取つた庶民の妻」、所謂、「小母さん」や「婆さん」の類いであり、“après tout”は、「つまり・結局」の意であるから、「默れ! ルピツク氏の女と呼ばれる者よ! おまえさんは、トドのつまり、『いけ好かねえ婆あ』に過ぎねえんだッツ!」といつた感じだろう。]

 

 

 

 

    Le Mot de la Fin

 

   Le soir, après le dîner où madame Lepic, malade et couchée, n’a point paru, où chacun s’est tu, non seulement par habitude, mais encore par gêne, M. Lepic noue sa serviette qu’il jette sur la table et dit :

   Personne ne vient se promener avec moi jusqu’au biquignon, sur la vieille route ?

   Poil de Carotte comprend que M. Lepic a choisi cette manière de l’inviter. Il se lève aussi, porte sa chaise vers le mur, comme toujours, et il suit docilement son père.

   D’abord ils marchent silencieux. La question inévitable ne vient pas tout de suite. Poil de Carotte, en son esprit, s’exerce à la deviner et à lui répondre. Il est prêt. Fortement ébranlé, il ne regrette rien. Il a eu dans sa journée une telle émotion qu’il n’en craint pas de plus forte. Et le son de voix même de M. Lepic qui se décide, le rassure.

     MONSIEUR LEPIC

   Qu’est-ce que tu attends pour m’expliquer ta dernière conduite qui chagrine ta mère ?

     POIL DE CAROTTE

   Mon cher papa, j’ai longtemps hésité, mais il faut en finir. Je l’avoue : je n’aime plus maman.

     MONSIEUR LEPIC

   Ah ! À cause de quoi ? Depuis quand ?

        POIL DE CAROTTE

   À cause de tout. Depuis que je la connais.

     MONSIEUR LEPIC

   Ah ! c’est malheureux, mon garçon ! Au moins, raconte-moi ce qu’elle t’a fait.

     POIL DE CAROTTE

Ce serait long. D’ailleurs, ne t’aperçois-tu de rien ?

     MONSIEUR LEPIC

Si. J’ai remarqué que tu boudais souvent.

     POIL DE CAROTTE

   Ça m’exaspère qu’on dise que je boude. Naturellement, Poil de Carotte ne peut garder une rancune sérieuse. Il boude. Laissez-le. Quand il aura fini, il sortira de son coin, calmé, déridé. Surtout n’ayez pas l’air de vous occuper de lui. C’est sans importance.

   Je te demande pardon, mon papa, ce n’est sans importance que pour les père et mère et les étrangers. Je boude quelquefois, j’en conviens, pour la forme, mais il arrive aussi, je t’assure, que je rage énergiquement de tout mon coeur, et je n’oublie plus l’offense.

     MONSIEUR LEPIC

   Mais si, mais si, tu oublieras ces taquineries.

     POIL DE CAROTTE

   Mais non, mais non. Tu ne sais pas tout, toi, tu restes si peu à la maison.

     MONSIEUR LEPIC

   Je suis obligé de voyager.

     POIL DE CAROTTE, avec suffisance.

   Les affaires sont les affaires, mon papa. Tes soucis t’absorbent, tandis que maman, c’est le cas de le dire, n’a pas d’autre chien que moi à fouetter. Je me garde de m’en prendre à toi. Certainement je n’aurais qu’à moucharder, tu me protégerais. Peu à peu, puisque tu l’exiges, je te mettrai au courant du passé. Tu verras si j’exagère et si j’ai de la mémoire. Mais déjà, mon papa, je te prie de me conseiller.

   Je voudrais me séparer de ma mère.

   Quel serait, à ton avis, le moyen le plus simple ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tu ne la vois que deux mois par an, aux vacances.

     POIL DE CAROTTE

   Tu devrais me permettre de les passer à la pension. J’y progresserais.

     MONSIEUR LEPIC

   C’est une faveur réservée aux élèves pauvres. Le monde croirait que je t’abandonne. D’ailleurs, ne pense pas qu’à toi. En ce qui me concerne, ta société me manquerait.

     POIL DE CAROTTE

   Tu viendrais me voir, papa.

     MONSIEUR LEPIC

   Les promenades pour le plaisir coûtent cher, Poil de Carotte.

     POIL DE CAROTTE

   Tu profiterais de tes voyages forcés. Tu ferais un petit détour.

     MONSIEUR LEPIC

   Non. Je t’ai traité jusqu’ici comme ton frère et ta soeur, avec le soin de ne privilégier personne. Je continuerai.

     POIL DE CAROTTE

   Alors, laissons mes études. Retire-moi de la pension, sous prétexte que j’y vole ton argent, et je choisirai un métier.

     MONSIEUR LEPIC

   Lequel ? Veux-tu que je te place comme apprenti chez un cordonnier, par exemple ?

     POIL DE CAROTTE

   Là ou ailleurs. Je gagnerais ma vie et je serais libre.

     MONSIEUR LEPIC

   Trop tard, mon pauvre Poil de Carotte. Me suis-je imposé pour ton instruction de grands sacrifices, afin que tu cloues des semelles ?

     POIL DE CAROTTE

   Si pourtant je te disais, papa, que j’ai essayé de me tuer.

     MONSIEUR LEPIC

   Tu charges ! Poil de Carotte.

     POIL DE CAROTTE

   Je te jure que pas plus tard qu’hier, je voulais encore me pendre.

     MONSIEUR LEPIC

   Et te voilà. Donc tu n’en avais guère envie. Mais au souvenir de ton suicide manqué, tu dresses fièrement la tête. Tu t’imagines que la mort n’a tenté que toi. Poil de Carotte, l’égoïsme te perdra. Tu tires toute la couverture. Tu te crois seul dans l’univers.

     POIL DE CAROTTE

   Papa, mon frère est heureux, ma soeur est heureuse, et si maman n’éprouve aucun plaisir à me taquiner, comme tu dis, je donne ma langue au chat. Enfin, pour ta part, tu domines et on te redoute, même ma mère. Elle ne peut rien contre ton bonheur. Ce qui prouve qu’il y a des gens heureux parmi l’espèce humaine.

     MONSIEUR LEPIC

   Petite espèce humaine à tête carrée, tu raisonnes pantoufle. Vois-tu clair au fond des coeurs ? Comprends-tu déjà toutes les choses ?

     POIL DE CAROTTE

   Mes choses à moi, oui, papa ; du moins je tâche.

     MONSIEUR LEPIC

   Alors, Poil de Carotte, mon ami, renonce au bonheur. Je te préviens, tu ne seras jamais plus heureux que maintenant, jamais, jamais.

     POIL DE CAROTTE

   Ça promet.

     MONSIEUR LEPIC

   Résigne-toi, blinde-toi, jusqu’à ce que majeur et ton maître, tu puisses t’affranchir, nous renier et changer de famille, sinon de caractère et d’humeur. D’ici là, essaie de prendre le dessus, étouffe ta sensibilité et observe les autres, ceux même qui vivent le plus près de toi ; tu t’amuseras ; je te garantis des surprises consolantes.

     POIL DE CAROTTE

   Sans doute, les autres ont leurs peines. Mais je les plaindrai demain. Je réclame aujourd’hui la justice pour mon compte. Quel sort ne serait préférable au mien ? J’ai une mère. Cette mère ne m’aime pas et je ne l’aime pas.

   Et moi, crois-tu donc que je l’aime ? dit avec brusquerie M. Lepic impatienté.

   À ces mots, Poil de Carotte lève les yeux vers son père. Il regarde longuement son visage dur, sa barbe épaisse où la bouche est rentrée comme honteuse d’avoir trop parlé, son front plissé, ses pattes-d’oie et ses paupières baissées qui lui donnent l’air de dormir en marche.

   Un instant Poil de Carotte s’empêche de parler. Il a peur que sa joie secrète et cette main qu’il saisit et qu’il garde presque de force, tout ne s’envole.

   Puis il ferme le poing, menace le village qui s’assoupit là-bas dans les ténèbres, et il lui crie avec emphase :

   Mauvaise femme ! te voilà complète. Je te déteste.

   Tais-toi, dit M. Lepic, c’est ta mère, après tout.

   Oh ! répond Poil de Carotte, redevenu simple et prudent, je ne dis pas ça parce que c’est ma mère.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「叛旗」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本章は二章から成るが、「二」は、改ページで右ページで配されてあるため、「二」の終りは、ここに見る通り、八行(「一」の後の七行分+「二」の前の一行分)行空けが施されている。ここでは、意味がないので、二行空けとした。]

 

Hanki

 

     叛  旗

 

 

   

 

ルピツク夫人――にんじんや、あのね、好い子だから水車へ行つて、牛酪(バタ)を一斤貰つて來ておくれな。大急ぎだよ。お前が歸るまで、食事をはじめずに待つてゞあげるからね。[やぶちゃん注:「好い子」戦後版は『いい子』。それに従って読む。「一斤」原文は“livre”(リーヴル)で重量単位。歴史的には実重量にかなりの変化があるが、この当時は公用の慣用規定値として五百グラムとなっていた。]

にんじん――いやだよ。

ルピツク夫人――「いや」つていふ返事はどういふの? さ、待つてゝあげるから・・・。

にんじん――いやだよ。僕は、水車へなんか行かないよ。

ルピツク夫人――なんだつて? 水車へなんか行かない? なにを云ふの、お前は? 誰なのさ、用を賴んでるのは? ・・・なんの夢を見てるんだい?[やぶちゃん注:「なにを云ふの、お前は?」さて、本書の初回で述べた通り、全体を通じて、『(発言者名)――』型の台詞である対話方式の直接話法では、その台詞が二行に互る際、一字下げとなっているが、私のこの電子化ではブログのブラウザの不具合が起きるので、詰めてある。而して、ここは底本では、ここの三行目「なにを云ふの、お前は?」は台詞一行目の行末で、二行目は底本の形式通り、一字下げで始まっている。これは版組み上、空白を行頭に配すると、見た目に違和感が生ずるための、禁則処理であることが判る(その証拠に二行目のこの後の「用を賴んでるのは? ・・・なんの夢を見てるんだい?」では字空けを施している個人的にはこちらの字空けはなくても違和感はないくらいだが。しかし、この三行目では植字工は相当に別な意味で苦心しているのだ。三行目の上と中「?」二ヶ所の後の空白が半角にに組み直してある。これは問題の「お前は?」の「?」だけが、そのままでは行頭に来てしまう方の禁則処理を行うためのものなのである)。そこで、こちらでは特異的に一字空けを施した。言うまでもなく、戦後版はこの台詞が現われるページの版組みが異なる(ヴァロトンの絵が上半分に挿入されているため)ことから、普通に一字分、空いている。]

にんじん――いやだよ。

ルピツク夫人――これこれ、にんじん、どうしたといふのさ、一體? 水車へ行つて、牛酪を一斤貰つておいでつて、母さんの云ひつけだよ。

にんじん――聞こえたよ。僕は行かないよ。

ルピツク夫人――母さんが、夢でも見てるのか知ら・・・? 何事だらう、これや・・・? お前は、生れて初めて、母さんの云ふことを聽かないつもりだね?

にんじん――さうだよ。

ルピツク夫人――母さんのいふことを聽かないつもりなんだね?

にんじん――母さんのね、さうだよ。

ルピツク夫人――そいつは面白い。どら、ほんとかどうか、・・・走つて行つて來るかい?

にんじん――いやだよ。

ルピツク夫人――お默り! さうして行つといで!

にんじん――默るよ。あうして行かないよ。

ルピツク夫人――さ、このお皿を持つて駈け出しなさい!

 

 

   

 

 にんじんは默る。そして、動かない。

 「さあ、革命だ」

と、ルピツク夫人は、踏段の上で、兩腕を擧げて叫んだ。

 なるほど、にんじんが彼女に向かつて「いやだ」と云つたのは、これが初めてだ。これが若し、何かの邪魔でもされたとか、また、遊んでゐる最中でゞもあつたのならまだしもだ。ところが、今、彼は、地べたに坐り、鼻を風に曝(さら)し、二本の親指をあつちへ向けこつちへ向け、そして、眼をつぶり、眼が冷えないやうにしてゐたのだ。が、いよいよ、彼は、昂然として、母親の顏を直視する。母親はなにがなんだかわからない。彼女は、救ひを求めるやうに、人を呼ぶ――

 「エルネステイヌ、フエリツクス、面白いことがあるよ。父さんも一緖に來てごらんつて・・・。アガアトもだよ。さあ、誰でも見たいものは、來た、來た!」

 そこで、通りを偶に通る人々でも、立ち止つて見られるわけだ。[やぶちゃん注:「偶に」「たまに」。]

 にんじんは中庭の眞ん中に、距りを取つて、ぢつとしてゐる。危險に面して、自分ながら泰然自若たることに感心し、またそれ以上、ルピツク夫人が打(ぶ)つことを忘れてゐるのは不思議でならぬ。この一瞬は、それほど由々しき一瞬であり、彼女はために策の施しやうがないのだ。平生用ゐる脅しの手眞似さへ、赤い切先(きつさき)のやうに鋭く燃えるあの眼附に遇つては、もう役に立ちさうもない。とは云へ、如何に努めても、内心の憤りは、忽ち唇を押し開け、笛のやうな息と共に外に溢れ出た。[やぶちゃん注:「距り」「へだたり」。「脅し」「おどし」。]

「みんな、いゝかね、あたしや、丁寧に賴んだんだ、にんじんにさ、ちよつとした用事だよ、散步がてら、水車まで行きやいゝんだ。ところが、どんな返事をした。訊いてみておくんなさい。あたしが好い加減なことを云ふみたいだから・・・」

 めいめい、察しがついた。彼の樣子を見たゞけで、訊くまでもないと思ふ。

 優しいエルネスチイヌは、側へ寄つて、耳のところでそつと云ふ――[やぶちゃん注:「側」戦後版は『そば』とルビする。それを採る。]

 「氣をつけなさい。ひどい目に遭ふわよ。あんたを可愛がつてる姉さんの云ふことだから聽きなさい。『はい』つて云ふもんよ」

 兄貴のフエリツクスは、見物席に納まつてゐる。誰が來たつて席は讓るまい。若し、にんじんがこれから走り使ひをしなくなると、その一部が當然自分のところへまわつて來るのだといふことまでは考へていない。彼は弟を聲援したいくらゐだ。昨日までは輕蔑してゐた。濡れた牝鷄程度に扱つてゐた。今日は、對等だ。見上げたもんだ。彼は雀躍りする。なかなか面白くなつて來た。[やぶちゃん注:「雀躍り」戦後版は『雀躍(こおど)り』とルビする。それを参考とし、歴史的仮名遣で「こをどり」と読む。]

 「世の中がひつくり返つた。世の終りだ。さあ、あたしや、もう知らない」と、へこたれて、ルピツク夫人は云つた――「あたしや、引上げるよ。誰か口を利いてみるさ。そして、あの猛獸を手馴ずけて貰ひませう。息子と父親と對ひ合つて、あたしのゐないところで、なんとか話をつけてごらん」

 「父さん」と、にんじんは、こみあげてくる感情の發作のなかで、締めつけられるやうな聲を出した。物を言ふのにまだ調子が出ないのである――「若し、父さんが、水車へ牛酪(バタ)を取りに行けつていふんなら、僕、父さんのためなら・・・父さんだけのためなら、僕、行くよ。母さんのためなら、僕、絕對、行くのいやだ」[やぶちゃん注:「牛酪(バタ)」は実はルビを『バん』と誤植している。誤植なので、特異的に訂した。]

 ルピツク氏は、この選り好みで、氣をよくするどころか、寧ろ、當惑の態である。たかがバタの一斤ぐらいで、そばから家じゆうのものにけしかけられ、そのため自分の威光にものをいわせるといふのは、なんとしても具合が惡いのだ。[やぶちゃん注:「選り好み」戦後版では、『選(よ)り好み』と振る。それを採る。「よりごのみ」。「當惑の態」戦後版では『当惑の体(てい)』である。成語から考えて、ここも「たいわくのてい」の読みで採る。]

 そこで彼は、ぎごちなく、草の中を二三步步いて、肩をぴくんとあげ、くるりと背を向けて、家の中にはひつてしまふ。[やぶちゃん注:「家」前例通り、「うち」。戦後版ではそのルビがある。]

 當分、事件は、そのまゝといふわけだ。

 

[やぶちゃん注:原本では、ここから。

「水車」原文は“moulin”。これは「水車(或いは風車)小屋・製粉機・製粉所・工場」である。戦後の倉田氏や佃氏は孰れも『水車小屋』とし、佃氏は後注して、『戯曲の『にんじん』の方では農場に生クリームを貰いにゆく話になっているが』(全十一場の第五場)、『ここで水車小屋にバターを買いに行くのも、おそらく農場などで所有している水車小屋なのであろう』と注されておられる。戦後版もただ『水車』だが、ちょっと躓く気味がある。

「眼が冷えないやうにしてゐた」眼がしばれるのを防ぐ以外に、この動作には何らかの民間傳承や風習が係わっているのだろうか? 識者の御意見を俟つ。

「濡れた牝鷄」原文は確かに“poule mouillée”で、文字通りだが、これは隱語・俗語の類いで、男に対して「弱蟲」「臆病者」「意気地なし」と罵倒する時に用いる語である(なお、他に「愛人」・「売春婦」・「警官」のスラングでもある)。]

 

 

 

 

    La Révolte

 

     I

 

     MADAME LEPIC

   Mon petit Poil de Carotte chéri, je t’en prie, tu serais bien mignon d’aller me chercher une livre de beurre au moulin. Cours vite. On t’attendra pour se mettre à table.

     POIL DE CAROTTE

   Non, maman.

     MADAME LEPIC

   Pourquoi réponds-tu : non, maman ? Si, nous t’attendrons.

     POIL DE CAROTTE

   Non, maman, je n’irai pas au moulin.

     MADAME LEPIC

   Comment ! tu n’iras pas au moulin ? Que dis-tu ? Qui te demande ?… Est-ce que tu rêves ?

     POIL DE CAROTTE

   Non, maman.

     MADAME LEPIC

   Voyons, Poil de Carotte, je n’y suis plus. Je t’ordonne d’aller tout de suite chercher une livre de beurre au moulin.

     POIL DE CAROTTE

   J’ai entendu. Je n’irai pas.

     MADAME LEPIC

   C’est donc moi qui rêve ? Que se passe-t-il ? Pour la première fois de ta vie, tu refuses de m’obéir.

     POIL DE CAROTTE

   Oui, maman.

     MADAME LEPIC

   Tu refuses d’obéir à ta mère.

     POIL DE CAROTTE

   À ma mère, oui, maman.

     MADAME LEPIC

   Par exemple, je voudrais voir ça. Fileras-tu ?

     POIL DE CAROTTE

   Non, maman.

     MADAME LEPIC

   Veux-tu te taire et filer ?

     POIL DE CAROTTE

   Je me tairai, sans filer.

     MADAME LEPIC

   Veux-tu te sauver avec cette assiette ?

 

     II

 

   Poil de Carotte se tait, et il ne bouge pas.

   Voilà une révolution ! s’écrie madame Lepic sur l’escalier, levant les bras.

   C’est, en effet, la première fois que Poil de Carotte lui dit non. Si encore elle le dérangeait ! S’il avait été en train de jouer ! Mais, assis par terre, il tournait ses pouces, le nez au vent, et il fermait les yeux pour les tenir au chaud. Et maintenant il la dévisage, tête haute. Elle n’y comprend rien. Elle appelle du monde, comme au secours.

   Ernestine, Félix, il y a du neuf ! Venez voir avec votre père et Agathe aussi. Personne ne sera de trop.

   Et même, les rares passants de la rue peuvent s’arrêter.

   Poil de Carotte se tient au milieu de la cour, à distance, surpris de s’affermir en face du danger, et plus étonné que madame Lepic oublie de le battre. L’instant est si grave qu’elle perd ses moyens. Elle renonce à ses gestes habituels d’intimidation, au regard aigu et brûlant comme une pointe rouge. Toutefois, malgré ses efforts, les lèvres se décollent à la pression d’une rage intérieure qui s’échappe avec un sifflement.

   Mes amis, dit-elle, je priais poliment Poil de Carotte de me rendre un léger service, de pousser, en se promenant, jusqu’au moulin. Devinez ce qu’il m’a répondu ; interrogez-le, vous croiriez que j’invente.

   Chacun devine et son attitude dispense Poil de Carotte de répéter.

   La tendre Ernestine s’approche et lui dit bas à l’oreille :

   Prends garde, il t’arrivera malheur. Obéis, écoute ta soeur qui t’aime.

   Grand frère Félix se croit au spectacle. Il ne céderait sa place à personne. Il ne réfléchit point que si Poil de Carotte se dérobe désormais, une part des commissions reviendra de droit au frère aîné ; il l’encouragerait plutôt. Hier, il le méprisait, le traitait de poule mouillée. Aujourd’hui il l’observe en égal et le considère. Il gambade et s’amuse beaucoup.

   Puisque c’est la fin du monde renversé, dit madame Lepic atterrée, je ne m’en mêle plus. Je me retire. Qu’un autre prenne la parole et se charge de dompter la bête féroce. Je laisse en présence le fils et le père. Qu’ils se débrouillent.

   Papa, dit Poil de Carotte, en pleine crise et d’une voix étranglée, car il manque encore d’habitude, si tu exiges que j’aille chercher cette livre de beurre au moulin, j’irai pour toi, pour toi seulement. Je refuse d’y aller pour ma mère.

   Il semble que M. Lepic soit plus ennuyé que flatté de cette préférence. Ça le gêne d’exercer ainsi son autorité, parce qu’une galerie l’y invite, à propos d’une livre de beurre.

   Mal à l’aise, il fait quelques pas dans l’herbe, hausse les épaules, tourne le dos et rentre à la maison.

   Provisoirement l’affaire en reste là.

 

2023/12/10

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「木の葉の嵐」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、このヴァロトンの挿絵は、先行する「喇叭」とともに、特異点の絵である――二枚とも人物が描かれていないという点で――である。

 

Konohanoarasi

 

     木の葉の嵐

 

 もう餘程前から、にんじんは、ぼんやり、大きな白揚樹(ポプラ)の、一番てつぺんを見つめてゐる。[やぶちゃん注:「白揚樹(ポプラ)」の「揚」の字はママ。正しくは「白楊樹」である。恐らくは植字工のミスであろう。校正係も、最終校正をした岸田氏も見落としたものと思われる。ルビを附してあることで、逆に錯覚して見落とすことが、しばしばある。これもその哀しい集団感染の一例である。その証拠に、後文でも同じ誤植をしているのである。三者は皆が皆、気づかなかったのである。]

 彼は、空(うつ)ろな考へを追ふ。そして、その葉の搖れるのを待つ。

 その葉は、樹から離れ、それだけで、軸もなく、のんびりと、別個の生活をしてゐるやうに見える。

 每日、その葉は、太陽の初めと終りの光線を浴び、黃金色に輝く。

 正午からこつち、死んだやうに動かない。葉といふよりも點だ。にんじんは我慢がしきれなくなる。落ちついてゐられない。すると、やうやく、その葉が合圖をする。

 その下の、すぐ側(そば)の葉が一つ、同じ合圖をする。ほかの葉が、また、それを繰り返し、隣近所の葉に傳へる。それが、急いで、次へ送る。

 そして、これが、危急を告げる合圖なのである。なぜなら、地平線の上には、褐色の球帽が、その繍緣(ぬひぶち)を現はしてゐるからだ。[やぶちゃん注:「褐色の球帽」「球帽」は「きゆうぼう」。原文は“calotte”(カロット)。聖職者の被る黒いお椀形・半球状をした帽子のことを言う。「法帽」とも。以下、本章の最後のネタバレになるので、初読の方は、以下の太字部分は読まないでスルーされたい。本章では、強い風を惹起しながら、太陽の余光をじわじわと侵食してくる「夜(だから――黒い――のであって、とんでもない暴風雨を齎すところの本物の黒雲ではないのである)の浮き雲の塊り」を、これ以下、この――“calotte”――で示す続ける。しかし、それは、まさに――“Carotte”――主人公「にんじん」――の心の中で、いやさわに、膨れ上がつてゆくところの恐るべき――“calotte”――なのである……

 白揚樹(ポプラ)は、もう、顫(ふる)え[やぶちゃん注:ママ。]てゐるのだ――彼は動かうとする。邪魔になる重い空氣の層を押し退けようとする。[やぶちゃん注:「退け」戦後版では、『退(のけ)』とルビする。]

 彼の不安は、山毛欅(ぶな)へ、柏へ、マロニエヘと移つて行き、やがて、庭ぢうの樹といふ樹が、互に、手眞似身振りで囁き合ふ。空には例の球帽が、みるみるうちに擴がり、そのくつきりと暗い緣飾を、前へぐんぐん押し出してゐることを報らせ合ふのである。[やぶちゃん注:「庭ぢう」「庭中(にはぢゆう)」であるが、近代以前よりかなり遡っても「ちう」「ぢう」は慣用的によく使用される。]

 最初、彼等は、細い枝を震はせて、鳥どものお喋りを止めさせるのである。生豌豆を一つ抛(はふ)るやうに、氣紛れにぽいと啼いていた鶫(つぐみ)、ペンキ塗りの喉から、やたらにごろごろといふ聲を絞り出すところを、にんじんもさつきから見てゐた雉鳩、それから例の鵲(かささぎ)の尾の、それだけで、なんとも困りものゝ鵲・・・。[やぶちゃん注:「生豌豆」「なまゑんどう」。「雉鳩」戦後版では、『山鳩』としておられるが、これはハト目ハト科キジバト属キジバト Streptopelia orientalis の別名なので、全く問題はない。実は底本では、この部分に、利用者が「雉鳩」をおかしい(或いは「雉」・「鳩」と二種で読んだか)と思ったらしく、鉛筆でぐちゃぐちゃと多量に右に傍線を引いてあったことから、老婆心乍ら、注したものである。]

 その次に、彼等は、敵を威嚇するために、その太い觸角を振り廻しはじめる。[やぶちゃん注:「彼等」老婆心乍ら、白楊樹(ポプラ)の樹群を指す。]

 鉛色の球帽は、徐々に侵略を續けてゐる。

 次第に天を覆ふ。靑空を押し退け、空氣の拔け孔を塞ぎ、にんじんの呼吸(いき)をつまらせにかゝる。時として、それは、自分の重みのために力が弱り、村の上へ墜ちて來るかと思はれることがある。しかし、鐘樓の尖端で、ぴたりと止る、こゝで破られてはならぬといふ風に。

 愈〻すぐそこへ來た。ほかゝら挑みかける必要はない。恐慌が始まる。ざわめきが起る。[やぶちゃん注:「起る」戦後版は『起こる』。それで採る。]

 總ての樹木は、荒れ狂ひ、取り亂した圖體を折り重ねる。その奧には、つぶらな眼と、白い嘴に滿たされた幾多の巢があるであらうと、にんじんは想像する。梢が沈む。と、急に眼を覺ましたやうに、起き上る。葉の茂みが、組を作つて駈け出す。が、間もなく、怖わ怖わ、素直に、戾つて來る。そして、一生懸命に縋りつく。あかしやの葉は、華車で、溜息をつく。皮を剝がれた白樺の葉は、哀れつぽい聲を出し、マロニエの葉は口笛を吹く。そして、蔓のある馬兜鈴(うまのすゞぐさ)は、壁の上へ重り合つて 波のやうな音をたててゐる。[やぶちゃん注:「圖體」「づうたい」(現代仮名遣「ずうたい」)。「華車」「きやしや」。「華奢」(きゃしゃ)の別表記。「重り合つて」の後の空白はママ。誤植とも思われるが、或いは、岸田氏はここに読点を打っていた可能性があるので、敢えて空けておいた。なお、戦後版では、読点はなく、普通に続いている。]

 下の方では、ずんぐりむつくり、林檎の木が、枝の林檎をゆすぶり、鈍い力で地べたを叩く。

 その下では、すぐりの木が赤い滴を、黑すぐりがインク色の滴を垂らしてゐる。[やぶちゃん注:「滴」戦後版では、前者の『しずく』とルビするから、「しづく」と訓じておく。]

 更に下の方では、醉つ拂つたキヤベツが、驢馬の耳を打ち振り、上氣せた葱が、互に鉢合せをして、種で膨らんだ丸い實(み)を碎く。[やぶちゃん注:「上氣せた」「のぼせた」。「葱」原文は“oignons”で、これは玉葱(単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属タマネギ Allium cepa )を指し、本邦の「葱」(ネギ属ネギ Allium fistulosum var. giganteum )ではない。しかし、この訳は、私は絶妙な意味に於いて、これでよいと思うのである。何故なら、現在の一般的な日本人は、畑でタマネギの薹(とう)が立った実を容易に想起出来るような環境にはあまりいないからである。ここは、寧ろ、まだ「葱坊主」で古くから親しんでいるそれをイメージしてこそ躓かずに読めるからである。]

 どうしてだ? 何事だ、これは? そして、一體、どんなわけがあるのだ? 雷が鳴るのでもない。雹が降るわけでもない。稻光りひとつせず、雨一滴落ちて來ず・・・。とは云へ、あの混沌たる天上の闇、晝の日なかに忍び寄るこの眞夜中が、彼等を逆上させ、にんじんを縮み上らせたのだ。

 今や、件の球帽は、覆面した太陽の眞下で、擴がれるだけ擴がつた。[やぶちゃん注:「件」「くだん」。]

 動いてゐる。にんじんはちやんと知つてゐる。滑つて行く。正體はばらばらの浮雲だ。さあもうおしまひだ。お日樣が見られるわけである。だが、そのうちに、空いつぱいに天井を張つてしまつても、にんじんの頭は、却つてそのために締めつけられ、額のへんへ喰ひ込むやうに思はれる。彼は眼をつぶる。すると、例の球帽は、情容赦もなく、瞼の上へ眼かくしをしてしまふ。

 彼は彼で、兩方の耳へ指を突つ込む。ところが、嵐は、叫びと旋風に乘つて、外から、家の中へ侵入する。

 そして、街で紙片(かみぎれ)を拾ふやうに、彼の心臟をつかむ。

 揉む。皺くちやにする。丸める。握り潰す。

 やがて、にんじんは、これが自分の心臟かと思ふ。僅かに、飴玉の大きさだ。

 

[やぶちゃん注:原本は、ここから。

「白揚」(割注で示したように正しくは「楊」)「樹(ポプラ)」原文は“peuplier”。この語は広く、キントラノオヤナギ科ヤマナラシ属 Populus を指す語であるが、これ、ゴッホの絵によく描かれてあることで有名な、空をつんざくように真っ直ぐ直立して伸びるヤマナラシ属ヨーロッパクロヤマナラシ変種セイヨウハコヤナギ Populus nigra var. italica の印象ではない。特にヴァロトンの挿絵のそれは、直立した灌木ではなく、枝を相応に広げてこんもりとしたものとして描かれている(但し、この樹種が、本文の後に出る樹種(例えば「林檎」)の絵でないという保証はないのだが、本篇の樹木の主人公はあくまで白楊樹(ポプラ)であるからして、ヴァロトンが他の脇役の樹種なんぞを挿絵には逆立ちしても描かないと私は信ずる)。さすれば、私はこれはヨーロッパ原産だが、本邦には明治中期に移入され、特に北海道に多く植えられたことで我々に馴染み深いヨーロッパクロヤマナラシ Populus nigra ではないかと考えている。フランス語の当該種のウィキによれば、フランス語では“Peuplier noir”(黒いポプラ)で、ルナールの故郷シトリー村も地理的分布図に含まれている。また、本種の枝は不規則で重く、老樹の大きな枝はアーチ形を成している、とある辺りは、ヴァロトンの絵にマッチするように思われるのである。因みに、ウィキの「ポプラ」によれば、『外来』種群である『ポプラの和名は』、『現在まで整理がなされていないため、同一種でも別名や別表記が多く、学術論文ですら』、『混乱しており、植物園などの表記にも不統一なものが多い』とし、そこで挙げた主な種の『名称も統一名称ではない』とある。何れにせよ、私達が「ポプラ」としてイメージするものと甚だ近いものだろうと考えてよいように思われはするのである。

「柏」これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名は common oak Quercus robur を挙げてもよいだろう。

「山毛欅(ぶな)」原文は“hêtre”。双子葉植物綱ブナ目ブナ科ブナ属 Fagus 。さらに狭めるならヨーロッパブナ Fagus sylvatica でよかろうか。因みに、以下、話しが完全に脱線するが、「山毛欅」の「欅」は「けやき」と読み、バラ目ニレ科ケヤキ Zelkova serrata を指すのだが、本邦に植生するブナFagus crenata (ヨーロッパには植生しない)とは、これ、全く異なつた種であることに注意しなくてはならない。ところが、この縁遠い二種は、観察すると、特に葉が両者が良く似ているのである。ブナの若葉には細かな産「毛」(うぶげ)が生えていること、ケヤキの方は里に近く、ブナは「山」間部に多いことからの命名とされる。

「あかしや」候補として、マメ目マメ科ネムノキ亜科アカシア属フサアカシア Acacia dealbata を挙げておく。フランス語の同種のウィキによれば、オーストラリアから人為的に移入された本種は、その後、栽培地から播種され、フランスでは、地中海と大西洋の海岸で野生で見られ、そこでは、帰化しているとある。分布域が不審だが、栽培されて根付いたとすれば、まあ、問題ないだろう。

「マロニエ」双子葉植物綱ムクロジ目トチノキ科トチノキ属 Aesculusのヨーロツパ種であるセイヨウトチノキ Aesculus hippocastanum のこと。フランス語名が“marronnier”(マロニエ)。フランスの街路樹の代表種である。

「鶫」原文は“grives”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多いので、絞り込めない。

「鵲」二つ前の章「銀貨」の「遙か上の、木の枝か、その邊の古巢の奧か?」の注を参照されたい。

「馬兜鈴(うまのすゞぐさ)」本邦で知られるのは、双子葉植物綱ウマノスズクサ目ウマノスズクサ科ウマノスズクサAristolochia debilis 。楽器のサックスのようなU字形状をした壺状の花をつけるものが多い(それが、「馬の首に懸ける鈴」に似ることからの命名らしい)。ショウジョウバエ等によって受粉する蝿(じょう)媒花である。但し、残念ながら、この種は、本邦の本州の東北南部以西の四国・九州・奄美大島、及び、中国中部から南部にしか植生しないので、違う。そこで、フランス語のウマノスズクサ属のウィキを見たところ、 フランス本土では、Aristolochia clematitisAristolochia rotundaAristolochia pistolochiaAristolochia pallidaAristolochia paucinervisAristolochia sempervirensAristolochia clusii 種がリストされている、とあったので、この中の孰れかである。

「すぐり」原文は“groseilliers”。双子葉植物綱バラ目スグリ科スグリ属 Ribes の、こちらは恐らくセイヨウスグリ(フサスグリ)Ribes rubrumの、果實が赤色系を呈するもの(アカスグリ)、或いは、白色系に近いのもの(シロスグリ)を指していると思われる。

「黑すぐり」原文は“cassis”。こちらは前注と同じスグリ属 Ribes の、クロスグリ Ribes nigrum を指してゐる。食用飲料材料など、多岐に用いられる本種の実は、黒に見える濃い紫色を呈している。]

 

 

 

 

    La Tempête de Feuilles

 

   Il y a longtemps que Poil de Carotte, rêveur, observe la plus haute feuille du grand peuplier.

   Il songe creux et attend qu’elle remue.

   Elle semble détachée de l’arbre, vivre à part, seule, sans queue, libre.

   Chaque jour, elle se dore au premier et au dernier rayon du soleil.

   Depuis midi, elle garde une immobilité de morte, plutôt tache que feuille, et Poil de Carotte perd patience, mal à son aise, lorsque enfin elle fait signe.

   Au-dessous d’elle, une feuille proche fait le même signe. D’autres feuilles le répètent, le communiquent aux feuilles voisines qui le passent rapidement.

   Et c’est un signe d’alarme, car, à l’horizon, paraît l’ourlet d’une calotte brune.

   Le peuplier déjà frissonne ! Il tente de se mouvoir, de déplacer les pesantes couches d’air qui le gênent.

   Son inquiétude gagne le hêtre, un chêne, des marronniers, et tous les arbres du jardin s’avertissent, par gestes, qu’au ciel la calotte s’élargit, pousse en avant sa bordure nette et sombre.

   D’abord, ils excitent leurs branches minces et font taire les oiseaux, le merle qui lançait une note au hasard, comme un pois cru, la tourterelle que Poil de Carotte voyait tout à l’heure verser, par saccades, les roucoulements de sa gorge peinte, et la pie insupportable avec sa queue de pie.

   Puis ils mettent leurs grosses tentacules en branle pour effrayer l’ennemi.

   La calotte livide continue son invasion lente.

   Elle voûte peu à peu le ciel. Elle refoule l’azur, bouche les trous qui laisseraient pénétrer l’air, prépare l’étouffement de Poil de Carotte. Parfois, on dirait qu’elle faiblit sous son propre poids et va tomber sur le village ; mais elle s’arrête à la pointe du clocher, dans la crainte de s’y déchirer.

   La voilà si près que, sans autre provocation, la panique commence, les clameurs s’élèvent.

   Les arbres mêlent leurs masses confuses et courroucées au fond desquelles Poil de Carotte imagine des nids pleins d’yeux ronds et de becs blancs. Les cimes plongent et se redressent comme des têtes brusquement réveillées. Les feuilles s’envolent par bandes, reviennent aussitôt, peureuses, apprivoisées, et tâchent de se raccrocher. Celles de l’acacia, fines, soupirent ; celles du bouleau écorché se plaignent ; celles du marronnier sifflent, et les aristoloches grimpantes clapotent en se poursuivant sur le mur.

   Plus bas, les pommiers trapus secouent leurs pommes, frappant le sol de coups sourds.

   Plus bas, les groseilliers saignent des gouttes rouges, et les cassis des gouttes d’encre.

   Et plus bas, les choux ivres agitent leurs oreilles d’âne et les oignons montés se cognent entre eux, cassent leurs boules gonflées de graines.

   Pourquoi ? Qu’ont-ils donc ? Et qu’est-ce que cela veut dire ? Il ne tonne pas. Il ne grêle pas. Ni un éclair, ni une goutte de pluie. Mais c’est le noir orageux d’en haut, cette nuit silencieuse au milieu du jour qui les affole, qui épouvante Poil de Carotte.

   Maintenant, la calotte s’est toute déployée sous le soleil masqué.

   Elle bouge, Poil de Carotte le sait ; elle glisse et, faite de nuages mobiles, elle fuira : il reverra le soleil. Pourtant, bien qu’elle plafonne le ciel entier, elle lui serre la tête, au front. Il ferme les yeux et elle lui bande douloureusement les paupières.

   Il fourre aussi ses doigts dans ses oreilles. Mais la tempête entre chez lui, du dehors, avec ses cris, son tourbillon.

   Elle ramasse son coeur comme un papier de rue.

   Elle le froisse, le chiffonne, le roule, le réduit.

   Et Poil de Carotte n’a bientôt plus qu’une boulette de coeur.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「自分の意見」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Jibunnoiken

 

     自分の意見

 

 

 ルピツク氏、兄貴のフエリツクス、姉のエルネスチイヌ、それと、にんじん、この四人は、根のついた切珠が燃えてゐる暖爐の傍らで、寢るまでの時間を過す。四つの椅子が、それぞれ前脚を中心にして前後に搖れる。議論をしてゐるのだ。で、にんじんは、ルピツク夫人がそこにいない間に、自分一個の意見を陳べるのである。

 「僕としちやあ、家族つていふ名義は、凡そ意味のないもんだと思ふんだ。だからさ、父さん、僕は、父さんを愛してるね。ところが、父さんを愛してるつていふのは、僕の父さんだからといふわけぢやないんだ。僕の友だちだからさ。實際、父さんにや、父親としての資格なんか、まるでないんだもの。しかし、僕あ、父さんの友情を、深い恩惠として眺めてゐる。それは決して報酬といふやうなもんぢやない。しかも、寬大にそれを與へ得るんだ」

 「ふむ」

と、ルピツク氏は應(こた)える。

 「おれはどうだい?」

 「あたしは?」

と、兄貴のフエリツクスに、姉のエルネスチイヌである。

 「おんなじことさ」と、にんじんは云ふ――「偶然が、たゞ君達を、僕の兄、僕の姉と決めたゞけだ。それを僕が君達に感謝するわけはないだらう。僕たち三人が同時にルピツクの姓を名乘つてるからつて、それは誰の罪だ? 君たちは、それを拒むことはできなかつたんだ。望んでもゐない血緣に繫がれることが、君たち、滿足かどうか、僕あ、それを知る必要もない。たゞ、兄さん、僕あ、君の庇護に對して、それから、姉さん、君の手厚い心盡しに對して、僕あお禮を云ふよ」

 「甚だ行き屆きません」[やぶちゃん注:原文は“À ton service”で、「御遠慮なく」「どういたしまして」であるが、謙遜めいたおちゃらかしに過ぎない。]

と、兄貴のフエリツクスは云ふ。

 「何處から考へついたの、そんな夢みたいなこと?」

 姉のエルネステイヌはいふ。

 「それに、僕の云つてることは・・・」と、にんじんは附け加へる――「一般的には、たしかにさう云へるんだ。個人的の問題は避けよう。だから、母さんが若し此處にゐれば、母さんの前で、僕あ、おんなじことを云ふよ」

 「二度は云へないだらう」

 と、兄貴のフエリツクスが云ふ。

 「僕の話の、どういふところが惡いの?」と、にんじんは答へる――「僕の考へを變に取らないでおくれよ。僕に愛情が缺けてゐると思つたら間違ひだ。僕あ、これで、見かけよりや、兄さんを愛してゐるんだぜ。しかし、この愛情たるや、月並な、本能的な、紋切型のやうなもんぢやない。意志が働いてゐる。理性に導かれてゐる。云はゞ論理的なものだ。さうだ、論理的、僕の探してゐた言葉はこれだ」

 「おいおい、その癖は何時やめるんだい、自分で意味のわからんやうな言葉をやたら使ふ癖は・・・?」

 ルピツク氏は、さういつて起ち上つた。寢に行くのである。が、彼はなほ言葉をついだ――

 「殊に、そいつを、お前の年で、ほかのものに言つて聞かせるなんて・・・。若し亡くなつたお前のお祖父さんに、そんな輕口をわしがこれつばかりでも言つてみろ。早速、蹴つ飛ばされるか、ひつぱたかれるかして、わしがどこまでもお祖父さんの息子だつてことを知らされるだけだ」

 「暇つぶしに話してるんだからいゝぢやないの」

と、にんじんは、そろそろ不安である。

 「默つてる方がなほいゝ」

 ルピツク氏は、蠟燭を取り上げた。

 父親の姿は消える。兄貴のフエリツクスが、その後にくつついて行く。

 「ぢや、失敬、昔のお灸友達!」

と、彼はにんじんに云ふ。

 それから、姉のエルネステイヌが座を起つ。そして、嚴かに――

 「おやすみなさい」

と、云つた。

 にんじんは、ひとり取り殘されて、途方に暮れる。

 昨日、ルピツク氏は、物の考へ方について、もつと修行をしろと、彼に注意したのである――

 「我々つて、いつたいなんだ? 我々なんて、ありやせん。總ての人つていふのは、誰でもないんだ。お前は、聞いてきたことをぺらぺら言ひすぎる。ちつとは自分で考へるやうにしろ。自分一個の意見を云へ。初めは、一つきりでもかまはん」

 最初に試みたその意見が、さんざんなあしらひを受けたので、にんじんは、煖爐の火に灰をかぶせ、椅子を壁に沿つて並べ、柱時計にお辭儀ぎをして、部屋へ引き退る。その部屋といふのは、穴倉へ降りる階段に通じてゐて、みなが穴倉の間と呼んでゐるのである。夏は凉しくて氣持のいゝ部屋だ。獵の獲物は、そこへ置くと裕に一週間はもつのである。最近殺した兎が、皿の中で鼻から血を出してゐる。幾つもの籠は、牝鷄にやる粒餌でいつぱいだ。にんじんは、兩腕をまくり上げ、臂まで突つ込んで、そいつを搔き廻す。何時までやつても飽きない。

 平生なら、外套掛けに引つ掛けてある家中のものゝ着物が、彼の眼を惹くのである。それはまるで、めいめいの長靴を、きちんと上の棚にのせておいて、さて悠々と首を縊つた自殺者のやうだ。[やぶちゃん注:戦後版では『家じゅう』。は前例に徴して「うちぢゆう」と訓じておく。]

 しかし、今夜は、にんじんは怖くないのである。寢臺の下を覗(のぞ)いて見ることもしない。月の光も、木の影も、庭の井戶さへも、氣味が惡くない。井戶と云へば、こいつは、窓から飛び込みたいもののために、わざわざ堀[やぶちゃん注:ママ。近世はおろか、戦前の作家でもこの字を「掘」に代用する。]つてあるやうに見えるのだ。

 怖いと思えば怖いのだらう。が、彼は、もう怖いなんていふことは考へない。シヤツ一枚で、赤い敷石の上を、なるたけ冷たくないやうに踵だけで步くことも忘れてゐる。

 それから、寢床へはひり、濕つた漆喰(しつくひ)の處どころにできた水脹(みづぶく)れを見つめながら、彼は、自分の意見を推し進める。なるほど、自分のために納(しま)つておかねばならぬから、これを自分の意見といふのであらう。

 

[やぶちゃん注:原本は、ここから。

「お灸友達」原文は“vieux camarade à la grillade”。“vieux camarade”は「昔馴染みの友」で、“grillade”は「グリルすること・炙った鉄や鉄製の網による焼肉料理」という意味である。昭和四五(一九七〇)年明治図書刊の『明治図書中学生文庫』14の倉田清氏訳の「にんじん」でも、倉田氏は同じく「お灸友だち」と訳し、以下のやうな注を附しておられる。『幼い頃、いたずらをしたこらしめのために、いっしょに母からお灸をすえられた友だち、つまり』(互いに悪戯好きだった)『兄弟という意味』とあるのだが、私は不学ながら、「お灸友だち」といふ語を聞いたことがない。解説されている意味は、(そうした「厳しい折檻」を「グリルすること」に喩えているという点では)なるほど分からないではないが、それにしても、やっぱり聞きなれない妙な訳語と言う奇異な印象が残る。一九九五年臨川書店刊の佃裕文氏訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では、あっさりと「いとしの友!」と訳しておられる。私は、寧ろ、これでいいと思う。注なしでは分からない訳語は私には良訳とは思われないし、私は中学二年生の時にここを読んだ際、『本当に日本人の大人は(フランス人ではない)、こんな「お灸友だち」といふ言葉を使うんだ!』と、大阿呆に感心してしまったからである。なお、医療としての「灸」は古くに中国・日本からヨーロッパに齎されて、医学療法としては知られてはいた。しかし、折檻としての「お灸をすえる」という表現に相当する逐語的な言葉はないように私は感じる。

「庭の井戶」:この「井戸」は「不吉な井戸」である。それは、戦後版(リンクは私のサイト版一括HTML版)の最後の岸田国士氏の解説『「にんじん」とルナアルについて』の中の一節でも明らかに示されてある。

   *

 さて、彼の死後十数年の後発表された「日記」を読むとわかるのだが、「にんじん」の父親ルピック氏は、ある日、なんの前ぶれもなく、寝室に閉じこもったまま、猟銃で見事に自殺した、という記録があり、それから、母親ルピック夫人も、これはずっと後のことであるが、「にんじん」と縁故のある井戸の中に落ちて死んでいるのを、人々が発見したことが、はっきり誌されてある。故意か、過失か、それはわからない。この二つの陰惨な事件は、作品「にんじん」のなかに取り扱われていないのは年代からいっても当然のことであるが、この種のドラマを予想させるような険悪な雰囲気はただ一か所を除いてまったくないといってよい。少なくとも、「にんじん」という作品の印象は、そういう面を強く出すか出さないかで、全然違ってくる。作者ルナアルが、小説「にんじん」に織り込もうとした主題の精神は、彼の真実を愛し、執拗(しつよう)なまでに事物の核心に迫ろうとする態度ゆえに、さらに、なにものかを附け加えることによって、一個の美しい物語を貫き、支える精神となっていることがわかる。彼は写実主要たるべく、あまりに詩人であった。

   *

なお、この不幸な父と母の死の事件については、以上の岸田氏の解説中の『「にんじん」の父親ルピック氏は、ある日、なんの前ぶれもなく、寝室に閉じこもったまま、猟銃で見事に自殺した、という記録があり、それから、母親ルピック夫人も、これはずっと後のことであるが、「にんじん」と縁故のある井戸の中に落ちて死んでいるのを、人々が発見したことが、はっきり誌されてある。』という箇所に対して、私は、以下のように注した。

   *

私はここにこの注を附す事を幾分かためらっていたが、それはルナールを愛する人にとって、やはり大切な事実と考え、ここに附記することとする。1999年臨川書店刊の佃裕文の「ジュール・ルナール全集16」の年譜によれば、ジュール・ルナールの父、フランソワ・ルナール(François Renard)氏は1897年6月19日、不治の病に冒されていることを知り、心臓に銃を発射して自殺している(この「不治の病」の病名は年譜上では明確に示されてはいない。直前の同年年譜には肺鬱血とあり、重篤な左心不全の心臓病等が想定される)。ジュール33歳、「にんじん」出版の二年後のことであった。その後、ジュールは亡父の後を慕うように狩猟に夢中になり、その年の11月迄、創作活動から離れていることが年譜から窺われる。そして、ジュールの母、アンヌ=ローザ、ルナール(AnneRosa Renard)夫人は1909年8月5日、家の井戸で溺死した。『事故かあるいは自殺。――ルナールは書いている《…事故だと私は思う》(八月十日、エドモン・エセー宛て書簡)』(上記年譜より引用)。ジュール45歳、これに先立つ1907年のカルマン・レヴィ社から刊行された「にんじん」はジュール自身の書簡によれば1908年7月6日現在で8万部を売っていた――ジュール・ルナールは母の亡くなった翌年、1910年5月22日、亡くなった。彼は、母の亡くなった直後、「あの」思い出の両親の家を改装し、そこに住むことを心待ちにしていた、が、それは遂に叶わなかったのである――

   *]

 

 

 

 

     Les Idées personnelles

 

  1. Lepic, grand frère Félix, soeur Ernestine et Poil de Carotte veillent près de la cheminée où brûle une souche avec ses racines, et les quatre chaises se balancent sur leurs pieds de devant. On discute et Poil de Carotte, pendant que madame Lepic n’est pas là, développe ses idées personnelles.

   Pour moi, dit-il, les titres de famille ne signifient rien. Ainsi, papa, tu sais comme je t’aime ! or, je t’aime, non parce que tu es mon père ; je t’aime, parce que tu es mon ami. En effet, tu n’as aucun mérite à être mon père, mais je regarde ton amitié comme une haute faveur que tu ne me dois pas et que tu m’accordes généreusement.

   Ah ! répond M. Lepic.

   Et moi, et moi ? demandent grand frère Félix et soeur Ernestine.

   C’est la même chose, dit Poil de Carotte. Le hasard vous a faits mon frère et ma soeur. Pourquoi vous en serais-je reconnaissant ? À qui la faute, si nous sommes tous trois des Lepic ? Vous ne pouviez l’empêcher. Inutile que je vous sache gré d’une parenté involontaire. Je vous remercie seulement, toi, frère, de ta protection, et toi, soeur, de tes soins efficaces.

   À ton service, dit grand frère Félix.

   Où va-t-il chercher ces réflexions de l’autre monde ? dit soeur Ernestine.

   Et ce que je dis, ajoute Poil de Carotte, je l’affirme d’une manière générale, j’évite les personnalités, et si maman était là, je le répéterais en sa présence.

   Tu ne le répéterais pas deux fois, dit grand frère Félix.

   Quel mal vois-tu à mes propos ? répond Poil de Carotte. Gardez-vous de dénaturer ma pensée ! Loin de manquer de coeur, je vous aime plus que je n’en ai l’air. Mais cette affection, au lieu d’être banale, d’instinct et de routine, est voulue, raisonnée, logique. Logique, voilà le terme que je cherchais.

   Quand perdras-tu la manie d’user de mots dont tu ne connais pas le sens, dit M. Lepic qui se lève pour aller se coucher, et de vouloir, à ton âge, en remontrer aux autres ? Si défunt votre grand-père m’avait entendu débiter le quart de tes balivernes, il m’aurait vite prouvé par un coup de pied et une claque que je n’étais toujours que son garçon.

   Il faut bien causer pour passer le temps, dit Poil de Carotte déjà inquiet.

   Il vaut encore mieux te taire, dit M. Lepic, une bougie à la main.

   Et il disparaît. Grand frère Félix le suit.

   Au plaisir, vieux camarade à la grillade ! dit-il à Poil de Carotte.

   Puis soeur Ernestine se dresse et grave :

   Bonsoir, cher ami ! dit-elle.

   Poil de Carotte reste seul, dérouté.

   Hier, M. Lepic lui conseillait d’apprendre à réfléchir :

   Qui ça, on ? lui disait-il. On n’existe pas. Tout le monde, ce n’est personne. Tu récites trop ce que tu écoutes. Tâche de penser un peu par toi-même. Exprime des idées personnelles, n’en aurais-tu qu’une pour commencer.

   La première qu’il risque étant mal accueillie, Poil de Carotte couvre le feu, range les chaises le long du mur, salue l’horloge et se retire dans la chambre où donne l’escalier d’une cave et qu’on appelle la chambre de la cave. C’est une chambre fraîche et agréable en été. Le gibier s’y conserve facilement une semaine. Le dernier lièvre tué saigne du nez dans une assiette. Il y a des corbeilles pleines de grain pour les poules et Poil de Carotte ne se lasse jamais de le remuer avec ses bras nus qu’il plonge jusqu’au coude.

   D’ordinaire les habits de toute la famille accrochés au portemanteau l’impressionnent. On dirait des suicidés qui viennent de se pendre après avoir eu la précaution de poser leurs bottines, en ordre, là-haut, sur la planche.

   Mais, ce soir, Poil de Carotte n’a pas peur. Il ne glisse pas un coup d’oeil sous le lit. Ni la lune ni les ombres ne l’effraient, ni le puits du jardin comme creusé là exprès pour qui voudrait s’y jeter par la fenêtre.

   Il aurait peur, s’il pensait à avoir peur, mais il n’y pense plus. En chemise, il oublie de ne marcher que sur les talons afin de moins sentir le froid du carreau rouge.

   Et dans le lit, les yeux aux ampoules du plâtre humide, il continue de développer ses idées personnelles, ainsi nommées parce qu’il faut les garder pour soi.

 

2023/12/09

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「銀貨」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 なお、本篇は三章からなるが、「一」と「二」の間は、ページ冒頭に各章を配した関係から、「一」の後に三行、「二」の前に二行分の行空けがあるが、ここでは、一律、総て二行空けにした。]

 

Ginka

 

     銀  貨

 

 

       

 

ルピツク夫人――お前、なんにも失(な)くしたもんはないかい、にんじん?

にんじん――ないよ。

ルピツク夫人――すぐに「ない」なんて、どうして云ふのさ、知りもしないくせに。まづカクシをひつくり返してごらん。[やぶちゃん注:「カクシ」ポケット。]

にんじん――(カクシの裏を引き出し、驢馬の耳みたいに垂れた袋を見つめてゐる)――あゝ、さうか。返してよ、母さん。

ルピツク夫人――返すつて、何をさ? 失くなつたもんがあるのかい。母さんは、いゝ加減に訊いて見たんだ。さうしたら、やつぱりさうだ。何を失くしたのさ。

にんじん――知らない。

ルピツク夫人――そらそら! 噓を吐こうと思つて、もう、うろうろしてるぢやないか、あわ喰つた[やぶちゃん注:ママ。]鮒(ふな)みたいに・・・。ゆつくり返事をおし。何を失くした? 獨樂かい?[やぶちゃん注:「吐こう」「つこう」。「獨樂」「こま」。]

にんじん――さうさう、うつかりしてた。獨樂だつた。さうだよ、母さん。

ルピツク夫人――そうぢやないよ、母さん。獨樂なもんか。こまは先週、あたしが取上げたんだ。[やぶちゃん注:確かに、原文は“Non, maman. Ce n’est pas ta toupie. Je te l’ai confisquée la semaine dernière.”で« »等で囲まれておらず、逐語的にはこうなるが、これは日本語としては達意の訳になっていない。臨川書店『全集』の佃氏の、『「『いいや、ママ』だろ。独楽じゃないよ。それは先週、母さんが取り上げたろう」』がよい。]

にんじん――そいぢや、小刀だ。[やぶちゃん注:「小刀」戦後版では、『こがたな』のっルビがある。それを採る。]

ルピツク夫人――どの小刀? 誰だい、小刀をくれたのは?

にんじん――だれでもない。

ルピツク夫人――情けない子だよ、お前は・・・。こんなこと云つてたら、きりがありやしない。まるで、母さんの前ぢや口が利けないみたいぢやないか。だけどね、今は二人つきりだ。母さんは優しく訊いてるんだよ。母親を愛してる息子は、なんでも母親にほんとのことを云はなけれや。どうだらう、母さんは、お前が、お金を失くしたんだと思ふがね。銀貨さ。母さんはなんにも知らないよ。でも、ちやんと見當がつくんだ。そうぢやないとは云はせないよ。そら、鼻が動いてゐる。

にんじん――母さん、そのお金は僕んでした。小父さんが、日曜にくれたんです。そいつを失くしちやつたんだ。僕が損しただけさ。惜しいけど、僕、諦めるよ。それに、そんなもん、大して欲しかないんだもの。銀貨の一つやそこら、あつたつて無くつたつて![やぶちゃん注:「小父さん」先の「名づけ親」「泉」「李(すもゝ)」に登場した名づけ親の、最終章の「にんじんのアルバム」の「八」で『名づけ親のピエエル爺さん』と、その名が明らかにされる人物。]

ルピツク夫人――それだ。減らず口は好い加減におし。それをまた、あたしが聽いてるからだ、お人好しみたいに。ぢや、なにかい、小父さんの志を無にしようつて云ふんだね。そんなにお前を甘やかしてくれるのに・・・。どんなに怒ることか。

にんじん――だつて、若しか僕が、そのお金を好きなことに使つたとしたらどうなの? それでも、一生そのお金の見張りをしてなけやいけないか知ら?

ルピツク夫人――うるさいツ! 偉(え)らさうに! このお金はね、失くしてもいけないし、ことわらない前(さき)に使つてもいけません。これやもうお前に渡さないよ。代りがあるなら持つといで。探しといで。造れるなら造つてごらん。まあ、そこはいゝやうにするさ。あつちへおいで。つべこべ云はずに!

にんじん――はあ。[やぶちゃん注:原文は“oui, maman”で、「はい、母さん」。決して、ここで現今の高校生の人を小ばかにしたやうな、「ハア?」をやつてゐる訳ではない。念のため。]

ルピツク夫人――その「はあ」は、これからやめて貰はうかね。一風變つたつもりか知らないけど・・・。それから、すぐに鼻唄を歌つたり、齒と齒の間で口笛を吹いたり、氣樂な馬方の眞似をしたら、今度は承知しないよ。母さんにや、そんなことしたつて、なんにもなりやしないんだ。

 

 

       

 

 にんじんは、小刻(こきざ)みに、裏庭の小徑を往きつ戾りつしてゐる。彼は呻き聲を立てる。少し探しては、時々鼻を啜る。母親が觀てゐるやうな氣がする時は、動かずにゐる。さもなければ、蹲んで、酸模(すかんぽ)を、また細かな砂を指の先でほじくつてゐる。ルピツク夫人の姿が見えないと思ふと、もう探すのを止(よ)して、頤を前に突き出し、しやなりしやなりと步き續ける。[やぶちゃん注:「呻き聲」「うめきごゑ」。「蹲んで」「しやがんで」。]

 一體全體、例の銀貨は何處に落ちてるんだらう? 遙か上の、木の枝か、その邊の古巢の奧か?

 時として、何も探してゐない、何も考へてゐない人達が、金貨を拾ふといふこともある。現にあつたことなのだ。しかし、にんじんは、地べたを逼ひ廻り、膝と爪とを擦り切らし、しかも、留針(ピン)一本拾はずにしまふだらう。[やぶちゃん注:「逼ひ」の漢字はママ。複数回、既出既注。岸田氏の「這」の意の思い込み誤用。]

 彷徨(さまよ)ふ疲れ、當てのない望みに疲れ、にんじんは、とても駄目だと諦めた。で、母親の樣子を見に家へ歸つてみる決心をした。多分彼女はもう落ちついてゐるだらう。銀貨がみつからなければ、もう仕方がない。[やぶちゃん注:「家」前例に徴して「うち」と訓じておく。]

 ルピツク夫人は、影も姿も見えない。彼は、恐る恐る呼んでみる――

 「母さん・・・ねえ・・・母さん・・・」

 返事がない。彼女はたつた今出掛けたばかりだ。そして、仕事机の抽斗を開けたまゝにしてゐる。毛糸、針、白、赤、黑の糸卷の間に、にんじんは、幾つかの銀貨を發見した。[やぶちゃん注:「抽斗」「ひきだし」。]

 それらの銀貨は、そこで、歲月(としつき)を經てゐるらしかつた。どれもこれも眠つてゐるやうだ。稀に眼を覺ましてゐるのもある。隅から隅へ押し合ひ、入り混(まじ)り、そして數は無數だ。

 つまり三つかと思へば四つ、さうかと思へばまた八つなのだ。數へやうにも數へやうがない。抽斗を逆まにし、毛糸の毬(たま)を引つ搔き廻せばいゝのだ。あとは證據と云へば何がある?[やぶちゃん注:「逆ま」戦後版では、『さかさま』。読みは、それで採る。]

 突嗟の思ひつき、これが、事重大な場合でないと彼を見放さないのである。この突嗟の 思ひつきで、彼は今、意を決し、腕を差し伸べ、銀貨を一つ盜んだ。そして逃げ出した。[やぶちゃん注:「事」「こと」。]

 見つかつたらといふ心配で、彼は、躊ふことも、後悔することも、またもう一度仕事机のほうへ引つ返すこともできないのである。[やぶちゃん注:「躊ふ」「ためらふ」。]

 彼は眞つ直ぐに飛び出した。あんまり先へのめつて、止ることすら難かしい。小徑をぐるぐる廻り、此處といふ場所を探し、そこで銀貨を「失く」し、踵で押し込み、腹這ひに寢轉がる。そして、草に鼻をくすぐらせながら、滅多矢鱈に逼ひずつて、不規則な圓をそこ此處に描(か)く。一人が眼隱しをして匿された品物のまわりを廻ると、一人の音頭取りがはらはらしながら、脚を叩いて、[やぶちゃん注:「逼ひ」同前。「描く」戦後版では『描(か)く』と振る。それで採っておく。]

 「もう少し、お藏に火が點(つ)きさう、もう少し、お藏に火が點きさう・・・」

 かう叫ぶあの無邪氣な遊びそのまゝだ。

 

 

       

 

にんじん――母さん、母さん、あれ、あつたよ。

ルピツク夫人――母さんだつて、あるよ。

にんじん――だつて・・・。そらね。

ルピツク夫人――母さんだつて、こら・・・。

にんじん――どら、見せてごらん。

ルピツク夫人――お前、見せてごらん。

にんじん――(彼は銀貨を見せる。ルピツク夫人は、自分のを見せる。にんじんは二つを手に取り、較べてみ、云ふべき文句を考へる) おかしいなあ。何處で拾つたの、母さんは? 僕は、この小徑(こみち)の梨の木の下で拾つたんだ。見つける前に二十度もその上を步いてるのさ。光つてるんだらう。僕、はじめ、紙ぎれか、それとも、白い堇だらうと思つてたんだもの。だから、手を出す氣にならなかつたの。きつと僕のポケツトから落つこつたんだらう、いつか草ん中を轉(ころ)がり廻つた時・・・氣違いの眞似をして…。しやがんでみてごらん、母さん、この野郞(やろう)がうまく隱れたとこをさ、隱(かく)れ家(が)をさ。人に苦勞させやがつて、こいつ得意だらう。[やぶちゃん注:ト書きの下の一字空けはママ。戦後版では空白はなく、ここに『――』が入っている。「小徑(こみち)」「二」で同じ単語があったが、そちらにルビを振らずに、ここで入れているのは、ママ。「堇」「すみれ」。「ポケツト」はママ。「Ⅰ」の初めでは同じ単語“poche”を「カクシ」と訳しており、驚くべきことに次のルピック夫人の台詞では、またまた「カクシ」と訳してある。訳を変える意図が私には全く判らない。「小徑」と同様、訳御や、ルビの先行附け等の一貫性が認められないのは、少し不満がある。]

ルピツク夫人――さうぢやないとは云はない。母さんは、お前の上着の中にあつたのをみつけたんだ。あんなに云つてあるのに、お前はまた、着物を着替へる時にカクシのものを出しとくのを忘れてる。母さんは、物を几帳面にすることを敎へようと思つたんだ。自分で懲りるやうに自分で搜しなさいと云つたんだ。ところが、探せばきつと見つかるつていふことが、やつぱりほんとだつた。さうだらう、お前の銀貨は、一つが二つになつた。えらい金滿家だ。終りよければ總てよし。だがね、いつといてあげるが、お金は仕合せの元手ぢやないよ。

にんじん――ぢや、僕、遊びに行つていゝ、母さん?

ルピツク夫人――いゝとも、遊んでらつしやい。子供臭い遊びはもう決してするんぢやないよ。さ、二つとも持つてお行き。

にんじん――うゝん、僕、一つで澤山だよ。母さん、それしまつといて、またいる時まで・・・ね、さうしてね。

ルピツク夫人――いやいや、勘定は勘定だ。お前のものはお前が持つてゐなさい。兩方とも、これはお前のもんだ。小父さんのと、梨の木のと・・・。梨の木の方は、持主が出れば、こりや別だ。誰だらう? いくら考へてもわからない。お前、心當りはないかい?

にんじん――さあ、ないなあ。それに、どうだつていゝや、そんなこと・・・。明日(あした)考へるよ。ぢや、行つて來るよ、母さん、有りがたう。

ルピツク夫人――お待ち。園丁のだつたら?

にんじん――今すぐ、訊いて來てみようか?

ルピツク夫人――ちよつと、坊や、助けておくれ。考へてみておくれ。父さんは、あの年で、そんなうつかりしたことをなさる筈はないね。姉さんは、貯金はみんな貯金箱に入れておくんだからね。兄さんはお金を失くす暇なんかない。握ると一緖に消えちまふんだから・・・。

さうしてみると、どうもこりや、あたしだよ。[やぶちゃん注:「考へてみておくれ。」底本では、この句点の前に読点があって、『、。』となっている。戦後版では句点である。原文を見ても、句点が相応しい。誤植と断じて句点にした。]

にんじん――母さんだつて? そいつあ、變んだなあ。母さんは、あんなにきちんと、なんでもしまつとくくせに・・・。[やぶちゃん注:「變んだなあ」の「ん」はママ。戦後版では『変だなあ』である。]

ルピツク夫人――大人(おとな)だつて、どうかすると、子供みたいな間違ひをするもんだよ。なに、檢べてみればすぐわかる。とにかく、これや、あたしの問題だ。もう話はわかつた。心配しないでいゝよ。遊んどいで。あんまり遠くへ行かずに・・・。その暇に母さんは、仕事机の抽斗の中をちよつとのぞいて來るから・・・。

 

にんじんは、もう走り出してゐたが、振り向いて、一つ時、遠ざかつて行く母親の後を見送つてゐる。やがて、突然、彼は彼女を追ひ拔く。その前に立ち塞がる。そして、默つて、片一方の頰を差出す。[やぶちゃん注:以上のト書きは底本ではここで、ポイント落ちで、全体が本文一字下げとなっている。]

 

ルピツク夫人――(右手を振り上げ、崩れかゝる)お前の噓吐きなことは百も承知だ。しかし、これほどまでとは思つてなかつた。噓の上へまた噓だ。何處までゞも行くさ。初めに卵一つ盜めば、その次ぎは牛一匹だ。そして、しまひに、母親を締め殺すんだ。

 

最初の一擊が襲ひかゝる。[やぶちゃん注:このト書きも、ここで、同前。]

 

[やぶちゃん注:原本では、ここから。

「あわ喰つた鮒」原文は“ablette étourdie”。既に「釣針」で述べた通り、(音写「アブレット」)。辞書にはコイ属の一種とあるが、これはコイ科の誤りであると思う。ネット上での検索を繰返すことで、どうも本邦には棲息しない(従って和名もない。「ギンヒラウオ」とする辞書を見かけたが、辞書編集者が勝手につけたもののように感ずる。当該ウィキでは「ブリーク」(bleak)とするが気に入らない)コイ科アルブルヌス族アルブルヌス属の Alburnus alburnus 、若しくは、その仲間である。étourdie”は、「お落ち着きのない・輕率な」という形容詞である。因みに、一九九五年臨川書店刊の佃裕文訳の「ジュール・ルナール全集3」では、ここを、『銀ひらうお』と訳し、『ブリーク』といふルビが振られてあるから、確定である。

「酸模(すかんぽ)」ナデシコ目タデ科スイバ属スイバ Rumex acetosa 。私は「すっかんぽ」と呼び、幼少の時から、田圃周辺や野山を散策する際に、しょっちゅうしゃぶったものだった。なお、「すかんぽ」は若芽を食用にすると、やはり酸っぱい味がするナデシコ目タデ科ソバカズラ属イタドリ変種イタドリ Fallopia japonica ver. japonica の別名でもあるが、原文の“OSEILLE”(オザィエ)は、確かにスイバを指す。

「遙か上の、木の枝か、その邊の古巢の奧か?」先の佃裕文氏訳の『ジュール・ルナール全集』第三巻では、ここに注をされ、『カササギは光る物を自分の高い巣に運んで隠すといわれる』と記しておられる。カササギは先にも注したが、スズメ目カラス科カササギ Pica pica 。「カカカカツ」「カチカチ」「カシャカシャ」といつた五月蠅い鳴き声を出す。本邦では大伴家持の「かささぎのわたせる橋におく霜のしろきをみれば夜ぞふけにける」等で七夕の橋となるロマンティクな鳥であるが(但し、日本では佐賀縣佐賀平野及び福岡縣筑後平野にのみに棲息する。但し、これが日本固有種か、半島(韓国に旅した際、実際に金属製のハンガーで巣を拵えている同種を何度も見た)からの渡来種かは評価が分かれている)、ヨーロツパでは、キリストが架刑された際にカササギだけが嘆き悲しまなかったという伝承からか、お喋り以外にも、「不幸・死の告知・悪魔・泥棒(雑食性から。学名の“ pica 自体がラテン語で「異食症の」といふ意味である)とシンボリックには極めて評価が悪い。ここでは「鵲」は示されていないものの、佃氏の注するように、造巣や好奇心のために何でもかんでも持って行く(口にする)カササギの習性を念頭に置いた叙述と考えてよい。

「稀に眼を覺ましてゐるのもある。」この部分全体は、原文では、“Elles semblent vieillir là. Elles ont l'air d'y dormir, rarement éveillées, poussées d'un coin à l'autre, mêlées et sans nombre.”とあり、当該箇所は“rarement éveillées”と思われるが、“rarement”は「稀に」以外に、「滅多に~ない」の意味を持つ副詞で、“rarement éveillées”は「(銀貨は)滅多に眼を覚ますこともなく」の意味であろう。「目を覺ましてゐる」と訳すと、「目を覚ましていない銀貨」と「眼を覚ましてゐる銀貨」の違いが髣髴としてこなければ、良訳とは言えないと私は思う。少なくとも、若年の読者に対しては、である。「にんじん」は是非とも、小学生高学年から中学生頃に、初読して欲しい作品である(私は中学二年の時が初読であった)。

「もう少し、お藏に火が點(つ)きさう、もう少し、お藏に火が點(つ)きさう・・・」原文は“-Attention ! ça brûle, ça brûle !”とある。目隱し鬼に似たようなフランスの子どもの遊びであろうと思われるが、詳細は不明。御教授を乞うものである。]

 

 

 

 

    La Pièce d’Argent

 

     I

 

     MADAME LEPIC

   Tu n’as rien perdu, Poil de Carotte ?

     POIL DE CAROTTE

   Non, maman.

     MADAME LEPIC

   Pourquoi dis-tu non, tout de suite, sans savoir ? Retourne d’abord tes poches.

     POIL DE CAROTTE

Il tire les doublures de ses poches et les regarde

          pendre comme des oreilles d’âne.

   Ah ! oui, maman ! Rends-le-moi.

     MADAME LEPIC

   Rends-moi quoi ? Tu as donc perdu quelque chose ? Je te questionnais au hasard et je devine ! Qu’est-ce que tu as perdu ?

     POIL DE CAROTTE

   Je ne sais pas.

     MADAME LEPIC

   Prends garde ! tu vas mentir. Déjà tu divagues comme une ablette étourdie. Réponds lentement. Qu’as-tu perdu ? Est-ce ta toupie ?

     POIL DE CAROTTE

   Juste. Je n’y pensais plus. C’est ma toupie, oui, maman.

     MADAME LEPIC

   Non, maman. Ce n’est pas ta toupie. Je te l’ai confisquée la semaine dernière.

     POIL DE CAROTTE

   Alors, c’est mon couteau.

     MADAME LEPIC

   Quel couteau ? Qui t’a donné un couteau ?

     POIL DE CAROTTE

   Personne.

     MADAME LEPIC

   Mon pauvre enfant, nous n’en sortirons plus. On dirait que je t’affole. Pourtant nous sommes seuls. Je t’interroge doucement. Un fils qui aime sa mère lui confie tout. Je parie que tu as perdu ta pièce d’argent. Je n’en sais rien, mais j’en suis sûre. Ne nie pas. Ton nez remue.

     POIL DE CAROTTE

   Maman, cette pièce m’appartenait. Mon parrain me l’avait donnée dimanche. Je la perds ; tant pis pour moi. C’est contrariant, mais je me consolerai. D’ailleurs je n’y tenais guère. Une pièce de plus ou de moins !

     MADAME LEPIC

   Voyez-vous ça, péroreur ! Et je t’écoute, moi, bonne femme. Ainsi tu comptes pour rien la peine de ton parrain qui te gâte tant et qui sera furieux ?

     POIL DE CAROTTE

   Imaginons, maman, que j’ai dépensé ma pièce, à mon goût. Fallait-il seulement la surveiller toute ma vie ?

     MADAME LEPIC

   Assez, grimacier ! Tu ne devais ni perdre cette pièce, ni la gaspiller sans permission. Tu ne l’as plus ; remplace-la, trouve-la, fabrique-la, arrange-toi. Trotte et ne raisonne pas.

     POIL DE CAROTTE

   Oui, maman.

     MADAME LEPIC

   Et je te défends de dire « oui, maman », de faire l’original ; et gare à toi, si je t’entends chantonner, siffler entre tes dents, imiter le charretier sans souci. Ça ne prend jamais avec moi.

 

     II

 

   Poil de Carotte se promène à petits pas dans les allées du jardin. Il gémit. Il cherche un peu et renifle souvent. Quand il sent que sa mère l’observe, il s’immobilise ou se baisse et fouille du bout des doigts l’oseille, le sable fin. Quand il pense que madame Lepic a disparu, il ne cherche plus. Il continue de marcher, pour la forme, le nez en l’air.

   Où diable peut-elle être, cette pièce d’argent ? Là-haut, sur l’arbre, au creux d’un vieux nid ?

   Parfois des gens distraits qui ne cherchent rien trouvent des pièces d’or. On l’a vu. Mais Poil de Carotte se traînerait par terre, userait ses genoux et ses ongles, sans ramasser une épingle.

   Las d’errer, d’espérer il ne sait quoi, Poil de Carotte jette sa langue au chat et se décide à rentrer dans la maison, pour prendre l’état de sa mère. Peut-être qu’elle se calme, et que si la pièce reste introuvable, on y renoncera.

   Il ne voit pas madame Lepic. Il l’appelle, timide :

   Maman, eh ! maman !

   Elle ne répond point. Elle vient de sortir et elle a laissé ouvert le tiroir de sa table à ouvrage. Parmi les laines, les aiguilles, les bobines blanches, rouges ou noires, Poil de Carotte aperçoit quelques pièces d’argent.

   Elles semblent vieillir là. Elles ont l’air d’y dormir, rarement réveillées, poussées d’un coin à l’autre, mêlées et sans nombre.

   Il y en a aussi bien trois que quatre, aussi bien huit. On les compterait difficilement. Il faudrait renverser le tiroir, secouer des pelotes. Et puis comment faire la preuve ?

   Avec cette présence d’esprit qui ne l’abandonne que dans les grandes occasions, Poil de Carotte, résolu, allonge le bras, vole une pièce et se sauve.

   La peur d’être surpris lui évite des hésitations, des remords, un retour périlleux vers la table à ouvrage.

   Il va droit, trop lancé pour s’arrêter, parcourt les allées, choisit sa place, y « perd » la pièce, l’enfonce d’un coup de talon, se couche à plat ventre, et le nez chatouillé par les herbes, il rampe selon sa fantaisie, il décrit des cercles irréguliers, comme on tourne, les yeux bandés, autour de l’objet caché, quand la personne qui dirige les jeux innocents se frappe anxieusement les mollets et s’écrie :

   Attention ! ça brûle, ça brûle !

 

     III

 

     POIL DE CAROTTE

   Maman, maman, je l’ai.

     MADAME LEPIC

   Moi aussi.

     POIL DE CAROTTE

   Comment ? la voilà.

     MADAME LEPIC

   La voici.

     POIL DE CAROTTE

   Tiens ! fais voir.

     MADAME LEPIC

   Fais voir, toi.

     POIL DE CAROTTE

   Il montre sa pièce. Madame Lepic montre la sienne. Poil de Carotte les manie, les compare et apprête sa phrase.

   C’est drôle. Où l’as-tu retrouvée, toi, maman ? Moi, je l’ai retrouvée dans cette allée, au pied du poirier. J’ai marché vingt fois dessus, avant de la voir. Elle brillait. J’ai cru d’abord que c’était un morceau de papier, ou une violette blanche. Je n’osais pas la prendre. Elle sera tombée de ma poche, un jour que je me roulais sur l’herbe, faisant le fou. Penche-toi, maman, remarque l’endroit où la sournoise se cachait, son gîte. Elle peut se vanter de m’avoir causé du tracas.

     MADAME LEPIC

   Je ne dis pas non.

   Moi je l’ai retrouvée dans ton autre paletot. Malgré mes observations, tu oublies encore de vider tes poches, quand tu changes d’effets. J’ai voulu te donner une leçon d’ordre. Je t’ai laissé chercher pour t’apprendre. Or, il faut croire que celui qui cherche trouve toujours, car maintenant tu possèdes deux pièces d’argent au lieu d’une seule. Te voilà cousu d’or. Tout est bien qui finit bien, mais je te préviens que l’argent ne fait pas le bonheur.

     POIL DE CAROTTE

   Alors, je peux aller jouer, maman ?

     MADAME LEPIC

   Sans doute. Amuse-toi, tu ne t’amuseras jamais plus jeune. Emporte tes deux pièces.

     POIL DE CAROTTE

   Oh ! maman, une me suffit, et même je te prie de me la serrer jusqu’à ce que j’en aie besoin. Tu serais gentille.

     MADAME LEPIC

   Non, les bons comptes font les bons amis. Garde tes pièces. Les deux t’appartiennent, celle de ton parrain et l’autre, celle du poirier, à moins que le propriétaire ne la réclame. Qui est-ce ? Je me creuse la tête. Et toi, as-tu une idée ?

     POIL DE CAROTTE

   Ma foi non et je m’en moque, j’y songerai demain. À tout à l’heure, maman, et merci.

     MADAME LEPIC

   Attends ! si c’était le jardinier ?

     POIL DE CAROTTE

   Veux-tu que j’aille vite le lui demander ?

     MADAME LEPIC

   Ici, mignon, aide-moi. Réfléchissons. On ne saurait soupçonner ton père de négligence, à son âge. Ta soeur met ses économies dans sa tirelire. Ton frère n’a pas le temps de perdre son argent, un sou fond entre ses doigts.

   Après tout, c’est peut-être moi.

     POIL DE CAROTTE

   Maman, cela m’étonnerait ; tu ranges si soigneusement tes affaires.

     MADAME LEPIC

   Des fois les grandes personnes se trompent comme les petites. Bref, je verrai. En tout cas ceci ne concerne que moi. N’en parlons plus. Cesse de t’inquiéter ; cours jouer, mon gros, pas trop loin, tandis que je jetterai un coup d’oeil dans le tiroir de ma table à ouvrage.

   Poil de Carotte, qui s’élançait déjà, se retourne,

    il suit un instant sa mère qui s’éloigne. Enfin,

   brusquement, il la dépasse, se campe devant

   elle et, silencieux, offre une joue.

     MADAME LEPIC

     Sa main droite levée, menace ruine.

 

   Je te savais menteur, mais je ne te croyais pas de cette force. Maintenant, tu mens double. Va toujours. On commence par voler un oeuf. Ensuite on vole un boeuf. Et puis on assassine sa mère.

 

   La première gifle tombe.

 

2023/12/08

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「釣針」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Turibari

 

     釣  針

 

 にんじんは、釣つてきた魚(さかな)の鱗(こけ)を、今、はがしてゐる最中だ。河沙魚(かははぜ)、鮒、それに鱸の子までゐる。彼は、小刀でこそげ、腹を裂く。そして、二重(ふたへ)に透きとおつた氣胞(うきぶくろ)を踵でつぶす。膓(わた)はまとめて、これは猫にやるのだ。彼は働いてゐるつもりだ。忙しい。泡で白くなつた桶の上へのしかゝり、一心不亂である。が、着物を濡らさないやうにしてゐる。

 ルピツク夫人が、ちよつと樣子を見に來る。

 「よしよし、これやいゝ。今日は、素敵なフライを釣つて來てくれたね。どうして、お前も、やる時はやるぢやないか」

 さう云つて、彼女は、息子の頸と肩を撫でる。が、その手を引つ込める途端、彼女は苦痛の叫びをあげる。

 指の先へ釣針が刺さつてゐるのだ。

 姉のエルネスチイヌが駈けつける。兄貴のフエリツクスもこれに續く。それから間もなく、ルピツク氏自身がやつて來る。

 「どら、見せてごらん」

と、彼等は云ふ。

 ところが、彼女は、その指をスカートで包み、膝の間へ挾んでゐる、で、針は益々深く喰ひ込むのである。兄貴のフエリツクスと姉のエルネスチイヌが、母親を支え[やぶちゃん注:ママ。]てゐると、一方でルピツク氏は、彼女の腕をつかみ、そいつを引つ張りあげる。すると、指がみんなに見えるやうになる。釣針は表から裏へ突き通つてゐた。

 ルピツク氏は、それを拔かうとしてみる。

 「いや、いや、そんな風にしちや・・・」

 ルピツク夫人は、尖つた聲で叫ぶ。なるほど、釣針は、一方にかへりがあり、一方にとめがあつて、ひつかゝるのである。

 ルピツク氏は、眼鏡をかける。

 「弱つたなあ。針を折らなけれや」

 どうして、それを折るかだ。御亭主も、かうなると手の下しやうがなく、ちよつと力を入れたゞけで、ルピツク夫人は、飛び上がり、泣き喚くのである。何を拔き取られると云ふのだ。心臟か、命か? 尤も、釣針は、良く鍛へた鋼(はがね)で出來てゐる。

 「ぢや、肉を切らなけれや・・・」

 ルピツク氏は云ふ。

 彼は眼鏡を掛け直す。ナイフを出す。そして、指の上を、よくも磨(と)いでない刄でやはらかくこする。無論、刄は通りつこない。彼は押へつける。汗をかく。やつと血が滲み出す。[やぶちゃん注:「刄」前に「ナイフ」とあるから、ここは「は」と読んでおく。戦後版では「刃」で、同じくルビはない。「やいば」と訓じては、事大主義のルピック夫人と同じで、大仰に過ぎるように私には思われる。そちらがサディスティクでお好きな方は、そう読まれるがよかろう。]

 「あいた、た、あいツ・・・」

 ルピツク夫人は叫ぶ。一同は慄へ上る。

 「もつと、早く、父さん」

と、姉のエルネスチイヌが云ふ。

 「そんな風に、ぐつたりしてちや駄目だよ」

 兄貴のフエリツクスが母親に云ふ。

 ルピツク氏は、癇癪が起つて來た。ナイフは、盲滅法に、引裂き、鋸引きだ。ルピツク夫人は、「牛殺し、牛殺し」と喚いてゐるが、はては、氣が遠くなる、幸ひなことに。[やぶちゃん注:ここでルピック氏が叫ぶ台詞は“Boucher ! boucher !”(「ブッシェ! ブシシェ!」)で、「主に牛や羊の肉を売る肉屋の主人」・「 屠畜業者」の他、「残虐非道な男・人殺し」の罵倒する意がある。倉田氏は同じく『「牛殺し、牛殺し。」』であるが、佃氏は『「人殺しい! 人殺しい!」』とする。私なら、佃氏派で「人殺しィ! 人殺しィッツ!」で気を失わせるのがシークエンスとしては自然かと思われる。]

 ルピツク氏は、それを利用する。顏は蒼ざめ、躍氣となり、肉を刻み、掘る。指は、それ自身、血にまみれた傷口だ。そして、そこから、釣針が落ちる。

 やれやれ!

 その間、にんじんは、なんの手助けもしない。母親の最初の悲鳴と一緖に、彼は逃げ出した。踏段に腰をおろし、兩手で頭を抱え[やぶちゃん注:ママ。]、抑も事の起りは・・・と、考へてみた。たぶん、糸を遠くへ投げたつもりでゐたのが、針だけ背中へ引つ掛つてゐたんだらう。で、彼は云ふ――

 「どうも食はなくなつたと思つたら、ぢや、別に不思議(ふしぎ)はないわけだ」[やぶちゃん注:「どうも食はなくなつた思つたら」戦後版は『どうも食わなかったと思ったら』であるが、釣りのシークエンスの推移に従うなら、この戦前版の方がより自然である。]

 彼は、そこで、母親の痛がる聲を聽いてゐる。第一、それが聞こえても、別に悲しい氣持にもならない。もう少し經つて、今度は自分が、彼女よりも大きな聲で、出來るだけ大きな聲で、喉がつぶれるほど喚いてやらうと思つてゐる。さうすれば、彼女は、早速意讐返しができたつもりになり、彼をほうつておくに違ひないからだ。[やぶちゃん注:「意讐返し」意味は判るが、この文字列は見たことがない。ネット検索でも見当たらない。戦後版は普通に『意趣返(いしゅがえ)し』である。誤植とは思われないから、岸田氏の思い込みの誤用であろう。]

 近所の人達が、何事かと思ひ、彼に訊(たず)ねる――

 「どうしたんだい、にんじん?」

 彼は答へない。耳を塞いでしまふ。彼の赤ちやけた頭が引込む。近所の人たちは踏段の下へ列を作り、便りを待つてゐる。

 さうかうするうちに、ルピツク夫人が乘り出して來る。彼女は、產婦のやうに血の氣(け)が薄らいでゐる。しかも一大危險を冐したといふ得意さがつゝみきれず、丁寧に 繃帶を卷いた指を前の方へ差出してゐる。痛みの殘りをぢつと堪(こら)え[やぶちゃん注:ママ。]て、彼女は、その場の人々に笑ひかけ、短い言葉で安心させ、それから、優しく、にんじんに云ふ――

 「母さんをあんな痛い目に遭はして、こいつめ・・・。だけど、母さんは怒つてやしないよ、ね、お前が惡いんづやないもの」

 未だ嘗て、彼女はかういふ調子でにんじんに話しかけたことはないのである。面喰つて、彼は顏をあげる。見ると、彼女の指は、布片(きれ)と糸で、さつぱりと、大きく頑丈に包まれてゐる。貧乏な子供のお人形さんそつくりだ。彼の干からびた眼が、淚でいつぱいになる。

 ルピツク夫人は前へこゞむ。彼は、臂を上げて防ぐ身構え[やぶちゃん注:ママ。]をする。癖になつてゐるからだ。しかし、彼女は、鷹揚に、みなの前で、彼に接吻をする。

 彼は、もう、何がなんだかわからない。泣けるだけ泣く。

 「もういゝんだつて云ふのにさ。赦してあげるつて云つてるぢやないか。母さんは、そんなに意地惡るだと思つてるのかい?」

 にんじんの咽び泣きは、一段と激しくなる。

 「馬鹿だよ、この子は。首でも締められてるみたいにさ」

 母親の慈愛に、しんみりさせられた近所の人たちに向ひ、彼女はさう云ふのである。

 彼女は、一同の手に釣針を渡す。彼等は、物珍らしげに、それを檢(あらた)める。そのうちの一人は、こいつは八號だと斷定する。そろそろ彼女は口が自由に利け出す。すると、からみつくやうな舌で、大方の衆に慘劇の次第を物語るのである――[やぶちゃん注:「利け出す」「きけだす」。]

 「ほんとに、あん時ばかりは、どんなはづみで、この子を殺しちまつたかも知れません。可愛くなけれやですよ、むろん。うつかりできないもんですね。こんな小つぽけな針でも・・・。あたしや、天まで釣り上げられるかと思ひましたよ」

 姉のエルネステイヌは、そいつを遠くの方へ、庭の隅かなんか、穴があれば穴の中へでもうつちやつてしまひ、その上へ土をかぶせて踏み固めておくやうに提議する。

 「おい、戯談云ふない」と、兄貴のフエリツクスは云ふ――「おれが、とつとくよ。そいつで釣りに行かあ。とんでもねえ、母さんの血んなかへ漬かつてた針なんてなあ、申し分、この上なしだ。捕(と)れるつちやねえぞ、魚(さかな)が! 股(もゝ)みたいにでツけえやつ氣の毒だが、用心しろ!」[やぶちゃん注:「股(もゝ)みたいにでツけえやつ」と「氣の毒だが」のここの箇所(右ページ四行目)にはあるべきはずの読点がない。行末にあり、版組み上、禁則処理が出来なかったためである(読点・句点が、この一行内に四つ、「!」が一つ、ルビが二ヶ所あり、組みを狭くすることが出来難かったものと推察される)。戦後版には読点があり、ほぼ間違いなく原稿にも読点があったものと推定される。岸田氏は、或いは校正で気づいたかも知れぬが、改行になっているので、よしとしたものとも思われる。]

 そこで、彼は、にんじんをゆすぶる。こつちは、罰を免れたので、相變らずきよとんとしてゐる。それでも、自ら責めてゐる風をまだ誇張して見せ、掠(かす)れた噦(しやく)り泣きを喉から押し戾し、ひつぱたき甲斐のある、その醜い顏の、糠(ぬか)みたいな斑點(しみ)を、大水で洗ひ落としてゐる。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「河沙魚(かははぜ)」戦後版のサイト版では、『ハゼ亜目 Gobioidei。淡水産といふことでドンコ科 Odontobutidaeまで狭めることが出来るかどうかまでは、淡水産魚類に暗い私には判断しかねる。』としたが、これは誤りであった。今回、先行してブログで改訂を行ったルナールの「博物誌」の「かは沙魚」で、これは、条鰭綱コイ目コイ科カマツカ亜科 Gobionini 群ゴビオ属タイリクスナモグリ Gobio gobio であることが判明した(本邦には分布しない)。

「鮒」原文は“ablettes”(音写「アブレット」)。辞書にはコイ属の一種とあるが、これはコイ科の誤りであると思う。ネット上での検索を繰返すことで、どうも本邦には棲息しない(従って和名もない。「ギンヒラウオ」とする辞書を見かけたが、辞書編集者が勝手につけたもののように感ずる。当該ウィキでは「ブリーク」(bleak)とするが気に入らない)コイ科アルブルヌス族アルブルヌス属の Alburnus alburnus 、若しくは、その仲間である。

「鱸」原文は“perche”(音写「ペーシュ」。)で、辞書ではスズキ類などの食用にする淡水魚の総称とするが、但し、この場合、日本には自然分布はしない――本邦産のスズキに似たスズキ目 Perciformesの内の――パーチ科 Percidaeの魚類の総称とするのが正しいものと思われる。らく、スズキに似たスズキ目モロネ科 Moronidaeディケントラルクス属ヨーロツパスズキ(ヨーロツピアンシーバス) Dicentrarchus labrax 辺りを指しているのではないかと思われる。当該種のフランス語のウィキ“Bar commun”(“Dicentrarchus labrax”)をリンクさせておく。その記載を見るに、本邦のスズキと同じく、海水魚であるが、淡水域にも遡上し、適応していることが判る。

「八號」釣具のサイトで見ると、線径〇・六八~〇・八一ミリメートル程度のものを指すようである(製造会社によつて異なるが、かなり太いものである)。

「ひつぱたき甲斐のある、その醜い顏」原文では“sa laide figure à claques”で、確かに“laide”は「容貌が醜い、不器量な」、“figure”は「フィギア」で、この場合は顏、“à”は「~用いられる」の意味の「目的・用途」辺りの意で、“claques”は「平手打ち」という意味では、ある。しかし、“figure à claques”といふ俗語の成句が存在し、それはまさに「不愉快な顏」の意味を表わす。しかし、私はこの岸田氏の訳を、霊妙にして、凶兆を感じさせるものと採るのである。即ち、私には――近所の人々が帰り――にんじんが忘れた頃になって――ルピック夫人の平手打ちが――したたかに――その頰を打つに決まってる。――と感じるからである。]

 

 

 

     L’Hameçon

 

   Poil de Carotte est en train d’écailler ses poissons, des goujons, des ablettes et même des perches. Il les gratte avec un couteau, leur fend le ventre, et fait éclater sous son talon les vessies doubles transparentes. Il réunit les vidures pour le chat. Il travaille, se hâte, absorbé, penché sur le seau blanc d’écume, et prend garde de se mouiller.

   Madame Lepic vient donner un coup d’oeil.

   À la bonne heure, dit-elle, tu nous as pêché une belle friture, aujourd’hui. Tu n’es pas maladroit, quand tu veux.

   Elle lui caresse le cou et les épaules, mais, comme elle retire sa main, elle pousse des cris de douleur.

   Elle a un hameçon piqué au bout du doigt.

   Soeur Ernestine accourt. Grand frère Félix la suit, et bientôt M. Lepic lui-même arrive.

   Montre voir, disent-ils.

   Mais elle serre son doigt dans sa jupe, entre ses genoux, et l’hameçon s’enfonce plus profondément. Tandis que grand frère Félix et soeur Ernestine la soutiennent, M. Lepic lui saisit le bras, le lève en l’air, et chacun peut voir le doigt. L’hameçon l’a traversé.

  1. Lepic tente de l’ôter.

   Oh ! non ! pas comme ça ! dit madame Lepic d’une voix aiguë.

   En effet, l’hameçon est arrêté d’un côté par son dard et de l’autre côté par sa boucle.

  1. Lepic met son lorgnon.

   Diable, dit-il, il faut casser l’hameçon !

   Comment le casser ! Au moindre effort de son mari, qui n’a pas de prise, madame Lepic bondit et hurle. On lui arrache donc le coeur, la vie ? D’ailleurs l’hameçon est d’un acier de bonne trempe.

   Alors, dit M. Lepic, il faut couper la chair.

   Il affermit son lorgnon, sort son canif, et commence de passer sur le doigt une lame mal aiguisée, si faiblement, qu’elle ne pénètre pas. Il appuie ; il sue. Du sang paraît.

   Oh ! là ! oh ! là ! crie madame Lepic, et tout le groupe tremble.

   Plus vite, papa ! dit soeur Ernestine.

   Ne fais donc pas ta lourde comme ça ! dit grand frère Félix à sa mère.

  1. Lepic perd patience. Le canif déchire, scie au hasard, et madame Lepic, après avoir murmuré : « Boucher ! boucher ! » se trouve mal, heureusement.
  2. Lepic en profite. Blanc, affolé, il charcute, fouit la chair, et le doigt n’est plus qu’une plaie sanglante d’où l’hameçon tombe.

   Ouf !

   Pendant cela, Poil de Carotte n’a servi à rien. Au premier cri de sa mère, il s’est sauvé. Assis sur l’escalier, la tête en ses mains, il s’explique l’aventure. Sans doute, une fois qu’il lançait sa ligne au loin son hameçon lui est resté dans le dos.

   Je ne m’étonne plus que ça ne mordait pas, dit-il.

   Il écoute les plaintes de sa mère, et d’abord n’est guère chagriné de les entendre. Ne criera-t-il pas à son tour, tout à l’heure, non moins fort qu’elle, aussi fort qu’il pourra, jusqu’à l’enrouement, afin qu’elle se croie plus tôt vengée et le laisse tranquille ?

   Des voisins attirés le questionnent :

   Qu’est-ce qu’il y a donc, Poil de Carotte ?

   Il ne répond rien ; il bouche ses oreilles, et sa tête rousse disparaît. Les voisins se rangent au bas de l’escalier et attendent les nouvelles.

Enfin madame Lepic s’avance. Elle est pâle comme une accouchée, et, fière d’avoir couru un grand danger, elle porte devant elle son doigt emmailloté avec soin. Elle triomphe d’un reste de souffrance. Elle sourit aux assistants, les rassure en quelques mots et dit doucement à Poil de Carotte :

   Tu m’as fait mal, va, mon cher petit. Oh ! je ne t’en veux pas ; ce n’est pas de ta faute.

   Jamais elle n’a parlé sur ce ton à Poil de Carotte. Surpris, il lève le front. Il voit le doigt de sa mère enveloppé de linges et de ficelles, propre, gros et carré, pareil à une poupée d’enfant pauvre. Ses yeux secs s’emplissent de larmes.

   Madame Lepic se courbe. Il fait le geste habituel de s’abriter derrière son coude. Mais, généreuse, elle l’embrasse devant tout le monde.

   Il ne comprend plus. Il pleure à pleins yeux.

   Puisqu’on te dit que c’est fini, que je te pardonne ! Tu me crois donc bien méchante ?

   Les sanglots de Poil de Carotte redoublent.

   Est-il bête ? On jurerait qu’on l’égorge, dit madame Lepic aux voisins attendris par sa bonté.

   Elle leur passe l’hameçon, qu’ils examinent curieusement. L’un d’eux affirme que c’est du numéro 8. Peu à peu elle retrouve sa facilité de parole, et elle raconte le drame au public, d’une langue volubile.

   Ah ! sur le moment, je l’aurais tué, si je ne l’aimais tant. Est-ce malin, ce petit outil d’hameçon ! J’ai cru qu’il m’enlevait au ciel.

   Soeur Ernestine propose d’aller l’encroter loin, au bout du jardin, dans un trou, et de piétiner la terre.

   Ah ! mais non ! dit grand frère Félix, moi je le garde. Je veux pêcher avec. Bigre ! un hameçon trempé dans le sang à maman, c’est ça qui sera bon ! Ce que je vais les sortir, les poissons ! malheur ! des gros comme la cuisse !

   Et il secoue Poil de Carotte, qui, toujours stupéfait d’avoir échappé au châtiment, exagère encore son repentir, rend par la gorge des gémissements rauques et lave à grande eau les taches de son de sa laide figure à claques.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「最初の鴫(しぎ)」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Saisyonosigi

 

      最初の鴫(しぎ)

 

 「そこにゐろ、一番いゝ場所だ。わしは犬を連れて林をひと廻りして來る。鴫を追ひ立てるんだ。いゝか、ピイピイつて聲がしたら、耳を立てろ。それから眼をいつぱいに開(あ)けろ。鴫が頭の上を通るからな」

 ルピツク氏は、かう云つた。

 にんじんは、兩腕で鐵砲を橫倒しに抱いた。鴫を擊つのはこれが初めてだ。彼は以前に、父の獵銃で、鶉を一羽殺し、鷓鴣の羽根をふつ飛ばし、兎を一疋捕り損つた。

 鶉は、地べたの上で、犬が立ち止まつてゐるその鼻先で、仕止めたのである。はじめ、彼は、土の色をした丸い小さな球のやうなものを、見るともなしに見据(みす)えてゐた。[やぶちゃん注:「見据(みす)えていた」はママ。歴史的仮名遣は「みすゑてゐた」が正しい。]

 「後(あと)へさがつて・・・。それぢやあんまり近すぎる」

 ルピツク氏は彼にさう云つた。

 が、にんじんは、本能的に、もう一步前へ踏み出し、銃を肩につけ、筒先を押しつけるやうにして、ぶつ放した。灰色の毬は、地べたへめり込んだ。鶉はといふと木ツ葉微塵、姿は消えて、たゞ、羽根のいくらかと血まみれの嘴が殘つてゐたゞけだ。[やぶちゃん注:「毬」戦後版では『まり』とルビする。それを採る。但し、この場合は、「銃弾」を指しているので、ご注意あれ。]

 それはさうと、若い狩獵家の名聲が決まるのは、鴫を一羽擊ち止めるといふことだ。今日といふ日こそ、にんじんの生涯を通じて、記念すべき日でなければならぬ。

 黃昏(たそがれ)は、誰も知るとおり、曲者である。物みなが煙のやうに輪廓を波打たせ、蚊が飛んでも、雷が近づくほどにざわめき立つのである。それゆえ[やぶちゃん注:ママ。]、にんじんは、胸をわくわくさせ、早くその時になればいゝと思ふ。

 鶫(つぐみ)の群が、牧場から還りに、柏の木立の中で、ぱツとはぢけるやうに散ると、彼は、眼を慣らすために、それを狙つてみる。銃身が水氣(すいき)で曇ると、袖でこする。乾いた葉が、其處こゝで、小刻みな跫音をたてる。[やぶちゃん注:「水氣」戦後版では、『すいき』とルビする。それで採る。湿った地面から立ち昇る水蒸気のことである。]

 すると、やがて、二羽の鴫が、舞ひ上がつた。例の長い嘴で、そのために、飛び方が重い。それでも、情愛濃やかに、追ひつ追はれつ、身顫ひする林の上に大きな輪を畫くのである。[やぶちゃん注:「畫く」戦後版にもルビはないが、「ゑがく」と訓じておく。]

 ルピツク氏が、豫め云つたやうに、彼等は、ピツピツピイと啼いてはゐるが、あんまり微かなので、こつちへやつて來るかどうか、にんじんは心配になりだした。彼は、切りに[やぶちゃん注:ママ。「頻りに」の誤記か。戦後版では『しきりに』とひらがな書きとなっている。]眼を動かしてゐる。見ると、頭の上を、二つの影が通り過ぎようとしてゐる。銃尾を腹にあて、空へ向けて、好い加減に引鐵を引いた。[やぶちゃん注:「引鐵」戦後版では『引鉄』で『ひきがね』とルビする。それを採る。]

 二羽のうち一羽が、嘴を下にして落ちて來る。反響が林の隅々へ恐ろしい爆音を撒き散らす。

 にんじんは、羽根の折れたその鴫を拾ひ、意氣揚々とそれを打ち振り、そして、火藥の臭ひを吸ひ込む。

 ピラムがルピツク氏より先に駈けつけて來る。ルピツク氏は、何時もよりゆつくりしてゐるわけでもなく、また急ぐわけでもない。

 「來ないつもりなんだ」

 にんじんは、褒められるのを待ちながら、さう考へる。

 が、ルピツク氏は、枝を搔き分け、姿を現はす。そして、まだ煙を立てゝゐる息子に向ひ、落つき拂つた聲で云ふ――

 「どうして二羽ともやつつけなかつたんだ」

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「鴫」はシギ科 Scolopacidaeの模式種であるチドリ目シギ科ヤマシギ属ヤマシギ Scolopax rusticola としてよい。ジビエ料理の王道とされる、「にんじん」が言うように、「長い嘴」を持ったそれである。

「鷓鴣」前揭の「鷓鴣」の注を參照。

「鶉」フランスのウズラはウズラの基準種であるキジ目キジ科ウズラ属ウズラCoturnix coturnix である。「ヨーロッパウズラ」等とも呼ぶが、こちらが正統なフランスの「ウズラ」である。ジビエ料理には、それを改良した本邦でお馴染みのウズラ Coturnix japonica が使用されているようではある。

「鶫」原文は“grives”で、スズメ目スズメ亜目スズメ小目ヒタキ上科ツグミ科ツグミ属 Turdus だが、異様に種が多いので、絞り込めない。但し、ここでは、「にんじん」が狙い易い対象として選んでいるとすれば、また、序でに加えるなら、フランスでジビエ料理に供される種とすれば、さらに、撃つ気はなくても、小振りの鳥を狙うというのは、一人前の猟師たらんとする者としは、これまた、不名誉であろうから、大型種であるヤドリギツグミTurdus viscivorus を候補として挙げてもよいか。

「柏」これはフランスであるから、双子葉植物綱ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とすることは出来ない。本邦のお馴染みの「カシワ(柏・槲・檞)」は日本・朝鮮半島・中国の東アジア地域にのみ植生するからである。原文では“chêne”で、これはカシ・カシワ・ナラなどのブナ目ブナ科コナラ属 Quercus の総称である。則ち、「オーク」と訳すのが、最も無難であり、特にその代表種である模式種ヨーロッパナラ(ヨーロッパオーク・イングリッシュオーク・コモンオーク・英名はcommon oakQuercus robur を挙げてもよいだろう。]

 

 

 

 

    La première Bécasse

 

   Mets-toi là, dit M. Lepic. C’est la meilleure place. Je me promènerai dans le bois avec le chien ; nous ferons lever les bécasses, et quand tu entendras : pit, pit, dresse l’oreille et ouvre l’oeil. Les bécasses passeront sur ta tête.

   Poil de Carotte tient le fusil couché entre ses bras. C’est la première fois qu’il va tirer une bécasse. Il a déjà tué une caille, déplumé une perdrix, et manqué un lièvre avec le fusil de M. Lepic.

   Il a tué la caille par terre, sous le nez du chien en arrêt. D’abord il regardait, sans la voir, cette petite boule ronde, couleur du sol.

   Recule-toi, lui dit M. Lepic, tu es trop près.

   Mais Poil de Carotte, instinctif, fit un pas de plus en avant, épaula, déchargea son arme à bout portant et rentra dans la terre la boulette grise. Il ne put retrouver de sa caille broyée, disparue, que quelques plumes et un bec sanglant.

   Toutefois, ce qui consacre la renommée d’un jeune chasseur, c’est de tuer une bécasse, et il faut que cette soirée marque dans la vie de Poil de Carotte.

   Le crépuscule trompe, comme chacun sait. Les objets remuent leurs lignes fumeuses. Le vol d’un moustique trouble autant que l’approche du tonnerre. Aussi, Poil de Carotte, ému, voudrait bien être à tout à l’heure.

   Les grives, de retour des prés, fusent avec rapidité entre les chênes. Il les ajuste pour se faire l’oeil. Il frotte de sa manche la buée qui ternit le canon du fusil. Des feuilles sèches trottinent çà et là.

   Enfin, deux bécasses, dont les longs becs alourdissent le vol, se lèvent, se poursuivent amoureuses et tournoient au-dessus du bois frémissant.

   Elles font pit, pit, pit, comme M. Lepic l’avait promis, mais si faiblement, que Poil de Carotte doute qu’elles viennent de son côté. Ses yeux se meuvent vivement. Il voit deux ombres passer sur sa tête, et la crosse du fusil contre son ventre, il tire au juger, en l’air.

   Une des deux bécasses tombe, bec en avant, et l’écho disperse la détonation formidable aux quatre coins du bois.

   Poil de Carotte ramasse la bécasse dont l’aile est cassée, l’agite glorieusement et respire l’odeur de la poudre.

   Pyrame accourt, précédant M. Lepic, qui ne s’attarde ni se hâte plus que d’ordinaire.

   Il n’en reviendra pas, pense Poil de Carotte prêt aux éloges.

   Mais M. Lepic écarte les branches, paraît, et dit d’une voix calme à son fils encore fumant :

   Pourquoi donc que tu ne les as pas tuées toutes les deux ?

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「蠅」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Hae

 

     

 

 

 獵はまだ續くのである。にんじんは、自分が馬鹿に思へてしかたがなく、後悔のしるしに、肩をぴんと上げる。それから、新しく元氣を出して、父親の足跡を拾つて行く。つまり、ルピツク氏が左の足を置いたところへ、自分も左の足を置くといふ風にである。勢ひい大股になる。人喰鬼にでも追つかけられてるやうだ。休む暇といつたら桑の實とか野生の梨とか、または、口がしびれ、唇が白くなり、そして喉の渴きをとめるうつぼ草の實とかをちぎる時だけである。それに、彼は獲物囊のカクシの中に、燒酎の罎をもつてゐる。それを、ごくりごくり、彼ひとりで、あらまし飮んでしまふ。ルピツク氏は、獵に夢中で、請求するのを忘れてゐるからだ。[やぶちゃん注:「人喰鬼」のルビを参考にすれば、「ひとくひおに」。「燒酎」原文は“eau-de-vie”(音写「オゥ・ド・ヴィ」。「命の水・生命の水」)で、これは、葡萄酒を蒸留して得られるアルコール七十度を越える火酒全般を言い、我々の用いるコニャックやブランデーに相当する語として普通に用いられるものである。ここでも「ブランデ」ーの訳でよいのではなかろうか。「にんじん」がちょろまかすには、「燒酎」では如何にも安っぽく過ぎる。]

 「一と口どう、父さん」

 風は「いらん」といふ音しか運んで來ない。にんじんは、今薦めたその一と口を自分で飮み干し、罎を空つぽにする。頭がふらふらになる。が、父親の後を追ひかけはじめる。突然、彼は立ち止る。耳の孔へ指を突つ込む。亂暴に廻す。引き出す。それから、耳を澄ます恰好をして、ルピツク氏に叫びかける――

 「あのね、父さん、僕の耳ん中へ、蠅が一つ匹はひつたらしいよ」

 

ルピツク氏――除(と)つたらいゝだらう。

にんじん――奧の方へ行つちやつたんだよ。屆かないんだもの。ブーンつて云つてんのが聞こえるよ。

ルピツク氏――放(ほ)つとけ。ひとりでに死ぬよ。

にんじん――でも、若しかして、卵を生んだら? 巢をこさへたら? え、父さん?[やぶちゃん注:「?」の下の半角空けはママ。底本の当該部(右ページ最終行)を見ると、判然とするが、植字工がこの台詞が一行内に収まるように行ったものである。]

ルピツク氏――ハンケチの角で潰してみろ。[やぶちゃん注:「角」戦後版は『かど』とルビする。それを採る。]

にんじん――燒酎をすこし流し込んで、溺れさしちまつたらどう?そうしてもいい?[やぶちゃん注:「?」の下の字空け無しはママ。全く同前の理由。]

 

 「なんでも流し込め!」と、ルピツク氏は怒鳴る――「だが、早くしろ」

 

 にんじんは罎の口を耳にあてがひ、もう一度そいつを空つぽにする。ルピツク氏が、わしにも飮ませろと云ひ出した時の用心にである。

 で、やがて、にんじんは、駈け出しながら、浮浮と、叫ぶ――[やぶちゃん注:「浮浮と」戦後版は『うきうきと』で、ひらがな表記。]

 「そらね、父さん、僕、もう蠅の音が聞こえなくなつたよ。きつと死んだんだらう。たゞ、やつめ、これみんな飮んじまやがつた」

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「人喰鬼」原文は“ogre”(音写「オグル」)。ヨーロツパに広く分布する伝承上の人を食うとされる怪物。もともとは特定の固有名称があったわけではないが、それに対して、“ogre”といふ名を与えたのは、かのシャルル・ペロー(Charles Perrault)が一六九七年に出版した民話集「過ぎ去った時代の物語や物語。 モラリテエとともに。マザー・グースの物語」( Histoires ou contes du temps passé. Avec de moralités : Contes de ma mère l'Oye. )の中の「長靴をはいた猫」( Le Chat botté )であるとされる。

「うつぼ草」原文は“prunelles”。本邦ではシソ目シソ科ウツボグサ属セイヨウウツボグサ亜種ウツボグサ Prunella vulgaris subsp. Asiatica を指すが、これでは分布域が合致しないので、違う。今回は、その原種であるセイヨウウツボグサ Prunella vulgaris に当てることとした。有力である理由は、フランス語の当該種のウィキに「食用」となる「蜜を多く持った植物」であり、『抗炎症剤・解熱剤』、『鎮痙剤・抗ウイルス剤』として使用され、『熱を下げ、喉の痛み・咳・風邪による不快感を和らげるために』も使われ、『健胃作用』を持ち、『胃痙攣や胸焼けを緩和し、下痢・嘔吐を軽減する』効果があるとあったからである。なお、所持する辞書では『リンボク』とするが、同じサクラ属リンボク Prunus spinulosa は日本固有種であるから、辞書の訳語としては適切でない。]

 

 

 

 

    La Mouche

 

   La chasse continue, et Poil de Carotte qui hausse les épaules de remords, tant il se trouve bête, emboîte le pas de son père avec une nouvelle ardeur, s’applique à poser exactement le pied gauche là où M. Lepic a posé son pied gauche, et il écarte les jambes comme s’il fuyait un ogre. Il ne se repose que pour attraper une mûre, une poire sauvage, et des prunelles qui resserrent la bouche, blanchissent les lèvres et calment la soif. D’ailleurs, il a dans une des poches du carnier le flacon d’eau-de-vie. Gorgée par gorgée, il boit presque tout à lui seul, car M. Lepic, que la chasse grise, oublie d’en demander.

   Une goutte, papa ?

   Le vent n’apporte qu’un bruit de refus. Poil de Carotte avale la goutte qu’il offrait, vide le flacon, et la tête tournante, repart à la poursuite de son père. Soudain, il s’arrête, enfonce un doigt au creux de son oreille, l’agite vivement, le retire, puis feint d’écouter, et il crie à M. Lepic :

   Tu sais, papa, je crois que j’ai une mouche dans l’oreille.

     MONSIEUR LEPIC

   Ôte-la, mon garçon.

     POIL DE CAROTTE

   Elle y est trop avant, je ne peux pas la toucher. Je l’entends qu’elle bourdonne.

     MONSIEUR LEPIC

   Laisse-la mourir toute seule.

     POIL DE CAROTTE

   Mais si elle pondait, papa, si elle faisait son nid ?

     MONSIEUR LEPIC

   Tâche de la tuer avec une corne de mouchoir.

     POIL DE CAROTTE

   Si je versais un peu d’eau-de-vie pour la noyer ? Me donnes-tu la permission ?

   Verse ce que tu voudras, lui crie M. Lepic. Mais dépêche-toi.

 

   Poil de Carotte applique sur son oreille le goulot de la bouteille, et il la vide une deuxième fois, pour le cas où M. Lepic imaginerait de réclamer sa part.

   Et bientôt, Poil de Carotte s’écrie, allègre, en courant :

   Tu sais, papa, je n’entends plus la mouche. Elle doit être morte. Seulement, elle a tout bu.

 

「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文) 「獵にて」

[やぶちゃん注:ジュール・ルナール(Jules Renard 一八六四年~一九一〇年)の “ Poil De Carotte(原題は訳すなら「人参の毛」であるが、これはフランス語で、昔、「赤毛の子」を指す表現である。一八九四年初版刊行)の岸田国士による戦前の翻訳である。

 私は既にサイト版「にんじん ジュウル・ルナアル作 岸田国士訳 挿絵 フェリックス・ヴァロトン(注:やぶちゃん copyright 2008 Yabtyan)」で、新字新仮名遣のそれを十五年前に電子化注している。そこでは、底本は岩波文庫版(一九七六年改版)を用いたが、今回は、国立国会図書館デジタルコレクションのジュウル・ルナアル作岸田國士譯「にんじん」(昭和八(一九三三)年七月白水社刊。リンクは標題のある扉)を用い、正字正仮名遣で電子化し直し、注も新たにブラッシュ・アップする。また、本作の挿絵の画家フェリックス・ヴァロトンFelix Vallotton(一八六五年~一九二五年:スイス生まれ。一八八二年にパリに出、「ナビ派」の一員と目されるようになる。一八九〇年の日本版画展に触発され、大画面モノクロームの木版画を手掛けるようになる。一九〇〇年にフランスに帰化した)の著作権も消滅している。上記底本にはヴァロトンの絵はない(当時は、ヴァロトンの著作権は継続していた)が、私は彼の挿絵が欠かせないと思っているので、岩波版が所載している画像を、今回、再度、改めて取り込み、一部の汚損等に私の画像補正を行った。

 ルビ部分は( )で示したが、ざっと見る限り、本文を含め、拗音・促音は使用されていないので、それに従った。傍点「丶」は下線に代えた。底本の対話形式の部分は、話者が示されダッシュとなる一人の台詞が二行に亙る際、一字下げとなっているが、ブラウザの不具合が起きるので、詰めた。三点リーダは「…」ではなく、「・・・」であるのはママである。各話の末尾に若い読者を意識した私のオリジナルな注を附した(岸田氏の訳は燻し銀であるが、やや語彙が古いのと、私(一応、大学では英語が嫌いなので、第一外国語をフランス語にした)でも、原文と照らしてみて、首をかしげる部分が幾分かはある。中学二年生の時、私がこれを読んだときに立ち返ってみて、当時の私なら、疑問・不明に思う部分を可能な限り、注した。原文はフランスのサイト“Canopé Académie de Strasbourg”の“Jules Renard OIL DE CAROTTE (1900)”PDF)のものをコピーし、「Internet archive」の一九〇二年版の原本と校合し、不審箇所はフランス語版“Wikisource”の同作の電子化も参考にした。詳しくは、初回の冒頭注を参照されたい。

 

Ryounite

 

     

 

 ルピツク氏は、息子たちを交る交る獵に連れて行く。彼らは、父親の後ろを、鐵砲の先を除けて、すこし右の方を步く。そして、獲物を擔ぐのである。ルピツク氏は疲れを知らぬ步き手だ。にんじんは、苦情もいわず、遮二無二頑張つて後をついて行く。靴で怪我をする。そんなことは噯氣(おくび)にも出さない。手の指が捻ぢ切れさうだ。足の爪先が膨(ふく)れて、小槌の形になる。

 ルピツク氏が、獵の初めに、兎を一疋殺すと、

 「こいつは、そのへんの百姓家へ預けるか、さもなけれや、生籬の中へでも匿しといて、夕方持つて歸るとしようや」

 かう云ふ。にんじんは、

 「うゝん、僕、持つてる方がいゝんだよ」

 そこで、一日中、二疋の兎と、五羽の鷓鴣とを擔いで廻るやうなことがある。彼は獲物囊の負(お)ひ革の下へ、或は手を、或はハンケチを差込んで肩の痛みを休める。誰かに遇ふと、大仰に背中を見せる。すると、一瞬間、重いのを忘れるのである。[やぶちゃん注:「鷓鴣」「しやこ」(しゃこ)。先行する「鷓鴣(しやこ)」を参照されたい。]

 が、彼は厭き厭きして來る。ことに、何ひとつ仕止めず、見榮といふ支え[やぶちゃん注:ママ。]がなくなると、もう駄目だ。[やぶちゃん注:「厭き厭き」「あきあき」。]

 「此處で待つてろ。わしは、その畑を一と漁(あさ)りして來る」

 時として、ルピツク氏はかういふ。

 にんじんは焦(じ)れて、日の照りつける眞下に、突つ立つたまゝ、ぢつとしてゐる。彼は、親爺のすることをみてゐる。畑の中を、畦から畦へ、土くれから土くれへと、踏みつけ踏みつけ、耙(まぐわ)のやうに、固め、平らして行く。鐵砲で、生籬や灌木の茂みや、薊の叢(くさむら)をひつぱたく。その間、ピラムはピラムで、もうどうする力もなく、日蔭をさがし、ちよつと寢轉んでは、舌をいつぱいに垂れ、呼吸をはづませてゐる。[やぶちゃん注:「畦」戦後版では『うね』とルビする。それで採る。「薊」「あざみ」。「ピラム」既出のルピック家の飼い犬の名。]

 「そんなとこに、なにがゐるもんか」と、にんじんは心の中で云ふ――「さうさう、ひつぱたけ! 蕁麻(いらくさ)でもへし折るがいゝ。抹搔(まぐさか)きの眞似(まね)でもしろ! 若しおれが兎で、溝の窪みか、葉の蔭に棲んでゐるんだつたら、この暑さに、ひよこひよこ出掛けることはまづ見合せだ!」[やぶちゃん注:この鍵括弧は孰れも二重鍵括弧にしたい。]

 で、彼は、密かにルピツク氏を呪ひ、小さな惡口を投げかける。[やぶちゃん注:「惡口」戦後版にもルビはないが、私は「わるぐち」でよいと思っている。]

 すると、ルピツク氏は、またひとつの栅を飛び越えた。傍の苜蓿畑(うまごやしばたけ)を狩り立てるためだ。今度こそ、兎の小僧が二疋や三疋、どんなことがあつたつてゐない筈はないときめてゐたのだ。[やぶちゃん注:「傍」戦後版では『傍(かたわ)ら』であるので、「かたはら」としておく。「苜蓿畑」戦後版は『うまごやしばたけ』とルビする。それで採る。]

 にんじんは、そこで呟く――

 「待つてろつて云つたけど、かうなると、くつついて行かなきやなるまい。初めの調子の惡い日は、終(しま)ひまで惡いんだ。親爺! いゝから走れ! 汗をかけ! 犬がへとへとにならうと、おれが腰を拔かさうと、かまふこたあない! どうせ坐つてるのと、結果はおんなじさ。手ぶらで還るんだ、今夜は」

 さう云へば、にんじんは、他愛のない迷信家である。

 (彼が帽子の緣へ手をかける度每に)ピラムが、毛を逆立て、尻尾をぴんとさせて、立ち止るのである。すると、ルピツク氏は、銃尾を肩に押しあて、拔き足さし足で、出來るだけその側へ近づいて行く。にんじんはもう動かずにゐる。そして、感動の最初の火花が、彼を息づまらせる。[やぶちゃん注:「緣」戦後版では、『へり』とルビする。それを採る。「側」「そば」。戦後版でもそうルビする。]

 (彼は帽子を脫ぐ)

 鷓鴣が舞い立つ。さもなければ、兎が飛び出す。そこで、にんじんが、(帽子を下へおろすか、または、最敬禮の眞似をするかで)、ルピツク氏は、失敗(しくじ)るか、仕止めるか、どつちかなのである。

 にんじんの告白によれば、この方法も百發百中といふわけにはいかぬ。あまり屢々繰り返してやると、効き目がないのである。好運も同じ合圖にいちいち應えることは面倒なのであらう。で、にんじんは、控え[やぶちゃん注:ママ。]目に間(ま)を置くのである。さうすれば先づ大槪は當るといふわけだ。

 「どうだい、擊つとこを見たかい?」と、ルピツク氏は、まだ溫かい兎をつるし上げ、それから、そのブロンドの腹を押へつけて、最後の大便をさせる――「どうして笑ふんだい」

 「だつて、父さんがこいつを仕止めたのは、僕のお蔭なんだもの」

 にんじんは、さう答へる。

 また今度も成功だといふので、彼は得意なのだ。そこで、例の方法を、ぬけぬけと說明したものである。

 「お前、そりや、本氣か?」

と、ルピツク氏は云つた。

 

にんじん――いゝや、それや、僕だつて、決して間違はないとは云はないさ。

ルピツク氏――もういゝから、默つとれ、阿呆! わしから注意しといてやるが、若し、頭のいい兒つていふ評判を失(な)くしたくなけれや、そんな出鱈目は他所(よそ)の人の前で云はんこつた。こつぴどく嗤(わら)はれるぞ。それとも、萬が一、わしを揶揄(からか)はうとでも云ふのか?

にんじん――うゝん、そんなことないよ、父さん。だけど、さう云はれてみると、ほんとだね。御免よ。僕あ、やつぱり、お人好しなんだ。

 

[やぶちゃん注:原本はここから。

「噯氣(おくび)にも出さない」「おくび」は「ゲップ」のこと。ある事柄や思いを心に秘めておいて、口には決して出さず、それを感じさせる素振りさえも見せないことを言う。

「耙(うまぐわ)」農具。牛馬に牽かせて、耕地の土壌を細かく砕き、掻き均(なら)す農具。横木に櫛の歯のように木や金属の刃(は)を付けたものを言う。]

「御免よ。僕あ、やつぱり、お人好しなんだ。」「お人よし」は原文では“serin”である。これは本来は鶸(ひわ:スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科のヒワ族Carduelini)を指すが、フランスでは、特にヒワ族ヒワ属ゴシキヒワ Carduelis carduelis を指すことが多いようである(愛玩鳥として人気がある。当該ウィキを参照されたい)。閑話休題。而して、派生して、これ、俗語で、「うぶな青二才」といふトンデモ意味となり、ここでは、その用法で使われているのである。]

 

 

 

 

    En Chasse

 

  1. Lepic emmène ses fils à la chasse alternativement. Ils marchent derrière lui, un peu sur sa droite, à cause de la direction du fusil, et portent le carnier. M. Lepic est un marcheur infatigable. Poil de Carotte met un entêtement passionné à le suivre, sans se plaindre. Ses souliers le blessent, il n’en dit mot, et ses doigts se cordellent ; le bout de ses orteils enfle, ce qui leur donne la forme de petits marteaux.

   Si M. Lepic tue un lièvre au début de la chasse, il dit :

   Veux-tu le laisser à la première ferme ou le cacher dans une haie, et nous le reprendrons ce soir ?

   Non, papa, dit Poil de Carotte, j’aime mieux le garder.

   Il lui arrive de porter une journée entière deux lièvres et cinq perdrix. Il glisse sa main ou son mouchoir sous la courroie du carnier, pour reposer son épaule endolorie. S’il rencontre quelqu’un, il montre son dos avec affectation et oublie un moment sa charge.

   Mais il est las, surtout quand on ne tue rien et que la vanité cesse de le soutenir.

   Attends-moi ici, dit parfois M. Lepic. Je vais battre ce labouré.

   Poil de Carotte, irrité, s’arrête debout au soleil. Il regarde son père piétiner le champ, sillon par sillon, motte à motte, le fouler, l’égaliser comme avec une herse, frapper de son fusil les haies, les buissons, les chardons, tandis que Pyrame même, n’en pouvant plus, cherche l’ombre, se couche un peu et halète, toute sa langue dehors.

   Mais il n’y a rien là, pense Poil de Carotte. Oui, tape, casse des orties, fourrage. Si j’étais lièvre gîté au creux d’un fossé, sous les feuilles, c’est moi qui me retiendrais de bouger, par cette chaleur !

   Et en sourdine il maudit M. Lepic ; il lui adresse de menues injures.

   Et M. Lepic saute un autre échalier, pour battre une luzerne d’à côté, où, cette fois, il serait bien étonné de ne pas trouver quelque gars de lièvre.

   Il me dit de l’attendre, murmure Poil de Carotte, et il faut que je coure après lui, maintenant. Une journée qui commence mal finit mal. Trotte et sue, papa, éreinte le chien, courbature-moi, c’est comme si on s’asseyait. Nous rentrerons bredouilles, ce soir.

   Car Poil de Carotte est naïvement superstitieux.

   Chaque fois qu’il touche le bord de sa casquette, voilà Pyrame en arrêt, le poil hérissé, la queue raide. Sur la pointe du pied, M. Lepic s’approche le plus près possible, la crosse au défaut de l’épaule. Poil de Carotte s’immobilise, et un premier jet d’émotion le fait suffoquer.

   Il soulève sa casquette.

   Des perdrix partent, ou un lièvre déboule. Et selon que Poil de Carotte laisse retomber la casquette ou qu’il simule un grand salut, M. Lepic manque ou tue.

   Poil de Carotte l’avoue, ce système n’est pas infaillible. Le geste trop souvent répété ne produit plus d’effet, comme si la fortune se fatiguait de répondre aux mêmes signes. Poil de Carotte les espace discrètement, et à cette condition, ça réussit presque toujours.

   As-tu vu le coup ? demande M. Lepic qui soupèse un lièvre chaud encore dont il presse le ventre blond, pour lui faire faire ses suprêmes besoins. Pourquoi ris-tu ?

   Parce que tu l’as tué grâce à moi, dit Poil de Carotte.

   Et fier de ce nouveau succès, il expose avec aplomb sa méthode.

   Tu parles sérieusement ? dit M. Lepic.

     POIL DE CAROTTE

   Mon Dieu ! je n’irai pas jusqu’à prétendre que je ne me trompe jamais.

     MONSIEUR LEPIC

   Veux-tu bien te taire tout de suite, nigaud. Je ne te conseille guère, si tu tiens à ta réputation de garçon d’esprit, de débiter ces bourdes devant des étrangers. On t’éclaterait au nez. À moins que, par hasard, tu ne te moques de ton père.

     POIL DE CAROTTE

   Je te jure que non, papa. Mais tu as raison, pardonne-moi, je ne suis qu’un serin.

 

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