柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(14) / 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注~了
裁物にせばき一間や冬籠 夕 市
一間にあつて裁物をする。裁板も置かねばならず、裁つた布もあたりにひろがるから、自然一間のうちは狹くなる。平凡だと云へばそれまでであるが、その裏に平凡ならざる何者かを藏している。
この句にあつて一間を狹しと感ずるのは、必ずしも裁物をする人自身ではない。作者は裁物の人と同じ一間にあつて、傍から觀察してゐるものの如く感ぜられる。卽ち裁物の爲に一間が狹くなることは共通であつても、自ら裁物をひろげつゝある人の感じとは若干の距離がある。この場合衣を裁つ者は當然女であらうから、作者はその外に求めなければならぬのである。
冬籠る一間は廣きを要せず、狹くとも暖きを條件とする。居間の狹くなることを喞つた[やぶちゃん注:「かこつた」。]やうなこの句も、その條件には外れてゐない。しづかにこの句を誦すると、裁たれる布の華かな色は勿論、座邊の火鉢に火のかんかんおこつてゐる樣まで、連想として浮んで來る。
湯のぬるき居風呂釜を脚婆かな 還 珠
この句は冬の季にはなつてゐるが、何の季題に分類すべきかといふことになると、ちよつと判斷に苦しまざるを得ぬ。第一下五字はどう讀んだらいゝのか、よくわからない。俳句の振假名はかういふ場合に最も必要なのだけれども、却つてそれがついてゐないのである。
さういふ問題はしばらく措いて、この句の意味はどうかと云へば、格別面倒なこともない。居風呂[やぶちゃん注:「すゑぶろ」。]に入つたところが、いさゝか湯がぬるいので、脚を直接風呂釜に當てゝ見た、といふ意味らしく見える。五右衞門風呂の中に浮いてゐる板の用途がわからないで、蓋の類と心得て取つてしまつた爲、直接釜に觸れる足の熱さに堪へず、下駄穿[やぶちゃん注:「げたばき」。]のまゝ風呂に入つて、遂に釜を踏み破る話が「膝栗毛」の一趣向になつてゐるが、この句は湯がぬるくなつてゐるから、釜に足を觸れても熱くないのである。
俳諧では湯婆と書いてタンポと讀んでゐる。この上に更に一字を添へた「湯たんぽ」といふ言葉が一般に通用してゐるのは、幸田露伴博士が考證したチギ箱の例のやうに、一つ言葉を補はなければわかりにくい爲かも知れぬ。湯婆と風呂とは目的を異にするが、湯で身體を溫める點に變りは無い。湯婆の如く釜で脚を溫めるといふ意味から、脚婆といふ語を造り出したのではあるまいか。湯の字と婆の字とが一句の中にあり、かつ脚を溫める作用をも取入れてゐるので、强ひて分類すれば湯婆の範圍にでも入るべきかと思ふ。但これは臆測である。正解があれば何時いつでもそれに從ふことにする。
[やぶちゃん注:『五右衞門風呂の中に浮いてゐる板の用途がわからないで、蓋の類と心得て取つてしまつた爲、直接釜に觸れる足の熱さに堪へず、下駄穿[やぶちゃん注:「げたばき」。]のまゝ風呂に入つて、遂に釜を踏み破る話が「膝栗毛」の一趣向になつてゐる』国立国会図書館デジタルコレクションの十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(昭和二(一九二七)年三盟舎書店刊)のここの右ページが、同シークエンスである。
「幸田露伴博士が考證したチギ箱の例」「箱」に、やや違和感を感じるが、これは、露伴の本邦の文字音を独自に解読した考証書「音幻論」の「シとチ」の一節を指しているようである。国立国会図書館デジタルコレクションのここが当該部である。この単行本は戦後の昭和二二(一九四七)年に洗心書林から刊行されているが、この「シとチ」は「發表年月」には、昭和十九年八月とする。しかし、本「古句を觀る」は昭和十八年十二月発行で、おかしい。露伴の「序」の後半部のここを読むと、『文藝』に他者に筆記させたものを『與へた』とあることから、謂わば、この「シとチ」は、前年の、十二月よりも前に、分割されて載ったものの一つであったろうと、推理した。以下、視認して起こした。
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〇チギ
チギは 古代建築に於て屋根に交叉したる木材を置きて風の爲に吹き剝されることを防ぐ木、即ち風木である。千木比木は共に肱木(ひぢき)の上略・中略といふ說があるが、寧ろ葺きたる家の屋根をとゞむる物をチギといつたのであらう。肱の形に似たる故に肱木なりといふは、建築的に無理がある。堅魚木といふのも堅魚の尾のやうな形に交叉した木をいふのである。委しくは別に說がある。チギが垂木(タリキ)・交本(チガヒキ)の轉または略とする說は承けがたい。
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鐵砲の水田になりて里の冬 蘆 文
稻を刈つた跡の田が刈田で、それが冬に入れば冬田になるといふのが、季題の上の常識になつてゐる。こゝにある「水田」は普通にいふスイデンの意味もあるかも知れぬが、同時に稻を刈つた跡の田が暫く水を湛へてゐることを現したものではないかと思ふ。
さういふ水田に雁鴨その他の鳥が何か求食り[やぶちゃん注:「あさり」。]に下りる。それを目がけて頻に[やぶちゃん注:「しきりに」。]鐵砲を擊つ。蕭條たる冬の里には日々何事もなく、たゞ水田に谺する鐵砲の音が聞えるのみだといふのであらう。吾々も少年の頃、東京郊外の田圃で屢〻かういふ感を味つた。「鐵砲の水田になりて」といふだけで、直に右のやうな趣を感じ得るのは、過去の經驗が然らしむるのかも知れない。
[やぶちゃん注:以上を以って、本書本文は終っている。以下、奥附。字配・ポイントは再現せず、以下のようにした。画像を、まず、確認されたい。太字にした「停」は底本では、○で囲んである。これは当時の商工・農林省の「暴利取締令」改正(昭和一五(一九四〇)年六月二十四日附)により価格表示規程が書籍雑誌にも適用されたもので、一般商品に対しては「九・一八価格停止令」以前の製品であることを示すものらしい。]
昭和十八年十二月 十 日 印刷
昭和十八年十二月十五日 發行
(初刷五、〇〇〇部)
[やぶちゃん注:以下は、上記下方にある。]
停 定 價 二 圓 六 十 錢
合計 二圓八十錢
特別行爲裞相當二十錢
古 句 を 觀 る
出版會承認イ260679
[やぶちゃん注:以上二行は、ページ上方に左から右へ記されてある。この見慣れない「出版會承認イ260679」というのは、以下のようなものである。本書出版の三年前の昭和一五(一九四〇)年、政府は、情報局の指導の下、『日本出版文化協會』(略称「文協」)、及び、『洋紙共販株式會社』を創立し、出版物統制を実行し、昭和十六年五月には、全国の出版物取次業者二百四十社余を強制的に統合した一元的配給会社『日本出版配給株式會社』を設立させ、商工省と情報局の指導監督で、『文協』の配給指導の下、『日本文化の建設、國防國家の確立』をモットーに、出版社(『文協』会員)が発行する全書籍雑誌の一元的配給を強制した。参照した、ウィキの「日本出版配給」によれば、『型式上は株式会社で、本社(本店)は東京市神田区淡路町二丁目九番地』『の大東館に設置、支店は内地では大阪支店、名古屋支店、九州支店(福岡市)、外地では朝鮮支店(京城府)、台湾支店(台北市)に設置され』、『この他に九段、駿河台、錦町等に営業所を設置した。取締役社長には有斐閣店主・江草重忠が就任、役員も旧取次の店主等が横すべりで就任し、一見』、『民営のように見えるが、役員の選任や重要事項の決定には監督官庁(商工省・情報局)の承認が必要とされるなど、実質的には政府の統制下に置かれていた』とあり、『当時の出版物は、情報局による指導監督の下』、『文協が文協会員である出版社に対して出版指導を行っており、出版社の発行届及び企画届を基に発行承認・不承認を通知した。発行承認されないと』、『出版社及び洋紙共販に対して用紙割当通知が届かず、出版社は洋紙共販傘下の各元受用紙店や各用紙店から印刷用紙が購入できなかった。また、情報局による検閲を受けた後』、『奥付に配給元である日配と出版社の住所を明記しなければ』、『日配は配本しないと定められ、日配は言論統制のための一翼を担った』とある。また、別な、ある論文には、昭和 十六年 六月二十一日に「出版用紙配給割當規定」が施行され、書籍は、その総てが、発行承認制とされ、一つ一つの書籍に「承認番號」を与え、その番号を本の奥附に印刷しなければ、出版は出来なかった、とあった。
以下は、下方で、四つの角が丸い一本囲みの罫線の中にあり、縦書。]
著 作 者 柴 田 宵 曲(しばたせうきよく)
[やぶちゃん注:読みは、各字のルビ。]
發 行 者 渡 邊 新
東京都神田區小川町三ノ八
印 刷 者 大 熊 整
東京都豐島區池袋二ノ九二四
發 行 所 七 丈 書 院
東京都神田區小川町三ノ八
會員番號一二七〇三六
電話神田一二二五・二三〇五
振替東京一七四五五〇
[やぶちゃん注:以下は、罫線左外で縦書。]
配給元 日本出版配給株式會社
東京都神田區淡路町二ノ九
[やぶちゃん注:以下は、罫線の外の下方に、左から右へ記されてある。]
(東京1.901 大熊整美堂第三工場)
[やぶちゃん注:この裏には同書院の出版物広告であるが、省略する。
以下、裏表紙。下方に、「七 丈 書 院」「売価」(異体字の「グリフウィキ」のこれ)「¥2.40(裞共)」とある。]