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カテゴリー「柴田宵曲Ⅱ」の147件の記事

2024/06/20

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(14) / 柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注~了

 

   裁物にせばき一間や冬籠 夕 市

 

 一間にあつて裁物をする。裁板も置かねばならず、裁つた布もあたりにひろがるから、自然一間のうちは狹くなる。平凡だと云へばそれまでであるが、その裏に平凡ならざる何者かを藏している。

 この句にあつて一間を狹しと感ずるのは、必ずしも裁物をする人自身ではない。作者は裁物の人と同じ一間にあつて、傍から觀察してゐるものの如く感ぜられる。卽ち裁物の爲に一間が狹くなることは共通であつても、自ら裁物をひろげつゝある人の感じとは若干の距離がある。この場合衣を裁つ者は當然女であらうから、作者はその外に求めなければならぬのである。

 冬籠る一間は廣きを要せず、狹くとも暖きを條件とする。居間の狹くなることを喞つた[やぶちゃん注:「かこつた」。]やうなこの句も、その條件には外れてゐない。しづかにこの句を誦すると、裁たれる布の華かな色は勿論、座邊の火鉢に火のかんかんおこつてゐる樣まで、連想として浮んで來る。

 

   湯のぬるき居風呂釜を脚婆かな 還 珠

 

 この句は冬の季にはなつてゐるが、何の季題に分類すべきかといふことになると、ちよつと判斷に苦しまざるを得ぬ。第一下五字はどう讀んだらいゝのか、よくわからない。俳句の振假名はかういふ場合に最も必要なのだけれども、却つてそれがついてゐないのである。

 さういふ問題はしばらく措いて、この句の意味はどうかと云へば、格別面倒なこともない。居風呂[やぶちゃん注:「すゑぶろ」。]に入つたところが、いさゝか湯がぬるいので、脚を直接風呂釜に當てゝ見た、といふ意味らしく見える。五右衞門風呂の中に浮いてゐる板の用途がわからないで、蓋の類と心得て取つてしまつた爲、直接釜に觸れる足の熱さに堪へず、下駄穿[やぶちゃん注:「げたばき」。]のまゝ風呂に入つて、遂に釜を踏み破る話が「膝栗毛」の一趣向になつてゐるが、この句は湯がぬるくなつてゐるから、釜に足を觸れても熱くないのである。

 俳諧では湯婆と書いてタンポと讀んでゐる。この上に更に一字を添へた「湯たんぽ」といふ言葉が一般に通用してゐるのは、幸田露伴博士が考證したチギ箱の例のやうに、一つ言葉を補はなければわかりにくい爲かも知れぬ。湯婆と風呂とは目的を異にするが、湯で身體を溫める點に變りは無い。湯婆の如く釜で脚を溫めるといふ意味から、脚婆といふ語を造り出したのではあるまいか。湯の字と婆の字とが一句の中にあり、かつ脚を溫める作用をも取入れてゐるので、强ひて分類すれば湯婆の範圍にでも入るべきかと思ふ。但これは臆測である。正解があれば何時いつでもそれに從ふことにする。

[やぶちゃん注:『五右衞門風呂の中に浮いてゐる板の用途がわからないで、蓋の類と心得て取つてしまつた爲、直接釜に觸れる足の熱さに堪へず、下駄穿[やぶちゃん注:「げたばき」。]のまゝ風呂に入つて、遂に釜を踏み破る話が「膝栗毛」の一趣向になつてゐる』国立国会図書館デジタルコレクションの十返舎一九の「東海道中膝栗毛」(昭和二(一九二七)年三盟舎書店刊)のここの右ページが、同シークエンスである。

「幸田露伴博士が考證したチギ箱の例」「箱」に、やや違和感を感じるが、これは、露伴の本邦の文字音を独自に解読した考証書「音幻論」の「シとチ」の一節を指しているようである。国立国会図書館デジタルコレクションのここが当該部である。この単行本は戦後の昭和二二(一九四七)年に洗心書林から刊行されているが、この「シとチ」は「發表年月」には、昭和十九年八月とする。しかし、本「古句を觀る」は昭和十八年十二月発行で、おかしい。露伴の「序」の後半部のここを読むと、『文藝』に他者に筆記させたものを『與へた』とあることから、謂わば、この「シとチ」は、前年の、十二月よりも前に、分割されて載ったものの一つであったろうと、推理した。以下、視認して起こした。

   *

〇チギ

チギは 古代建築に於て屋根に交叉したる木材を置きて風の爲に吹き剝されることを防ぐ木、即ち風木である。千木比木は共に肱木(ひぢき)の上略・中略といふ說があるが、寧ろ葺きたる家の屋根をとゞむる物をチギといつたのであらう。肱の形に似たる故に肱木なりといふは、建築的に無理がある。堅魚木といふのも堅魚の尾のやうな形に交叉した木をいふのである。委しくは別に說がある。チギが垂木(タリキ)・交本(チガヒキ)の轉または略とする說は承けがたい。

   *]

 

   鐵砲の水田になりて里の冬 蘆 文

 

 稻を刈つた跡の田が刈田で、それが冬に入れば冬田になるといふのが、季題の上の常識になつてゐる。こゝにある「水田」は普通にいふスイデンの意味もあるかも知れぬが、同時に稻を刈つた跡の田が暫く水を湛へてゐることを現したものではないかと思ふ。

 さういふ水田に雁鴨その他の鳥が何か求食り[やぶちゃん注:「あさり」。]に下りる。それを目がけて頻に[やぶちゃん注:「しきりに」。]鐵砲を擊つ。蕭條たる冬の里には日々何事もなく、たゞ水田に谺する鐵砲の音が聞えるのみだといふのであらう。吾々も少年の頃、東京郊外の田圃で屢〻かういふ感を味つた。「鐵砲の水田になりて」といふだけで、直に右のやうな趣を感じ得るのは、過去の經驗が然らしむるのかも知れない。

 

 

[やぶちゃん注:以上を以って、本書本文は終っている。以下、奥附。字配・ポイントは再現せず、以下のようにした。画像を、まず、確認されたい。太字にした「停」は底本では、○で囲んである。これは当時の商工・農林省の「暴利取締令」改正(昭和一五(一九四〇)年六月二十四日附)により価格表示規程が書籍雑誌にも適用されたもので、一般商品に対しては「九・一八価格停止令」以前の製品であることを示すものらしい。]

 

昭和十八年十二月    日 印刷

昭和十八年十二月十五日 發行

        (初刷五、〇〇〇部)

[やぶちゃん注:以下は、上記下方にある。]

 

 定 價 二 圓 六 十 錢

            合計 二圓八十錢

特別行爲裞相當二十錢

 

    古 句 を 觀 る

   出版會承認イ260679

 

[やぶちゃん注:以上二行は、ページ上方に左から右へ記されてある。この見慣れない「出版會承認イ260679」というのは、以下のようなものである。本書出版の三年前の昭和一五(一九四〇)年、政府は、情報局の指導の下、『日本出版文化協會』(略称「文協」)、及び、『洋紙共販株式會社』を創立し、出版物統制を実行し、昭和十六年五月には、全国の出版物取次業者二百四十社余を強制的に統合した一元的配給会社『日本出版配給株式會社』を設立させ、商工省と情報局の指導監督で、『文協』の配給指導の下、『日本文化の建設、國防國家の確立』をモットーに、出版社(『文協』会員)が発行する全書籍雑誌の一元的配給を強制した。参照した、ウィキの「日本出版配給」によれば、『型式上は株式会社で、本社(本店)は東京市神田区淡路町二丁目九番地』『の大東館に設置、支店は内地では大阪支店、名古屋支店、九州支店(福岡市)、外地では朝鮮支店(京城府)、台湾支店(台北市)に設置され』、『この他に九段、駿河台、錦町等に営業所を設置した。取締役社長には有斐閣店主・江草重忠が就任、役員も旧取次の店主等が横すべりで就任し、一見』、『民営のように見えるが、役員の選任や重要事項の決定には監督官庁(商工省・情報局)の承認が必要とされるなど、実質的には政府の統制下に置かれていた』とあり、『当時の出版物は、情報局による指導監督の下』、『文協が文協会員である出版社に対して出版指導を行っており、出版社の発行届及び企画届を基に発行承認・不承認を通知した。発行承認されないと』、『出版社及び洋紙共販に対して用紙割当通知が届かず、出版社は洋紙共販傘下の各元受用紙店や各用紙店から印刷用紙が購入できなかった。また、情報局による検閲を受けた後』、『奥付に配給元である日配と出版社の住所を明記しなければ』、『日配は配本しないと定められ、日配は言論統制のための一翼を担った』とある。また、別な、ある論文には、昭和 十六年 六月二十一日に「出版用紙配給割當規定」が施行され、書籍は、その総てが、発行承認制とされ、一つ一つの書籍に「承認番號」を与え、その番号を本の奥附に印刷しなければ、出版は出来なかった、とあった。

 以下は、下方で、四つの角が丸い一本囲みの罫線の中にあり、縦書。]

 

 著 作 者  柴 田 宵 曲(しばたせうきよく)

[やぶちゃん注:読みは、各字のルビ。]

 

 發 行 者  渡 邊   新

      東京都神田區小川町三ノ八

 

 印 刷 者  大 熊   整

      東京都豐島區池袋二ノ九二四

 

發 行 所  七 丈 書 院

     東京都神田區小川町三ノ八

     會員番號一二七〇三六

     電話神田一二二五・二三〇五

     振替東京一七四五五〇

 

[やぶちゃん注:以下は、罫線左外で縦書。]

 

配給元  日本出版配給株式會社

       東京都神田區淡路町二ノ九

 

[やぶちゃん注:以下は、罫線の外の下方に、左から右へ記されてある。]

 

   (東京1.901 大熊整美堂第三工場)

 

[やぶちゃん注:この裏には同書院の出版物広告であるが、省略する。

 以下、裏表紙。下方に、「七 丈 書 院」「売価」(異体字の「グリフウィキ」のこれ)「¥2.40(裞共)」とある。]

 

Urabyousi

 

2024/06/19

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(13)

 

   煤の湯を流しかけたり雪の上 里 東

 

「としのくれに」といふ前書がついてゐる。煤掃をしたあとの湯を雪の上にこぼす。「流しかけたり」といふので、ざぶりとこぼさずに徐に[やぶちゃん注:「おもむろに」。]あける樣子がわかる。强ひて風流を衒ふ[やぶちゃん注:「てらふ」。]わけではないが、一面に積つた雪の上に、煤に汚れた湯をこぼすのは、多少氣が引けるやうなところがある。槪念的にかういふ趣を弄ぶのではない。作者の實感から生れてゐるところに一種の力を持つてゐる。

 昔の煤掃は今の大掃除と違ふから、天氣都合で延すなどといふことは無かつたかも知れず、又北國のやうに雪に降りこめられるところだつたら、晴天を待つわけにも行かぬであらう。さういふ雪の中でも、年中行事の一として、家の内の煤だけは拂ふ。この作者は膳所の人だから、必ずしも北國情景と見るに當らぬが、

 

   煤はきや手鑓てやりたてたる雪の上 不 玉

 

になると、作者が東北の人だけに、そう解しても差支ない理由がある。「手鑓」は短槍ともいふ。槍の細く短いものゝ稱である。何でそんな槍を雪の上に突立てたか、まさか雪の深さを測る意味でもあるまい。暫時の置場として雪の上に立てたものであらうか。手槍を立て得ることによつて、その雪の深さもわかり、現在雪の降りつゝある場合でないことも想像出來る。

 煤掃に雪などといふ趣向は、大掃除に慣れた吾々にはちよつと思ひもよらない。同じく「雪の上」を捉へた元祿の句が、全然異つた世界を見出してゐるのは面白い。

[やぶちゃん注:「煤掃」(すすはき)は、煤や誇り等を払って綺麗にすること。特に正月の準備として、普段は手の届かないようなところまで大掃除をすることを言う。江戸時代には公家・武家ともに十二月十三日に行なうのが恒例で、民間でも、多くこれに倣った。起源は少なくとも平安後期に遡る。

「里東」「不玉」ともに「新年」(全)で既注。]

 

   寒夜や棚にこたゆる臼の音 探 志

 

「寒夜」は「サムキヨ」と讀むのであらう。鄰が搗屋でその臼の響がこたへるのだとすれば、小言幸兵衞そつくりだが、さう限定する必要は無い。臼はどこの臼で、何を搗くのでも構はぬ。たゞづしりづしりといふ響が棚にこたへて、棚の上に置いてあるものがその震動を感ずる。若しこれが「壁をへだつる臼の音」とでもあつたら、臼の所在は明になるけれども、句そのものの働きは單純になつて來る。臼の音を臼の音で終らしめず、棚にこたへる點に著眼したのがこの句の特色である。

 はじめて人を訪れた夜など、近く通る汽車の響を地震かと思ひ誤ることがある。住慣れた人は平氣で談笑を續けてゐても、はじめての者には汽車か地震かの判別がつかぬのである。この臼の音ははじめての驚きではない。棚の物が微に[やぶちゃん注:「かすかに」。]こたへるのを見て、又例の臼だなと合點する、稍〻慣れた心持が現れてゐる。それが冬の夜長の闃寂たる氣分と合致してゐるやうに思ふ。

 

   炒豆に鳩をなつけん雪の上 一 秀

 

 一面に降積つた雪の上に、鳩が飛んで來て何かあさつてゐる。彼等の食物も雪の爲に蔽はれてゐるので、手許にある炒豆でも雪の上に投げてやらう、さうして鳩を自分に馴付かせよう[やぶちゃん注:「なつかせよう」。]、といふのである。

 同じ雪の降積つた場合にしても、その上に米を撒いて、寄つて來る雀を捕らうといふのとは違ふ。餌の無い鳩を憐んで豆を投げ與へ、これを馴付けて自分の友にしようといふ、閑居徒然の人らしい趣が窺はれる。菓子の乏しい昔にあつては、炒豆なども座邊に置いてぽつぽつ食べる料の一であらう。その豆を與へるところに、「なつけん」といふ親しい心持がある。鳩に豆は極めて陳腐な取合[やぶちゃん注:「とりあはせ」。]のやうであるが、この句は決してさうではない。寧ろ實感によつてその取合を新に活かしたところがある。

 

   爐びらきや鏝でつきわる灰の石 孟 遠

 

 久しぶりに爐を開いて見ると、寂然たる灰の中に小石のやうに固まつたのが交つてゐる。それを鏝の先で突割つたといふだけのことである。

「灰の石」といふ言葉は、作者の造語らしく思はれる。說明的に云へば「石のやうな灰」であるが、それでは文字が多過ぎる。「石の灰」では石灰と混同せぬまでも、石が燒けて灰になつたやうに取られ易い。或は不十分かも知れぬが、この場合「灰の石」以上に適切な言葉は見當らぬのである。

「末若葉」に「爐びらきやまた形ある雹灰 夜錦」といふ句がある。「雹」は多分「アラレ」とでも讀むのであらう。霰のやうに小粒に固まつた灰の形容らしい。爐を開くに當つて灰に目を留めるのは、格別不思議もないが、灰の固まつたのを「灰の石」と云ひ「雹灰」と云ふのには若干の工夫を要する。精緻な觀察は古人に緣が無いやうに思ふ人は、此等の句を玩味しなければなるまい。

[やぶちゃん注:「末若葉」は「うらわかば」と読む。其角編で元禄一〇(一六九七)年刊。当該句は国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第二巻(勝峯晋風編・昭和一〇(一九三五)年彰考館刊)のここで確認出来るが、そこでの表記は、

   *

 爐開やまだ形ある雹灰    夜 錦

   *

となっている。そもそも、岩波文庫版も「また」のままなのだが、この一句を読んだ際、私は、「また」に、激しく躓いた。私は、直感的に、『「爐開き」なのだから、去年の固まった小さな「霰」のような「灰」の塊りが「まだ」そこにあったと、クロース・アップした以外には、考えられない。』と、独り、呟いたのを思い出したのである。一応、他の所収表記を見てみたところ、原本は見られなかったが、検索結果によって、前記全集より以前の、昭和五(一九三〇)年十二月號茶道月報社発行の『茶道月報』に『まだ』の表記で載ることが判った。誰の記事かは判らないが、目次を見るに、一つ、有力なのは、佐々木三味氏の「茶の湯句解(九)」かとも思われる。宵曲が誤記した可能性は、まず、百%、これ、ない! 初版時の誤植(濁音落ち)と考えて間違いない。……九十一年も経って、誰も気づかなかったのだ! 宵曲が、哭くぜ!! これはもう、「岩波文庫さんよ、改版せずんばあらず!」だぜ!!!

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(12)

 

   餅つきや臼も柱も松臭し    諷竹

 

 ちよつと變つた句である。臼も柱も新しいのであらう、餅を搗ついてゐると、松の木の匂がする。住み古りた所帶、持ち傳へた臼では、こんな匂がしさうもない。

 新しい木の香といふものは爽快に相違ないが、云ひ現し方によつては少しく俗になる。作者が鼻に感じた通り、「松臭し」と云つてのけたのは、却つてよく趣を發揮してゐる。「臼も柱も」の一語で、家も臼も新しいことを現したのも、巧な敍法といふべきであらう。

 

   麥まきの寒さや宿はねぶか汁 鼠 彈

 

 蕭條たる冬枯の野に出て麥蒔をする。日和が定つて暖いことも無いではないが、曇つたり、風が吹いたりすれば甚しく寒い。假令さういふ條件が加はらないにしても、日が傾けば寒さはひしひしと迫つて來る。冬郊に働くことは、この一點だけでも慥に樂ではない。

 この句はさういふ麥蒔の人の寒さと、その人たちがやがて歸る家で、葱汁を拵へて待つてゐるといふ事實を描いたのである。麥を蒔く野良の寒さを想ひやつて、歸つて來たら之を犒ふ[やぶちゃん注:「ねぎらふ」。]べく葱汁を拵へた、といふ風にも解せられる。併し宿の方を主にして、野良の寒さは想ひやつただけのものとすると、いさゝか感じの弱められる虞がある。麥蒔を了へて寒い野良から歸つて來る。宿では葱汁を拵へてくれたと見えて、暖さうな匂が鼻をうつ、といふ風に解釋したらどんなものであらう。この葱汁は膳に向つて啜るところまで描かれないでも差支無い。野良の寒さが强ければ强いほど、宿の葱汁の暖さも亦强く感ぜられるのである。

 

   初しぐれ爰もゆみその匂ひかな 素 覽

 

「爰も」といふのは稍〻漠然たる言葉であるが、かういふことだけは想像し得る。

 初時雨の降つてゐる時、町なら町を步いてゐる。今しがたどこかで柚味噌を燒く匂を嗅いだと思つたら、亦こゝでもそれらしい匂がする、といふのであらう。「爰も」といふ以上、何箇所だかわからぬけれども、とにかく複數であることは疑を容れぬ。彼處[やぶちゃん注:「かしこ」。]でも柚味噌の匂を嗅ぎ、こゝでも柚味噌の匂を嗅ぐといふ意味かと思はれる。たゞその彼處此處は、果して町を步きつゝある時に嗅いだものかどうか、句の上に現れて居らぬから、斷定することは出來ない。便宜上さう解したまでである。

 柚味噌といふものは、昔にしても一般的な食物とは思はれぬ。併し時雨の趣を解するやうな人が、初時雨を愛でて柚味噌を燒いてゐるといふほど、殊更な趣向とも解したくない。この句の眼目は時雨の降る冷い空氣と、柚味噌を燒く高い匂との調和に在るので、作者もそこに興味を感じたのであらう。「爰も」といふ言葉は、一句を複雜にすると同時に、多少漠然たるものにした。それは柚味噌が稍〻一般的ならざる食物だからで、鰯や秋刀魚を燒く匂だつたら、平俗を免れぬ代りに「爰も」といふことについて、格別の問題は起らぬかも知れない。

 

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(11)

 

   天井に取付蠅や冬籠 紫 道

 

 生殘りの蠅が天井にとまつて動かぬ。それを「取付」[やぶちゃん注:「とりつく」。]といふ言葉で現したのである。其角が憎まれてながらへる人に擬した通り、冬の蠅は已に活力を失つてゐるが、暖を求めてどこかに姿を現す。天井に見出すのは多くは夜のやうである。天井を離れまいとして、ぢつと取付いてゐる冬の蠅は、憎むといふよりは憐むべきものであらう。

 天井の蠅もぢつとしてゐる。下にいる主人も――恐らくはぢつとしてゐるに相違無い。さういふ冬籠の一角を捉へたのがこの句の眼目である。

[やぶちゃん注:紫道の句は、一読、梶井基次郎の名作「冬の蠅」を想起させる(リンク先は私の古いサイト版)。

「其角が憎まれてながらへる人に擬した」其角編「續虛栗」(貞享(一六八七)年刊)所収の一句。そこでは前書は「寒蠅」(かんばへ)であるが、以下は「五元集」のものを示した。

   *

  寒蠅爐をめぐる

憎まれてながらふる人冬の蠅

   *]

 

   胸に手を置て寢覺るしぐれかな 水 颯

 

 胸に手を置くといふのは、熟考の際にも用ゐられるが、この句のはさうではない。胸の上に手を置いて寢ると、苦しい夢を見てうなされるから、手を載せないやうにしろ、と子供の時分よく云はれた。意識して手を置く筈も無いが、寢てゐる間に自然とさういふ姿勢になるのであらう。子供がうなされた時に注意して見ると、やはり胸に手を載せてゐることが多いやうである。

 この句の中には夢のことは云つてない。併し胸に手を置いて寢た結果、苦しくなつて目が覺めたことは慥である。目を覺して氣がつくと、小夜時雨が庇に寂しい音を立てゝゐる。夜の寢覺に時雨を聞くなどは、陳腐の嫌を免れぬが、たゞさういふ姿勢を取つて寢た爲、目が覺めたといふところに、多少常套を破るものがある。胸苦しい夢を見て目が覺めた刹那の氣持と、小夜時雨といふものとの間にも、何等か調和するところがあるやうに思ふ。

 

   たゝひろき庭も拂はずむら時雨 舍 羅

 

「何がしの院にまかりて」といふ前書がついてゐる。上五字は「たゞひろき」と讀むのか、今の俗語で「だだツ廣い」といふに當るのか、いづれにしても相當廣い庭と思はれる。その庭が掃除も行屆いて居らず、落葉なども拂はずにある。といふのであらうか。「拂はず」といふ言葉は尙他の意にも解せられるが、この場合きちんと片づいてゐないことだけは明である。

 一塵もとゞめず掃き淸められた廣庭に、時雨が降るといふのも一の趣である。片づかぬ庭に時雨が降るといふのも亦一の趣である。兩者共に自然であつて、その間に時雨と撞著するところは無い。强ひて時雨趣味を限定して、統一を圖るなどは無用の沙汰である。

 

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(10)

 

   凩の殘りや松に松のかぜ 十 丈

 

 一日吹きまくつた木枯が、夕方になつて漸く衰へたやうな場合かと思はれる。大分凪いでは來たが、まだ全く吹き止んだわけではない。その名殘の風が松の梢を吹いて、所謂松風らしい音を立てゝゐる。松を吹く風なら何時でも松風であるに相違ないやうなものゝ、木枯の吹き荒む[やぶちゃん注:「すさむ」。]最中では、これを松風と稱しにくい。吹き衰ふるに及んで、はじめて松風らしいものを感じ得るのである。

 北原白秋氏の「雀の卵」に「この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風」といふ歌があつた。ひとり松と椎ばかりではない、吹かるゝものの相異によつて、風の音も自ら異つて來る。それを聞き分けるのが詩人の感覺である。同じ松を吹く風であつても、そこに差別があるなどといふことは、理窟の世界では通用しないかも知れぬが、吾人情感の世界では立派に成立する。風と云へば直に風速何十メートルで計算するものと考へるのは、科學者の天地で吾々の與る[やぶちゃん注:「あづかる」。]ところではない。

[やぶちゃん注:白秋の「雀の卵」は大正三(一九一四)年夏から同六年に至る小笠原・麻布・葛飾での生活で得た歌集(長歌を含む)と詩二篇からなる作品集で、大正十年八月アルス刊。「白木蓮花(はくもくれんくわ)」の中の一首。「夕」という前書で、三首あるものの第一首。三首を並べて示す。国立国会図書館デジタルコレクションの原本の当該部で表記を確認した。

   *

 この山はたゞさうさうと音すなり松に松の風椎に椎の風

 松風の下(した)吹く椎のこもり風なほし幽(かす)かなり雨もかもかかる

 雜木(ざうき)の風ややにしづもれば松風のこゑいやさらに澄みぬ眞間の弘法寺

   *

二首目の「し」は、強意の副助詞で、「かも」は係助詞の結合したもので、疑問の意。「眞間の弘法寺」の「弘法寺」は「ぐはふじ」と読み、千葉県市川市真間にある日蓮宗の由緒寺院である本山真間山弘法寺(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。かの寺の守護神は、かの悲恋の少女「真間の手児奈」で、同寺門前に「真間の井」があり、その東直近に「手兒奈靈神」として手児奈霊神堂がある。大学一年の時、高校時代、古典を教えて下さった蟹谷徹先生に手児奈の井戸の写真を見せたく、市川に住む友人の案内で訪れたことがある。]

 

   摺小木の細工もはてず冬籠 蘆 文

 

 冬籠の徒然に任せて摺粉木の細工を思ひ立つた。無論自家用か何かの手輕なものであらう。素人の手に合ふものだけに、わけもないつもりで著手したが、なかなか出來上らない。今日も削り、明日も削り、摺粉木一本が容易に完成せぬ狀態を詠んだものと思はれる。

 普通の内職などでは面白くない。冬籠中にふと思ひついた摺粉木細工で、それが思つたほど捗らず、冬籠の日々を消す、といふところにこの句の妙味がある。摺粉木の細工も長ければ、冬籠の月日も長いのである。

 

   蟲の音も枯て麥ほる烏かな 沙 明

 

 野に鳴く蟲の聲といふものは、夏の末から冬の初に亙る。夜は全く聲がしなくなつてからでも、日當りのいゝところでは、生殘りの蟲が幽に聲を立てることがある。この句はさういふ蟲の聲さへなくなつた冬枯の野で、百姓が折角蒔いた麥を烏が掘りに來る、といふ意味らしい。

 蟲の聲さへ枯れ果てゝ、といふやうなことは歌の方にもありさうな氣がする。たゞ冬枯の畑に烏が下りて麥を掘るといふよりも、蟲の聲も全く聞えなくなつたといふ事實のある方が、時間的な推移を窺ひ得る效果がある。すぐれた句といふわけではないけれども、蕭條たる冬野の空氣を描き得た點において、やはり棄てがたいやうに思ふ。

 

2024/06/18

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(9)

 

   門々や子供呼込雪のくれ 野 童

 

 雪が降つて元氣がよくなるのは、子供に犬と相場がきまつてゐる。寒さにめげず、外へ出て遊んでゐるうちに、いつか夕暮近くなつて來た。もう御飯になるから御歸りとか、寒いから内へ御入りとか云つて子供を呼ぶ聲が、彼方[やぶちゃん注:「あつち」。]の家からも此方[やぶちゃん注:「こつち」。]の家からも聞える。「門々」の一語によつて、その家が複數であることも、うち續いた家竝であることもわかる。吾々もこの句を讀むと、遊びほうけて夕方まで戶外にいた少年の日のことが、なつかしく心に浮ぶのである。

 平凡な句のやうでもある。併かし一槪にさう云ひ去るわけにも行かぬのは、必ずしも少年の日の連想があるためばかりとも思はれぬ。

 

   鳶尾の葉はみなぬれにけり初しぐれ 鼠 彈

 

「鳶尾」はシヤガと讀むのであらう。あやめに似て小さい花をつける、菖蒲の種類としては最も見ばえのせぬものである。花は夏の季になつて居り、俳句の材料にも屢〻用ゐられてゐるが、葉を取上げたのはあまり見たことが無い。

 シヤガの葉は冬を凌いで枯れぬ。その靑い葉が時雨に濡れて、ほのかに光を帶びてゐる。見るからに寒げな趣である。これが石蕗[やぶちゃん注:「ツハブキ」。]の葉か何かであると、形も大きいし、冬の季のものでもあるから、さほどのことも無いけれども、花が咲いてゐてさへ見ばえのせぬシヤガの、遺却されたやうな葉に時雨が降る。そこに初冬らしいもののあはれが感ぜられる。秋を經て枯れ枯れになつた植物にそゝぐ時雨よりも、冬に到つて猶綠を變へぬところに、却つて目立たぬシヤガの寂しさがある。「みなぬれにけり」といふ言葉も率直にこの感じを悉して[やぶちゃん注:「つくして」。]ゐるやうに思ふ。

[やぶちゃん注:「シヤガ」単子葉植物綱キジカクシ目アヤメ科アヤメ属シャガ Iris japonica 。種小名はこうだが、中国原産である。当該ウィキによれば、『かなり古くに日本に入ってきた帰化植物で』、『三倍体のため』、『種子が発生しない』。『このことから日本に存在する全てのシャガは同一の遺伝子を持ち、またその分布の広がりは人為的に行われたと考えることができる。したがって、人為的影響の少ない自然林内にはあまり自生しない。スギ植林の林下に一大自生地のような光景を見ることもしばしばだが、そうした場所は現在では人気が全くない鬱蒼とした場所であったとしても、かつては、そこに人間が住んでいたか、あるいは人の往来があって、その地にシャガを移植した場所である可能性が高い。このためシャガの自生地では』、茶の木『などの人為的な植物が同じエリアに見られたり、かつての民家の痕跡と思える物などが見てとれることも多い。中国には二倍体の個体があり花色、花径などに多様な変異がある』とある。漢字表記は「射干」「著莪」「胡蝶花」の他、「鳶尾」もあるが、この「鳶尾」は同属のアヤメ属イチハツ Iris tectorum の異名としても知られ、しかもイチハツとシャガは、本邦で古くより藁屋根に植えると大風や火災を防ぐと信じられ、所謂、「屋根菖蒲」として藁屋根に植えられた経緯もあり、親和性がある(最近のものでは、『南方熊楠「江ノ島記行」(正規表現版・オリジナル注附き) (8)』の「イチハツ」の私の注を見られたい)。因みに、現代中国語では、「日本鳶尾」「開喉箭」「蘭花草」「扁竹」「劍刀草」「豆豉草」「扁擔葉」「扁竹根」「鐵豆柴」と多彩な異名がある(同種の中文ウィキを参照した)。なお、サイト「跡見群芳譜」の「しゃが(射干)」を見ると、『和名シャガは、漢語の射干(ヤカン:yègàn)の、漢土における俗読み shègān の、日本における訛り。ただし、漢名を射干という植物はヒオウギ』(アヤメ属ヒオウギ Iris domestica )『であり、シャガではない。したがって』、本種『を「しゃが」と呼び、「射干」と書くのは、音義ともに本来は不当』であるとあった。母が好きで、家の斜面に植えられている。私の大好きな花である。]

 

   買切と馬にのり出すしぐれかな 雪 芝

 

「馬市」といふ前書がついてゐる。馬の値がきまつて自分の所有に歸するが早いか、直にその背に跨つて乘出す、といふのである。折から時雨が降つて來た爲、急いで歸る意味もあるかも知れぬが、氣に入つた馬を買ひ得たといふ、意氣揚々たるところが窺はれるやうに思ふ。已にこの馬を買い得た以上、時雨の如きは深く意に介する必要はあるまい。

 かつて「馬かりてかはるがはるに霞みけり」といふ蓼太の句を講じた時、借馬であらうといふ解釋もあつたが、「旅行」といふ前書によつて、その場合が明になつたことがある。この句の「馬市」といふ前書はそれほど必要とも思はれぬが、前書無しにこの句を讀むと、買切つたものが何であるか、多少不明瞭になつて來る。何か他の物を買つて、而して馬背に跨つて去るものとしては、少しく省略が多過ぎるから、結局馬を買つたといふところに落著くであらう。併し馬市の前書を置いて見れば、買い得た馬に直ぐ跨り去る樣子が眼前に躍動するのみならず、時雨の中の馬市の喧騷を背景的に浮立たせる效果がある。この意味に於て前書あるに如くはない。面白い場合を見つけたものである。

[やぶちゃん注:「蓼太」与謝蕪村・加舎白雄などとともに「中興五傑」の一人に数えられる(後の二人は高桑闌更と加藤暁台)大島蓼太(享保三(一七一八)年~天明七(一七八七)年)のこの句、たいした句とも思えぬが、恐らく妙な一茶の残した怪しい語りで、蓼太の代表句のようになってしまったらしい。国立国会図書館デジタルコレクションの雑誌信濃教育会発行『信濃教育』一三二〇号(一九九六年十一月発行)の小林計一郎著「人間一茶」のここの左ページ上段の最終行から下段の半ばまでの記事を読まれたい。

2024/06/17

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(8)

 

   こほる夜や燒火に向ふ人の顏 岱 水

 

「燒火」は「タキビ」とよむのであらう。寒夜火を焚いて暖を取る。作者は何も委しいことを敍して居らぬが、屋外の光景らしく思はれる。燃え盛さかる赤い燄が人の顏を照して、面上に明暗を作る。人の顏の赤く描き出された背後には、闃寂たる寒夜の闇が涯しなく橫はつてゐる。平凡なやうで力强い句である。

 

   はつ雪の降出す比や晝時分 傘 下

 

 讀んで字の如しである。何も解釋する必要は無い。こんなことがどこが面白いかと云ふ人があれば、それは面白いといふことに捉はれてゐるのである。芭蕉の口眞似をするわけではないが、「たゞ眼前なるは」とでも云ふより仕方があるまい。

 音もなく夜の間に降出して、朝戶をあけると眞白になつてゐるといふこともあれば、朝から曇つてゐる空が午頃[やぶちゃん注:「ひるごろ」。]に至つてちらちら雪を降らしはじめることもある。この句は後者で、さういふ初雪の降出す場合を、そのまゝ句にしたのである。

[やぶちゃん注:「芭蕉の」「たゞ眼前なるは」というのは、宝井其角の編になる俳文集「雜談集(ざふたんしふ)」(全二巻。元禄四(一六九一)年成立で翌年刊。上巻は俳論などの文章を、下巻は連句を中心に収録したもの)の「上卷」巻頭に記されてある。国立国会図書館デジタルコレクションの『俳人其角全集』第一巻(勝峯晋風編・昭和一〇(一九三五)年彰考館刊)の当該部を視認して電子化した(多少、手を加えた。歴史的仮名遣の誤りはママである)。

   *

一 伏見にて一夜、俳諧もよほされけるに、かたはらより芭蕉翁の名句、いづれにや侍る、と尋出られけり。折ふしの機嫌にては、大津尙白亭にて、

   辛崎の松は花より朧にて

と申されけるこそ、一句の首尾、言外の意味、あふみの人もいまだ見のこしたる成べし。其けしきここにも、きらきらうつろひ侍るにやと申たれば、又かたはらより、中古の頑作(けんさく)にふけりて、是非の境に本意をおほはれし人さし出て、其句、誠に誹諧の骨髓得たれども、慥なる切字なし。すべて名人の格的には、さやうの姿をも、發句とゆるし申にやと不審(フシン)しける。答へに、哉とまりの發句に、にてどまりの第三は、嫌へるによりてしらるべきか。おぼろ哉と申句なるべきを、句に句なしとて、かくは云下し申されたる成べし。朧にてと居(スヘ)られて、哉よりも猶ツシたるひゞきの侍る。是、句中の句、他に適當なかるべしと。此論を再ビ翁に申述侍れば、一句の問答に於ては然るべし。但シ、予が方寸の上に分別なし。いはゞ、さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉。只、眼前なるはと申されけり。

   *

「辛崎の」の句は「甲子吟行」で、貞享二(一六八五)年三月の作で、恐らく大津の千那の別邸での詠。「さゞ波やまのゝ入江に駒とめてひらの高根のはなをみる哉」は、かの源従三位頼政のものである。]

 

   をし船の沙にきしるや冬の月 素 覽

 

「をし船」といふ言葉はよくわからぬが、句の意味から考へて、淺瀨か何かで船を押すことではあるまいかと思ふ。

 えいえいと押す船の底が、沙に軋つて寒さうな音を立てる。皎々たる寒月の下、船を押す人の姿が沙上に黑々とうつゝてゐるやうな氣がする。夏の月夜ならば、かういふ出來事も一興として受取れるが、天地一色の冬の月ではさう行かない。一讀骨に沁みるやうな寒さを感ぜしめるところに、この句の特色がある。

 

2024/06/16

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(7)

 

   煤掃や埃に日のさす食時分 千 川

 

 煤掃[やぶちゃん注:「すすはき」。]が一わたり濟んで晝飯になる。まだ片づききらぬ家の中で飯を食ふ。がらんとした室内に冬の日光がさし込んで、こまかい埃の浮動するのが見える、といふ意味であらう。「埃に日のさす」といふ言葉から見ると、一隅に掃寄せられたごみに日が當るといふ意味に解せられぬこともないが、それでは趣が少い。飯時分になつて稍〻落著いた室內に、さし入る日光をしみじみと見る。その中に浮動する埃にも或美しさを感ずる、といふことでなければならぬと思ふ。

「食時分」は「メシジブン」とよむのである。

 特に煤掃の時といふ記憶は無いが、日光に浮動する埃の美しさを感じたことは、吾々も子供の時分にある。美に對する子供の感じは存外早く發達するのである。あの中に無數の黴菌があるといふやうなことばかり敎へて、何ものの中にも美の存することを知らしめぬのは、果して子供の爲に幸福であるかどうか。――この句を讀んでそんな餘計なことを考へた。

 

   冬枯や物にまぎるゝ鳶の色 吏 明

 

 冬になつて天地が蕭條たる色彩に充される。さういふ天地の間に在る時、茶褐色の鳶の姿が物にまぎれて見えるといふのであらう。保護色などといふ面倒な次第ではない。鳶も亦冬枯色の中に存するのである。

 作者は冬枯の中に鳶を點じ去つただけで、鳶そのものの狀態に就ては何も說明してゐない。飛んでゐるか、とまつてゐるかといふことも、句の表には現してゐないが、冬枯を背景とし、その色彩に紛るゝとある以上、これはとまつてゐる鳶と見るを至當とする。「物にまぎるゝ」といふ七字が簡單にこれを悉してゐる[やぶちゃん注:「つくしてゐる」。]。

 

   麥まきや風にまけたる鳶烏 吏 明

 

 寒い畑に出て麥を蒔まきつゝある。强い風が野一面に吹きまくる。先程まで飛んでゐた鳶も烏も、風に堪へられなくなつたと見えて、そこらに影が見えなくなつた、といふ意味かと思はれる。

「風にまけたる」といふ言葉は上乘のものではないかも知れない。たゞ現在風に吹かれつゝある――吹き惱まされつゝある狀態だけでなしに、今し方まで飛んでゐたのが、いつか見えなくなつたといふ時間的經過を現し、その上に風の强い意味まで含ませるとすれば、やはりかういふ意味の言葉を使はなければをさまらぬのであらう。この種の言葉も元祿期の一特徵である。

 

   初雪や桐の丸葉の片さがり 路 健

 

 雪に對して桐の葉を持出したところに特色がある。桐一葉は秋の到るを現すのに恰好なものであるが、それだからと云つて、桐の葉は冬を待たずに全部落ち盡すわけではない。かなり遲くまで枝についてゐる葉がある。同じ作者の句に「初雪や桐の葉はまだ落果ず」といふのがあるが、これは桐の梢がまだ幾葉もとゞめてゐることを現したのである。「片さがり」の句はその葉の一に目をとめて、片さがりになつてゐる狀態を捉へた。「丸葉」は今の人だつたら「廣葉」といふところかも知れない。

 俳句は或傳統の上に立つ詩である。季題趣味といふものも、傳統の上に立たなければ解し得ぬ點がいくらもある。併しそれが爲に、桐の葉は秋に落ちるものだから、雪に配するのは常磐木か枯木に限るといふやうな既成觀念を生じて來ると、多少の危險を伴ふことを免れぬ。句の趣は直に自然に就て探るべく、歲時記や既成觀念に支配される必要は少しも無い。古人も夙にそれを實行してゐることは、雪中の桐の葉がよく之を證してゐる。

 

   栴檀の實にひよ鳥や寒の雨 蘆 文

 

 この栴檀は二葉より馨しい[やぶちゃん注:「かんばしい」。]名木ではない。アフチの實である。嘗て新年に伊勢神宮に參拜した時、黃色い實のなつてゐる木があつて、センダンだと敎へられた。「栴檀のほろほろ落つる二月かな」といふ子規居士の句を成程と合點したが、今度はこの句を讀んであの木のことを思ひ出した。

 寒の雨の降る中を、鵯[やぶちゃん注:「ひよどり」。]が栴檀の實を食ひに來る。鵯も栴檀の實も等しく雨に濡れつゝある。寒いながら何となく親しい感じのする句である。

[やぶちゃん注:「ひよ鳥」スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis 。博物誌は私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵯(ひえどり・ひよどり) (ヒヨドリ)」を見られたい。

「栴檀は二葉より馨しい名木」双子葉植物綱ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダン Santalum album の中国語の異名。

「アフチ」ムクロジ目センダン科センダン属センダン変種センダンMelia azedarach var. subtripinnata 。私は花が大好き。

「栴檀のほろほろ落つる二月かな」明治二七(一八九四)年、満二十六歳の時の作。表記は、

   *

 栴檀のほろほろ落る二月かな

   *

である。]

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(6)

 

   朝霜に摺餌摺なり步長屋 梨 月

 

「步長屋」は「カチナガヤ」と讀むのであらう。「カチ」は徒侍[やぶちゃん注:「かちざむらひ」。]、普通にオカチといふやつである。徒士とも書き、步行とも書くやうに聞いてゐる。こゝで徒侍の分限などに就て、武家生活の方から何か云ふのは、吾々の任でもなし、又この句にさう必要なわけでもない。步長屋は徒侍の住んでゐる長屋と解してよさゝうに思ふ。

 霜の白く置いた朝、さういふ步長屋で小鳥にやるべき摺餌を摺つてゐる。小鳥は朝起だから、無論早旦に相違無い。ゴロゴロ摺る摺餌の音と、朝霜との間には感じの上の調和があるが、朝早く鳥の摺餌なんぞを摺つてゐるところに、武家生活の或斷面が現れてゐるやうな氣がする。但それは眼前の小景を捉へたまでで、さう面倒な知識を要するほどのものではない。

 

   更る夜や舟の咳きく橋の霜 雩 木

 

 深更の趣である。橋の上には已に白く霜の置いてゐるのが見える。そこを通りかゝつた時、圖らずも寒夜に咳く[やぶちゃん注:「しはぶく」。]聲を耳にした、それは橋の下あたりに泊つてゐる舟人の咳であつた、といふのである。「置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」――橋の上を踏む行人の姿よりも、水上を家として舟に寐る人の生活が思ひ浮べられる。

 店月橋霜は詩歌の題材として古來云ひ古された觀があるが、この句をして力あらしむるものは、深夜の水に響く舟人の咳である。この咳一聲あるが爲に、霜夜の天地の闃寂[やぶちゃん注:「げきせき」。]たる感じが却つて强くなる。行人の咳でなしに、姿は見えぬ舟人の咳であるだけに、一層あはれを感ぜしめる。

[やぶちゃん注:「雩木」「うぼく」と読んでおく。「雩」の原義は「雨乞い。夏の日照りの時に雨が降るように祈る祭祀」の意があるが、ここは「虹」の意であろう。

「置く霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」言わずもがな、「百人一首」六番歌で、中納言家持の一首。「新古今和歌集」の「卷第六 冬」に何故か入っているもので(六二〇番)、

   *

 かさゝぎの渡せる橋にをく霜の

    白きを見れば夜ぞふけにける

   *

「をく」はママ。

「店月橋霜」晩唐の温庭筠(おんていいん 八一七年~八六六年)の五言律詩、

   *

  商山早行   溫庭筠

 晨起動征鐸

 客行悲故鄕

 雞聲茅店月

 人迹板橋霜

 槲葉落山路

 枳花明驛牆

 因思杜陵夢

 鳧雁滿囘塘

   商山の早行(さうかう)

  晨(あした)に起き 征鐸(せいたく)を動かす

  客行(きやくかう) 故鄕を悲しむ

  雞聲(けいせい) 茅店(ばうてん)の月

  人迹(じんせき) 板橋(ばんきやう)の霜(しも)

  槲葉(こくえふ) 山路(さんろ)に落ち

  枳花(きくわ) 驛牆(えきしやう)に明らかなり

  因(よ)りて思ふ 杜陵(とりやう)の夢

  鳧雁(ふがん) 回塘(くわいたう)に滿つるを

   *

の第三句の「茅店月」と、第四句の「板橋霜」から。サイト「note」の高松仙人氏の『幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話 月・霜」』によれば、この二句を、北宋の政治家文人として知られる『欧陽脩』(一〇〇七年~一〇七二年)『が感賞して、「これは梅聖兪」(せいゆ:北宋中期の詩人で官僚の梅堯臣(一〇〇二年~一〇六〇年)の字(あざな))『の云うところの表しがたい状景で、目前に在るようだが』、『表せない意(おもい)を、言外に見えるようにしたものである。」として、自身も「鳥声梅店雨、野色版橋春」の一聯を作ることになったと云う』とあった。

「闃寂」「げきじやく」(げきじゃく)とも読む。「ひっそりと静まって寂しいさま」を言う。]

 

   火のきえておもたうなりぬ石火桶 蘭 仙

 

 理窟屋に聞かせたら、火の有無は重量に關係はない、といふかも知れぬ。そこは感じの問題である。炭のおこつてゐる時はさほどに思はぬのが、火が消えて冷たくなつたら、ひどく重く感ずる。石火桶であれば、その冷たさも、重さも、二つながら普通の火鉢以上であらう。

 

   底寒く時雨かねたる曇りかな 猿 雖

 

「底寒く」といふことは「底冷え」などといふ言葉と同じく、しんしんと底から寒いやうな場合を云ふのであらう。空が曇つて時雨でも來さうになつたが、遂に降らず、依然としてどんより曇つてゐる。さうして底寒い。何となく凝結したやうな狀態である。

 時雨は關東の地に絕無といふわけでもあるまいが、山に遠い關東平野の中にゐる吾々は、さつと來て直に去る初冬の時雨なるものに緣が無い。その代り京都の冬を談ずる者の必ず口にする「底冷え」なるものからも免れてゐる。時雨は底冷えのする土地の產物だと云つたら、或は語弊があるかも知れぬが、いづれも山近い土地の現象であるだけに、相互關係を否定出來まい。この句は時雨の降りかねた場合の寒さを、的確に現し得てゐる。

[やぶちゃん注:「猿雖」は「えんすい」と読む。窪田猿雖(寛永一七(一六四〇)年~宝永元(一七〇四)年)は伊賀蕉門の最古参の一人として、芭蕉から信頼された人物で、伊賀上野の富商であった。屋号は内神屋(うちのかみや)。元禄二(一六八九)年に出家し、俳諧に専念し、撰集「猿蓑」に二句、「續猿蓑」に七句、入集している。別号に意専がある。この句は、路健編「旅袋」に所収する。]

2024/06/15

柴田宵曲「古句を觀る」正規表現版電子化注 / 「冬」(5)

 

   爐びらきや障子の穴の日のこぼれ 東 耕

 

 爐開の疊の上に――疊でなくても構はぬが、先づ疊と解するのが妥當であらう――障子の穴から日がさしてゐる。ぽつりと落ちたやうな日影を「こぼれ」と云つたのである。いさゝか巧を弄した言葉のやうでもあるが、最も簡潔にその感じを現したものと見ることが出來る。

 疊にさす小さな日影に目をとめる。そこに爐開頃にふさはしい、落著いた氣分が窺はれる。

 

   筆や氷る文のかすりのなつかしき 機 石

 

 人から來た手紙を讀んでゐると、ところどころ筆のあとのかすれたところがある。寒い夜半などに筆を執つて、穗先が氷つた爲にかすれたのであらうか、と想ひやつた句である。「文のかすり」と云つただけで、手紙の字がかすれてゐることを現し、その手紙を書く場合の寒さを想ひやるあたり、云ふべからざる情味を含んでゐる。

 蕪村の「齒豁[やぶちゃん注:「あらは」。]に筆の氷をかむ夜かな」といふ句は、自ら筆をかむ場合であり、身に沁み通るやうな寒さを現してゐる點において、特色ある句たるを失はぬ。機石の句はその點から云へば寧ろ平凡であらう。たゞ平凡の裡に何となく棄てがたいものがある。

[やぶちゃん注:蕪村の句は「蕪村句集 槇卷之下」に載る。表記は、

   *

 齒豁(アラハ)に筆の氷を嚙む夜哉

   *

である。]

 

   もの買に折敷をかぶる霰かな 燕 流

 

 折敷[やぶちゃん注:「をしき」。]といふ言葉は地方によつては使はれてゐるかも知れぬが、現在の吾々には稍〻耳遠い。『言海』には「飯器を載する具。片木へぎ作りの角盆」とあるから、あまり上等なものではなさそうである。買物に行くのにそれを持つて行くのは、何か載せて歸るためであらう。丁度霰が降つて來たので、笠か帽子の代りに折敷を頭にかぶつた、といふのである。霰が降つている中を買物に出るのに、傘をさすほどのこともないから、折敷をかぶると解しても差支ない。

 木導の句に「鍋屋からかぶつて戾る時雨かな」といふのがある。鍋を買ひに行つたか、修繕にやつたのを取りに行つたか、いづれにしても鍋屋から鍋を持つて歸る、折からの時雨に頭から鍋をかぶつて歸るといふので、この方が働いてゐるかと思ふ。折敷をかぶつて買物に出るといふよりも、鍋屋から鍋をかぶつて駈け戾るといふ方が、輕い卽興的なところがあつて面白い。

[やぶちゃん注:「鍋屋からかぶつて戾る時雨かな」この句は、「日本人の笑 文學篇」(池田孝次郎・柴田宵曲・森銑三共著/昭和一七(一九四二)三省堂刊)でも、採用している。この本は所持するが、共著者森銑三が著作権存続であるため、電子化は出来ない。国立国会図書館デジタルコレクションのここで原本の当該部をリンクさせておく。]

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