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カテゴリー「「和漢三才圖會」植物部」の300件の記事

2025/05/17

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 阿勃勒

 

Saikati_20250517152301

 

なんはんさいかし

       婆羅門皂莢

       波斯皂莢

阿勃勒

      【婆躍門

        西域國名】

      【波斯

        西南夷國名】

 

本綱阿勃勒樹長三四𠀋圍四五尺葉似枸櫞而短小經

寒不凋不花而實莢長二尺中有隔隔內各有一子大如

指頭赤色至堅硬中黑如墨味甘如飴可食

 

   *

 

なんばんさいかし

       婆羅門皂莢《ばらもんさうきやう》

       波斯皂莢《はしさうきやう》

阿勃勒

      【「婆躍門」は、

        西域《さいいき》の國の名。】

      【「波斯」は、

        西南夷《せいなんい》の國名。】

 

「本綱」に曰はく、『阿勃勒は樹の長さ、三、四𠀋。圍《めぐり》、四、五尺。葉、枸櫞(ぶしゆかん)に似て、短小。寒《かん》を經て、凋まず、花あらずして、實(《み》の)る。莢(さや)の長さ、二尺。中に、隔《しきり》、有り、隔の內、各《おのおの》、一《ひとつ》≪づつ≫、子《み》有り。大いさ、指の頭《かしら》のごとく、赤色。至《いたつ》て堅-硬(かた)く、中《うち》、黑《くろく》して、墨《すみ》のごとし。味、甘《あまく》して、飴(あめ)のごとく、食ふべし。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:これは、日中ともに、

双子葉植物綱マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科サイカチ(皁莢・皂莢)属サイカチ Gleditsia japonica

(中文名は「維基百科」の同種のページでは「山皂荚」とする)である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『別名はカワラフジノキ。漢字では皁莢、梍と表記するが、本来「皁莢」は』同属の『シナサイカチ』( Gleditsia sinensis )『を指す』。サイカチとシナサイカチには『幹に特徴的な棘がある』。『樹齢数百年というような巨木もあり、群馬県吾妻郡中之条町』(なかのじょうまち)『市城』(いちしろ)『の「市城のサイカチ」』(ここ。グーグル・マップ・データ)『や、山梨県北杜市(旧長坂町)』(現在の長坂町(ながさかちょう)中丸(なかまる))『の「鳥久保のサイカチ」』(ここ。グーグル・マップ・データ)『のように県の天然記念物に指定されている木もある』。『和名サイカチは、生薬のひとつである皁角子(さいかくし)に由来し、「皁」は黒、「角」は莢を表わしている。中国名は、山皁莢である』。『日本では中部地方以西の本州、四国、九州に分布するほか、朝鮮半島、中国に分布する。山野や川原に自生する。実や幹を利用するため、栽培されることも多い』。『落葉高木で、幹はまっすぐに延び、樹高は』十二~二十『メートル』『ほどになる。樹皮は暗灰褐色で皮目が多く、古くなると』、『縦に浅く裂ける。幹や枝には、枝が変化した大きくて枝分かれした鋭い棘が多数ある。葉は互生または対生する。短い枝では』一『回の偶数羽状複葉、長枝では』一、二『回の偶数羽状複葉で、長さ』二十~三十『センチメートル 』。『小葉は、長さ』一・五~四センチメートル『ほどの長楕円形で』、八~十二『対』、持つ。『花期は初夏(『五~六『月)ごろ。若葉の間から伸びた長さ』十~二十センチメートル『ほどの総状花序を出して、淡黄緑色の小花を多数つける。花は雄花、雌花、両性花を同じ株につけ、花弁は』四『枚で楕円形をしている』。『果期は秋(』十~十一『月)で、長さ』二十~三十センチメートル『で』、『ねじ曲がった灰色の豆果をぶら下げてつける。鞘の中には数個の種子ができる。種子は大きさは』一センチメートル『ほどの丸い偏平形。冬になると』、『熟した黒い果実(莢)が落ちる』。『芽は互生し、半球状や円錐形で棘の下につく。短い枝にできる冬芽は、複数集まってこぶ状になる。側芽の鱗片は』四~六『枚。葉が落ちた痕にできる葉痕は、心形や倒松形で維管束痕は』三『個ある』。『木材は建築、家具、器具、薪炭用として用いる』。『莢にサポニンを多く含むため、油汚れを落とすため石鹸の代わりに、古くから洗剤や入浴に重宝された。莢(さや)を水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出るので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用した。石鹸が簡単に手に入るようになっても、石鹸のアルカリで傷む絹の着物の洗濯などに利用されていたようである(煮出して使う)』。『豆果は皁莢(「さいかち」または「そうきょう」と読む)という生薬で去痰薬、利尿薬として用いる。種子は漢方では皁角子(さいかくし)と称し、利尿や去痰の薬に用いた』。『また』、『棘は皁角刺といい、腫れ物やリウマチに効くとされる』。『豆はおはじきなど子供の玩具としても利用される』。『若芽、若葉を食用とすることもある』。『サイカチの種子にはサイカチマメゾウムシ』(甲虫(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目ハムシ上科ハムシ科マメゾウムシ亜科Bruchidius (シノニム:Megabruchidius )属 Bruchidius dorsalis )『という日本最大のマメゾウムシ科』『の甲虫の幼虫が寄生する。マメゾウムシ科』Bruchinae『はその名前と違って、ゾウムシ』(科 Curculionidae)『の仲間ではなく、ハムシ科に近く、ハムシ科の亜科のひとつとして扱うこともある。サイカチの種子は硬実種子であり、種皮が傷つくまでは』、『ほとんど』、『吸水できず、親木から落下した果実からは』、『そのままでは何年たっても発芽が起こらない。サイカチマメゾウムシが果実に産卵し、幼虫が種皮を食い破って内部に食い入ったとき』、『まとまった雨が降ると、幼虫は溺れ死に、種子は吸水して発芽する。一方、幼虫が内部に食い入ったときに』、『まとまった雨が降らなければ』、『幼虫は種子の内部を食いつくし、蛹を経て』、『成虫が羽化してくることが知られている』。『サイカチの幹からはクヌギやコナラと同様に、樹液の漏出がよく起きる。この樹液はクヌギやコナラの樹液と同様に樹液食の昆虫の好適な餌となり、カブトムシやクワガタムシがよく集まる。そのため、カブトムシを「サイカチムシ」と呼ぶ地域も在る。クヌギやコナラの樹液の多くはボクトウガ』『によるものであるという研究結果が近年出ているが、サイカチの樹液を作り出している昆虫は』、未だ、『十分研究されていない』。『また』、『サイカチは』「万葉集」に『収録された和歌の中にも』「屎葛(くそかづら)」の名で『詠まれている』とある。「万葉集」のそれは、「卷十六」 の「高宮王(たかみやのおほきみ:生没年不詳。奈良時代の歌人・官人。当該ウィキによれば、『名前に「王」が付いているところから皇族出身と推察されるが、詳しい系譜などは不明』で「万葉集」には二首の歌が載る、とある)の「數種(くさぐさ)の物を詠める歌二首」の第一首目(三八五五番)で、

   *

 𫈇莢(ざふけふ)に

     延(は)ひおほとれる

    屎葛(くそかづら)

   絕ゆることなく

      宮仕(みやづかへ)せむ

   *

である。「𫈇莢(ざふけふ)」ジャケツイバラ亜科ジャケツイバラ属ジャケツイバラCaesalpinia decapetala 。蔓性落葉低木。山地や河原に生える。枝に棘を持ち、葉は羽状複葉。初夏、黄色の花が、多数、開き、果実は莢(さや)状になる。種子は有毒であるが、漢方で「雲実」(ウンジツ)といい、マラリアや下痢に用いる。名は、茎が蜷局(とぐろ)を巻くように見えるのに由来する。別名を「河原藤」(かわらふじ)と呼ぶ(以上は小学館「デジタル大辞泉」に拠った。「万葉集」では、「𫈇莢(ざふけふ)」を訓読で「かはらふじ」と読む説がある。

 なお、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「阿勃勒」([077-28a] 以下)からの抄録である。短いので、全文を手を加えて、以下に示す。

   *

阿勃勒【拾遺】 校正【自木部移入此】

 釋名婆羅門皂莢【拾遺】波斯皂莢【時珍曰婆羅門西域國名波斯西南夷國名也】

 集解【藏器曰阿勃勒生拂林國狀似皂莢而圓長味甘好喫時珍曰此卽波斯皂莢也按段成式酉陽雜俎云波斯皂莢彼人呼爲忽野簷拂林人呼爲阿梨樹長三四丈圍四五尺葉似枸櫞而短小經寒不凋不花而實莢長二尺中有隔隔內各有一子大如指頭赤色至堅硬中黑如墨味甘如飴可食亦入藥也】

   *

「西南夷」中国古代に今の四川省南部から雲南・貴州両省を中心に居住していた非漢民族の総称。チベット(蔵)・タイ(溙)・ミヤオ(苗)などの諸民族に属する。滇(てん)・雟(すい)・哀郎・冉駹(ぜんもう)・邛(きよう)・筰(さく)など数多く。それぞれが幾つもの部族に分かれ、習俗・言語を異にした。四川省から西南夷を介してビルマからインドへ、また、南越の番禺(広州市)へと交通路が通じていて、文物の交流に重要な役割を果たした。前漢の武帝はこの地方の経営に乗り出し、これら諸族の君長を圧服、又は、懐柔して、牂柯(しようか)・越雟などの郡を置いた(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「枸櫞(ぶしゆかん)」ムクロジ目ミカン科ミカン属シトロン変種ブッシュカン Citrus medica var. sarcodactylis 。先行する「山果類 佛手柑」を見よ。]

2025/05/10

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 古度子

 

Kotosi

 

ことし

 

古度子

 

 

本綱古度子出交廣諸州樹葉如栗不花而實枝柯間生

子大如石榴及櫨子而色赤味醋煮以爲粽食之若數日

不煮則化作飛蟻穿皮飛去也

 

   *

 

ことし

 

古度子

 

 

「本綱」に曰はく、『古度子は交[やぶちゃん注:「交趾」。現在のヴェトナムのハノイ。]・廣[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]の諸州に出づ。樹・葉。栗のごとく、花、あらずして、實(《み》の)る。枝-柯《えだ》の間に子《み》を生ず。大いさ、石榴《ざくろ》及び櫨子(こぼけ)のごとくにして、色、赤く、味、醋《すつぱし》。煮《にて》、以《もつて》、粽《ちまき》と爲《なす》。之れを食ふ。若《も》し、數日《すじつ》、煮ざれば、則《すなはち》、化して、飛蟻《ひあり》と作《なし》て、皮を穿《うがち》て、飛去《とびさ》るなり。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:東洋文庫訳には、シラッと、一切、種を示さないが、「百度百科」と、「拼音百科」で、

双子葉植物バラ目クワ科イチジク属 Ficus の一品種

とするものの、学名は載らない。中文サイトで特定品種名を掲げる記載はなく、万事休す。同属の「維基百科」には、多くの種が挙げられているが、この「古度子」では見当たらない。一応、総て管見した見たが、

龙(龍)州榕 Ficus cardiophylla

褐叶榕 Ficus pubigera

羊乳榕 Ficus sagittate

变(変)叶榕 Ficus variolosa

白肉榕 Ficus vasculosa

が、分布域に一致するが、これが当該種かどうかは判らぬ。

 なお、引用は先と同じ、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「無花果」([077-27a]以下)の「附錄」中の「古度子」からの抄録である。短いので、全文を手を加えて、以下に示す。

   *

古度子【出交廣諸州樹葉如栗不花而實枝柯間生子大如石榴及樝子而色赤味醋煮以爲粽食之若數日不煮則化作飛蟻穿皮飛去也】

   *

「石榴《ざくろ》」双子葉植物綱フトモモ(蒲桃)目Myrtalesミソハギ(禊萩)科Lythraceaeザクロ属ザクロ Punica granatum で問題なし。「卷第八十七 山果類 石榴」を見よ。

「櫨子(こぼけ)」この「コボケ」は完全アウト! 「卷第八十七 山果類 樝子」の私の苦しんだ考証を必ず参照されたい!

2025/05/04

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 天仙果

 

Inubiwa

 

いぬひわ

        俗云犬枇杷

天仙果

         又云唐枇杷

         或云計良

       【見灌木類讓葉下】

 

本綱天仙果出四川樹髙八九尺葉似荔枝而小無花而

實子如櫻桃纍纍綴枝閒六七月熟其味至甘

△按天仙果和州山中有之冬凋春生葉似讓葉潤青末

 尖六七月無花結實一柎二三顆狀似枇杷而小初青

 熟赤紫色內滿白細子小兒喜食俗名犬枇杷

 

   *

 

いぬびわ

        俗、云ふ、「犬枇杷」。

天仙果

         又、云ふ、「唐枇杷《からびわ》」。

         或いは、云ふ、「計良《けら》」

       【灌木類「讓葉」の下《もと》に見ゆ。】

 

「本綱」に曰はく、『天仙果は、四川に出づ。樹の髙さ、八、九尺。葉は、「荔枝《れいし》」に似て、小《ちさ》く、花は無《なく》して、實(《み》の)る。子《さね》、櫻桃(ゆすらうめ)のごとく、纍纍《るいるい》として、枝の閒に綴《つづ》る。六、七月、熟す。其《その》味、至て、甘し。』≪と≫。

△按ずるに、天仙果、和州山中に、之《これ》、有り。冬、凋み、春、葉を生ず。讓葉《ゆづりは》に似て、潤《うるほひ》、青く、末《すゑ》、尖り、六、七月、花、無《なく》して、實を結ぶ。一柎《いちがく》[やぶちゃん注:「蕚」と同義。]、二、三顆。狀《かたち》、枇杷に似て、小く、初《はじめ》、青《あをく》、熟≪す≫る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、赤紫色。內に白き細《ほそき》子《さね》、滿つ。小兒、喜《よろこん》で食ふ。俗に「犬枇杷」と名づく。

 

[やぶちゃん注:これは、

双子葉植物綱バラ目クワ科イチジク連イチジク属イヌビワ Ficus erecta var. erecta

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『落葉低木から小高木。山野や海沿いに生える。別名ヤマビワ、イタビ、姫枇杷』。果実(正確にはイチジク状果という偽果の

』一『種)がビワの実に似ていて食べられるが、ビワに比べ不味であることから「イヌビワ」の名がある。「イヌ」は劣るという意味である。「ビワ」とついていてもビワ(バラ科』(Rosaceae)『)の仲間ではなくイチジクの仲間で、ビワとは近縁関係にはない。イチジク渡来前の時代の日本では』(イチジクの本邦渡来は寛永年間(一六二四年~一六四四年)『本種は「イチジク」とよばれていた』(太字は私が附した)。『日本の本州(関東以西)・四国・九州・沖縄と、韓国の済州島に分布する。海岸や沿海の山地に自生する。特に関東地方から沖縄までの海岸沿いの照葉樹林の林縁に多く見られる』。『なお、イチジク属のものには熱帯性のものが多く、本種は落葉性を獲得したため、暖温帯まで進出できたものと考えられる。本種はイチジク属の木本としては本土で最も普通に見られるため、南西諸島などに分布する同属のものには「○○イヌビワ」という本種に比した名を持つものが多い』。『落葉広葉樹の低木から小高木で、高さは』五『メートル』『くらいまでになる。樹皮は灰白色でなめらか、一年枝はやや太く、緑色を帯びて無毛である。枝を』一『周するように、はっきりした托葉痕がある。樹皮に傷つけるとイチジクと同様に乳白色の樹液が出る』。『葉は狭い倒卵形から長楕円形、基部は少し心形か』、『丸まる。葉質は薄くて草質、表面は滑らかかあるいは短い毛が立っていてざらつく。変異が多く、海岸沿いでは厚い葉のものも見ることがある。ごく幅の狭い葉をつけるものをホソバイヌビワ( var. sieboldii (Miq.) King)、葉面に毛の多いものをケイヌビワ( var. beecheyana  (Hook. et Arn.) King)というが、中間的なものもある。葉縁に鋸歯はない。秋には紅葉し、鮮やかな黄色や橙色に染まり、常緑樹林の中でよく目立つ。紅葉後は遅くまで落葉せずによく残っている』。『花期は晩春(』四~五『月ごろ)で、雌雄異株。葉の付け根についた花嚢(かのう)は、秋に赤色から黒紫色へと変化して果嚢(かのう)となる。イチジクを小さくしたような形の実をつける』。『果嚢は』九『月末』から十『月ごろに完熟し、見た目は小さなイチジク様で、直径』一・〇~一・三センチ『メートル』『の球形で長い柄があり、白い粉を吹いたような濃紫青色となる。果嚢は甘く、食用になる』。『冬芽はイチジクに似ていて、枝先の頂芽は円錐形で先が尖り、互生する側芽は球形や楕円形をしている。頂芽は無毛で芽鱗』二『枚に包まれている。側芽の芽鱗は』二~四『枚である。葉痕は円形や心形で、維管束痕は多数が輪状に並ぶ』。以下、「蜂との共生」の項。『イヌビワの花序には、他の多くのイチジク属植物と同様に、イチジクコバチ科』Agaonidae『のハチ(イヌビワコバチ』 Blastophaga nipponica )『が寄生する。雄花序の奥側には雌花に似た「虫えい花」(花柱が短く、不妊)があり、これにハチが産卵する。幼虫は虫えい花の子房が成熟して果実状になるとそれを食べ、成虫になる。初夏になると雌成虫は外に出るが、雄成虫は花序の中で雌成虫と交尾するだけで一生を終える。雌成虫は雄花序の出口付近にある雄花から花粉を受け、この頃(初夏)に開花する雌花序に入った際には授粉をするが、ここでは子孫を残せず、雄花序に入ったものだけが産卵し、翌年春にこれが幼虫になる。このように、イヌビワの授粉には寄生蜂が必要であり、イヌビワと寄生蜂は共生しているということができる』。『他に、イシガケチョウ』(石崖蝶・石垣蝶:鱗翅目アゲハチョウ上科タテハチョウ科イチモンジチョウ亜科イシガケチョウ属イシガケチョウ Cyrestis thyodamas )『の食草としても知られる』とある。因みに、この種の小名の erecta 、これ、果嚢(同ウィキの画像)を勃起した男性生殖器になぞられたものであろうな……。

 なお、引用は先と同じ、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「無花果」([077-27a]以下)の「附錄」中の「天仙果」からの抄録である。短いので、全文を手を加えて、以下に示す。

   *

天仙果【出泗州樹高八九尺葉似荔枝而小無花而實子如櫻桃纍纍綴枝間六七月熟其味至甘宋祁方物賛云有子孫枝不花而實薄言采之味埒蜂蜜】

   *

「荔枝」双子葉植物綱ムクロジ目ムクロジ科レイシ属レイシ Litchi chinensis 。先行する「荔枝」を見よ。

「櫻桃(ゆすらうめ)」何度も言っているので、繰り返さないが、この良安命の「ゆすら」「ゆすらうめ」はアウトである! 「卷第八十七 山果類 櫻桃」を見られたい。

2025/05/03

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 無花果

 

Itijiku

 

いちじゆく  映日果 阿駔

たうがき   優曇鉢

 

無花果

       俗云一熟

       又唐柹

ウヽ ハアヽ コウ

 

本綱無花果出揚州及雲南𠙚𠙚南海折枝揷成枝柯如

枇杷樹三月生葉有丫如蓖麻樹髙𠀋餘五月內不花而

實實出枝間狀如木饅頭其內虛軟采以鹽漬壓令扁日

乾𭀚果食熟則紫色軟爛甘味如柹而無核一月而熟

[やぶちゃん字注:「𭀚」は「充」の異体字。]

實【甘平】 開胃止洩痢治五痔咽喉痛

葉【甘微辛有小毒】 治五痔腫痛煎湯頻𤋱洗之

△按無花果其實似柹而本窄俗曰唐柹一月而熟故名

 一熟其樹雖似批杷不然枝柯婆娑葉似箆麻而小背

 色淡潤文理隆明人識治五痔不知治魚毒如食魚醉

 遍身赤腫發熱者立愈無葉時用枝亦可也有二種

一種其實初青熟則紫黑色內白有脂虛軟絲屑中無

 子味淡甘不美謂之黑一熟

一種初青熟則白色帶微紫色內淡赤虛軟如絲屑中有

 軟小子味甘美謂之白一熟二種共八月熟

涅槃經曰佛出世難如優曇花蓋譬無花果之開花猶白

 烏馬⻆之類俗傳優曇花者一千年一開花甚妄談也

                         安藝

  久安百首 玉椿光をみかく君か代に百かへりさくうとんけの花


ふんくわうくは

文光果

本綱文光果出景州形如無花果肉味如栗五月熟

 

   *

 

いちじゆく  映日果《えいじちくわ》 阿駔《あそ》

たうがき   優曇鉢《うどんばつ》

 

無花果

       俗、云ふ、「一熟《いちじゆく》」。

       又、「唐柹《たうがき》」。

ウヽ ハアヽ コウ

 

「本綱」に曰はく、『無花果は揚州[やぶちゃん注:揚子江南方一帯。]及び雲南、𠙚𠙚《ところどころ》、≪と、≫南海に出づ。枝を折《をり》て、揷し、成す。枝-柯《えだ》、枇杷《びは》の樹のごとし。三月、葉を生ず。丫《ふたまた》、有《あり》て、蓖麻(たうごま)のごとし。樹の髙さ、𠀋餘。五月の內、花(《はな》さ)かずして、實(みの)る。實、枝≪の≫間に出づ。狀《かたち》、「木饅頭《きまんぢゆう》」のごとし。其の內、虛《うつろ》≪にして≫軟≪かなり≫。采《とり》て、鹽を以つて、漬《つけ》、壓(を[やぶちゃん注:ママ。])して、扁《たひら》ならしめて、日≪に≫乾《ほし》、果に𭀚《あて》て食《くふ》。熟ずる時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則ち、紫色≪となり≫、軟かに爛《ただ》る。甘き味、柹のごとくして、核《さね》、無し。一月《ひとつき》にして、熟す。』≪と≫。

『實【甘、平。】』『胃を開き、洩痢《えいり》[やぶちゃん注:下痢。]を止め、五痔・咽喉の痛《いたみ》を治す。』≪と≫。

『葉【甘、微辛。小毒、有り。】』『五痔・腫痛を治し、湯に煎≪じ≫、頻りに𤋱《くんじ》、之れを洗ふ。』≪と≫。

△按ずるに、無花果、其の實、柹《かき》に似て、本《もと》、窄(すぼ)し。俗、「唐柹《たうがき》」と曰ふ。一月《ひとつき》にして、熟す。故、「一熟」と名づく。其の樹、「批杷」に似たりと雖《いへども》、然《し》からず。枝-柯《えだ》、婆娑《ばさ》として、葉、箆麻《たうごま》に似て、而《れども》、小《ちさ》く、背《うら》、色、淡く潤《うるほひ》、文理《もんり/すぢめ》、隆(たか)く、明《めい》なり。人、五痔を治することを識りて、魚毒を治することを、知らず。如《も》し、魚を食《くひ》て、醉《ゑひ》、遍身[やぶちゃん注:全身。]、赤く腫れ、發熱する者、立処《たちどころ》に[やぶちゃん注:「処」は送り仮名にある。]愈《いゆ》。葉、無《なき》時は、枝を用ても、亦、可なり。≪無花果には≫二種、有り。

一種は、其《その》實、初《はじめ》、青く、熟ずれば、則《すなはち》、紫黑色。內、白く、脂《あぶら》、有り。虛≪ろに≫軟かに、絲屑のごとく、中に、子《たね》、無し。味、淡《あはく》、甘く、美ならず。之れを「黑一熟《くろいちじゆく》」と謂ふ。

一種≪は≫、初、青く、熟すれば、則、白色≪に≫微《やや》紫色を帶ぶ。內、淡《あはく》赤く、虛≪ろに≫軟かに、絲屑《いとくづ》のごとく、中に、軟《やはらか》なる小≪き≫子、有り。味、甘く、美なり。之れを「白一熟」と謂ふ。二種共、八月、熟す。

「涅槃經」に曰《いはく》、『佛《ぶつ》、出世[やぶちゃん注:顕現すること。]、難きこと、「優曇花(うどんげ)」のごとし。』≪と≫。蓋し、無花果の花を開くに譬《たと》ふ。猶を[やぶちゃん注:ママ。]、白鳥《しろきからす》・馬⻆《むまのつの》の≪稀れなるの≫類《たぐひ》のごとし。俗、傳ふ、「優曇花と云《いふ》[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]者、一千年にして、一たび、花を開く。」と云《いふ》は[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]、甚だ、妄談なり。

 「久安百首」

   玉椿

     光をみがく

    君が代に

     百《もも》かへりさく

          うどんげの花 安藝


ぶんくわうくは

文光果

「本綱」に曰はく、『文光果は、景州[やぶちゃん注:現在の河北省。]に出づ。形、無花果のごとく、肉味、栗のごとし。五月に熟す。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:これは、日中ともに、

双子葉植物綱バラ目クワ科イチジク属イチジク Ficus carica

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『イチジク(無花果』『、映日果、一熟』『西アジア原産。果樹として世界中で広く栽培されている。小さな花が多数入った花嚢をつけ、雌雄異株で、雌株の花嚢が果嚢になる。これがいわゆるイチジクの果実とよばれており、古くから食用にされている。「南蛮柿」などの別名もある』。『「無花果」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来する、中国で名付けられた漢語で、日本語ではこれに「イチジク」という熟字訓を与えている。中国では「映日果」を、無花果に対する別名とされた』。『「映日果」(インリークオ)は、イチジクが』十三『世紀頃にイラン(ペルシア)、インド地方から中国に伝わったときに、中世ペルシア語「アンジール」(anjīr)を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの。通説として、日本語名「イチジク」は』十七『世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで「エイジツカ」とし、それが転訛したものとされている。中国の古語では他に「阿駔」「阿驛」などとも音写され、「底珍樹」「天仙果」などの別名もある』。『日本には中国を経て来たという説と、西南洋から伝わった種子を長崎に植えたという説とがある』。『伝来当時の日本では、はじめ「唐柿(からがき、とうがき)」、ほかに「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」「唐枇杷(とうびわ)」などと呼ばれた。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである』。『学名の属名 Ficus(フィカス、ficus)はイチジクを意味するラテン語である。イタリア語:fico、フランス語:figue、スペイン語:higo、英語:fig、ドイツ語:Feigeなど、ヨーロッパの多くの言語の「イチジク」はこの語に由来するものである』。『落葉広葉樹の小高木。日本では成長してもせいぜい樹高』三~五『メートルほどの樹であるが、条件が良ければ高さ』二十『メートル、幹径』一『メートル以上にもなる落葉高木である。根を深く下ろして水を探す能力が優れており、砂漠地の果樹園でも栽培されている。樹皮は灰色で皮目があり、ほぼ滑らかで、年を経てもあまり変わらない。枝は横に広がり、一年枝は太く、紫褐色や緑褐色で短い毛がある。小枝には横長で筋状の托葉痕があり、しばしば枝を一周する』。『葉は大型の』三『裂または』五『裂する掌状で互生し、独特の匂いを発する。日本では、浅く』三『裂するものは江戸時代に日本に移入された品種で、深く』五『裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると白乳汁が出る。冬になると落葉し、晩春に葉が出てくる』。『花期は』六~九月で、『新枝が伸びだすと』、『葉腋に花を入れた多肉質の袋である花嚢(かのう)がつく。下のものから順に育ち、花嚢は果嚢となって肥大化する。花嚢は倒卵状球形で、厚い肉質の壁に囲まれ、初夏に、花嚢の内面に無数の花(小果)をつける。このような花のつき方をイチジク状花序、または隠頭花序(いんとうかじょ)という。雌雄異花であるが、イチジク属には雌雄同株で同一の花嚢に両方花をつける種と』、『雌雄異株で雄株には同一の花嚢に雌雄両方の花、雌株には雌花のみを形成する種がある』。『栽培イチジクの栽培品種は、結実に雌雄両株が必要な品種群が原産地近辺の地中海沿岸や西アジアでは古くから栽培されてきたが、受粉して雌花に稔性のある種子が形成されていなくても花嚢が肥大成長して熟果となる品種もあり、原産地から離れた日本などでは』、『こうした品種が普及している。雌雄異花のイチジク属の植物は、花嚢内部に体長数ミリメートルのイチジクコバチ(英語版)などのイチジクコバチ属 Blastophaga spp. の蜂が共生しており、受粉を助けてもらっている。日本で栽培されているイチジクのほとんどが、果実肥大にイチジクコバチによる受粉を必要としない単為結果性品種の雌株である』。『果期は』八~十『月。ほとんどの種類の果嚢(いわゆる果実と呼んでいるもの)は秋に熟すと』、『濃い紫色になり、下位の部分から収穫することができる。甘みのある食用とする部分は果肉ではなく小果と花托である』。『冬芽は小枝に互生する。頂芽は尖った円錐形で』、二『枚の芽鱗に包まれた鱗芽で無毛。側芽は丸く、横に副芽が並ぶ。葉痕は円形で大きく、維管束痕が多数あり』、『輪状に並ぶ』。

 以下、「系統と受粉のメカニズム」の項。『果樹としてのイチジクは』一『種しかないが、花と実のつき方により、スミルナ系、カプリ系、普通系などの種類がある。一般に食用にするスミルナ系には雌花だけが咲き、甘くて汁気のある果実がなる。これに対するカプリ系には雄花と雌花が咲き、乾燥した実がなるが、これを食べるのはヤギぐらいである。雌花しか咲かないスミルナ系の果実が実るためには、カプリ系の雄花の花嚢の中にある花粉をイチジクコバチによって運んでもらい受粉する必要がある。普通系は、品種改良により受粉せずに実がなる単為結実が可能になった系統で、イチジクコバチがいない日本でも栽培されている。スミルナ系に由来する米国カリフォルニアのカリミルナ系も、果実がなるにはイチジクコバチによる受粉を必要とする』。『大抵の樹木に咲く花は、風の媒介によって受粉する風媒花か、派手な花や花密で送粉者を引きつけて雌蕊に直接花粉を運んでもらう虫媒花である。ところがイチジクでは、特定の種のイチジクコバチと共生することで受粉を助けてもらっている』。『食用されるスミルナ系(雌花のみ)に受粉するのはイチジクコバチのメスである。カプリ系(雌雄異花)のイチジクの雄花の中でイチジクコバチは孵化するが、孵化する前の雄果嚢の中でオスとメスが交尾すると、そのオスは花嚢に出口となる穴を空けてそのまま力尽きて死んでしまう。この段階でイチジクの雄花は花粉を作り、メスが花嚢の中でしばらく過ごした後、体中に花粉をつけてオスが開けていった穴から脱出する。外に出たメスは、匂いを頼りに別の若い花嚢のへそにある小さな穴から中に入り、その際に羽と触角を失う。カプリ系のイチジクの雄花嚢に入ったメスは、花に卵を産み付けることができ、それが孵化して同じサイクルが繰り返えされる』。『一方、スミルナ系(雌花のみ)に入ったイチジクコバチは、花嚢の中で花から花へと移動して花粉をつけていくが、体の構造上スミルナ系の雌花に卵を産み付けることができない。スミルナ系イチジクは受粉によって肥大し』、『小さな種子ができるが、産卵できなかったメスは果嚢の中で死に、死骸はイチジクが分泌する酵素によって消化されてしまう。スミルナ系イチジクの種子を撒布する役目をするのはコウモリや鳥、あるいは人間であり、肥大して甘くなった果嚢が食べられると』、『緩下作用で排泄されて種子の撒布に寄与されることになる』。

 以下、「歴史」の項。『中東のアラビア半島が原産地と言われており、現在では世界中に広がり栽培されている。イチジクはブドウとともに紀元前から栽培されていた果物で、エジプトのピラミッドなどの遺跡の壁画に表わされたり』、「旧約聖書」の『中でアダムとイブの話にも登場する話題豊富な果物である。原産地はアラビア南部や、南西アジアといわれている。中近東では』四千『年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、エジプトでは』紀元前二七〇〇『年という早い時代に栽培果樹として扱われていたとされ、ギリシアなどでも紀元前から栽培されていた。古代ローマでは最もありふれた果物のひとつであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、ヨルダン渓谷に位置する新石器時代の遺跡から』一万一『千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の栽培品種化された植物であった可能性が示唆されている』。『アメリカには』十六『世紀末にスペインの移住者によって導入された。現在、カリフォルニア州はアメリカのドライフルーツ産業の中心である。中国には』八『世紀にインド、またはペルシャから伝わったとされるが、異説もあり』、『中国に伝来した年代は明らかでない』。『日本へのイチジクの伝来は、江戸時代の寛永年間』(一六二四年~一六四四年)『中国を経て渡来したという説と、ペルシャから中国を経て長崎に伝来した説がある。日本には江戸時代初期に、日本に古く渡来した在来種とは別で、のちに果樹として洋種が栽培されている』。『イエズス会のポルトガル人宣教師で長崎コレジオの院長、ディオゴ・デ・メスキータ神父がマニラのコレジオ院長、ファン・デ・リベラ神父にあてた』一五九九年十月二十八日(慶長四年九月四日『付けの書簡によると、ポルトガル航路(リスボン〜ゴア〜マカオ〜長崎)で日本に白イチジクの品種ブリゲソテスの株が運ばれ、日本には現在、それが豊富にあるとの記述がある。この史料から白イチジク』( Casta blanca )『の西洋種』ブリゲソテス( Higos brigesotes )『が苗木の形で日本(長崎)に到達し、後に長崎のイエズス会の住居の庭に植えられたことが分かった』。『また、キリシタン史研究家で元立教大教授の海老沢有道はイチジクの伝来についてメスキータ神父の同書簡から、天正遣欧少年使節に随行し、ポルトガルから長崎港に着いた時、すなわち「イチジクの伝来は」(天正一八(一五九〇)年)『年として誤りないものと考える」「長崎帰朝後』、『早速』、『長崎の修院か教会に移植したであろう」とした』。『しかし白イチジクの品種、ブリゲソテスはスミルナ系もしくはサンペドロ系だった可能性があり、日本にはイチジクコバチがいないため、苗は挿し木で増えたものの、結実しなかったのではないかと考えられ』、『結局、普及せず、後に伝来した受粉を必要としない品種(単為結果性)の蓬莱柿(ほうらいし・中国原産)』( Ficus carica 'Houraishi' )『や桝井ドーフィン(アメリカ原産)』( Ficus carica 'Masui Dauphine' )『に取って代わったのではないかと考えられている』。『当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、挿し木で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。明治時代に多数の品種が主として米国より導入されたが、明治時代のイチジクは散在果樹の域を出ず、イチジクの経済栽培は大正時代に入ってからである。イチジクは風味と食味を出すために樹上で完熟させる必要があり、熟果は痛みやすく店持ちが悪く、鮮度も要求されるという特有の性質がある。このため』、『イチジクの経済栽培は消費地に近い都市近郊に限られていた。今日は予冷など鮮度保持技術の開発により、中山間地・遠隔地から大市場への出荷も可能になり、また栽培技術の進歩により』、『生産・流通の形態が多様化し、水田転作やミカンの園地転換の作目として、また地域おこしの品目として各地でイチジクが見直されている』。

 イチジクは『庭木や果樹として栽培される』。以下、「食用」の項。『果実は生食するほかに乾燥イチジク(ドライフィグ)として多く流通する。欧米では生食は極めて少なく、大部分は乾果として利用されている。果実の赤い部分の食感は、花の部分によるものである。食材としての旬は』八~十一『月とされ、果実がふっくらと丸みがあり、果皮に張りと弾力があるものが』、『商品価値が高い良品とされる』。『生果・乾燥品ともに、パン、ケーキ、ビスケットなどに練りこんだり、ジャムやコンポートにしたり、スープやソースの材料として、またワインや酢の醸造用など、さまざまな用途をもつ。ほかにペースト、濃縮果汁、パウダー、冷凍品などの中間製品も流通している。日本国内では甘露煮にする地方もある。特に宮城県では甘露煮を前提に加工用の種が主に栽培されている。また、いちじくの天ぷらもある』。『果実には果糖、ブドウ糖、蛋白質、ビタミン類、カリウム、カルシウム、ペクチンなどが含まれている。クエン酸が少量含まれるが、糖分の方が多いので、甘い味がする。食物繊維は、不溶性と水溶性の両方が豊富に含まれている』。

 以下、「民間療法」の項。『熟した果実、葉を乾燥したものは、それぞれ無花果(ムカカ)、無花果葉(ムカカヨウ)と呼ばれ、伝統的に生薬として利用されてきた』。六~七『月頃に採取して日干しにした果実(無花果)には、水分約』二十~三十『%、転化糖約』二十~五十『%、蛋白質約』四~八『%、油脂約』一~二『%が含まれ、ビタミンCやミネラルも含まれる。民間療法では、果実の持つ緩下作用や整腸作用が注目され、食物繊維の一種であるペクチンが腸の働きを活性化し、便秘解消に役立つとされてきた』。『干した果実』三~五『個を』六百『ミリリットルの水で煮詰めたり煎じたりして服用する方法や、生の果実をそのまま食べる方法が知られており、便秘の緩下剤に用いられた』。『便秘のほかにも滋養目的で利用されたり、痰の多い咳や』、『のどの痛みに用いられてきたという記録がある』。七~九『月頃に採取した成熟した葉を日干しした無花果葉は、入浴剤として用いる方法が知られており、冷え性や肌荒れなどに利用されてきた』。『果肉や葉から出る白い乳液については、ゴムに近い樹脂分が含まれるが、民間薬として、疣(いぼ)への塗布や、駆虫薬として利用された記録がある。ただし、正常な肌につくと』、『かぶれや』、『かゆみを引き起こす可能性がある』。『またイチジクの樹液にはフィシンという酵素が含まれており、日本の既存添加物名簿に収載され、食品添加物の原料として使用が認められている。ほかにイチジク葉抽出物は製造用剤などの用途でかつて同名簿に掲載されていたが、近年販売実績がないため』二〇〇五『年に削除された』。

 以下、「栽培」の項。『挿し木やつぎ木で繁殖させ、主に庭や畑で栽培される。日光を好むので、日当たり良好な場所に植えつける。浅根性で、夏季の乾燥する時期は潅水を行って水を与える。高温、多湿を好み、寒気、乾燥を嫌う。カミキリムシの害虫被害に遭うことがある。カミキリムシの幼虫は、枝や幹に食い入って枝または木全体を枯らす』。『剪定は』十二~二『月に行う。秋果は』、『その年の春から伸びた枝に着果するので、前年枝をどこで切り詰めても問題はないが、夏果は前年枝の枝先につくため、枝を切り詰めると着果しない。着果させたい枝は切り詰めないことが大切で、特に夏果専用品種の剪定には注意を要する』。『摘心、芽かきは』、五『月中旬以降に行い、わき芽や側芽、新芽、新梢などを摘み取る』。『アメリカでは並木仕立てにしている場合もある。品種も数多く作出されていて、地中海沿岸地方やカリフォルニア地方などでは重要な産物になっている』。以下、「品種」「特産地」の項があるが、カットする。

 以下、「文化とエピソード」の項。「旧約聖書」の「創世記」(第三章七節)に『「エデンの園で禁断の果実を食べたアダムとイヴは、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」と記されている』。「ゼカリヤ書」(第三章)『では、「その日にあなたたちは互いに呼びかけて葡萄とイチジクの木陰に招き合う」という大きな葉の描写がある』。「列王記」(下・第二十章)で、『イザヤが「干しイチジクを取ってくるように」と命じ、人々が病気になったヒゼキヤ王の患部にそれを当てると回復したとある』。また、「新約聖書」の「ルカによる福音書」第十三章第六~九節)で、『キリストは、実がならないイチジクの木を切り倒すのではなく、実るように世話をし』、『肥料を与えて育てるというたとえ話を語っている(実のならないいちじくの木のたとえ)。一方で』、「マルコによる福音書」(第十一章第十二節以下)では、『旅の途中』、『イチジクの木を見つけた空腹のキリストが』、『その木にまだ実がなっていないのに腹を立て、呪いの言葉を述べると』、『翌日』、『その木が枯れていたというエピソードがある』。『その他にもイチジクは聖書の中でイスラエル、または、再臨・終末のたとえと関連して』、『しばしば登場する』。『イチジクは』、『バラモン教ではヴィシュヌ神、古代ギリシャではディオニュソスへの供物であり、ローマ建国神話のロムルスとレムスはイチジクの木陰で生まれたとされている。他の民族でもイチジクは生命力や知識、自然の再生、豊かさなどの象徴とされている。イチジクを摘むと』、『花柄からラテックス』(latex)『と呼ばれる樹液が滴る。この樹液は母乳や精液になぞらえられ、アフリカの女性の間では不妊治療や乳汁分泌の促進に効果がある塗油として使われてきた』。『古代ローマの政治家大カトは、第一次・第二次ポエニ戦争を戦った敵であるカルタゴを滅ぼす必要性を説くため、演説の中でカルタゴ産のイチジクの実を用いたと伝えられる。イチジクの流通は乾燥品が中心であった当時において、カルタゴから運ばれたイチジクが生食できるほど新鮮であることを示し、カルタゴの脅威が身近にあることをアピールしたのだという』。「旧約聖書」の「創世記」の『エピソードから転じて、英語などで「イチジクの葉」(fig leaf)が「隠したいことを覆い隠すもの」という比喩表現として用いられる。また、中世には、彫刻や絵画で性器が露出されている部分をイチジクの葉で覆い隠す「イチジクの葉運動」が行われた』とある。なお、「その他」の項に、『イチジクの天然香料は毒性が強いために化粧品などには使用されない』とあった。調べたところ、が、感作性及び光毒性(皮膚への接触によってアレルギー反応を誘発したり、肌に附着した状態で紫外線が当たると、皮膚にダメージを与えてしまう)があるため、現在は使用禁止となっていることが判った。

 なお、引用は「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「無花果」([077-27a]以下)のパッチワークである。ALSで十四年前に亡くなった母テレジア聖子がイチジクが好きだったから、短いので、全文を手を加えて、以下に示す。

   *

無花果【食物】

 釋名 映日果【便民圖纂】優曇鉢【廣州志】阿駔【音楚果時珍曰無花 凡數種此乃映日果也卽廣中所謂優曇鉢及波斯所謂阿駔也】

 集解【時珍曰無花果出揚州及雲南今吳楚閩越人家亦或折枝揷成枝柯如枇杷樹三月發葉如花構葉五月內不花而實實出枝間狀如木饅頭其內虛軟采以鹽漬壓實令扁日乾充果食熟則紫色軟爛甘味如柹而無核也按方輿志云廣西優曇鉢不花而實狀如枇杷又段成式酉陽雜俎云阿駔出波斯拂林人呼爲底珍樹長丈餘枝葉繁茂有丫如蓖麻無花而實色赤類椑柹一月而熟味亦如柹二書所說皆卽此果也又有文光果天仙果古度子皆無花之果也並附於左】

 附錄 文光果【出景州形如無花果肉味如栗五月成熟】天仙果【出泗州樹高八九尺葉似荔枝而小無花而實子如櫻桃纍纍綴枝間六七月熟其味至甘宋祁方物賛云有子孫枝不花而實薄言采之味埒蜂蜜古度子出交廣諸州樹葉如栗不花而實枝柯間生子大如石榴及樝子而色赤味醋煮以爲粽食之若數日不煮則化作飛蟻穿皮飛去也】

  氣味甘平無毒主治開胃止洩痢【汪頴】治五痔咽喉痛【時珍】

  氣味甘辛平有小毒主治五痔腫痛煎湯頻熏洗之取效【震亨】

   *

「蓖麻(たうごま)」トウダイグサ目トウダイグサ科トウゴマ(唐胡麻)Ricinus communis 。詳しくは、「卷第八十三 喬木類 相思子」の私の注を参照されたい。

「木饅頭《きまんぢゆう》」イチジク属ツルイチジク Ficus sarmentosa var. nipponica(シノニム:Ficus nipponica :中文名「白背爬藤榕」)の異名。Katou氏のサイト「三河の植物観察」の「イタビカズラ」のページを見られたい。

「五痔」先行する「丁子」で既出既注。

「優曇花(うどんげ)」私の「北條九代記 卷第六 優曇花の說 付 下部女房三子を生む」を読まれたい。

「久安百首」「玉椿光をみがく君が代に百《もも》かへりさくうどんげの花」「安藝」「久安百首」は、当該ウィキによれば、平安後期、『崇徳院の命により』十四『名の歌人が久安』六(一一五〇)年『までに詠進した百首歌』集。「久安六年御百首」・「崇德院御百首」『とも称される』。『歌人別に歌が並ぶ非部類本』『と、藤原俊成が部類した部類本』『の』二『種類がある』。『崇徳院は生涯に少なくとも』三『度』、『百首歌を主催したが、全容が明らかなのは「久安百首」のみである。初度百首は在位中〔永治元』(一一四一)『年)』十『月以前〕に「堀河百首」』の『題で召したもので、藤原教長や源行宗の家集に片鱗が見える。譲位後に召した第二度百首が「久安百首」であり』、『第三度百首(句題百首)は藤原教長・藤原公重ら近臣の家集に残る』とある。作者「安藝」は藤原忠俊の娘「郁芳門院安藝」(生没年未詳)。白河天皇の皇女媞子(ていし)内親王(郁芳門院)に仕え、寛治七(一〇九三)年の「郁芳門院根合(ねあはせ)」嘉保二年の「鳥羽殿前栽合(せんざいあはせ)」などに出席している。作品は「金葉和歌集」等におさめられている。「待賢門院安藝」(父は皇太后宮少進橘俊宗とされる。初め、待賢門院(一一〇一年~一一四五年)に、後、上西門院に仕える。歌は「詞花和歌集」「千載和歌集」「新古今和歌集」などに見える。家集に「郁芳門院安芸集」)と同一人物ともされる。日文研の「和歌データベース」で確認した。ガイド・ナンバー[01283]を見られたい。

「文光果」「百度百科」の「文冠果」を見ると、別名に『文冠樹・木瓜・文冠花・崖木瓜・文光果等』(太字は私が附した)とあったことで、これは、

ムクロジ目ムクロジ科ブンカンカ亜科ブンカンカ属ブンカンカ Xanthoceras sorbifolium

であることが判明した。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『漢字では文冠果と表記する。本種』一『種でブンカンカ属を構成する。学名から、キサントセラス・ソルビフォリウムと呼ばれる』。『中国北東部、中国南部、モンゴル東部、朝鮮半島全域にかけて自生する樹高』八メートル『ほどの落葉中木である。上へ向かって伸びる穂状花序で、花は白色。中心部は黄色をしている。花弁数は五枚で花弁は一枚ごとに離れている。開花して暫く経つ(凡そ』二~三『日)と中心部の黄色の部分は薄紅色に変化していく。花が終わると』四~六センチメートル『の蒴果が出来て、中には直径』一センチメートル『ほどの黒色の種子ができる。この種子は非常に硬いが、原産地の中国では、搾油され、石鹸に利用されたり、未熟な白色の種子は食用にされたりする。葉は羽状複葉で、小葉は粗目の鋸歯を持ち、ニワウルシや、サンショウ、ナナカマドに似る。葉は展開しきっても比較的柔らかい』(見たところ、イチジクには全く似ていない)。『前述の通り、種子は搾油や食用の目的で採取される場合がある。また、樹皮や新芽は煮詰められたり、煎じて内服されたりして生薬となる。関節炎やリウマチに効用があるとされている』。『耐乾性、耐寒性、耐暑性に優れ、乾燥した黄土地帯でも成育が可能であり、極めて剛健な性質を示す。ただし、成育速度はかなり遅い。日本での花期は』四~五『月頃であり、剪定は生育期の夏頃~秋頃に行う。施肥は』二ヶ『月に一回ほど有機質肥料を施肥する。顕著な病気には罹患しないが、トチノキヒメヨコバイ、クスサンの幼虫やテッポウムシの食害を幹や葉に受けることがある。日本では流通する事は稀で、植物園等でしか見られない』(☜)。『属名のXanthoceras は、Xantho(黄色)+Ceras(角)の合成語であり、「黄色い角」という意味になる。花弁の間に見られる黄色い線状の突起に由来する。和名の由来は本種の漢名の「文冠果‐ブンカンカ」に由来する。別名「文灯果」とも呼ばれる。種小名の Sorbifolium は、「ナナカマド属』(バラ目バラ科サクラ亜科ナナカマド属 Sorbus )『の葉に似た」という意味がある』とある。]

2025/04/30

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 波羅𮔉

Paramitu

 

はらみつ    安南人呼曰

       曩伽結

波羅𮔉

        波斯國人曰

       婆那娑

        拂林國人曰

       阿薩軃

ポウ ロウ ミツ

 

本綱波羅蜜【梵語也此果甘故名】生交趾南畨諸國樹髙五六𠀋樹

類冬青而黑潤葉極光淨冬夏不凋樹至斗大方結實不

花而實出於枝閒多者十數枚少者五六枚大如冬瓜外

有厚皮𮖐之若栗毬上有軟刺礧砢五六月熟時顆重五

[やぶちゃん注:「𮖐」は「裹」の異体字。]

六斤剥去外皮殻內肉層疊如橘嚢食之味甜美如𮔉香

氣滿室一實凡數百核核大如棗其中仁如栗黃煮炒食

之甚佳果中之大者惟此與椰子而已

 

   *

 

はらみつ   『安南の人、呼んで、

       「曩伽結《なうかけつ》」と曰《い》ふ。』。

波羅𮔉

       『波斯國《はしこく》の人、

       「婆那娑《ばなさ》」と曰ふ。』。

       『拂林國《ふつりんこく》の人、

       「阿薩軃《あさつた》」と曰ふ。』。

ポウ ロウ ミツ

 

「本綱」に曰はく、『波羅蜜【梵語なり。此の果、甘き故、名づく】。交趾(カウチ)・南畨《なんばん》の諸國に生ず。樹、髙さ、五、六𠀋。樹は、「冬青(まさき)」の類《るゐ》にして、黑《くろく》潤《うるほふ》。葉、極《きはめ》て、光淨《くわうじやう》なり。冬・夏、凋まず。樹、斗《とます》の大《おほい》さに至《いたり》て、方《まさ》に、實を結ぶ。花、さかず、而≪れども≫、實(み)、枝の閒《あひだ》に出づ。多き者、十數枚。少《すくな》き者、五、六枚。大いさ、「冬瓜(かもうり)」のごとく、外(そと)に、厚≪き≫皮、有りて、之れを𮖐(つゝ)む。栗の毬(が)のごとし。上に、軟≪かなる≫刺《とげ》、礧砢(いらぼ)[やぶちゃん注:「ざらざら」及び「いぼいぼ」した小突起を指す。]、有り。五、六月、熟する時、顆《くわ》の重さ、五、六斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十八・六二グラムであるから、二・九九三~三・五九二キログラム。]。外皮を剥(は)ぎ去り、殻≪の≫內の肉、層-疊(かさな)りて、「橘《キツ》」の嚢(ふくろ)のごとし。之れを食ふ。味、甜美《てんび》にして、𮔉《みつ》のごとく、香氣、室に滿つ。一實、凡《すべ》て數百核、核の大いさ、棗《なつめ》のごとく、其の中の仁《にん》、栗のごとく、黃なり。煮炒《にい》りて、之れを食ふ。甚だ、佳、なり。果の中の大なる者、惟《ただ》、此《これ》と、椰子《やし》と、のみ。

 

[やぶちゃん注:これは、

双子葉植物綱バラ目クワ科パンノキ属パラミツ Artocarpus heterophyllus

である。当該ウィキを引く(画像が豊富にある。注記号はカットした)。『パラミツ(ハラミツ、波羅蜜、菠蘿蜜)『は』『英語で、ジャックフルーツ(英:Jackfruit)と呼ばれ、東南アジア、南アジア、アフリカ、ブラジルで果樹などとして栽培されている。東アジアでは台湾南部や中国海南省、広東省、雲南省などで栽培されている。原産はインドからバングラデシュと考えられている』。『バングラデシュ(ベンガル語)ではカタール(kathal)、インド(ヒンディー語)ではカタル(katal)、インドネシア語やマレー語ではナンカ(nangka)、フィリピン(タガログ語)ではランカ (langka)、タイではカヌーン』、『ベトナム語ではミッ(mít)と呼ばれる』。『和名は漢語由来の波羅蜜であるが、ほかにマレー語のナンカを語源とする』「南果」(なんか)『とも呼ばれ、同属異種のパンノキ』『との対比で、パラミツの木を』「長実パンの木」『(ながみぱんのき)とも呼ぶ』。『英語でjackfruit(ジャックフルーツ)と呼ばれるのは、マラヤラム語』(malayāḷam:南インドのケララ州などで話される言語で、「インド憲法」で認められている二十二の公用語の一つ)『の「chakka」が、ポルトガル語に借用されて「jaca」となり、それが英語に借用され、類型を示すfruitと結びついた結果と考えられる』。『常緑の高木で、葉は成木では長楕円形だが、幼木では大きな切れ込みがあり、学名(種小名)のheteropyllum』(「異形の葉」の意)『は、こうした成木と幼木で著しく葉の形が異なることを指している。 雌雄同株で、雄花のみをつける雄花序は枝の先につくが、雌花のみをつける雌花序は幹生花と呼ばれ、幹に直接つく』。『幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ』七十センチメートル、『幅』四十センチメートル、『重さ』四十~五十キログラム『に達することもあり、世界最大の果実といわれる。その形は、歪んだ球形や楕円形が多いが、ときに円柱形となり、長さにも差がある。果実の表面には数』ミリメートル『の』疣(いぼ)『状の突起があり、熟すと全体に黄色になり、強烈な甘い匂いを放つ。果実はクワ科』Moraceae『の特徴である集合果で、花序を形成する組織の多くが』、『合着して果実となる』(実生果実(複数)の画像)。『輪切りにして』四分の一『に割った果実。種の周囲に果肉があり、他の果肉との間に仮種皮がある』(その画像)。『繊維状にほぐれる』、『淡黄色から黄色の果肉や仮種皮を食用にする。種子は』二センチメートル『ほどのやや長円形で、これも食用になる。パラミツは実生から』三『年で果実をつけることもあるほど』、『生長が早い』。『同属のコパラミツ(チャンパダ、cempedakA. integer )で、非常にユニークな送粉体系が』二〇〇〇『年に報告された。コパラミツの雄花序には接合菌コウガイケカビ属』(菌界ケカビ(毛黴)門ケカビ亜門ケカビ目コウガイケカビ(筓毛黴)科コウガイケカビ属 Choanephora )『の一種( Choanephora sp. )が共生して菌糸体を広げて胞子をつけており、Contarinia 属の』二『種のキノコバエ』(有翅昆虫亜綱新翅下綱内翅上目ハエ目長角亜目ケバエ下目キノコバエ上科キノコバエ科 Mycetophilidae)『の仲間が飛来して菌を摂食し、産卵する。雌花序には菌は共生しないが、キノコバエは雄花序と同じ臭いに騙されてこちらにも飛来し、雄花序を訪れたときに付着した花粉を運ぶ。雄花序で孵化した幼虫は、ここに繁殖した菌を食べて成長する』。『熟した果肉や仮種皮は甘く、生で食用にされる。樹脂分を含み、みずみずしさには乏しいが、弾力や粘りのある食感がある。未熟な果実は野菜として、タイ料理、ベトナム料理やインドネシア料理などで煮物、炒め物などに使われる。種子は焼くか茹でることで食用にされる』。『熟す前の果肉は、デザートではなく総菜として食用となる』。『果肉』を『ほぐしながら熱を通すと、熱を通したマグロ(ツナ)肉・牛肉のようになるため、代替肉として利用される』。『産地から遠く離れた欧米』及び『日本では、輸入果実を扱う専門店にて空輸された生の果実が購入できる他に、シロップ煮缶詰、チップス、乾燥果実が一般的である』。また、『葉と根は薬用になる』。『パラミツの木材は建材、家具、仏像、印鑑の他、ガムラン』(インドネシア語:gamelan:インドネシアで行われている大・中・小のさまざまな銅鑼や鍵盤打楽器による合奏の民族音楽の総称。広義では、インドネシア周辺のマレーシア・フィリピン南部スールー諸島などの地域の類似の音楽をも含める場合がある。欧米や日本などでは「ガムラン音楽」(Gamelan music) とも呼ばれる)『などの楽器に使われる。また、材は仏僧の法衣などの黄色の染料に使われる』とある。

 なお、引用は「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「波羅蜜」([077-26a]以下)のパッチワークである。標題下の各国の呼称の解説も引用である。短いので、全文を手を加えて、以下に示す。

   *

波羅蜜【綱目】

 釋名【曩伽結時珍曰波羅蜜梵語也因此果味甘故借名之安南人名曩伽結波斯人名婆那娑拂林人名阿薩軃皆一物也】

 集解【時珍曰波羅蜜生交趾南畨諸國今嶺南滇南亦有之樹高五六丈樹類冬青而黒潤倍之葉極光淨冬夏不凋樹至斗大方結實不花而實出於枝間多者十數枚少者五六枚大如冬瓜外有厚皮裏之若栗毬上有軟刺礧砢五六月熟時顆重五六斤剥去外皮殻内肉層疊如橘嚢食之味至甜美如蜜香氣滿室一實數百核核大如棗其中仁如栗黃煮炒食之甚佳果中之大者惟此與椰子而已】

瓤氣味甘香微酸平無毒主治止渴解煩醒酒益氣令人悅澤【時珍】

 核中仁氣味同瓤主治補中益氣令人不饑輕健【時珍】

   *

「安南」インドシナ半島東岸の狭長な地方。現在のヴェトナムである。その名は唐の「安南都護府」(唐の南辺統治機関)に由来する。唐末、「五代の争乱」(九〇七年〜九六〇年)に乗じて、秦以来の中国支配から脱却した。一時は明に征服されたが、一四二八年(本邦では室町時代の応永三十五年・正長元年相当)独立。十七世紀には朱印船が盛んに出入し、ツーラン・フェフォには日本町が出来た。

「波斯國」ペルシャ。但し、東洋文庫訳の後注に、『『酉陽雜俎(ゆうようざっそ)』3(平凡社東洋文庫)廣動植之三「婆那娑樹」の注で、今村與志雄氏は「ハラミツは、インド、ビルマ、そしてマライ諸島を原産とする。いまのイランをいうペルシアにも、また払林という地名の示すような西アジアにも産出しない」と述べられ、この波斯国は、マライの波斯国(ポースー)としか解釈できないとされている。』とある。同書は全巻所持するので、確認した。同書では、以上の引用の前で「酉陽雜俎」の「婆那娑樹」の本文を、時珍が「本草綱目」のこの項で踏襲したものであろうと推定をされた由の記載がある。さらに、この聴き馴れない『マライの波斯国(ポースー)』という国名については、同書同巻で先行する「龍脳香樹」で別に今村先生が、詳細な考証をなさっており、それは、実は、先行する「卷第八十二 木部 香木類 安息香」の私の注で、引用してあるので、そちらを見られたい。

「拂林國」現在のシリア。

「冬青(まさき)」既に「卷第八十四 灌木類 冬青」で示した通り、良安はルビによって同定を誤っている。

〇「冬青」は双子葉植物綱モチノキ目モチノキ科モチノキ属モチノキ亜属ナナミノキ Ilex chinensis

であり、

ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マサキ Euonymus japonicus

ではない

「橘《キツ》」わざわざカタカナで読みを振ったのは、日本固有種である双子葉植物綱バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン連ミカン亜連ミカン属タチバナ(橘) Citrus tachibana と読者に読ませないためである。では、時珍の言う「橘」は何かというと、

◎蜜柑の一種

◎江南地方から南、或いは、中国南部に分布するところの、温帯・亜熱帯のミカンの種群

となるが、私は、秘かに、

★◎トゲがある幻のミカンの樹こそ「橘」の原種

と考えている。以上の考証は「卷第八十七 山果類 橘」の私の考証を読まれたい。

2025/04/26

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 莎木麪

 

Sagoyasi

 

さもめん  欀木

 

莎木麪

     【字書無莎子

      當作莎衣之

      莎其葉離披

      如莎衣之狀】

 

本綱莎木麪生南海髙十𠀋許闊四五圍峯頭生葉兩邊

行列如飛鳥翼皮中有白麪搗篩作餠或磨屑作飯食之

輕滑甘美勝于桄榔麪

 

   *

 

さもめん  欀木《じやうぼく》

 

莎木麪

     【字書に「莎子《さし》」、無し。

      當に「莎衣」の「莎」に作る

      べし。其の葉、離れ披《ひろ

      が》りて、「莎衣」の狀に《✕→の》

      ごとし。】

 

「本綱」に曰はく、莎木麪は南海に生ず。髙さ、十𠀋許《ばかり》。闊《ひろ》さ、四、五圍《めぐり》。峯≪の≫頭《かしら》に葉を生ず。兩邊、行列≪し≫、飛鳥《ひてう》の翼のごとし。皮≪の≫中、白き麪(こ)[やぶちゃん注:粉。]、有り。搗《つき》、篩(ふる)ひて、餠に作り、或《あるい》は、磨(す)り屑(くだ)きて、飯《めし》と作《なし》し、之《これを》食ふ。輕滑≪にして≫、甘美、桄榔麪《くわうらうめん》より勝《すぐ》れり。

 

[やぶちゃん注:これは、「拼音百科」で「莎木麪」で検索したところ、「莎木面」が参考項目として示され、そこに『莎木面』(=爲)『』=「棕櫚」『科植物西谷椰子的木髓部提出的淀粉』(=「澱粉(デンプン)」)とあったことから、更に「西谷椰子」のリンク先を引くと、Metroxylon sagu の学名が見出せたので、

ヤシ科サゴヤシ属サゴヤシ(ホンサゴ)Metroxylon sagu

であることが判明した。東洋文庫訳の本文の「莎木麪」の割注にも『(ヤシ科サゴヤシ)』とはあったが、今までの経験上、この訳の比定同定は信頼出来ないので、以上のルートで独自に確認したものである。平凡社「世界大百科事典」の「サゴヤシ」から引く(コンマは読点に代えた)。『通常、栽培するヤシ科の高木で、マレーシア熱帯低地の湿地に生える。若木は地下茎から多数出るので、純林をつくりやすい。若いときは茎はごく短く、ニッパヤシ』(ヤシ科ニッパヤシ属ニッパヤシ Nypa fruticans当該ウィキによれば、『インド及びマレーシアなどの熱帯アジア、ミクロネシア、オーストラリア北部の海岸に生育する』。『日本では、沖縄県の西表島』、『及び』、同島の西側にある『内離島』(うちばなりじま)『のみに分布する。日本に自生しているものは、海流で運ばれた種子が定着したものといわれている』とあった。私は西表島で現認している)『に似ている。茎は直立し、高さ』七~十五メートル、『直径』三十~六十センチメートル。『サゴデンプンをとるために栽培されるのはホンサゴM.sagus Rottb.とトゲサゴM.rumphii Mart.である。トゲサゴは葉鞘(ようしょう)や中肋に長いとげがあるのでホンサゴと区別されるが、同一種とする人もある。ふつう』は十『年から』十五『年生ぐらいになると、茎の先端に長さ約』三~五メートル『にもなる複羽状に分岐した円錐状の花序を出して、淡紅色の花をつける。しかし』、『開花結実すると、茎の髄が乾いて枯れてしまう。それでサゴデンプンは開花直前の、デンプンを多量に貯蔵している茎を切り倒し、髄を粉砕して水洗し採集する』。一『本の木から』三百~五百帰路グラム『のデンプンがとれる。ニューギニア、モルッカ諸島の原産で、ニューギニアの原住民はこのデンプンを主食としている。葉は、屋根』葺き『材や壁材、あるいはバスケット等の編材として多用される』とあった。

 なお、引用は「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「䔋木麪」([077-2b]以下)のパッチワークである。短いので、全文を手を加えて、以下に示す。

   *

木麪【䔋音梭海藥】校正【自木部移入此】

 釋名【欀木音襄時珍曰䔋字韻書不載惟孫緬唐韻莎字註云樹似桄榔則䔋字當作莎衣之莎其葉離披如莎衣之狀故謂之莎也張勃吴錄地理志言交趾欀木皮中有白粉如米屑乾之搗末以水淋過似麪可作餅食者即此木也後人訛欀爲莎音相近耳楊慎巵言乃謂欀木卽桄榔誤矣按左思吳都賦云麪有桄榔又曰文欀楨橿既是一物不應兩用矣】

 集解【珣曰按蜀記云䔋木生南中八郡樹高十許丈濶四五圍峰頭生葉兩邊行列如飛鳥翼皮中有白麪石許搗篩作餠或磨屑作飯食之彼人呼爲䔋麪輕滑美好勝於桄榔麪也藏器曰䔋木生嶺南山谷大者木皮內出麪數斛色黃白時珍曰按劉欣期交州記云都勾樹以棕櫚木中出屑如桄榔麪可作餠餌恐此卽欀木也】

 麪氣味甘平温無毒主治補益虚冷消食【李珣】温補久食不饑長生【藏器】

   *

『字書に「莎子《さし》」、無し。當に「莎衣」の「莎」に作るべし。其の葉、離れ披《ひろが》りて、「莎衣」の狀に《✕→の》ごとし。』「廣漢和辭典」で「莎」を引くと、第一義で『はますげ』とあり、初出例を「說文」とし、第二義で『木の名。くろつげ(桄榔)にに似る』として、同「廣韻」とする。樹種は示していない。「桄榔」は先行する「桄榔子」で示した通り、単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科クロツグ(中文名:桄榔・桄榔子)属サトウヤシ Arenga pinnata である。これは、良安の勝手な割注だが、全くなんの木だかも判らんくせに、こないな、いい加減な割注をするなちゅうねん!!! 良安の言っているのは、単子葉植物綱イネ目カヤツリグサ(蚊帳吊草・莎草)科カヤツリグサ属ハマスゲ(浜菅)Cyperus rotundus の茎で作った衣=「莎衣」(しかし、私は、ハマスゲで衣は作れないと思うがねえ!?)の『「莎」の字を用いて「莎木・莎樹」としろ!』とのたもうているのだから、ワケワカランちんやで!?! 速やかに退場せい!!!

『「本綱」に曰はく、莎木麪は南海に生ず』なんて書いてないぜ!?! 良安! 『珣曰はく、『按ずるに、「蜀記」に云はく、『木、南中の八郡に生ず。』』だぜ!?! 南中は嶺南で現在の広東省・広西省だぜ! 阿呆臭くて、附き合っていられねえぜ!!!!!

2025/04/22

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 桄榔子

 

Satouyasi

 

たかやさん   木名姑榔子木

        麪木 董椶

        䥫木

桄榔子

        俗云太加也左牟

クハン ラン ツウ

[やぶちゃん字注:木」は、「本草綱目」原本も、国立国会図書館デジタルコレクションの中近堂版も、『鐵木』となっている。誤記か誤刻と思ったが、この「」は「テツ」で「かね」の意であるから、同義語と考え、そのままとした。

 

本綱桄榔子嶺南二廣州皆有之人家亦植之庭院閒其

木如棕櫚椰子檳榔無漏子而稍異大者四五圍髙五六

𠀋拱直無旁枝有節如竹紫黒色類花梨而多紋最堅重

刪利如鐵用作釤鋤代鎗鋒中濕更利惟中焦則易敗【物之

[やぶちゃん字注:「刪利」は意味に不審があったので、事前に「本草綱目」を見たところ、「剛利」の誤りであることが判明した。訓読文では訂した。

相伏如此】皮中有白粉似米粉及麥麪而赤黃色味甘大者至

數石彼土少穀常以牛酪食之其皮至柔堅靱可以作綆

其木巓頂生葉數十枚似棕櫚葉開花成穗結子綠色葉

下有鬚如粗馬尾采之以織巾子得鹹水浸卽粗脹而靭

人以縛海舶不用釘線

△按桄榔卽鐵樹也其橒色類花梨而堅以作噐或爲三

 絃棹及胴人以貴重之

 畫譜有鐵樹者其形狀與桄杭榔大異【出于喬木類】

 

   *

 

たがやさん   木を「姑榔子木《こらうしぼく》」と

        名づく。

        麪木《めんぼく》 董椶《とうそう》

        䥫木《てつぼく》

桄榔子

        俗、云ふ、「太加也左牟《たがやさん》」。

クハン ラン ツウ

 

「本綱」に曰はく、『桄榔子《くわうらうし》は嶺南≪の≫二廣州[やぶちゃん注:現在の広東・広西省。]に、皆、之れ、有り。人家にも亦、之れを庭院《ていゐん》の閒に植《うう》。其の木、棕櫚《しゆろ》・椰子(やしほ)・檳榔《びんらう》・無漏子《むろし》のごとくして、稍《やや》異《こと》なり。大なる者、四、五圍《まはり》、髙さ、五、六𠀋。≪手を≫拱《こまねく》≪きたる如く≫直《ちよく》にして、旁枝《ばうし》[やぶちゃん注:横に張り出す枝。]無く、節、有《あり》て、竹のごとし。紫黒色。花梨(くわりん)に類《るゐ》して[やぶちゃん注:似ていて。]、紋、多く、最も堅重≪にして≫、剛利《がうり》なること、鐵のごとし。用《もちひ》て、釤《サン/セン》[やぶちゃん注:長い柄の大きな鎌。]・鋤《シヨ/ジヨ/すき》を作り、鎗《やり》の鋒(ほさき)に代《か》ふ。濕《しつ》に中《あた》れば[やぶちゃん注:湿気を受けると。]、更に利(と)し。惟《ただし》、焦《しやう》[やぶちゃん注:火の気(け)。熱気。]に中《あた》れば、則《すなはち》、敗《くさり》易し【物の相伏《あひぶくすること》[やぶちゃん注:五行説に於ける相関関係を言う。]、此くのごとし。】。皮の中に、白≪き≫粉《こ》、有り。米の粉、及《および》、麥麪(むぎのこ)に似て、赤黃色。味、甘く、大なる者、數石《すこく》[やぶちゃん注:容積なら二百リットル。重量なら七十・八キロ。]に至る。彼《か》の土《ど》に、穀《こく》、少《すくな》し。常に牛酪《ぎうらく》を以《もつて》、之れを、食ふ。其の皮、至《いたつ》て柔《やはらか》なり。≪又、皮の質は≫堅く、靱《しなやか》≪に≫て、以《もつて》、綆《つるべなは》を作るべし。其の木の巓-頂(いたゞき)に、葉を生ず。數十枚。棕櫚《しゆろ》の葉に似て、花を開き、穗を成し、子《み》を結ぶ。綠色≪の≫葉の下に、鬚《ひげ》、有り、粗(ふと)き馬の尾《を》に《✕→の》ごとし。之れを采《とり》て、以《もつて》、巾-子《ぬの》を織《お》る。鹹水《えんすい》を得て、浸(ひた)せば、卽《すなはち》、粗《ふとく》、脹(ふく)れて、靭(しな)へる。人、以《もつて》、海舶《かいはく》を縛(くゝ)りて、釘-線(かすがい)を用い[やぶちゃん注:ママ。]ず。』≪と≫。

△按ずるに、桄榔は、卽ち、鐵樹《てつじゆ》なり。其の橒(もく《め》)・色、「花梨(くはりん)」に類《るゐ》して、堅《かたく》、以《もつて》、噐《うつは》を作《つくり》、或《あるい》は、三絃(さみせん)の棹、及《および》、胴と爲《なす》。人、以《もつて》、之れを貴重す。

 「畫譜」に『鐵樹』と云ふ[やぶちゃん注:「云」は送り仮名にある。]者、有り。其の形狀、桄榔と大《おほい》に異なれり【「喬木類」に出づ。】。

 

[やぶちゃん注:これは、

〇単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科クロツグ(中文名桄榔桄榔子)属サトウヤシ Arenga pinnata (シノニム:Arenga saccharifera

である。和名に「たがやさん」としてあるが、良安が指摘している通り、

✕双子葉植物綱マメ目マメ科ジャケツイバラ(蛇結茨)亜科センナ属タガヤサン Senna siamea

とは、全く異なる別種である。良安が指示する通り、既に先行する『「和漢三才圖會」植物部 卷第八十三 喬木類 鐵刀木』に出ているのが、真正の「タガヤサン」である。

ウィキの「サトウヤシ」を引く(注記号はカットした)。『サトウヤシ』『は、インド東部からマレーシア、インドネシア、フィリピン東部までの熱帯アジアを原産地とするヤシ科クロツグ属のヤシで、経済的に重要な作物となっている。サトウヤシのほかアレン・パーム、カオン・パームなどとも呼ばれる』(同英文ウィキには、“sugar palm, areng palm (also aren palm or arengga palm), black sugar palm, and kaong palm,”とある)。『中型のヤシで、樹高は』二十『メートルほどになる。幹は古い葉の葉柄で覆われる。葉は長さ』六~十二『メートル、幅』一・五『メートルの羽状葉で、羽片は』一~六『列で長さ』四十~七十『センチメートル、幅』五『センチメートルほどである。果実は類球形で直径』七『センチメートルほど。未熟果では緑色だが、熟すにつれて』、『黒となる』。『絶滅危惧種にはなっていないが、分布域の一部ではまれにしか見られなくなっているところもある。クモネズミ』(齧歯(ネズミ)目ネズミ亜目ネズミ下目ネズミ上科ネズミ科ネズミ亜科ネズミ亜族PhloeomyiniBatomys Carpomys Crateromys Musseromys Phloeomys の五属があり、種数は二十一種。総てフィリピンの雲霧林帯に固有の種群で、樹上性・夜行性の草食齧歯動物群である。ここは英文の当該族の解説“Cloud rat”に拠った)『など、絶滅危惧種となっている動物の中にはサトウヤシを主な食餌としているものもある』。『東南アジアでは砂糖を得るために商業的に栽培され、サトウヤシから作った砂糖はインドではグル (gur)、インドネシアではグラ・アレン (gula aren) と呼ばれる。インドネシアでは樹液を使ったラハン』(lahang)『という冷たい甘味飲料が飲まれている他、樹液を発酵させて酢(フィリピンのスカン・カオン』(sukang kaong)『)やヤシ酒(フィリピンのトゥバ』(tubâ)『、マレーシアおよびインドネシアのトゥアク』(tuak)『)を作る』。『新鮮な樹液から砂糖(赤糖)を取る際には、発酵を防ぐために砕いた唐辛子あるいはショウガを採集容器に入れる。採集した樹液を煮詰めて濃厚なシロップを作り、乾燥して黒糖を得る。タラバヤシ』(或いは「グバンヤシ」で、ヤシ科 コリファ(コーリバヤシ)属 Corypha utan )『など他のヤシからも同じ方法で砂糖が得られる』。『生の果汁と果肉には腐食性がある。樹液に糖分が豊富な一方、地中深くに根を張るため急斜面にも植えることができるうえ干ばつにも耐え、肥料も不要なことから、樹液をバイオエタノールの原料とすることで森林保護と燃料生産を両立できる作物として有望視されている』。『未熟な果物はフィリピンやインドネシアで食用とされ、それぞれカオン(kaong)およびブア・コラン・カリン(buah kolang-kaling)またはブア・タップ (buah tap)と呼ばれる。砂糖シロップで煮たものを缶詰とする』。『黒っぽい繊維質の樹皮はインドでドー(doh)、インドネシアでイジュク(ijuk)、フィリピンでユモット(yumot)あるいはカボ・ネグロ(Cabo negro)と呼ばれ、紐にしたり』、『ブラシやほうきを作るほか、屋根葺き材などにする』。『ボロブドゥールなどのジャワ地方の古い寺院のレリーフに関する研究から、古代ジャワの土着建築では屋根をサトウヤシの樹皮で葺いていたことが分かっている。これは現在でもバリの寺院やミナンカバウ人の伝統家屋であるルマ・ガダン、あるいはパガルユン宮殿にみられるゴンジョン』『という水牛の角を模した尖塔をもつ建物にみられる』。『葉や中肋は編籠などを作るのに使われる他、家具類の寄木細工にも用いられる』。『インドネシアではサトウヤシからデンプンを取り、米粉の代わりとして麺類やケーキなどの料理に用いる』。『フィリピンのカヴィテ州インダンは同国屈指のサトウヤシの産地で、サトウヤシ酢やトゥバの主産地になっており、毎年イロック祭を行っている。このイロック(Irok)とは、フィリピン北西部でサトウヤシを指す言葉である』。『スンダ列島の伝承によれば、サトウヤシにはウェウェ・ゴンベル(Wewe Gombel)という妖精がおり、そこでさらってきた子供たちを養っているのだという』とあった。こういった最後の民俗伝承の記載は、非常に大切である。

 なお、引用は「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「桄榔子」([077-24b]以下)のパッチワークである。

「棕櫚《しゆろ》」先行する「卷第八十三 喬木類 椶櫚」を参照されたい。

「椰子(やしほ)」先行する「卷第八十八 夷果類 椰子」を参照されたい。

「檳榔《びんらう》」先行する「第八十八 夷果類 檳榔子」を参照されたい。

「無漏子《むろし》」先行する「卷第八十八 夷果類 無漏子」を参照されたい。

「桄榔は、卽ち、鐵樹《てつじゆ》なり」良安が、サトウヤシを知っていたとは、到底、思われない。異名に「䥫木」=「鐵木」があるから、良安は本邦で「鐵」の字がつく「樹」である「鉄楓」を、それと同種であると勘違いしたのではないか?

バラ亜綱ムクロジ目ムクロジ科カエデ属テツカエデ  Acer nipponicum

で、小学館「日本国語大辞典」の「てつかえで【鉄楓】」によれば、『カエデ科の落葉高木。本州の東北地方、四国・九州の山地に生える。高さ約五メートル。若枝には赤褐色の細毛がある。葉は太い柄を』持ち、『対生する。葉身は』、『ほぼ五角形で幅約』十五『センチメートル。浅く五裂し、重鋸歯』『があり、基部は心臓形。六~七月、枝先に長さ』十『センチメートルぐらいの細い円錐花序を直立し、径三~四ミリメートルの黄白色の五弁花を密につける。果実の翼は』、『ほぼ直角に開く。材は黒みを帯び』、『家具・細工物に利用。てつのき。』とある。当該ウィキによれば、『日本固有種』で、『本州の岩手県・秋田県以南、四国および九州に分布し、寒冷な山地の沢沿いから山地中腹に生育する』。『珍しいカエデで、雪が多い地方に生える』とある。但し、『三絃(さみせん)の棹、及、胴と爲。人、以、之れを貴重す』という用法は、ネット上では全く見当たらないので、これだとすると、その情報が現在の記事にないというのは、甚だ不審で、テツカエデであるとは、断定出来ない。しかし、黒みを帯びているというのは、三味線に使いたくなるものでは、あるな。

「花梨(くはりん)」これは――バラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連カリン属カリン Pseudocydonia sinensis ではない――ので、注意! 「どうして?」ってか? 良安はね、『世間が言っている「花梨」を「くはりん」(かりん)と読むのは誤りだ!』と言っているからなのである! 「どこでよ? じゃあ、何よ?」ってか? エラく困らせられた「卷第八十三 喬木類 華櫚木」を見て貰おうじゃねえか! これは――双子葉植物綱マメ目マメ科マメ亜科ツルサイカチ連インドカリン属ビルマカリン Pterocarpus macrocarpus ――なんだよ! ここでは成樹ではなく、木目と色のみを言っているのは、当時、中国経由で輸入された木材を彼が管見していることを意味するんだよ!

『「畫譜」に『鐵樹』と云ふ者、有り。其の形狀、桄榔と大に異なれり【「喬木類」に出づ。】』「畫譜」は東洋文庫の巻末の「書名注」によれば、『七巻。撰者不詳。内容は『唐六如画譜』『五言唐詩画譜』『六言唐詩画譜』『七言唐詩画譜』『木本花譜』『草木花譜』『扇譜』それぞれ各一巻より成っている』とある。原画を見ることが出来ないので、何んとも言えない。]

2025/04/17

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 無漏子

 

Natumeyasi

 

むろし     千年棗 海棗

        萬歲棗 畨棗

        波斯棗 金果

無漏子

        樹名鳳尾蕉

ウヽ レ゚ウ ツウ 又名海㯶

 

本綱無漏子生波斯國今嶺南皆有之其木無旁枝直聳

三四𠀋至巓四向共生十餘枝葉如鳳尾亦如㯶櫚皮如

龍鱗二月開花狀如蕉花有兩脚漸漸開罅中有十餘房

子長二寸黃白色狀如棗而大六七月熟則黒色味甘如

飴伹五三年一着子其子【甘溫】補中益氣令人肥健

 

   *

 

むろし     千年棗《せんねんさう》 海棗

        萬歲棗 畨棗《ばんさう》

        波斯棗《はしさう》 金果

無漏子

        樹を「鳳尾蕉《ほうびしやう》」と名づく。

ウヽ レ゚ウ ツウ 又、「海㯶《かいそう》」と名づく。

 

「本綱」に曰はく、『無漏子は、波斯國(ハルシヤ)に生ず。今、嶺南[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]に、皆、之れ、有り。其の木、旁枝《ばうし》[やぶちゃん注:横向きに生える枝。]、無く、直《ちよく》に聳《そびえ》、三、四𠀋。巓《いただき》に至《いたり》て、四(《よ》も)に向《むき》、共に生ずること、十餘枝。葉は、鳳≪の≫尾のごとく、亦、㯶櫚《しゆろ》のごとし。皮は、龍≪の≫鱗のごとし。二月、花を開く。狀《かたち》、蕉《しやう》[やぶちゃん注:芭蕉。単子葉植物綱ショウガ目バショウ科バショウ属バショウ Musa basjoo 。]の花のごとく、兩脚、有《あり》て、漸漸に開く。罅(ひゞ)の中に、十餘房、有り。子《み》の長さ、二寸。黃白色。狀、棗《なつめ》のごとくにして、大なり。六、七月、熟して、則《すなはち》、黒色≪たり≫。味、甘《あまく》、飴のごとし。伹《ただし》、五、三年に一たび、子を着く。其の子【甘、溫。】、中《ちゆう》[やぶちゃん注:漢方の「脾胃」。]を補《ほし》、氣を益し、人をして肥健ならしむ。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:これは、

単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ナツメヤシ属ナツメヤシ Phoenix dactylifera

である。「維基百科」の同種のページ「椰枣」(「」は「棗」の簡体字)の、別名の記載の中に「无漏子」(「无」は「無」の簡体字)とある。そこには、他に(簡体字を正字化して示す)「棗樹・海棗・棕棗・波斯棗・伊拉克蜜棗」(「伊拉克」は国名の「イラク」の漢名)「・無漏子・番棗」(標題下の「棗」と同字)「・海棕」(「棕」は「棕櫚」と同義)・仙棗」とあるので、種同定は完璧である。当該ウィキを引く(注記号はカットした。一部を示さずに省略した。一部で他のウィキのリンクを張った)。『ナツメヤシ(棗椰子』『)は、ヤシ科に属する常緑の高木である。ナツメヤシの果実はデーツ(Date)と呼ばれ、北アフリカや中東では主要な食品の一つであり、ナツメヤシが広く栽培されている。デーツは乾燥させて保存食にできる』。『ナツメ』(双子葉植物綱バラ目クロウメモドキ科ナツメ属ナツメ Ziziphus jujuba var. inermis 『と名前や果実が似ているが』、全く縁のない『別種である』。『ナツメヤシは非常に古くから栽培されているため、本来の分布がどうであったかは定かではない。北アフリカか西南アジアのペルシャ湾沿岸が原産』(☜)『と考えられている』。『耐寒性は低いものの、乾燥には比較的強い。雌雄異株。樹高は』十五~二十五『メートル』『で、単独で生長することもあるが、場合によっては同じ根から数本の幹が生え群生する。幹は強靱であるが、植物学的には茎が完全に木質化していないので木本ではないという人もいる。幹の表面は古い葉柄の基部で覆われている。茎の頂部から長さ』五メートル『にもなる葉が』二十~三十『枚ほど出ている』。『葉は羽状で、長い葉柄は』三メートル『に達する。葉柄には棘が存在し、長さ』三十センチメートル、『幅』二センチメートル『ほどの小葉が』百五十『枚ほど付く。実生』五『年目くらいから実をつけ始める。樹の寿命は約』百『年程が普通であるものの、場合によっては樹齢』二百『年に達することもある。真夏の乾燥した大地でも、地下水や灌漑によって水を供給していれば』、百五十『年は生育することができる』。『雌雄異株であり、雄株の花粉が雌株の雌蕊に受粉すると、果実(デーツ)が実る。栽培ナツメヤシでは、風媒や虫媒に任せず、人力によって人工授粉が行われる』。『メソポタミアや古代エジプトでは紀元前』六『千年紀には既にナツメヤシの栽培が行われていたと考えられており、またアラビア東部では紀元前』四『千年紀に栽培されていたことを示す考古学的証拠も存在する。例えば、ウルの遺跡(紀元前』四千五百『年代』~『紀元前』四百『年代)からは、ナツメヤシの種が出土している。シュメールでは「農民の木」とも呼ばれ、ハンムラビ法典にもナツメヤシの果樹園に関する条文がある。アッシリアの王宮建築の石材に刻まれたレリーフに、ナツメヤシの人工授粉と考えられる場面が刻まれていることはよく知られている』(グーグル画像検索「アッシリア 王宮 レリーフ ナツメヤシ」をリンクさせておく)。『紀元前』千『年ごろの古代ヘブライ語の文献、古代エジプトのパピルスにもナツメヤシは登場する』。『ナツメヤシはギルガメシュ叙事詩やクルアーンにも頻繁に登場し、聖書の「生命の樹」のモデルはナツメヤシであると言われる。クルアーン第』十九『章「マルヤム」には、マルヤム(聖母マリア)がナツメヤシの木の下でイーサー(イエス)を産み落としたという記述がある。アラブ人の伝承では大天使ジブリール(ガブリエル)が楽園でアダムに「汝と同じ物質より創造されたこの木の実を食べよ」と教えたとされる。またムスリムの間では、ナツメヤシの実は預言者ムハンマドが好んだ食べ物の一つであると広く信じられている』。『なお、日本の文献において、聖書やヨーロッパの文献に登場するナツメヤシは、シュロ』(単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属 Trachycarpus )『以外のヤシ科の植物が一般的ではなかった日本で紹介された時に、しばしば「シュロ」や「棕櫚」と誤訳されている』。二〇〇五『年、イスラエルの死海近くにあるマサダ城址から出土したナツメヤシの種子は、炭素年代測定によって約』二千『年前のものであることがわかった。少量の水とホルモン処理によって』、『この種子の一つが発芽に成功し、実生の雄株が古代イスラエル時代のナツメヤシの唯一の生きた標本だと考えられている。このナツメヤシの木はメトセラと名付けられ、ネゲブ砂漠のキブツに植えられた』。『ナツメヤシの木はアラブ世界の文化における重要なアイテムであるため』、二〇一九年と二〇二二『年に「ナツメヤシの知識、技能、伝統と慣習」はUNESCOの無形文化遺産に登録された』。『ナツメヤシの果実はデーツとよばれ、中東地域のあらゆる文化を象徴する果実であると同時に』三『分の』二『もの糖質を含む主食として多くの人々が砂漠で暮らすことを可能とし、歴史の流れを変えた。エジプトでは』千五百『万本ものナツメヤシが栽培され、毎年』百『万トン以上のデーツを生産しており、その内から輸出されているものは』三『%にすぎない』。『英語でナツメヤシの果実を指す「デーツ」の語源はギリシア語で「指」を意味する「ダクティロス(Dactylos)」であると言われているが、アラビア語の「ダカル(』ラテン文字転写(以下同じ:『daqal)」(ナツメヤシの』一『種)を含むセム諸語におけるデーツの実の呼称が由来であるとする民間語源的な説もある』。『ナツメヤシの果実はいくつもの品種があるほか、その熟度によっても区別がなされている。その代表例は以下の通りとなっている』。

・キムリー(kimrī)乃至はキームリー(kīmrī):(『デーツの実の成長期間の中でも最も長い日数を占める。まだ成長途中で緑色を帯び始めたもの』)

・ハラール(khalāl)乃至はハリール(khalīl):(『実が大きくなり』、『緑色が次第に黄色や赤を帯び始めたもの』)

・ルタブ(ruṭab):(『身の色が変化が進むとともに実の中の水分量が増し、熟して柔らかくなったもの』)

・タムル(tamr):(『完熟を迎え』、『水分が抜けて実が縮み、色もくすんだ暗い色に変わったもの』)

『ナツメヤシの果実は楕円球型をしており、短軸の直径が』二~三センチメートル、『長軸は』三~七センチメートル『程度である。この中に、長さ』二~二・五センチメートル『厚さ』六~八ミリメートル『程度の種子が』一『つだけ入っているのが本来の姿ながら、品種によっては種子の入っていないものもある。実が熟するまで少なくとも』六『か月を要する。熟すと、色は品種にもよるが』、『明るい赤から黄色になる。なお、デーツは保存のために乾燥させることもあるが、干すと濃褐色になる』。『デーツはグルコース、フルクトース、スクロースの含有量によって、ソフト、セミドライ、ドライの』三『種類に分類される。なお、約』四百『種の品種を持つデーツの中でも、イランの品種であるピアロム種』(Piarom)『が最高品種であると言われている』。『新鮮なデーツには豊富なビタミンCが含まれ』、百グラム『当たり』二百三十キロカロリー『ある。乾燥したものは』百グラム『当たり』三グラム『の食物繊維が含まれ』、二百七十キロカロリー『ある』。『デーツの』二〇〇四『年の全世界での生産量は』六百七十『万トンに達し、主な生産国はエジプト』・『イラン』・『サウジアラビア』『で』、四十一・五%を占める。『ナツメヤシは自然界では風によって受粉が行われ、自然に果実をつける。しかし、栽培農業としては完全に人工授粉を行う。この人工授粉の技術は古代アッシリアの時代から知られていたと考えられている。人工授粉することで』一『本の雄株から』五十『本の雌株に授粉でき、より多くの果実を生産できるようになる。雄株を全く栽培せずに、授粉の時期に雄花だけを市場で購入する生産者も存在する』。『受粉は労働者によって梯子の上で行われるが、現代では昇降機が使われている。古代アッシリアの彫刻には、雄花の房らしきものを雌花の房の上で振って花粉を振りかけている様子が刻まれている。単為結実する栽培品種も存在するが、種子のない果実は小さく、また品質も劣る』。『ナツメヤシの繁殖は、組織培養を行うか、根元周りに土を盛り上げて、出てきた根萌芽(ねほうが)を植え替えたりして行われる。これにより、実をつけない雄株の本数を最小限にし、多くの栽培品種をコントロールできるようにしている』。『デーツはイラクやアラブ諸国、西は北アフリカのモロッコまでの広い地域で、古くから重要な食物とされてきた。イスラム諸国では伝統的にラマダーン期間中の日没後、牛乳と共に最初に採る食事である。また、砂漠のような雨が少ない地域でも育つ上に、乾燥させると長期保存が可能であるため、乾燥地帯に住むサハラ砂漠の遊牧民やオアシスに住む人たちにとって、大切な食料の一つとなってきた。カロリーも高いため、主食として主たる炭水化物源食物とすることも容易であり、遊牧生活を送るアラブ人であるベドウィンは、伝統的に乾燥させたデーツと乳製品を主食としてきた』。『デーツは柔らかくなったものや干したものを』、『そのまま食べるか、あるいはジャムやゼリー、ハルヴァ、ジュース、菓子などに加工される。また、デーツは料理の材料として利用されることもある。チュニジアではデーツを小麦粉で包み揚げ、砂糖シロップに漬けて完成となるマクルードがある。レバント地域などではバタークッキーにデーツなどを詰めたマアムールが食されている』。『古代メソポタミアでは、デーツは穀物よりも安価であったこともあり、デーツのシロップは蜂蜜の代用品ともなった。現在でも、デーツシロップやデーツ糖としての生産・販売が行われている』。『デーツはフルクトースを多量に含むため、水に浸したものをアルコール発酵させて酒(アラック、モロッコの「マヒア (mahia) 」など)の醸造も行われ、さらに酢酸菌を作用させて食酢の醸造も行われる』。『また、乾燥させて粉状にしたデーツは、小麦粉と混ぜて保存食にする。この他にも、乾燥させたデーツは、サハラ砂漠付近においてラクダやウマ、イヌなどの餌(飼料)にもされる』。『日本では種子を抜いて乾燥させたものが市場に出回っていることが多い。また、ウスターソースの日本風アレンジとして日本で売られている豚カツ用のソースやオタフクソースのお好み焼き用ソースには、とろみや甘みを出すためにデーツを原材料の一つとして使っている製品もある。 また、欧米では健康志向の高まりから、砂糖の代替品として着目され、グリーンスムージーの材料として利用されたことをきっかけに広まりを見せており、日本にも』二〇一〇『年代後半より』、『健康目的でのデーツの消費が増えつつある。前述のオタフクソースも』二〇二〇『年にデーツを商品として売ったところ、大ヒットしたとされている』。『ナツメヤシの種子は、ラクダなどの動物の飼料とされ、また、種子から取れる油脂は、石鹸や化粧品として用いられる。さらに、種子は化学的な処理によってシュウ酸の原料ともなる。種子を炭化したものは銀細工に用いられ、またそのままネックレスにしたりもする』。『ナツメヤシの樹液は糖分を多く含むため、インドのベンガル地方では樹液を煮詰めて砂糖を作り、干菓子として利用する。またリビアでは、樹液を発酵させてラグビ (Laghbi) という酒を醸造する』。『株の先端の若い芽はジュンマール(Jummar)と呼ばれ、野菜として食用にされる。若い芽は成長点を含み、これを収穫されるとナツメヤシは死んでしまうので、若い芽の利用は主に果樹としての盛りを過ぎた木に限られている』。『ナツメヤシの葉は、北アフリカでは帽子の材料として一般的であり、敷物や仕切り布、籠、団扇などにも用いる。ナツメヤシの葉はキリスト教での「棕櫚の主日」』(=イエス・キリストのエルサレム入城の日)『の祭事に使用される。ユダヤ教では閉じたままの若い葉をルラヴ』(Lulav)『と呼び、「仮庵の祭り」で新年初めての降雨を祈願する儀式に用いる四種の植物の一つとする。イラクなどアラブ諸国には、祭日にナツメヤシの葉で家屋を飾る習慣がある』。『ナツメヤシの幹は、建材としたり、燃料としても用いる』とある。

 なお、引用は「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「無漏子」([077-23a]以下)のパッチワークである。]

2025/04/13

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 椰子

 

Yasi

 

[やぶちゃん注:樹の頂上に描かれている左(奥)と右の椰子の実は勝手な想像で、ヤシの実としてはアウトだ。中央のクラゲみたようなそれは、群花の形状としては、少しばかり、ヤシ・ナツメヤシのそれに似ているようには見えなくはないが、やっぱり、ちゃうで!……。

 

やしを  越王頭

     胥餘

椰子

     俗云夜之保

ヤアアツウ

 

本綱椰子嶺南有之果中之大者其樹初栽時用鹽置根

下則昜發木至斗大方結實大者三四圍髙五六𠀋木似

桄榔㯽榔之屬通身無枝其葉在木頂長四五尺直聳指

天狀如棕櫚勢如鳳尾二月開花成穗出於葉閒長二三

尺大如五斗噐仍連着實一穗數枚小者如栝樓大者如

寒瓜長七八寸徑四五寸懸着樹端六七月熟有粗皮包

之皮內有核圓而黒潤甚堅硬厚二三分殼內有白肉瓤

如凝雪味甘美如牛乳瓤肉空𠙚有漿數合鑚蔕傾出清

美如酒若久者則混濁不佳矣其殻磨光有斑纈㸃紋橫

破之可作壺爵縱破之可作瓢杓如酒中有毒則酒沸起

或此噐裂破者𣾰其裏卽失用椰子之意【林邑王與越王有怨使刺客乘其醉取其首懸于樹化爲椰子其核猶有兩眼が故俗謂之越王頭而其漿猶如酒也此說雖謬而俗傳以爲口實】

 

   *

 

やしを  越王頭《えつわうとう》

     胥餘《しよよ》

椰子

     俗、云ふ、「夜之保《やしほ》」。

ヤアアツウ

 

「本綱」に曰はく、『椰子は嶺南[やぶちゃん注:広東省・広西省。]に、之れ、有り。果中《くわちゆう》の大なる者なり。其の樹、初《はじめて》、栽《うう》る時、鹽《しほ》を用《もちひ》て、根の下に置けば、則《すなはち》、發し昜《やす》し。木、斗《とます》[やぶちゃん注:斗枡。]の大さ《✕→太さ》に至《いたり》て、方《まさ》に、實を結ぶ。大なる者、三、四圍《めぐり》、髙さ、五、六𠀋。木、桄榔《くわうらう》・㯽榔《びんらう》の屬に似て、通身、枝、無し。其の葉、木の頂《いただき》に在り。長さ、四、五尺。直《ちよく》に聳《そびへ》て、天を指す。狀《かたち》、棕櫚(しゆろ)のごとく、勢《いきおひ》、鳳《ほう》の尾のごとし。二月、花を開き、穗を成して、葉≪の≫閒より出づ。長さ、二、三尺。大いさ、五斗の噐《うつは》のごとし。仍《よつ》て、實を連(つら)ね着(つ)く。一穗、數枚。小なる者、栝樓《からう》のごとく、大なる者、寒瓜《かんか》のごとく、長さ、七、八寸。徑《わた》り、四、五寸。懸《かけ》て、樹の端に着(つ)く。六、七月、熟す。粗≪き≫皮、有《あり》て、之≪れを≫包《つつむ》。皮の內に、核《さね》、有《あり》、圓《まろく》して、黒く、潤≪ひて≫、甚だ堅硬なり。厚さ、二、三分。殼の內に、白≪き≫肉、有り。瓤《うりわた》、凝(こほ)れる雪のごとく、味、甘美にして、牛乳のごとし。瓤≪の≫肉、空なる𠙚に、漿(しる)、數合、有り。蒂《へた》を鑚(き)りて、傾《かたぶ》け、出《いだ》す。清美にして、酒のごとし。若《も》し、久《ひさし》き者は、則《すなはち》、混濁して佳ならず。其の殻(から)、磨(す)り《✕→れば》、光≪りありて≫、斑纈㸃《まだらのしぼり》≪の≫紋、有り。橫に、之れを破りて、壺・爵(さかづき)に作るべし。縱(たて)に、之れを破り、瓢杓《ひさごのしやくし》に作《な》すべし。酒≪の≫中に、毒、有る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、酒、沸(わ)き起《おこ》る。或いは、此の噐《うつは》、裂破する者≪なり≫。其《その》裏を𣾰(うる《し》)≪せ≫ば、卽ち、椰子を用《もちひ》るの意、失《しつ》す【林邑王《りんぱわう》、越王と、怨み、有り。刺客をして、其の醉《ゑひ》に乘じて、其の首を取《とり》て《✕→しめて》、樹に懸《かけ》たり。化《け》して、椰子と爲る。其の核、猶ほ、兩眼、有るがごとし。故に、俗、之れを「越王頭」と謂へり。而して、其の漿《しる》、猶を[やぶちゃん注:ママ。]、酒のごときなり≪と≫。此の說、謬《あやまり》と雖も、俗傳、以つて、口實《こうじつ》[やぶちゃん注:語り草。]と爲す。】』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:東洋文庫訳では、訳文の本文冒頭の『椰子(やし)』の割注に、『(ヤシ科ヤシまたはココヤシ)』とする。「ヤシ」という種は存在しないので、

単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceae

であり、「ココヤシ」は、

ヤシ科ココヤシ属ココヤシ Cocos nucifera

を指す。ココヤシには品種があるが、例えば、英語“Macapuno”(マカプノ)或いは、“coconut sport”という、胚乳の異常な発達を示す自然発生のココヤシの栽培品種があるが(英文の“Macapuno”のウィキを参照した)、正式な科学記載は一九三一年であるから(探してみたが、学名は見当たらない)、ここでは候補にならない。所持する第二版「世界大百科事典」の、まず、「ヤシ(椰子)」「ヤシ palm」の項を引く(コンマを読点に代えた)。『木本性の単子葉植物。日本では従来,ココヤシ』『を単にヤシと呼んでいたが,近年ではヤシ科の植物を総称してヤシ』と呼ぶ。『【ヤシ科 Palmaepalm family)】』『木本性の単子葉植物として、イネ科のタケ類とともに特異的な存在であるヤシ科の植物は、ほとんどの場合、幹は分枝せず』、『二次肥大生長もしないうえに、大きな葉を幹の頂端部に群がりつけ、熱帯の景観を特徴づける。いわゆるヤシ形の生活形になる。約』二百二十『属』二千五百『種を有し、それらの大部分は熱帯や亜熱帯に分布し、シュロのようなごく少数の種が暖温帯に生育する。また、この多数の属や種の多くは限定された狭い地域にのみ分布するという、固有性の強い植物群でもある』。『幹(茎)は単一で直立するものが多いが、シュロチクのように株立ちになるもの、トウのようにつる性のもの、あるいはニッパヤシ』『のように地表を横走するものもある。葉は葉比(ようしよう)、葉柄、葉身の三つの部分に分化しており、しばしば大型となり、ニッパヤシのように』十メートル『をこえることもある。葉比基部は』、『しっかりと茎を抱き、新葉と芽を包む。この葉比部の維管束が残ったのが、シュロのシュロ毛である。葉身は扇状の単葉から扇状あるいは羽状に切れ込んだ複葉まで、さまざまである。各小葉は、発生のときに単一の折りたたまれた葉身の折目の部分が切り離されるというヤシ科に特有の形態形成過程を経て、つくられる。またこの折りたたまれた下側の折目で切れるか、上側の折目で切れるかで、ヤシ科は大きく』二『群に分けられる。花は単性あるいは両性で小さく、黄色から黄緑色で目立たないが、多数が花軸の上に密集して肉穂花序を作り、それが大きな苞(仏索苞(ぶつえんほう))に包まれ、基本的には虫媒花である。開花期には多数のハナバチ類や甲虫などが集まる。葉腋(ようえき)あるいは茎頂から出る肉穂花序は、単純な棒状からシュロのように多数分枝するもの、あるいは短縮して球形(ニッパヤシ)になるものとさまざまである。花被は内・外それぞれ』三『枚の花被片からなり、両者にそれほど違いはない。おしべは通常』六『本、めしべの子房は』一『室または』三『室で、各室に』一『個の胚珠がある。果実は液果、核果あるいは堅果などで、大きさはさまざまであるが、比較的大型のものが多い。種子はよく発達した胚乳を有するが、その胚乳は油脂あるいはヘミセルロースであることが多い。前者の場合は油料植物として重要になるし、後者の場合は硬質で、ゾウゲヤシのように細工物に利用されることがある』。『ヤシ科は肉穂花序を有する点からサトイモ科に近縁と考えられたり、木質の幹や花序の形からタコノキ科に近いとされたりするが、すでに中生代から化石の出る古い植物群で、単子葉植物のなかでは独自に進化した系統群であろう』。『ヤシはそのエキゾチックな樹形からフェニックス、シュロ』、『カンノンチク、シュロチク、ビロウなど暖地で観賞用に栽植されるものも多いが、熱帯ではその他に多数のヤシ類が街路、庭園、公園の植栽に利用されている。木質化した幹は硬質で割裂しやすく、耐腐性があるものは建築材をはじめ細工物に、またトウのように柔軟なつる性のものではかごやマットあるいは結束料に多用される。大きな葉も、ニッパハウス(ニッパヤシの葉を編んで屋根や壁にした家)で代表されるように、屋根ふきや壁に利用される。シュロの葉比やココヤシの果実の殻のように、繊維を取り出して利用することも多い』。『食用植物としてのヤシの利用も多面的である。葉比につつまれた新芽は柔らかく、東南アジア・マレーシア地域には野菜として利用される種が多数ある。若い花序を切ると糖液を分泌する種(サトウヤシが代表的)では、糖みつを採取したり、アルコール飲料を作るのに用いられる。果実が食用あるいは油脂源とされるものは多いが、なかでもココヤシ、アブラヤシ、ナツメヤシ』『の』三『種が有名で、熱帯の重要な栽培作物となっている。サゴヤシ』『は幹からデンプンが採取され、サラッカは果実が果物になることで有名である。また』、『つや出しワックスで有名なカルナウバ駐(ろう)carnauba wax は南アメリカ産のカルナウバヤシ Copernicia cerifera の葉から採取される。アレカヤシ(ビンロウ)のように果実にアルカロイドを含有し、興奮性の嗜好料に使われるものもある。ヤシ類は工業社会の影響を受ける前の熱帯域では、それぞれの地方に特産するさまざまな種類が、その地域の人間の生活に深く結びついて利用されていた。現在でもアブラヤシやココヤシのように、工業原料としての油脂源植物として大規模なプランテーション栽培が行われている重要な作物を含む植物群である』とある。

 以下、同事典の「ココ椰子 」「ココヤシ coconut palm」の項。『 世界各地の熱帯の海浜や河口地域に栽培される代表的なヤシ科の高木』。『ココナッツともいう。栽培の歴史は古く,原産地や伝播(でんぱ)の歴史はつまびらかでない。インドへは』三千『年前にすでに渡来していたといわれる。中国の記録によると』、二九〇年~三〇七年頃(西普後末期)から、『中国南方やアンナンで栽培されていた。樹高』三十メートル『に達し、通常は単幹で直立する。頂部に長さ』五~七メートル『の壮大な羽状葉を群生し、幹上には輪状の葉痕を残す。葉腋』『から花序を出し、分枝した花穂の基部に』一個から『数個の雌花を、上部に多数の雄花をつける。おしべは』六『本、子房は』三『室からなり、通常そのうちの』一『室のみが成熟する。果実は直径』十~三十五センチメートル、『成熟につれ』、『緑、黄、橙黄から灰褐色となるが、品種により色調の変化は異なる。中果皮は繊維状、内果皮は堅く厚い殻となり』、三『個の発芽孔がある。繁殖は実生による』。三~六ヶ『月で発芽し』、七~八『年から収穫』、一『樹当り年間』四十~八十『個が得られる。品種が多くあり、セイロン島のキングヤシは早生で樹高が』二メートル『ほどの低さで、結実するので有名である』。『ココヤシの果実は、その成熟の過程でいろいろに利用されている。若いものは利用されることはほとんどないが、大きくなった半成熟果の胚乳は液状の胚乳液と内果皮に接した部分のゼラチン状の脂肪層とに分化し、胚乳液は飲用に、脂肪層は食用にされる。成熟果になると脂肪層は硬くなる。これを削り具でけずり、しぼったのがココナッツミルク coconut milk で、あらゆる食物の調味料として熱帯では多用される。また、この脂肪層をはぎ取って乾燥したのが、工業的な脂肪原料として重要なコプラ copra である。コプラはマーガリン、セッケン、ろうそく、ダイナマイトなどを作る油脂原料となる。なお、半成熟果の胚乳液は植物生長物質に富むため、植物の組織培養実験にしばしば用いられる。この場合にもココナッツミルクの呼称が用いられるので注意を要する。発芽が始まると、胚乳液の部分は油脂分に富むスポンジ状に変化し、これもやはり食用になる。花房を切り、切口からしみ出る甘い樹液は飲用とされる。またそれを発酵させたものはヤシ酒や酢となる。ヤシ酒はとくにミクロネシアで重要な嗜好品である。食物として以外にも、中果皮の繊維はヤシロープや燃料に、内果皮の殻はスプーン、飾りなどの日用品になる。葉は編料となり、籠、敷物、屋根ふきや壁材となる。若芽の柔らかい部分はココナットキャベツと呼ばれ野菜にされることがある』。『フィリピン、インドネシア、オセアニア地域で大規模なプランテーション栽培がおこなわれていて、重要な現金収入源となっている。このように原住民の生活に重要なココヤシは、コプラが商品化されることもあって個人の所有とされることが多い』とあった。邦文のウィキの「ヤシ」、及び、「ココヤシ」もリンクさせておく。

 なお、引用は、前項と同じで、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「椰子」([077-21a]以下)のパッチワークである。

「棕櫚(しゆろ)」先行する「椶櫚」の私の注の冒頭部の考証を参照されたい。

「栝樓《からう》」双子葉植物綱スミレ目ウリ科カラスウリ属 Trichosanthes kirilowii 変種キカラスウリ(黄烏瓜) Trichosanthes kirilowii var. japonica 。日中同じ。中文名は「日本栝樓」。なお、本邦でお馴染みの私の好きなカラスウリは、Trichosanthes cucumeroides で中国にも分布し、中文名は「王瓜」。

「寒瓜《かんか》」中国語ではスイカ(ウリ目ウリ科スイカ属スイカ Citrullus lanatus )を指す。本邦ではトウガン(冬瓜:ウリ科トウガン属 Benincasa pruriens 品種トウガン Benincasa pruriens f. hispida )を指し、現行の中文名は「冬瓜」。

「林邑王《りんぱわう》、越王と、怨み、有り。刺客をして、其の醉《ゑひ》に乘じて、其の首を取《とり》て《✕→しめて》、樹に懸《かけ》たり。化《け》して、椰子と爲る。其の核、猶ほ、兩眼、有るがごとし」昔、漢籍で、よくお世話になったサイトだが、HPが開けないので、お名前を示せない。とこかくも、このページに記されてある。そこでサイト主が、最後に『なるほどなあ。勉強になった』。『と思ったところ、明の李時珍が、「だまされてはいけませんなあ」と腕組みしておっしゃるのであった』。『「この「越王頭説話」は

『南人称其君長為爺、則椰名蓋取于爺之義也』。

『南人その君長を称して爺(ヤ)と為せば、すなわち「椰」の名は蓋し「爺」の義に取るなり』。

『南方のひとは、その首長のことを「爺」(ヤ)と呼んでおります。ただしこれは「年長者」の意じゃ。「椰」の「ヤ」を「爺」であろうと考えて作ったお話でしかないのですからな。」』。『なるほどなあ。勉強になりました。こんなのに騙されているようでは、「悲しき熱帯」を百回ぐらい読んで暗誦するぐらい勉強しないといけませんね』。『なお、前漢の時代には既にチュウゴク本土に知られており、「胥余」(ショヨ)あるいは「胥爺」(ショヤ)と呼ばれていたそうである』とあった。]

2025/04/08

和漢三才圖會卷第八十八 夷果類 檳榔子

[やぶちゃん注:ここで出る「檳榔」の「」の字は、実は、総てが、「檳」の異体字である「」である。しかし、私は、どうもこの異体字が生理的に好きでない(具体的には「賓」の異体字「」が厭なのである)。しかも、説明の際に、いちいち、同じものなのに、分けて表記しなければならないのは、面倒なだけで一利もない。されば、「」は「檳」で統一した。但し、項目標題下の注に出る「」は、それでちゃんと示してある。悪しからず。

 

Birou

 

[やぶちゃん注:右下方に「檳榔子」と記したものの実が二個、左下方に「大腹子」と記したものが(実は「檳榔子」の皮)が一つ、添えてある。しかし、見た目は巨大な「松ぼっくり」のような外形で、凡そ、この種――単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科 Arecaceaeのビンロウ Areca catechu ――の実のようには、見えない。これ、実物を写したものではないのではないか?

 

びんらうし  賓門 仁頻

       洗瘴丹

檳榔子

       賔與郞皆貴

       客之稱

 

本綱檳榔子生南方初生若筍竿積硬引莖直上莖幹頗

似桄榔椰子而有節旁無枝柯條從心生端頂有葉如甘

蕉條沠開破風至則如羽扇掃天之狀三月葉中腫起一

房因自折裂出穗凡數百顆大如桃李又生剌重累于下

以護衞其實五月成熟剝去其皮煮其肉而乾之皮皆筋

絲與大腹皮同也其樹大者三圍髙者九𠀋伹其子作雞

心狀正穩心不虛破之作錦文者爲佳

嶺南人常食當果代茶交州廣州人凡有貴客必先呈之

若邂逅不設用相嫌恨則檳榔名義取于此南方地濕不

食此無以祛瘴癘也生食味苦澀與蠣蚌蚶等灰同咀嚼

之則柔滑甘美也

檳榔子【苦辛溫澀】 下一切氣通關節利九竅下水腫治瀉痢

 後重療諸瘧泄胸中至髙之氣使之下行性如鐵石之

 沉重治蚘厥腹痛其功有四一曰醒能使之醉葢食之

 久則𤋱然頰赤若飮酒然二曰醉能使之醒葢酒後嚼

之則寛氣下痰餘酲頓解三曰饑能使之飽四日飽能

[やぶちゃん注:「一日」「二日」「三日」「四日」は上付きにしたが、原本では、そこまで小さくなく、右半分位置にやや小さく配されている。訓読では〔 〕で本文と同ポイントで示した。]

 使之饑盖空腹食之則𭀚然氣盛如飽飽後食之則飮

 食快然昜消


たいふくし  大腹檳榔 豬檳榔

太腹子

本綱此卽檳榔中一種腹大形扁而味澀者不似檳榔尖

長味良耳與檳榔皆可通用但力稍劣耳

たいふくひ

大腹皮

本綱此卽大腹子之皮外黒色皮內皆筋絲如椰子皮葢

鴆鳥多集檳榔樹上凡用此宜先以酒洗後以大豆汁再

洗過乾入灰火煨用

大腹皮【辛微溫】 下一切氣止霍亂通大小腸消浮腫治胎

 氣惡阻


やまひんらう  蒳子

山檳榔

本綱山檳榔生日南【在廣州之南】其樹似栟櫚而小與檳榔同

狀一叢十餘幹一幹十餘房一房數百子子長寸餘

 

   *

 

びんらうじ  賓門 仁頻《じんぴん》

       洗瘴丹《せんしやうたん》

檳榔子

       「賔《ひん》」と「郞」、皆、

       「貴客」の稱。

 

「本綱」に曰はく、『檳榔子(《びんらう》じ)は、南方に生ず。初生、筍竿《たけのこ》のごとく、積硬《しやくかう》[やぶちゃん注:積み上がって堅いこと。]にして、莖《くき》を引《ひきて》、莖、直《ちよく》に上《のぼ》る。莖・幹、頗《すこぶる》、桄榔《くわうらう》[やぶちゃん注:双子葉植物綱マメ目マメ科ジャケツイバラ(蛇結茨)亜科センナ属タガヤサン Senna siamea を指す。詳しくは、先行する「鐵刀木」を見られたい。]・椰子《やし》に似て、節《ふし》、有り。旁《かたはら》に、枝、無≪く≫、柯條《かでう》、心[やぶちゃん注:芯。主幹。]より、生じて、端-頂(いたゞき)、甘蕉(ばせを)[やぶちゃん注:ここは「バナナ」の漢名。]のごとき葉、有り。條沠《でうは》[やぶちゃん注:直立して途中には枝を持たない幹の頂上から、葉を持った枝が分岐して叢生したものを指す。]、開破《かいは》[やぶちゃん注:四方にばさっと開くこと。]し、風、至る時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、羽扇、天を掃《はらふ》の狀《かたち》≪の≫ごとし。三月、葉≪の≫中≪に≫、一房《ひとふさ》を腫《はれ》起《おこ》し、因て、自《おのづか》ら折《をれ》裂《さけ》して、穗を出《いだ》す。凡《およそ》數百顆、大いさ、桃李《たうり/づばいもも》[やぶちゃん注:良安は「和漢三才圖會卷第八十六 果部 五果類 李」で文末に出る「桃李」に「ツハイモモ」とルビを振っている。双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ亜科モモ属モモ変種(突然変異)ズバイモモ Amygdalus persica var. nectarina で、ネクタリンの標準和名であり、日中共通である。]のごとく、又、刺(はり)を生《しやうじ》、下に重累《じゆうるい》して、以《もつて》、護衞す。其《その》實、五月、成熟す、其皮を剝去(はぎ《さ》)り、其肉を煮て、之を乾《ほ》す。皮、皆、筋絲《すぢいと》≪を呈し≫、「大腹皮《だいふくひ》」[やぶちゃん注:後に「大腹子」・「大腹皮」と罫線を挟んで二項の附属項があって、そこでは、まず、「大腹子」を「檳榔の一種」とし、「大腹皮」には「大腹子の皮である」とはっきりと記載されてあるのであるが、これは、時珍の言うような別種や亜種ではなく、同じビンロウの果皮を製した漢方名である。疑う方は、ビンロウの「維基百科」の「榔」(=檳榔)の「文化俗」(「」は「習」の簡体字)の最後の一行を見られたい。そこには、『榔的干燥果皮用作中药时,称大腹皮』と明確に記してあるからである。]と同じなり。其樹、大なる者、三圍《みまわり》、髙き者、九𠀋。伹《ただし》、其子《み》、雞《にはとり》の心[やぶちゃん注:心臓。所謂、「ヤキトリ」の「ハツ」。]の狀《かたち》を作《なす》。正穩《せいをん》にして、心は、虛ならず。之≪を≫破るに、錦≪の≫文《もん》を作す者、佳と爲《なす》。』≪と≫。

『嶺南[やぶちゃん注:現在の広東省・広西省。]の人、常に食《しよくし》、果に當《あ》て、茶に代(か)ふ。交州[やぶちゃん注:現在のヴェトナム北部。]・廣州[やぶちゃん注:現在の広東・広西省。]の人、凡《およそ》、貴客、有れば、必《かならず》、先づ、之れを、呈す。若(も)し、邂-逅(たまさか)に、設用≪せ≫ざれば、相《あひ》、嫌恨《けんこん》[やぶちゃん注:機嫌を損ねること。]≪す≫。則ち、檳榔の名義、此《これ》に取る。南方の地、濕(しめ)り、此れを食はざれば、以《もつて》、瘴癘《しやうれい》[やぶちゃん注:中国で古代から言われた特殊の気候や風土によって起こる伝染性の熱病。風土病。マラリアや象皮病(Elephantiasis)等が代表的。当時は、土や水から生ずる「瘴気」に拠るものと信じられていた。]を祛《とりさ》ること、無《ければ》なり。生にて、食へば、味、苦《にがく》澀《しぶ》し。蠣《かき》・蚌《どぶがひ/からすがひ》・蚶《あかがひ》等の灰と同《おなじ》く≪して≫、之≪と≫、咀嚼≪すれば≫、則《すなはち》、柔滑≪にして≫甘美なり。』≪と≫

『檳榔子【苦、辛、溫。澀《しぶし》。】』『一切の氣を下《くだ》し、關節を通し、九竅《きゆうけつ》[やぶちゃん注:人の身体にある九つの穴。口・両眼・両耳・両鼻孔・尿道口・肛門の総称。]を利し、水腫を下し、瀉痢・後重《こうじゆう》[やぶちゃん注:東洋文庫訳の割注に『便意はあるが』、『腹部が重く』、『痛みがあるもの』とある。]を治し、諸瘧《しよぎやく》[やぶちゃん注:各種のマラリア。]療じ、胸中至髙の氣《き》を泄《せつ》し、之れを使《し》[やぶちゃん注:主薬の使用際して、補助促進効果を持つ薬を言う。]≪と≫して、下行《かかう》ならしむ。性、鐵石《てつせき》の沉重《ちんちやう》[やぶちゃん注:沈着で重厚なさま。]なるがごとし。蚘厥腹痛《かいけつふくつう》[やぶちゃん注:ヒト寄生(或いは日和見感染寄生)する寄生虫によって発症すると考えられていた腹痛。但し、中医学では、寄生虫によるものではない内臓疾患も含まれていた。]を治す。其の功、四《よつつ》、有。〔一《いつ》に曰はく〕、醒《さめ》て≪をりながら≫、之れをして、能《よく》醉《ゑは》しむ。葢し、之≪れを≫食《くひ》、久《ひさしき》時は[やぶちゃん注:「時」は送り仮名にある。]、則《すなはち》、𤋱然《くんぜん》として、頰、赤、酒を飮むがごとく、然《しかり》。〔二に曰はく〕、醉《ゑひ》て、能《よく》之れを使して、醒《さめ》せしむ。葢し、酒≪の≫後《のち》に之《これを》、嚼《の》≪めば≫、則《すなはち》、氣を寛《くつろ》≪げ≫、痰を下し、餘酲《よてい》[やぶちゃん注:悪酔い。]、頓《とみに》解《かい》す。〔三《みつ》に曰はく〕、饑《うゑ》、能《よく》、之れをして、飽《あ》かしむ。〔四に日はく〕、飽《あきたる》を、能《よく》、之《これ》をして、饑《う》へせしむ[やぶちゃん注:満腹感にある状態を、正常な空腹感に変えさせて呉れる。]。盖《けだ》し、空腹に、之れを食へば、則《すなはち》、𭀚然《じゆうぜん》として、氣、盛《さか》んに[やぶちゃん注:正常な充足感を与えて、正常な気が活性化させ。]、飽《あきたる》がごとく、飽《あき》て[やぶちゃん注:尋常なる満腹感がやってきて。]、後《のち》に、之≪れを≫食へば、則《すなはち》、飮食、快然と≪ないて≫、消し昜《やす》し。』≪と≫。


たいふくし 『大腹檳榔』『豬檳榔』

『太腹子』

「本綱」に曰はく、『此れ、卽ち、檳榔の中の一種。腹、大にして、形、扁《ひらた》んして、味、澀《しぶ》る者なり。檳榔の尖《とがり》、長《ながく》して、味、良《よき》に似ざるのみ。檳榔と、皆、通用すべし。但《ただし》、力《りよく》[やぶちゃん注:効力。]、稍《やや》、劣《おとれ》るのみ。』≪と≫。

たいふくひ

大腹皮

「本綱」に曰はく、『此れ、卽ち、大腹子の皮なり。外、黒色。皮の內、皆、筋絲《すぢいと》、椰子の皮のごとし。葢《けだし》、

鴆鳥(ちん《てう》)、多く、檳榔の樹の上に集《あつま》る。凡そ、此を用《もちひ》るには、宜《よろし》く、先《ま》づ、酒を以《もつ》て、洗《あらひ》て後、大豆汁《だいづじる》を以て、再たび、洗過《あらひすぐ》し、乾《ほ》し、灰火《はひくわ》に入《いれ》て、煨《うづめやき》して用ふ。

大腹皮【辛微溫】 一切の氣を下し、霍亂を止め、大・小腸を通じ、浮腫を消し、胎氣惡阻《たいきおそ》[やぶちゃん注:所謂、「つわり」。]を治す。


やまひんらう  蒳子《なうし》

山檳榔

「本綱」に曰はく、『山檳榔は、日南《にちなん》[やぶちゃん注:紀元前一一一年に前漢の武帝が置いた中国最南の旧郡名。南越征服後、現在のヴェトナムに設置された三郡の最南部に相当する。隋の文帝楊堅により廃止された。ユエ(フエ)付近が中心。]【廣州の南に在り。】に生ず。其の樹、栟櫚(しゆろ)に似て、小《ちさ》く、檳榔と狀《かたち》を同《おなじ》≪くす≫。一叢≪に≫十餘≪の≫幹≪たり≫。一幹≪に≫十餘房≪にして≫、一房≪に≫數百≪の≫子≪生る≫。子の長さ、寸餘≪たり≫。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:既に示した通り、「檳榔子」は、

単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu

である。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『太平洋・アジアおよび東アフリカの一部で見られるヤシ科』Arecaceae『の植物』で、『種子は嗜好品として、噛みタバコに似た使われ方をされ、ビンロウジ(檳榔子、英: areca nutbetel nut)という場合は通常この種子を指すが、発』癌『性が指摘されており、「死の実」とも呼ばれる。マレー語では pinang と呼び、ペナン島の名の由来となった植物である』。『単幹で高さ』十~十七『メートル』、『まれに』三十メートル『に達する。高さの割にはほっそりした樹形をしており、幹には葉痕である横縞がある。雌雄同株であり』、一『つの花序に雌雄の花をそれぞれつける。果実は長楕円形、長さ』五『センチメートル』『前後で』、『オレンジ色から深紅色に熟す。果実は』一『本の幹に大量につくが』、一『個の果実の中にはマーブル模様の種子が』一『個入っている』。『ビンロウジと呼ばれる果実と、そこに含まれる化学物質をとるため、インドから熱帯アジア、フィジーまで、大規模農場で栽培されている』。『ビンロウジを噛むことはアジアの広い地域で行われている。ビンロウジの味は、「コウスイガヤ』(単子葉類植物綱イネ目イネ科オガルカヤ属コウスイガヤ Cymbopogon nardus )『やクローブ』(=双子葉植物綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum )『に消毒剤の臭いを足し、タンニンで思いっきり渋くしたよう」だと表現される。ビンロウジを細く切ったもの、あるいはすり潰したものを、キンマ(Piper betle;コショウ科の植物)の葉にくるみ、少量の消石灰を加えたパーン(Paan)と一緒に噛む。消石灰を加えるのは、混合物をアルカリ性にすると、薬物成分が出やすくなるためである』(☜:本文に出る「蠣・蚌・蚶は同じ効果を生じさせるためである)。『しばらく口の中で噛んでいると、アルカロイドを含む種子の成分と石灰、唾液の混ざった鮮やかな赤や黄色い汁が口中に溜まる。この赤い唾液は飲み込むと胃を痛める原因になるので吐き出すのが一般的である。吐き出すと口の中はさっぱりするが、しばらくするとアルカロイド成分が口内の粘膜を通じて吸収されて、軽い興奮・酩酊感が得られるが、煙草と同じように慣れてしまうと感覚は鈍る。そして最後にガムのように噛み残った繊維質は吐き出す』。『タイのバンコクから』三十~八十『キロメートル』『北方では、農民は水田耕土中の酸性度を吐き出した実の色の変化で測定する。口の中で赤色をしていたものが、土の酸性が強いと黒色に変化し、酸性が弱いと赤い色のままで変化しない性質を利用したものである。黒色だとまだ耕作するのは早いということであり、赤のままであったら播種してよいという判断をする』。『また、ビンロウジの粉は単独では歯磨剤や虫下しに使用される。漢方方剤では、女神散(にょしんさん)、九味檳榔湯(くみびんろうとう)などに配合される。日本では薬局方にも記載されている。日本への生果実の輸入はミカンコミバエ種群(ミバエ)の発生地域からは不可』である。『一方、韓国などミカンコミバエ種群が発生していない地域からなら可能。また、ミカンコミバエが死滅していると考えられる製法(瓶詰、真空パック、十分に乾燥させたもの)を用いていれば、ミカンコミバエ種群の発生地域からも輸入可能である。「ビンロウは麻薬であるから日本に持ち込むことができない」という認識は誤りである』。『マレーシアやインドネシアに見られるビンロウ酒は、ビンロウジの実を搾った汁液を発酵させた酒で』「古今圖書集成」(清代の類書(百科事典)。全一万巻)『には』、「南蠻傳馬留人、取檳榔瀋爲酒」『(南蛮のマレー人は、酒を造るために檳榔を採った)と記されている』。『仮名垣魯文の』滑稽本「西洋道中膝栗毛」(明治三(一八七〇)年から明治九年刊)の「五編」「上」『では、セイロン島で北八が現地人と相撲を取る際に、同行の通訳がビンロウの葉を軍配代わりにして行司を務め』ている。『一般的なビンロウ(この他にも葉巻タイプなどもある)』では、『ビンロウジにはアレコリン(arecoline)というアルカロイドが含まれており、タバコのニコチンと同様の作用(興奮、刺激、食欲の抑制など)を引き起こすとされる。石灰はこのアルカロイドをよく抽出するために加える』。『ビンロウジには依存性があり、また国際』癌『研究機関(IARC)は』、『ヒトに対して発癌性(主に喉頭ガンの危険性)を示すことを認めている』。『ビンロウジは古来から高級嗜好品として愛用されてきた。アジア全域で数百万人の人がビンロウジを日常的に摂取しているといわれる。多くは社交場の潤滑剤としての使用であるが、長距離トラックの運転手が眠気覚ましの薬として習慣的に使うこともある。ビンロウジとキンマ』(被子植物綱コショウ目コショウ科コショウ属キンマ Piper betleウィキの「キンマ」によれば、薬効の他に嗜好品として『ビンロウジを薄く切って乾燥させたものとキンマの葉に、水で溶いた石灰を塗り、これを口に含み噛む』とある)『は夫婦の象徴とされ、現在でもインドやベトナム、ミャンマーなどでは、結婚式に際して客に贈る風習がある』。『床にビンロウジを噛んだ唾液を吐き捨てると、足下に血液が付着したような赤い跡ができ、見るものを不快にさせる。そのためか』、『低俗な人々の嗜好品として、近年では愛好者が減少している傾向にある』。『インドで口紅がなかった時代には、唇を赤く染めるのに使われていたが、使いすぎると歯の色がくすんで、最終的に黒くなってしまう』。十九『世紀のシャム(現在のタイ)では、黒い歯が好まれたという』。『インドの街頭には、ビンロウジを削ったものをキンマの葉で包み、消石灰を少量加えた「パーン」を専門に売るパーンワラー(Paanwallah)という売り子がいる。パーンワラーは、壺や飲み物を載せた盆を目の前に置き、愛想よく対応しながら、カルダモン、シナモン、ショウノウ、タバコなどのフレーバーのパーンを客に勧めてくる。台湾では、露出度の高い服装をした若い女性(檳榔西施)がビンロウジを販売している光景が見られる。風紀上の問題から』二〇〇二『年に規制法が制定され、台北市内から規制が始まり、桃園県もこれに追従した。以降、台中市、台南市、高雄市など大都市では姿を消した。依然として高速道路のインターチェンジ付近や、地方では道端に立つ『檳榔西施』が見られるが、過激な服装は影を潜めるようになった』。『台湾では現在、道路にビンロウジを噛んだ唾液を吐き捨てると罰金刑が課せられるため、中心街では路上に吐き出す習慣は無くなったが、少し離れると』、『吐き捨てた跡や、噛み尽くしたカスが見られる。購入時にエチケット袋(紙コップとティッシュペーパーの場合が多い)が共に渡される』とあった。

 なお、引用は、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「漢籍リポジトリ」の「卷三十一」の「果之三」「夷果類」の「海松子」([077-21a]以下)のパッチワークである。

「蠣」カキの生物学的な範疇は、斧足綱翼形亜綱カキ目イタボガキ亜目イタボガキ科 Ostreidaeと、ベッコウガキ科Gryphaeidaeである。カキ・フリークの私でも、中国での分布には手古摺った。しかし乍ら、ここは「殻」を指すのであってみれば、裾野が格段に広がって、以上の二つの科タクソンで構わないことになる。それで、ここは十分だが、私の脱線した矜持が、そこでは、満足出来なかった。「食用に限るものを特定せずんがあらず!」となるのは私の宿命である! されば、探ってみたところ、「百度百科」の「牡蛎」が図に当たった(以下、カキに関心のない方はスルーされたい。私のマニアックな脱線ディグに附き合う必要は、ない)。その「主要品種」の項に、五種が、驚くべき詳細解説を伴って、挙がっていた!(こんなん、日本の一般サイトじゃ、まんず、ないぞッツ! 簡体字は正字化した)

   *

長牡蛎 Crassostrea gigas

近江牡蛎 Crassostrea ariakensis

牡蛎 Ostrea denselamellosa

香港牡蛎 Magallana hongkongensis

福建牡蛎 Crassostrea gigas angulata

   *

この内、頭の三種は、本邦に分布する、

イタボガキ亜目カキ上科イタボガキ科マガキ亜科マガキ属の

マガキ Crassostrea gigas 

スミノエガキ Crassostrea ariakesis 

イタボガキ科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa 

と一致する。

 しかし、最後の――福建牡蛎 Crassostrea gigas angulata ――というのは、学名のシノニムとしては、世界レベルで見出せないので、

✕――勝手なマガキの品種への嘘学名――

である。その証拠に、解説には、『西太平洋沿岸、中国の揚子江以南の沿岸、台湾、日本などの国々に自然に分布している』とあるからである! そないな学名を持ったマガキの亜種・品種は! 儂(わし)は知らんでッツ!!!

さても。因みに、本邦産の一般的な食用種は、

マガキ Crassostrea gigas

イワガキ Crassostrea nippona

スミノエガキ Crassostrea ariakesis 

イタボガキ科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa

の四種である(ヨーロッパヒラガキ Ostrea edulis の移入は近代以降と考えられるので除外する)。読んで呉れた奇特な貴方には、心より御礼申し上げる。

「蚌」この漢語は、狭義に第一義的には、「カラスガイ」と「ドブガイ」に当てる。現行の日本では、ドブガイが二種に分離しており、

斧足綱イシガイ(石貝)目イシガイ科カラスガイ(烏貝)属カラスガイ Cristaria plicata

イシガイ科ドブガイ(溝貝)属ヌマガイ(沼貝)

(ドブガイA型/大型になる)

ドブガイ属タガイ(田貝) Sinanodonta japonica(ドブガイB型/小型)

の三種となる。中文の学術的記載では、ドブガイの分離は記されており、中国に分布すると考えられる記載があるので、問題ない。

「蚶」この漢語は、広義には、腹足綱翼形亜綱フネガイ目 Arcidaの総称であるが、日中ともに、フネガイ目フネガイ科アカガイ属アカガイ Anadara broughtonii が代表種であるし、フネガイという種はないので、かく、読みを振った。

「山檳榔」は単子葉植物綱ヤシ目ピナンガ属ソアグアシ(正式和名かどうか疑問)Pinanga tashiroi で、台湾南東部の沖合にある孤島の蘭嶼(らんしょ:グーグル・マップ・データ)にのみ植生する台湾固有種である。絶滅寸前種に指定されている。]

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