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カテゴリー「茅野蕭々「リルケ詩抄」」の99件の記事

2025/02/12

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「夏の雨の前」

 

 夏の雨の前

 

急に庭苑のすべての緣(へり)から、

何かしらぬ或物が取去られた。

庭苑が窗々に近よつて、默つてゐるのが

感ぜられる。木立からは雨告鳥が

 

さし迫つて强く聞えて來る。

ヒイロニムスのやうな人が思はれる。

それ程にある寂しさと熱意とが

この一つの聲から高まる。その聲を

 

大雨は聞くだらう。廣間の壁は

その畫と一所に我々から遠ざかつた。

我々の云ふことを聞いてはならぬやうに。

 

色のあせた壁紙のうつすのは、

子供の時に恐れられた

午後の、あの不確(ふたしか)な光。

 

[やぶちゃん注:この原詩は、ドイツ語の「Wikisource」のここで、電子化されてある(リルケのドイツ語フル・ネームと「ヒイロニムス」の綴り(ドイツ語の“Hieronymus Kirchenvater)”(“Kirchenvater”は、「教父」のドイツ語で(音写「キィルヒェン・ファータァ」)、ウィキの「教父」によれば、『キリスト教用語で古代から中世初期』、二『世紀から』八『世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、とくに正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々を』指す、とある)のフレーズで見出せた)。

   *

 

VOR DEM SOMMERREGEN

 

Auf einmal ist aus allem Grün im Park

man weiß nicht was, ein Etwas, fortgenommen;

man fühlt ihn näher an die Fenster kommen

und schweigsam sein. Inständig nur und stark

 

ertönt aus dem Gehölz der Regenpfeifer,

man denkt an einen Hieronymus:

so sehr steigt irgend Einsamkeit und Eifer

aus dieser einen Stimme, die der Guß

 

erhören wird. Des Saales Wände sind

mit ihren Bildern von uns fortgetreten,

als dürften sie nicht hören was wir sagen.

 

Es spiegeln die verblichenen Tapeten

das ungewisse Licht von Nachmittagen,

in denen man sich fürchtete als Kind.

 

   *

しかし、これを見ると、第一連一行目、

   *

Auf einmal ist aus allem Grün im Park

   *

は、機械翻訳に手を入れるなら、

   *

急に公園のすべての綠(みどり)から、

   *

の誤訳(茅野は、わざわざ「へり」とルビを振っていることから、恐らく、茅野自身の初期訳稿で「綠」としたものを、自ら判読を誤って――しかも、原詩との対照点検を怠って――「緣(へり)」としてしまったこと)が推定される。事実、岩波文庫の校注に、一『行目「縁(へり)」は』再版『『詩集』でもこのままだが、「緑」の誤りと思われる』とあるのである。

「雨告鳥」(あまごひどり)原詩“Regenpfeifer”。これは、ドイツ語のウィキのここによって、鳥綱新顎上目チドリ(千鳥)目 Charadriiformes を指すことが判る。チドリ目はウィキの「チドリ目」によれば、『チドリ類、カモメ類、アジサシ類などの水鳥・海鳥を中心に』十九『科、約』三百九十『種を含む』とあるが、そもそも「雨告鳥」という和語は、一般的ではない。小学館「日本国語大辞典」にも見出しがない。但し、同辞典には、「あまごい-どり」があり、『【雨乞鳥】』とあって、『(この鳥が鳴くと雨が降るというところから)』鳥の『「あかしょうびん(赤翡翠)」の異名(初出例を「大和本草」とする)とある。ブッポウソウ目カワセミ科ショウビン亜科ヤマショウビン属アカショウビン Halcyon coromanda は、当該ウィキによれば、「伝承」の項に、『和歌山県では本種を方言名でミズヒョロと呼ぶ』。「中辺路町誌」(なかへちちょうし)『に「ミズヒョロと呼ぶ鳥」との記事があり』、その内容は、『「果無山脈」(はてなしさんみゃく:和歌山県と奈良県の県境沿いに位置する山脈)『など』の『奥地に』、『赤く美しい鳥が』、『雨模様の時に限って』「ひょろひょろ」『と澄んだ声で鳴く。この鳥は』、『元は娘で、母子二人、この山の峰伝いで茶屋をしていた。母が病気になり、苦しんで娘に水を汲んでくるように頼んだ。娘は小桶を持って谷に下ったが、綺麗な赤い服を着た自分の姿が水面に映っているのに見とれてしまった。気がついて水を汲んで戻ったときには母はすでに事切れていた。娘は嘆き悲しんで』、『いつしか赤い鳥に生まれ変わった。だから普段は静かに山の中に隠れ、雨模様になると』「ひょろひょろ」『と鳴き渡る」』とあるとあり、和歌山県日高郡の旧『美山村での伝説として』「みずひょうろう」として、『母子がすんでいたのは』、『この話では』、『美山村の上初湯川(かみうぶゆかわ)で、娘は素直に母の言葉を聞かない子だった。そのため』、『明日をも知れぬ状態の母はどうしても水が飲みたくて』「赤い着物を着せてあげる」『から汲んできて欲しいと願う。娘は大喜びで着替えて井戸に向か』ったが、『井戸に映った』自身の『姿に見とれ、結局』、『汲んで戻ったものの』、『母はすでに死んでいた。娘は自分を恥じて泣き、とうとう井戸に飛び込んだ。そこに白い毛の神様が出てきて』「お前のように言うことを聞かない子は鳥にでもなってしまえ」『と言うと、娘は赤い鳥に変わり、今もこの地方の山奥で』「ミズヒョロ、ミズヒョロ」『と鳴いている、という』とあった。他に、『龍神村でも』、『この鳥の伝説を拾ってあ』るが、『上記二つの話を』、『さらに簡素にしたようなものである』。そこでは、『夏に日照りが続くほど』、『高いところで鳴き、雨が続くと』、『里に下』って『くること、その泣き声が哀調を帯びていて』、『母を助けられなかった嘆きのようだとある』。『龍神村では』、『また』、『単にミズヒョロが鳴くと雨が降る』、『との言い伝えもあったらしい。さらに上記の伝承との関連か』、『ミズヒョロは』「水欲しい、水欲しい」『と鳴いているとも伝えられ』、或いは、『子供に川に洗濯にやらせたとき、あまり遅いと』「そんなことをしていると、ミズヒョロになるぞ」『と脅したとも言う』と、興味深い民話しがあるものの、アカショウビンの分布は、『北は日本と朝鮮半島、南はフィリピンからスンダ列島、西は中国大陸からインドまで、東アジアと東南アジアに広く分布する。北に分布する個体はフィリピン諸島、マレー半島、ボルネオなどで越冬する』とあって、ドイツには棲息しないから、これには同定出来ない。茅野(長野県諏訪郡上諏訪村(現諏訪市)出身)が、何故、「チドリ」を「雨告鳥」と訳したのか、よく判らない。チドリ類は水辺に近いところに棲息するが、ドイツ語の「チドリ目」を機械翻訳しても、雨を告げるといった内容は、見当たらない。そもそも、「雨告鳥」という語を見た日本人は、まず、大多数は、燕の低空飛行を想起するであろう。ウィキの「ツバメ」によれば、『ツバメが低く飛ぶと雨が降る』という俚諺は、『観天望気(天気のことわざ)の一つで、天気が悪くなる前には湿度が高くなり、ツバメの餌である昆虫の羽根が水分で重くなって低く飛ぶようになり、それを餌とするツバメも低空を飛ぶことになるからと言われている』とある。しかし乍ら、ツバメはチドリ目とは無縁な、スズメ目 Passeriformesツバメ科ツバメ属ツバメ Hirundo rustica である。万事休す。識者の御教授を切に乞うものである。

「ヒイロニムス」エウセビウス・ソポロニウス・ヒエロニムス(Eusebius Sophronius Hieronymus 三四二年頃、或いは、三四七年頃~四二〇年)は、平凡社「世界大百科事典」によれば(コンマを読点に代えた)、『聖書学者、聖人。英名ジェロームJerome。《ウルガタ》版ラテン語聖書の翻訳者』。イタリアの『アクイレイア近傍のストリドンの出身。ローマで学び』、三七四『年』頃、『東方に向かった。アンティオキア』(トルコ南部の小都市アンタキヤの古称)『でアポリナリオス』(Apollinarios:シリア生まれ。キリスト論に関する異端アポリナリオス主義の主唱者)『の講義を聞いて大いに刺激されたが、非キリスト教文学への関心が修道生活の妨げとなることを悟って、シリアの砂漠に逃れ』、四、五『年の間、隠修士の生活をおくり、その際にヘブライ語を習得した』。三八二年~三八五『年にはローマに戻り、教皇ダマスス』DamasusⅠ『世』『の秘書をつとめた。その後』、『再び東方に赴き、ベツレヘムに落ち着き、新設の修道院を主宰しながら聖書の研究と翻訳にたずさわった』。四『世紀の後半、聖書のラテン語訳はさまざまの版が流布し、混乱状態にあった。そこで教皇ダマススはヒエロニムスにラテン語訳の改訂をすすめた。新約聖書のうち』四『福音書の改訂』乃至『改訳は』三八四『年に終わったが、他の部分にはヒエロニムス自身は手をつけなかったらしい』「旧約聖書」『について、ヒエロニムスは』、『まず』、『正典の考え』方『に立ち、今日』、『外典』(がいてん:アポクリファ(Apocrypha))『とされる部分を省き、次にヘブライ語原典からの翻訳を主張して、それを実行した。ヒエロニムスの訳業が』直ちに『西方教会で採用されたわけではないが』、次第に『その優秀さが認められ、後代の手が加えられて、《ウルガタ》版が成立した。これが』十六『世紀後半のトリエント公会議で』、『カトリック教会の唯一の公認ラテン語訳聖書と定められた。ヒエロニムスはそのほか、エウセビオスの』「教会史」、オリゲネスやディデュモス『などの著作のラテン語訳を行い、異端との闘いにも積極的に加わった』。彼の図像は、『一般に老人の姿をとり、手にした石で裸の胸を打つなどの苦行場面(』十五~十八『世紀に好まれた)、机に向かって翻訳や読書に励むさま、枢機卿(彼はその役割を果たしていた)の服と帽子をつけた姿などが表される』。「四大ラテン教父」『の』一人『としても登場する。持物は、足の刺(とげ)を抜いて助けたところ、以後』、『聖人に仕えたと伝えられるライオン、悔悛を象徴する』髑髏(どくろ)、『伝説にまつわるツグミなど』である、とある。]

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「盲ひつつある女」

 

 盲ひつつある女

 

その女(ひと)は他の人々のやうにお茶に坐つてゐた。

私には何だか其女が茶椀を

他人とは少し違つて持つやうに思へた。

一度ほほ笑むだ。痛ましい程に。

 

終に人々が立上つて話をし、

偶然ではあつたが、徐ろに多くの部屋を

通つて行つた時、(人々は話した、笑つた、)

私はその女を見た。その女は他の人々の後をついて來た。

 

直ぐ歌はなくてはならない人のやうに、

しかも大勢の前で、控目に、

喜んでゐるその明るい眼の上には、

池の面へのやうに外からの光があつた。

 

その女は靜に從(つい)て來た。長くかかつた。

何かをなほ越さなかつたやうに、

しかし、越した後は、もう

步かずに飛翔するだらうと思ふやうに。

 

[やぶちゃん注:「終に」ここは、「つひに」だろう。

「面へ」これは、「おもへ」であろう。]

2025/02/11

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「詩人」

 

 詩 人

 

時間よ、お前は私から遠ざかる。

お前の翼搏(はばたき)は私を傷つける。

しかし、私の口を、私の夜を、

私の日をどうしよう。

 

私は持たない、戀人を、

家を、その上に立つ處を。

私が自己を與へる萬物は

富むでまた私を出し與へる。

 

[やぶちゃん注:「出し」「いだし」。]

2025/02/10

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「豹 ――巴里の植物園で」

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「豹」

 

 

    ――巴里の植物園で

 

格子(かうし)の通り過ぎる爲めに

彼の眼は疲れて、もう何にも見えない。

彼には數千の格子があるやうで、

その格子の後に世界はない。

 

しなやかに强い足なみの音もない步みは

最も小さな輪をかいて廻つて、

大きな意志がしびれて立つてゐる

中心を取卷く力の舞踊のやうだ。

 

唯をりをり瞳の帷が音もなく

あがる。――すると形象は入つて

四肢の緊張した靜さを通つて行く――

そして心で存在を止(や)めるのだ。

 

[やぶちゃん注:「帷」「とばり」。]

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「女等が詩人に與へる歌」

 

 女等が詩人に與へる歌

 

すべてが開かれるのを御覽なさい。私だちもさうです。

私たちはさうした祝福に外ならない。

獸の中で血と闇とであつたものは

私たちの中で魂に育つた。そして

 

更に魂として叫んでゐる。あなたへも。

あなたは勿論それを風景のやうに

眼に入れるだけだ。軟かく、慾望もなく。

それ故私たちは思ふ、あなたは

 

呼ばれる人ではないと。しかしあなたは

私たちが殘りなく全く身を捧げる人ではないのか。

誰かの中で私たちはより多くなれませうか。

 

私たちと一緖に無限なものは過ぎ去る。

あなたはゐて下さい。口よ。私たちが聞く爲に。

あなたはゐて下さい。私たちに話す人よ、あなたはゐて下さい。

 

2025/02/09

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「PIETÀ」

 

 P I E T À

 

かうして、イエスよ、私はまたあなたの、

私が靴を取つて洗つてあげた頃は

未だ靑年の足だつた、足を見ます。

あの棘の藪の中の白い獸のやうに、

あなたの足は私の髮の中にと迷つてゐました。

 

あなたの一度も愛されなかつた四肢を、

私はかうして初めて此愛の夜に見ます。

私たちは未だ一度も一緖に寢ませんでした。

そして今は褒め、守るだけです。

 

しかし、ご覽なさい、あなたの手は裂かれました――

戀人よ、私ではない。私が嚙むだのではない。

あなたの心臟は開いて、入ることが出來る。

これがただ私だけの入口ならよいのだが。

 

今あなたは疲れてゐる。疲れたその口は

私の痛む口に觸れる氣もなさらない。

おお、イエスよ、イエスよ、我々の時間はいつでした。

何て不思議に私だち二人は亡びるのでせう。

 

[やぶちゃん注:「PIETÀ」ピエタ。平凡社「世界大百科事典」から引く(コンマを読点に代えた)。『死せるイエス・キリストを膝に抱いて嘆き悲しむ聖母マリア像』。十四『世紀初頭にドイツで創出された新しい図像で』、『埋葬する前に』、『わが子を抱きしめて最後の別れを告げる聖母を、説話の時間的・空間的関係から切り離して独立像に仕立てたもの。中世末期に出現したいわゆる』「アンダハツビルト」( Andachtsbild :「祈念像」)『の一つで、個人が自己の魂の救済を願ってその前で祈ることを目的として作られた。ドイツでは』「フェスパービルト」( Vesperbild :「夕べの祈りの像」)『と呼ばれ、これは埋葬の祈りが聖金曜日の夕べに』捧げ『られることに由来する。この像の成立の経緯は』詳らか『ではないが』、ハインリヒ・ゾイゼ(Heinrich Seuse 一二九五年~一三六六年:エックハルトの神秘思想を強く受け継ぎ、タウラーと並び称せられるドイツのドミニコ会士。コンスタンツ副修道院長になるが、讒言に遭い、以後。司牧者・説教師として、主に南ドイツを巡回、外面的には不遇に終わった。彼の本領は、キリストの受難の観想によって苦の積極的意義を明らかにし、且つ、自ら徹底した苦行を実践した点にある。また、仲介者としてのマリアの役割を、高く評価した。すぐれた幻視者でもあり、「真理の書」(一三二七年頃)・「永遠の知恵の書」(一三二八年頃)・「生涯」(一三六二年頃)等の著書がある。同一の事典を引いた)『などの神秘主義者の著作との関係がしばしば指摘されている。また、造形的には、死せるキリストが幼子のように小さい作例もあることから、この像は』、『聖母子像の幼子を』、『キリストの遺骸に置き換えることによって生まれたのではないかとも考えられ』れてい『る。聖母の悲痛な表情、硬直したキリストの肉体のなまなましい聖痕は、見る者に苦痛と悲しみの感情を呼び起こさずにはいない。イタリアでは』十五『世紀以降』、『作例が見られるようになり』、イタリア語で、「ピエタ」(Pietà:「哀れみ・慈悲」などの意『と名づけられた。ミケランジェロの』「バチカンのピエタ」(一五〇〇年頃)『は伝統的な図像にのっとりながら、若く美しい聖母と理想化された肉体をもつキリストによって、この主題にまったく新たな表現を与えている。しかし』、『晩年の』「ロンダニーニのピエタ」(一五六四年頃。『未完)に至ると、聖母とキリストは垂直に重なる独自の群像を形づくることになる』(ここはウィキの「ピエタ」の「ギャラりー」を見られたい。私は二体とも見たが、圧倒的に前者の方がよい)。『絵画においても、フランスの逸名の画家の名作』「アビニョンのピエタ」(Pietà de Villeneuve-lès-Avignon:十五世紀末)』(フランス語の画題でグーグル画像検索を掛けたものをリンクさせておく)『など多くの作例がある。ピエタは原則として聖母とキリストの』二『人の像であるが、福音書記者ヨハネ、マグダラのマリアや聖女たちなど』「キリストの哀悼」『に登場する人物や寄進者が加わることもある』(「アビニョンのピエタ」は、その構成)『ルネサンス以降、キリストが聖母の膝の上ではなく、足元に横たわる、より自然な構成も用いられるようになった』とある。

「棘」「いばら」。]

2025/02/08

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「犧牲」

 

 犧 牲

 

ああ、お前を知つてから私の體は

總べての脈管から匂高く花咲く。

ご覽、私は一層細つて、一層眞直ぐに步く。

それにお前は唯待つてゐる。――お前は――體誰なのだ。

 

ご覽、私は自分を遠ざけ、古いものを

一葉一葉に失ふのを感じてゐる。

ただお前の微笑が星空のやうだ、

お前の上に、また直ぐに私の上にも。

 

私が子供だつた年頃、末だ名もなく

水のやうに輝いてゐる總べてのものに、

私はお前の名をつけよう、聖壇で。

お前の髮で灯ともされ、輕く

お前の乳房で花環をつける聖壇で。

 

[やぶちゃん注:「一葉一葉」「ひとはひとは」であろう。

「灯ともされ」「ともされ」と続く以上、「ともしび」ではなく、「ひ」であろう。]

2025/02/07

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「戀歌」

 

 戀 歌

 

お前の魂に觸れないやうに、

私は自分の魂を何う保てばいいのだ。

どうそれをお前越しに他の物へ高めよう。

ああ私はそれを何か闇黑(くらやみ)の

失はれたものの許で葬りたい、

お前の深い心が搖らいでも搖らがない、

知られない靜かな場處に。

しかしお前と私とに觸れる總べてのものは、

二つの絃から一つの聲を引出す

弓の摩擦のやうに、我々を一緖に取る。

どんな樂器の上に我々は張られてゐるか。

どんな彈手が我々を手にしてゐるか。

ああ甘い歌。

 

[やぶちゃん注:「彈手」「ひきて」。]

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「新詩集」「前のアポロ」

 

 

   新 詩 集

 

 

   第 一 卷

 

 

 前のアポロ

 

をりをり末だ葉のない枝を透いて、

もう全く春になつた朝が

覗くやうに、彼の頭には

あらゆる詩の輝が死ぬばかり我々にあたるのを

 

妨げうるものが全くない。

實際彼の視(し)には未だ一つの蔭もなく

顳顬(こめかみ)はまだ桂で飾るには冷た過ぎるから。

さうして薔薇の園が眉から幹高く聳え、

 

それから花片が、一つ一つ、離れて

口の戰慄へ散りかかるのは、

やつと後になつてのことだらう。

 

その口は今は未だ沈默し、用ひられず、

輝いて、微笑みながら或物を飮むでゐる。

恰も彼の歌が流しこまれでもするやうに。

 

[やぶちゃん注:底本では、ここ

「視(し)」古代ギリシア神話の太陽神アポロン(ラテン転写:Apóllōn:音写は「アポローン」)の全神話世界の総てを照らし出し、彼が見渡すところの全視界を指す。

「顳顬(こめかみ)」「蟀谷」に同じ。

「桂」アポロンの桂冠は、月桂樹(被子植物門双子葉植物綱(*その古型類群)クスノキ目クスノキ科ゲッケイジュ属ゲッケイジュ Laurus nobilis )であるから、ここは「けい」と音読みすべきであろう。]

2025/02/06

茅野蕭々譯「リルケ詩抄」正規表現版 「貧困と死」 (彼等の口は胸像の口のやうで……) / 「時禱篇」~了

 

彼等の口は胸像の口のやうで

響いたことも、息したことも、接吻したこともないが、

消え過ぎた生命から、總べてを

上手に纒めて受取つた、

そして總べてを知つてるやうに盛上つてゐる――

しかしただ比喩だ、石だ、物だ……

 

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