河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その7) 乾玉筋魚
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここから。]
乾玉筋魚(ほしいかなご) 一名「ほしかなぎ」
玉筋魚(いかなご)は軟鰭類(なんぎるひ[やぶちゃん注:ママ。])に屬する海魚中(かいごぎよちう)の、一種、小(しよう)なるものにして、俗に『かますこ』又は『かまちこ』とも云ひ、筑前にて『いかなこ』、紀伊にて『しやしやらなご』、安藝にて『かますなこ』、又、『あぶらめ』、丹後宮津にて『いさなご』、北陸道、及び、攝津・尾張・三河・肥前の五島、及び、平戶等(とう)にて「少女子(かうなこ[やぶちゃん注:ママ。一般的に歴史的仮名遣では「こうなご」のママである。])」とも稱せり。但し、陸中・佐渡の海に多く產する「めらうど」は同種なれども、大にして、長さ八、九寸に成長せるものなり。
[やぶちゃん注:これは、本邦には、現行では、以下の三種が棲息する(以下は「北海道大学のLASBOS」の髙津哲也氏の「陸奥湾のイカナゴ属(Ammodytes sp.)の生活史」他を参照した)。
条鰭綱ベラ(倍良・遍羅)目 Labriformesイカナゴ(玉筋魚・鮊子)科イカナゴ属イカナゴ Ammodytes japonicus(瀬戸内海・伊勢湾・若狭湾・陸奥湾・三陸沿岸・北海道周辺)
オオイカナゴ Ammodytes heian(「大玉筋魚・大鮊子」:陸奥湾・三陸沿岸・北海道周辺)
キタイカナゴ Ammodytes hexapterus (「北玉筋魚・北鮊子」:北海道周辺の内、石狩湾・稚内周辺。但し、陸奥湾には棲息せず)
髙津氏の解説に拠れば、『2015年以前は「イカナゴ Ammodytes personatus」と表記されていましたが,DNA解析の結果,2種が混じっていたことがわかりました。DNA解析でのみ区別できます』。前二種と『キタイカナゴとの区別は,産卵期や背鰭軟条数で』、『おおよそは区別できますが,実際には外見からの区別はほとんど無理です。本種もDNA解析が望ましいです』。『2015年以降,A. personatusはベーリング海からカリフォルニア沖の太平洋沿岸に生息し,日本周辺には生息しないことになりました(Orr et al., 2015)』。『シワイカナゴ Hypoptychus dybowskii という紛らわしい名前の魚がいますが,この種はトゲウオ亜目Gasterosteoideiの仲間です。』とあった。その「シワウカナゴ」については、「小学館 日本大百科全書」に、漢字表記は『皺玉筋魚』とし、『硬骨魚綱トゲウオ目シワイカナゴ科に属する海水魚。相模』『湾以北の北日本、日本海の本州沿岸、北海道、オホーツク海に分布する。日本では北海道に多い。体形はイカナゴに似るが、背びれが後方にあって臀(しり)びれと対位すること、鱗(うろこ)がないこと、体の背中線と腹中線にしわがあること、体が黄色で半透明なのが特徴。全長9センチメートル。4~7月に水深2~3メートルのところで群れをつくり、1回に数十粒の卵をブドウ状の卵塊にして海藻に生みつける。雄は卵を保護する。10℃の海水温で1週間後に孵化(ふか)する。産卵期の雄は背びれと臀びれの前半部は暗色で、後半部は紅色。』とあった。
以下、当該ウィキを引く(注記記号はカットした)。『イワシなどと並んで、沿岸海域における食物連鎖の底辺付近を支える重要な魚種である。日本においては食用とされ、釘煮(くぎ煮)、天ぷらなどに調理される』。『イカナゴには様々な地方名があり、稚魚は東日本で「コウナゴ、コオナゴ(小女子)」、西日本で「シンコ(新子)」と呼ばれる。毎日新聞ではイカナゴについて取り扱った記事で、東京本社版は「コウナゴ」、大阪本社版は「コウナゴ(イカナゴ)」「イカナゴ」と表記した例がある』。『また、成長した個体は北海道で「オオナゴ(大女子)」、東北地方で「メロウド(女郎人)」、西日本では「フルセ (古背)」「カマスゴ(加末須古)」「カナギ(金釘)」などと呼ばれる』。『イカナゴ科』Ammodytidae『は北半球の寒帯域から温帯域を中心に熱帯域まで、沿岸部に5属18種が分布する。沿岸の粒径0.5ミリメートルから2.0ミリメートル程度までの砂泥底に棲息し、主にプランクトンを食べる。産卵期は冬(12月)から翌年春(5月)で、寒冷な水域ほど遅い傾向が見られ、水深10メートルから30メートル付近の砂底に、粘着質の卵を産卵する。なお、北方系の魚であるため、温暖な水域では、夏季に砂に潜って夏眠(かみん)する』。『日本産イカナゴは移動性が小さく、各地に固有の系統群が存在している』。『1歳で体長10センチメートル程度まで成長し、成熟する。3年から4年で20センチメートル程度まで成長する。ただし瀬戸内海や伊勢湾では大きくても15センチメートルである』。『日本では沿岸漁業で漁獲される。集魚燈を用いた敷網漁や、定置網漁や、船曳網によって捕獲する。日本では生食や加工食品以外に、太刀魚、スズキ、メバル等の釣り餌や養殖用飼料としても利用される』。『しかし、乱獲や生息環境の悪化および海砂の採集による生育適地の破壊により、日本各地で漁獲量は激減した。特に、瀬戸内海のようなイカナゴが夏眠を行う水域において、イカナゴの夏眠に適した粒度分布の海砂が、ちょうどコンクリートの骨材に適していたため、その海砂が建設資材として大量に採取され、多くの漁場が壊滅的な被害を受けた』。『下水処理の普及、海水浴場の衛生維持を想定した水質規制により、河川から流れ込む栄養塩類の減少もイカナゴの資源量を減らす原因とみられる』。『このような状況を受けて、伊勢湾や瀬戸内海では、年ごとにイカナゴの生育度合いや推定資源量を調査し、その年の漁獲量を決定している。それだけでは資源量回復に不十分であるため、以下のように各地で禁漁が実施されている』。『青森県の陸奥湾での漁獲量は、1973年に1万トンを超えていたが、乱獲により1980年代には100トン以下に激減した。1990代後半に、漁獲量は一旦回復して1,000トンを超えたものの、その後は減少を続け、2012年には1トンまで減少した』。『漁獲量の減少傾向を受けて、青森県庁は2007年に「イカナゴ資源回復計画」を立案し、漁期短縮などを行い資源量の回復を目指した。しかし、資源量回復に失敗した。陸奥湾における2012年の親魚は、約1,000万尾程度と推定され、適正水準の3億尾を大きく下回っていた。そのため、2013年漁期から資源回復のために、陸奥湾での「集魚灯を使った漁や小型の定置網漁の全面禁漁」を決定した。ところが、2019年2月に陸奥湾湾口周辺海域で実施された調査では、稚仔が全く採集されなかった』。『伊勢湾と三河湾では2016年から禁漁が続いている(2024年時点)』。『伊勢湾では冬季に資源調査を行い、春のイカナゴの漁獲実施の際の漁獲量を判断している。前年末から2月にかけて行われる資源調査の結果、2016年以降は稚魚の捕獲数が著しく少なく、ゼロの年度もあるため、愛知県及び三重県で、イカナゴは禁漁の状態が続いている』(調べたところ、本二〇二六年も続行中のようである)。『大阪湾のイカナゴ漁は、2016年まで毎年1万トン以上の漁獲があったものの、2017年以降には極端な不漁に陥り、2019年1月の仔魚採集調査では1998年以降で最も少ない漁獲であった。実際の漁においても、2019年には漁業者が3日で漁を打ち切ったほど、漁獲量が僅少だった。これに対して、2019年の段階では淡路島以西の海域では、それなりの漁獲量は維持されていた』。
以下、「調理方法」の項。『釘煮』『→詳細は「釘煮」を参照』。『四国を除いた、播磨灘や大阪湾に面した瀬戸内海東部沿岸部で、イカナゴは釘煮と呼ばれる郷土料理で親しまれ、阪神地区、播磨地区では春先に、各家庭でイカナゴの幼魚を炊く光景が見られてきた』。『釘煮は佃煮の1種であり、水揚げされたイカナゴを、醤油やざらめ糖、千切りにしたショウガなどで味付けして煮込み、煮汁が減った段階で味醂を加えながら、焦がさぬように、煮汁が無くなるまで数回煮詰める事を繰り返す。この際に、箸などでかき混ぜると』、『身が崩れ、団子状に固まってしまうため、一切』、『かき混ぜない。炊き上がったイカナゴの幼魚は、茶色く曲がっており、その姿が錆びた釘に見えるため「釘煮」と呼ばれるようになったとする説が有力である。なお「くぎ煮」は、神戸市長田区の珍味メーカーである株式会社伍魚福(ごぎょふく)の登録商標である』。『ある種の風物詩として、また毎年3月末頃に、阪神地区、播磨地区の食料品店に、製品化された釘煮が山積みされてきた。また、この地域の土産物店でもイカナゴの釘煮は販売されており、ショウガ味以外に、サンショウ味、トウガラシ味の製品も見られる』。『常温で日持ちする釘煮は、郵送で親類・知人に送付することも多く行われており、郵便局だけでも年間100万件近く、釘煮が送付されている。これに着目し、明石市の郵便局の一部では、レターパックに収まるサイズのプラスチック容器の販売を行っている』。『神戸市の垂水区はイカナゴの釘煮発祥の地と呼ばれており、それを示す石碑が垂水区塩屋町に建てられた。ただし、これには異説も唱えられており、2013年10月2日には、神戸市長田区駒ケ林の駒林神社の大鳥居前に「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑が建立され』てもいる。『一方で、同じ近畿地方でも、前述の地域を除く他の地域では』、『イカナゴの釘煮は、あまり食されない。顕著な例として、京都ではイカナゴの釘煮よりも』、『ちりめん山椒が主流であり、そもそも京都の住人などは、イカナゴ自体を下魚』(げざかな/げうお)『として嫌う傾向も散見される』。以下、「フルセの佃煮」にの項。『イカナゴの釘煮と類似の調理法だが、一般に釘煮はイカナゴの幼魚を調理したものであるのに対して、成魚であるフルセを佃煮に調理する地域も見られる。そのような地域としては、例えば、淡路島が挙げられる。フルセを調理した佃煮は、釘煮と明確に区別するため、釘煮とは呼ばず、そのまま「佃煮」の名称で扱われる』。以下、「ちりめん」の項。『水揚げされた体長2センチメートル程のイカナゴの幼魚は、鮮度が落ちないよう、水揚げ後にただちに釜揚げにされ、店頭に並ぶ。これを』『新子』(しんこ)『または』『新子ちりめん』『と呼ぶ。また、釜茹でした後に、乾燥させた場合はカナギ(小女子)ちりめんと呼ばれる』。以下、「カマスゴ」の項。『体長4 - 5センチメートル程度の大きさのイカナゴを釜茹でしたものはカマスゴと呼ばれ、そのまま酢醤油やからし酢味噌で食べる。この際に、1回炙ると香ばしさが出て』、『美味しくなるとされる』。以下、「いかなご醤油」の項。『→詳細は「いかなご醤油」を参照』。『香川県では、イカナゴを原材料とした魚醤である、いかなご醤油が見られる。かつては「しょっつる」および「いしる」と共に、日本三大魚醤と呼ばれたものの、1950年代に製造が途絶えた。しかし、その後、少量ながら』、『復活生産されるようになった』。「その他」として『東北地方では成魚を調理する方が一般的で、干物にされることもあるが、総じて安価に売られている。』とある。
『一名「ほしかなぎ」』「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページに拠れば、「カナギ」という異名は『福岡県福岡市』採取とある。同ページは、以上のウィキの記載よりも、遙かに勘所を押さえた解説があり、さらに異名については、実に、二十五種が挙げられてあるので、見られたい。特に、イカナゴを加工した食品群は画像が附されており、解説と相俟って誠に理解し易い。ここでは、「漢字・学名由来」の項を引用させて戴くこととした。
《引用開始》
漢字 玉筋魚、如何子、以加奈古、鮊 Ikanago
由来・語源
〈東京ではコウナゴと云ひ、六月上総から来るものはコウナゴカマスと云い、佃煮ではカマスジャコとして賣っている。九州北部、山口縣ではカナギ、関西でイカナゴと云い、大阪や神戸で本種の幼魚をカマスゴと云う〉『図説有用魚類千種 正続』(田中茂穂・阿部宗明 森北出版 1955年、1957年)
大言海 〈語源、詳ナラズ、如何な子ノ義ニテ、梭子魚ト混ジテ、知ラレヌ意ナリナド云フ説アリ〉。
魚鑑 〈状ひしこ. かます雑子(ざこ)に似て、小さく脂多し、三四月の頃、これあり、このものにて、いかなご醤油を作る。〉
和漢三才図会 〈玉筋魚 俗に以加奈古という。また加末須古ともいう〉、〈『三才図会(明の時代1607年にでた中国の絵入りの時点のようなもの)』に「玉筋魚は身体は丸くて箸のようである。やや黒くて鱗がなく、両目店は黒い。菜の花の開くときになると子を持って肥えている。これを菜花玉筋という」〉。漢字、玉筋魚は中国明の魚でイカナゴとは限らない。江戸時代の本草の世界は中国に習うということが多く、こじつけも少なくない。
■ 「いかり魚=カマス」の幼魚の意味。地方の呼び名に「かます子」とあるのと同じ。「いかり」とは「いかる=とがる」の意味で栗の毬(いが)と同義語。
■ イカナゴの小さいものが、いかなる魚の子であるかわからないため、「如何子」の意味。
■ 〈い〉は語声強調の接頭語、〈かな〉は古語で糸のように方添いもの、〈ご〉は接尾語。『新釈魚名考』(榮川省造 青銅企画出版)
《引用終了》
なお、以上のうち、「和漢三才図会」の記載に就いては、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚 寺島良安」の「いかなご かますご 玉筯魚」で、本文、及び、私の注も添えてあるので、是非、確認されたい。
「軟鰭類(なんぎるひ)」旧分類名。Malacopterygii。軟条鰭(棘鰭がない)のみを持ち、背鰭と脂鰭が、それぞれ一つずつで、背鰭と腹鰭が、背中と腹部の輪郭のほぼ中央に位置し、胸鰭が体の低い位置にあることを特徴とする「下等」硬骨魚類(Osteichthyes)のグループ(上目)を表わす。「上等」硬骨魚類は通常、棘鰭類(Acanthopterygii)として分類される。、ギリシャ語由来の“malakos”(柔らかい)と“pteryx”(鰭)を合成した語で、「柔らかい鰭を持つ魚」を指す旧分類名として成立したものである。]
此魚の漢名は、未だ、詳(つまびらか)ならず。「掌中市鑑(しやうちうしかん)」には『玉筋魚(ぎよくきんぎよ)』とす。「海魚考(かいぎよこう[やぶちゃん注:ママ。])」『いかなご』の條に、田中宣宗(たなかせんそう)、云ふ。『京攝(けいせつ)の俗、春の頃、「かますこ」と云ふ者を食(しよく)す。山陽、四國邊(へん)の海邊(かいへん)より出づるものなり。按ずるに、如何なる子(こ)なりや、又、長(てう[やぶちゃん注:ママ。「ちやう」が正しい。])じて、如何なるものとなるや、不分明なれば、斯(か)く名(なづけ)し。』とぞ。
[やぶちゃん注:「掌中市鑑」東洋文庫版の後注に、『初版は青苔園著、高嶋春松画『海川諸魚掌中市皆全』、天保八年(一八三七)に刊行され、嘉永二年(一八四九)に『魚貝能毒晶物図考』と改題刊行。図入りで、二〇〇種ほどの魚介類の食性、毒、形状、味の良し悪し等が記されている。』とあった。
『「海魚考」……田中宣宗』東洋文庫版の後注に、『饒田喩義著『海魚考』、文化四年(一八○七)自序。『天柱録』(楠本碩水〈写〉、一八九四)の識語によれば、饒田喩義(一七七一。-一八三三)は、桜井開斎に師事し、長崎聖廟の助教を務めた儒者。この二書のほか、『長崎名勝図絵』『西疇転筆学論』がある。田中宣宗は未詳。』とある。]
此魚は、形狀の相似(あいに[やぶちゃん注:ママ。])たると、「かますご」の名あるとによりて、世人(せじん)、往々(おほおほ[やぶちゃん注:ママ。「わうわう」が正しい。])『梭魚(かます)の兒(こ)なり』と誤り、『之れを捕獲するは、稚魚(ちぎよ)を捕ふるものにして繁殖の妨害なり。』といふもの、あり。然(しか)れども、元來、此ものは、槪ね、二、三寸のもの、多く、成長するも、三、四寸にして、「かます」とは、全く、異(ことな)れり。
[やぶちゃん注:「梭魚(かます)」スズキ目サバ亜目カマス(魳・梭子魚・梭魚・魣)科カマス属 Sphyraena 。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のこちらに従うと、本邦に棲息する真正のカマス類は、
アカカマス(赤梭子) Sphyraena pinguis
イブリカマス(以布利梭子) Sphyraena iburiensis
オオカマス(大梭子) Sphyraena putnamae
オオメカマス(大目梭子) Sphyraena forsteri
オオヤマトカマス(大大和梭子) Sphyraena Africana
オニカマス(鬼梭子) Sphyraena barracuda
タイワンカマス(台湾梭子) Sphyraena obtusata
タツカマス(龍梭子) Sphyraena qenie
トラカマス(虎梭子) Sphyraena jello
ホソカマス(細梭子) Sphyraena stellata
ヤシャカマス(夜叉梭子) Sphyraena arabiansis
ヤマトカマス(大和梭子) Sphyraena japonica
である(各種を説明する気はないので、各自でリンク先の記事を見られたい)。「BIMaL」の同属リストを比較してみたところ、日本名を附さない(調べたが、和名はないようである)
Sphyraena acutipinnis
があった。]
「飮膳摘要(いんぜんてきよう[やぶちゃん注:ママ。])」には、『『いかなご』は、梭魚(かます)の子なり。又、「かますこ」とも云ふ。』とし、「魚鑑(うをかヾみ)」は、『いかなこ』は『ひしこ』。『かます』に似て、少さく、脂(あぶら)、多し。三、四月の頃、これあり。」とし、又、「大和本艸」は『梭魚(かます)の苗(こ)を、俗に「いかなこ」といふ。』とし、「水族志」は『『いかなこ』の『かます』の兒にあらざる』ことを、詳記せり。近頃、出版の「漁產一班(ぎよさんいつはん)」には、『梭魚』の條下に、『玉筋魚(いかなご)、一《いつ》に『かますこ』。』とす。其他、數部の書册を閱(けみ)するに、『かます』を載せたるもの、あれども、『いかなこ』を記せる書、甚だ、少なし。
[やぶちゃん注:「飮膳摘要」東洋文庫版の後注に、『文化一四年(一八一七)刊。著者は小野蘭山(一七二九―一八一〇)、小野畝(?―一八五二)。』とあった。
『「大和本艸」は『梭魚(かます)の苗(こ)を、俗に「いかなこ」といふ。』とし』私の「大和本草卷之十三 魚之下 梭魚(かます) (カマス/イカナゴ誤認)」を見よ。
『「水族志」は『『いかなこ』の『かます』の兒にあらざる』ことを、詳記せり』私は、実はブログ・カテゴリ『畔田翠山「水族志」』を持っているのだが、二〇二三年を最後に、長くペンディングしている。この際、ここで、字起こしだけをやっておくことにする。国立国会図書館デジタルコレクションの当該部は、ここである。一部の読みを推定で《 》示した。
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(一七七)
イカナゴ 一名カマスナゴ シヤシヤラナゴ【紀州海士郡《あまのこほり》加太浦《かだうら》】カマスゴ【攝州兵庫】カナギ【筑前姪ノ濱《めいのはま》】
大和本草曰「イカナゴ」尼崎兵庫等ノ海ニテ網ニテ多クトル大ナル假屋ヲ海邊ニ作リ釜ヲナラベ「カマスゴ」ヲ煎シ[やぶちゃん注:「せんじ」。]油ヲトリ賣ル燈油トス或《あるいは》田圃ノ糞《こやし》トス兵庫漁人曰三月初捕ル梭魚(カマス)子に非ス[やぶちゃん注:「あらず」。]按《あんずる》に「イカナゴ」ハ海底砂アリテ泥鰌《どじやう》ノ如ク無鱗ニ乄[やぶちゃん注:「にして」。]箭[やぶちゃん注:「や」=「矢」。]ヲナスヿ[やぶちゃん注:「こと」。]火箭(ヤガラ)觜《はし》ニ似タリ形狀梭魚ニ似タリ脂《あぶら》多シ此魚梭魚ノ苗に非ス[やぶちゃん注:「あらず」。]梭魚ノ苗ハ寸許ニ乄モ細鱗アリテ口二ツニ切レ自《おのづか》ラ別也
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流石は、私の好きな翠山! 正しく指弾している!]
玉筋魚(いかなご)は、長さ、二寸許(ばかり)より、三、四寸許、身、狹(せま)くして、蒼(あを)・黑(くろ)・銀色(ぎんいろ)なり。背鰭(せひれ)、肩(かた)より起りて、尾(を)に連(つらな)り、後鰭(しりひれ)もまた、胴の半(なかば)より起り、背・尾・兩鰭、共に、其質(そのしつ)、軟(やはらか)なり。梭魚(かます)は、之に反し、大なるもの、七、八寸、身(み)、圓長(ゑんてう[やぶちゃん注:ママ。])にして、細鱗(こまかなうろこ)あり。背鰭、二つあり、後鰭、一基(ひとつ)あり、共に剌狀(しじやう)を、なす。是れ、二者の、判然、別なるの証(あかし)とす。
玉筋魚は、生鮮(なま)のま〻膾(なます)となし、或(あるい[やぶちゃん注:ママ。])は、烹(に)て食し、炙(あぶ)りて食し、佃煑(つくだに)とも、なし、又、煑乾(にぼし)、䀋乾(しほほし)、白乾(しらほし)となし、又、魚醬(ぎよしやう)をも、製せり。北陸道の如きは、多額の收獲あるより、搾榨(しぼりかす)[やぶちゃん注:「榨」はママ。「榨」は「搾」の異体字であるから、おかしい。「滓」の誤植であろう。東洋文庫版では、「榨滓」となっている。]となして販賣せり。其油は鰯油(いはしあぶら)に優(まさ)り、滓(かす)は肥料となして、効(こう)あり。此製法中、淸國に輸出するは白乾なれども、淸國にも魚醬の製方あるを以て見れば、將來、輸出するも量(はか)るべからず。此魚を以て、魚醬を製することは、往時(をほじ[やぶちゃん注:ママ。])、景行天皇の御宇(ぎよう)、第十の皇子(わうじ)神櫛玉命(かんくしたまのみこと)、讚岐(さぬき)の國守たりし時、皇子(みこ)、自ら䀋藏(ゑんざう[やぶちゃん注:ママ。])して、肉醬(にくしやう)を造り、献(けん)じたまひしに創(はじ)まり、其後(そのご)、菅公(くわんこう)の國守たりし時も、數々(しばしば)、都(みやこ)へ送られたりし、と。又、「明月記」にも、屋島(やしま)の內裡(だいり)より肉醬(にくしやう)を贈ることも、載せたり。
[やぶちゃん注:「景行天皇の御宇(ぎよう)、第十の皇子(わうじ)神櫛玉命(かんくしたまのみこと)、讚岐(さぬき)の國守たりし時、皇子(みこ)、自ら䀋藏(ゑんざう[やぶちゃん注:ママ。])して、肉醬(にくしやう)を造り、献(けん)じたまひし」探したが、見出せなかった。識者の御教授を乞うものである。
『「明月記」にも、屋島(やしま)の內裡(だいり)より肉醬(にくしやう)を贈ることも、載せたり』藤原定家は大嫌いなので、調べる気がしない。悪しからず。]
近世、下總國(しもをさのくに[やぶちゃん注:ママ。])千葉郡(ちばこほり)野田驛(のだゑき[やぶちゃん注:ママ。])三枝(みつえだ)某の製する魚醬は、天保年間の創業にして、今に、年々(としとし)、價額(かがく)二千圓內外を產出せり、といふ。其魚醬の製法は、魚一升に食䀋三合を混和し、樽に詰め、蓋をなし、其上を紙にて密封して藏すること、百有餘日)ひやくゆうよじつ)、卽ち、土用に至り、其樽の下部に、小孔(こあな)を穿(うが)ち、管(くだ)を揷し、これより、汁を滴らし、其(その)出(で)たるものを、紙漉(かみごし)にし、鍋に入れ、火に掛け、沸騰せしめ、其冷(そのひゆる)を待つ。其色、透明にして、味(あじわひ[やぶちゃん注:ママ。])、芳美(ほうび[やぶちゃん注:ママ。])なり。これを『一番取(いちばんどり)』といふ。殘(のこり)の滓(かす)に、又、食䀋若干を入れ、再製するを『二番取(にばんとり[やぶちゃん注:ママ。差別化するためかもしれない。])』といふ。玉筋魚の油、及び、搾粕(しぼりかす)を產出するは、加賀・能登・越中・越後・佐渡等(とう)にして、煑乾(にぼし)、及《および》、白乾(しらほし)を出(いだ)すハ、志摩・伊勢・筑前・四國・淡路地方等を多しとす。
[やぶちゃん注:「千葉郡(ちばこほり)野田驛三枝某」不詳。場所は現在の匝瑳市のここ。地名が残っていないので「ひなたGIS」で示した。戦前の地図に「野田村」が確認出来る。ここであろう。]
此ものを淸國に輸出するは、近年のことにて、未だ、多數ならずと雖も、明治十六年、神戶港より輸出するもの、一萬七千二百九十八斤、價《あたひ》四百三圓六十錢、又、長崎・橫濱兩港より、輸出するもの、若干あり、とす。
[やぶちゃん注:「明治十六年」本書の刊行は明治一九(一八八六)年。
「一萬七千二百九十八斤」十・三七八八トン。]




