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カテゴリー「「淸國輸出日本水產圖說」」の81件の記事

2026/04/08

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その5)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

寒天の製法は、瓊脂(ところてん)を、長さ尺許(ばかり)の柝木(ひやうしぎ)樣(やう)に切りたるを、簑(す)の上に並べ、寒夜(かんや)に凍らせ、翌日、大陽(たいやう)[やぶちゃん注:漢字はママ。]に曝し乾すものなり。最(もつとも)南向(みなみむき)の地に棚を造るを、よろし、とす。是(これ)、其所(そのところ)にて、直(すぐ)に乾かす故に、速(すみやか)に乾きて潔白ならしむるが、爲な(ため)り。

[やぶちゃん注:「柝木(ひやうしぎ)」ネイティヴでない方のために、注する。小学館「日本大百科全書」の「拍子木 ひょうしぎ」に、『方柱形の短い二つの木を打ち合わせ、合図・拍子を知らせる用具。柝(き)ともいう。拍子木の起源は明らかではないが、合図をし、拍子をとり、また人々の注意を促すために、木や竹を打ち合わせる方法は、原始時代からあらゆる民族で行われていた。おそらくわが国では、拍子木は、古くは、物を打ち合わせ、音を発することによって悪霊を退散させることができるという宗教的な用途からできた呪具(じゅぐ)の一種であったと考えられる。そのことは、柏手(かしわで)や錫杖(しゃくじょう)、夜回りの拍子木などの機能からも推察することができよう。なお、拍子木のほか、読経(どきょう)の音木(おんぎ)、声明(しょうみょう)の割笏(かいしゃく)、雅楽の笏(しゃく)拍子、さらには、民俗舞踊などで拍子をとる、竹でつくった小切子(こきりこ)、綾竹(あやだけ)、チャッキラコなども、拍子木の一種として注意される。一方、同様のものは、タイ、ミャンマー(ビルマ)など東南アジア各地でも行われている。』とある。]

 

寒天ハ、石花菜(せつくわせい)を以て、製するものなれども、山城・攝津等にては、惠期草(えこぐさ)を混合せり。此ものは、馬尾藻屬(ほたあわらぞく)に寄生する藻にて、出羽・越後・陸奧にて『えこ』、岩城(いはき)にて『いご』、能登にて『磯草(ゑごくさ)』、出雲にて『江籬(えご)』、石見にて『牛毛石花菜(うまうと)』、豐前にて『中獨活(おきうど)』と稱す。此品を晒乾(せいかん)して、蘇方(すはう[やぶちゃん注:ママ。])にて染(そめ)たるを『猩々海苔(しやうじやうのり[やぶちゃん注:「しやうじやう」の後半は踊り字「〱」であるが、「〲」の誤植と断じて、かく、した。])』と稱し、魚軒(さしみ)の相手、或は、精進料理に用ゆ。又、酢を加(くはへ)て、煑溶(にとか)し、凝(こヾら)せたるを『えごてん』、又、『えここんにやく[やぶちゃん注:「えこ」はママ。先に「えこ」があり、東洋文庫版でもここでも清音である。]』と稱し、食用せり。城(やましろ)・攝(せつヽ)にて寒天に混用するものは、能登・加賀・越前・丹後等(とう)の產を多しとす。

[やぶちゃん注:「惠期草(えこぐさ)」既に示した、真生紅藻綱マサゴシバリ亜綱イギス科エゴノリ(恵胡苔)属エゴノリ Campylaephora hypnaeoides である。同種については、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをお読みになられたい。さすれば、私が屋上屋の、いらぬ(私にとってである)注をする必要が無くなるはずである。

「馬尾藻屬(ほたあわらぞく)」褐藻綱ヒバマタ目ホンダワラ科ホンダワラ属 Sargassum のこと。なお、ここで言っておくが(他の電子化で何度も言っているのだが)、殆んどの人は、種名ホンダワラというものが、日本近海に普通に生育に分布しているという大間違いをしている。多分、読んでいる「あなた」も、そうなのだ! ここでは説明しない代わりに、私の「大和本草卷之八 草之四 海藻(ナノリソ/ホタハラ) (ホンダワラ)」の私の冒頭注を是非、参照されたい。

 

前條に說きたる寒天製法は、從前の法にて、近年は、較(やヽ)、業(ぎやう)を進(すヽめ)たり。其法たる、九、十月の間(あひだ)に、碓(うす)を流水の上に設(まう)け、石花菜一碓(《ひと》うす)の量、一貫五百目[やぶちゃん注:五・六二五キログラム。]に、水を加へて舂(つ)くこと、三回にして笊籮(ざる[やぶちゃん注:二字へのルビ。「籮」は、底が方形で、口が円形の竹製の笊をさす漢字。])に入れ、沙(すな)・石(いし)・穢物(ごみ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])を淘(ゆ)り[やぶちゃん注:「淘」は通常は「よなぐ」「よなげる」と読み、「水中で揺すりながら選り分ける・選り分けて悪いものを捨てる」の意で、「ゆる」とも当て訓する。]去り、之を、簑(す)の上に曝すこと七日許(ばかり)、斯くすること、二度、或は、三度に及び、其色、潔白となるに至り。簾(す)に包み、貯ふ。又、惠期草(えこぐさ)も此時に曝し置(おく)べし。偖(さ)て、嚴寒に至り、愈(いよいよ)、寒天を製する時は、未明に徑(わた)り、四尺許なる釜の上に、底なき桶を重ね、水、拾三石[やぶちゃん注:二千三百四十四・六八リットル。]を入れ、松の薪(たきヾ)の乾きたるもの八分《ぶ》[やぶちゃん注:七十三・六グラム。]と、半乾きのもの二分[やぶちゃん注:十八・四グラム。]を混じて焚き、焚き沸(わ)き起(た)つをうかヾひ、晒したる石花菜九十七貫目[やぶちゃん注:三百六十三・七五キログラム]と惠期三貫目[やぶちゃん注:十一。二五キログラム。]を入れ、熾火(もえたつひ)を引去(ひきさ)り、餘火(よくわ)を留めて、ときどき、木片を以て、攪(ま)ぜ、にえこぼれぬよふ[やぶちゃん注:ママ。] にして、黃昏(ゆふぐれ)に至る頃、火勢、十分の九を減じ、釜に蓋をなし、暫く蒸し、翌日の曉(あけがた)に及んで、更に水一石五斗[やぶちゃん注:二百七十五・五五五リットル。]許を加へて、溫め、煮菜(にぐさ)を布囊(ぬのぶくろ)に入れ、萬力(まんりき)と唱ふるものにて、木匡(わく)の中に入れ、汁を大桶(おほおけ)に濾し取り、然(しか)る後(のち)、三十六の小桶に分(わか)ち、凝結(こヾち[やぶちゃん注:二字へのルビ。])を見て、三股(みつまた)、及び、馬把(まぐわ)と稱するものを以て、截(きり)て、片となす。是、卽ち、瓊脂なり。斯(かく)て『角寒天(かくかんてん)』は、長(ながさ[やぶちゃん注:底本は「なが」。誤植と断じて添えた。])、壹尺三寸、方《はう》一寸五分許に切り、『細寒天(ふさかんてん)』は、細條(さでう[やぶちゃん注:ママ。])となし、簀(す)の上に、薦(こも)を敷き、其上に並べて晒すこと、『角寒天』は二夜(ふたよ)、『細寒天』は一夜(ひとよ)にして、凍(こほ)りたるを、晒し乾すものにて、乾上(ほしあが)りの長さ、九寸五分、方壹寸を適度とし、一釜に、『角寒天』なれば、二千五百本を得るものとす。『赤寒天』は『角寒天』を、蘇方(すはう)にて染(そめ)て乾すものとす。但し、是は、淸國には輸出せず。

[やぶちゃん注:「角寒天」「細寒天」「有限会社山サ寒天産業」(岐阜県恵那市山岡町上手向)の公式サイトの「寒天の種類」の画像を見られたい。現在は「糸寒天」もある。

「赤寒天」「乾物屋jp.」のこちらを見られたい。但し、そこを見ると、現行のものは赤色102を使っているらしい。

「蘇方(すはう)」マメ目マメ科ジャケツイバラ(蛇結茨)亜科ジャケツイバラ連ジャケツイバラ属スオウ Biancaea sappan 。漢字は他に「蘇芳・蘇枋」がある。詳しくは、当該ウィキを見られたいが、最後に「是は、淸國には輸出せず」というのは、赤好きの中国に輸出しないのは、同種が、そこに『インド、マレー諸島原産でビルマから台湾南部にも分布し、染料植物として利用される』とあり、無論、本邦には自生しないことからであろうと思われる。]

2026/04/06

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その4)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

 石花菜を採收して販賣する地方は、伊豆、相摸、安房、志摩、紀伊、豐後、伊豫、土佐、肥前、日向、對馬、其外(そのほか)、渡島、膽振(ゐぶり)、大隅、薩摩、豐前、肥後、和泉、伊勢、三河、遠江、上總、下總、常陸、陸前、羽後、若狹、越前、能登、越後、佐渡、但馬、伯耆、出雲、石見、隱岐、備前、周防、長門、阿波、壹岐等、凡(およそ)四十餘國なり。

 瓊脂(ところてん)を製し創(はじめ)しことは、考ふべからずといへども、往古(わうこ)、凝海藻(こりもは)・煮凝(にこヾり)の名稱あるによれば、古(ふるく)より、煮て凝(こヾり)となせしものなるべし。又「庭訓往來」に、西山(にしやま)の心太(こヽろぶと)の名物あるを見れば、已に、元弘[やぶちゃん注:一三三一年から一三三四年。]の頃、嵯峨邊(へん)にて、製し、賣(うり)しならん。寬永二十年の著書なる「料理物語」に鮒(ふな)のにこヾりに、夏は「ところてん』を加へることをのせて、追々(おひおひ)、他物(たぶつ)をこヾらせるの料(りやう)にも用(もちひ)たりし、と見へ、其後(そのご)は、諸國に傳り、夏月(かげつ)、これを造らざる地方は、なきに至れり。而して、其製法は、石花菜八十匁より百匁許(ばかり)[やぶちゃん注:三百~三百七十五グラム。]を、一夜(いちや)、水に浸し洗ひ、根際(ねぎは)の砂石(すないし)を去り、釜中に、水、二升七、八合を入れ、煑て、後(のち)に釀酢(こめず)五勺[やぶちゃん注:九十ミリリットル。]を入れ、攬(かきま)ぜ、暫くして、別の器(うつは)に入れ、溶(と)けざる滓(かす)は、再び、釜中(かまのなか)に返し、水を加(くわ[やぶちゃん注:ママ。])ゆること、前量に同じ。これに、酢五勺を加へ煮て、再び、濾(こし)て、漆器(しつき)に入れ、冷(ひ)ゆるを待ちて程(ほど)に、切(きり)ものとす。若(も)し、早く冷(ひや)さんとせば、暫く、冷水(れいすい)に浸すべし。

[やぶちゃん注:「庭訓往來」玄恵(げんえ)法印(南北朝時代の天台宗の僧で儒者)の作と伝えるが、疑問。室町前期の往来物で、全一巻。応永年間(一三九四年~一四二八年)頃の成立かとされる。往復書簡の形式を採り、手紙文の模範とするとともに、武士の日常生活に関する諸事実・用語を素材とする初等教科書として編まれた。後、室町・江戸時代に広く流布した(主文は小学館「日本国語大辞典」に拠ったが、少し弄った)。国立国会図書館デジタルコレクションの「國民思想叢書 民衆篇」(昭和四(一九二九)年~昭和六年國民思想叢書刊行會刊)の「庭訓往來」のここの右丁一行目で確認出来る。

「西山(にしやま)の心太(こヽろぶと)の名物ある」前に紹介した「大和本草卷之八 草之四 海藻類 心太 (ココロフト=トコロテン)」の私の注の「西山」を見よ。

「料理物語」小学館「日本大百科全書」に拠れば、『日本最古の料理書』で、寛永二〇(一六四三)年『刊行。著者は不明』。「續群書類從」の『飲食部に収録されている。従来の庖丁書』『を見慣れた人たちに新鮮な印象を与え、その後の料理書にも本書から数多く引用されるなど、料理書の古典として声価は高い。第一の海の魚から第七の青物の部までは食品材料をあげて料理法を列挙、第八のなまだれだし、いりざけの部以下第九より第』十九『まで「汁、なます、指身(さしみ)、さかびて、煮物、焼物、吸もの、料理酒、さかな、後段、菓子、茶」とあり、それぞれの代表的な料理の作り方を説明、第』二十『は万聞書(よろずききがき)の部として、一夜ずしの仕様など、そのほか関連料理の作り方を列記している。この様式は以後の料理書の書き方に影響を与えた。』とある。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本食肉史基礎資料集成』第二百二十三輯(栗田奏二編著・一九八六年刊)の「料理物語」の、ここの右丁上段中央に、

   *

ところてん さしみ。かうの物。夏のこゞりに入吉。

   *

とあった。「煮凝り」は、単に「こごり」とも言った。]

 

 寒天を製(こしら)へ創(はじ)めしは、萬治元年[やぶちゃん注:一六五八年。家綱の治世。]の冬にして、山城伏見の驛(ゑき[やぶちゃん注:ママ。])、美濃屋太郞右衞門方に、薩摩侯の宿りし時、饌羞(ごちそう)に出(だ)したる瓊脂(ところてん)の食(しよくよ)を地上に棄てしもの。數日(すじつ)の後(のち)、自(おのづか)ら、凍(こほり[やぶちゃん注:ママ。衍字。])り乾きたるを見て、太郞右衞門、自得するところ、あり。爾來、百方(ひやくはう)、工夫(くふう)を運(めぐ)らし、屢(しばしば)、試驗を經て、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に良品を製し、之を『心太(こゝろてん)の乾物(かんぶつ)』と稱せり。此時、來朝したる黃檗(わうばく)の開山僧(かいさんそう)隱元(いんげん)、見て、佛家(ふつか[やぶちゃん注:ママ。])の食(しよく[やぶちゃん注:本邦の仏家であるから日本語として「じき」と読むのが正当。])に適當するものとし、『寒天』と號たりといふ。「日用料理集」に、貞享・元祿[やぶちゃん注:一六八四年から一七〇四年。綱吉の治世。]の頃、「かんてん」、已に世に行はれしことを載せ、爾來、伏見の特產なりしが、其後(そのご)、攝津にて、製し、天保十一年に至りては、丹波地方に傳へ、又、信濃諏訪郡(すがこほり)に始まり、又、各地に開業するものありしも、廢業するもの多く、現今に至りては、城(やましろ)、攝(せつヽ)、丹(たんば)、信(しなの)、四國(しこく)[やぶちゃん注:前の「四つの国」の意。]の特有產物となり、營業家七十餘戶(よこ)に至れり。

[やぶちゃん注:「饌羞」音「せんしう(せんしゅう)」。「羞」は、この場合は「進(勧)める」の意。元は中国語で唐代に使用例がある。日本語では「羞饌」(しゅうせん)の方が一般的である。

「日用料理集」東洋文庫版の後注に、本書名について、『『合類日用料理抄』(元禄二年・一六八九)のことか。同書は、秘伝、口伝、聞き書等から料理法にとどまらず、材料や取合せの適切さをも叙述している。』とあった。しかし、「東京学芸大学教育コンテンツアーカイブ」の「合類日用料理抄」の「雜之類」の「72にある「凝ところてん」を視認したが、貞享・元禄の頃に「かんてん」が世に行われていたというような記載はなかった。]

2026/03/23

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その3)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

 夫(そ)れ、石花菜は、海中の巖石に生ずる藻類(さうるい)にして、一根(いつこん)より、數十本を出(だ)して、多くの枝を分(わか)ち、紅白(こうはく/うすあかいろ)、黃・紫綠(しりよく/むらさきみどり)の數色あれども、槪(おほむ)ね、紫色(ししよく)にして、其(その)長さ、三、四寸より、七、八寸に至る。其品(そのひん)、位數(いすう)等(とう)あり。『大《おほ》ふさ』・『ながまるすぢ』を上品とし、『あらつち』、之に次き[やぶちゃん注:ママ。濁点落ち。]、『姥草(うばくさ)ハ、扁平にて、下品とす。紀伊にて『鬼草』、一《いつ》に『おにもくさ』、又、『ひらもくさ』と唱(となふ)るものは、形、平たくして、堅く、煮て溶(とけ)ること、遲し。故に、最も下等とす。採收季節は、各地、差異ありと雖も、槪(おほむ)ね、三月より十月に至る。早きに失すれば、嫩(もろ)く、晚(をそ[やぶちゃん注:ママ。])きに失すれば、萎(しぼ)むの憂(うれひ)あり。採收方に三《みつつ》あり。一《いつ》は、海に入りて搔採(かきと)り、一は、器具を用ひて、搔き揚げ、一は、波浪の爲(た)め、海岸に打寄せたるを拾ふ。其器具は、『天突(てんつき)』・『じよれん』・『のふと搔(かき)』・『てんとり鎌(かま)』・『がんがりまんぐわ』・『小たけ網』・『木製二股(もくせいふたまた)かき』・『てんとりあみ』等(とう)なり。然(しか)れども、『がんがり』は、木の枠に鐵、又は、竹の櫛齒狀(くしはぜう)のものを着(つけ)たるものなれば、根部(ねぶ)を、悉(ことごと)く、拔き採(とる)より、「蕃殖(はんしよく)を妨(さまたぐ)るの憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。]あり。」とて廢(はい)せし地方も、あり。乾燥法も亦、大切のことにて、伊豆產の如きは、品質、志摩產に劣らさる[やぶちゃん注:「ざる」の誤り。]も、採撰(さいせん)の粗(そ)なるのみならず、乾燥不充分にして、雜物(そうぶつ[やぶちゃん注:ママ。「ざふもつ」が正しい。]を交(まじ)ふるの弊習(へいしう)あり。志摩產は、他物(たぶつ)を混(こん)ぜず、精選するを以て、世に名聲を博し、大坂市價(おほざかしか)の基本となせり。

[やぶちゃん注:ここに出る等級として出てくる多くの名は、しかし、どうも、同一種ではないことが、いろいろな寒天に関して纏められた複数の書籍を比較管見した結果、明らかになってきた。参考にしたのは、国立国会図書館デジタルコレクションの下島勇馬著「冬期副業寒天製造法」(『通俗工藝叢書』第三編/大正六(一九一七)年有隣堂書店刊)の「第二章 原料」である。十四ページあるが、部分引用しても意味がないので、時間が掛かるが、全文を起こす。但し、総ルビ(漢数字を除く)であるが、必要と判断したものだけを出す。頭注もあるが、出さない。ポイントの違い・字空け等も殆んど再現していない(太字は再現した)。読点が少なくて読み難いと判断して、増補し、当時の組版の制限から、行末に禁則処理を出来ないため、句読点がない箇所にも句読点を追加した。標本図があるが、手書きであるので、これも省略するが、図指示の部分にリンクをした。但し、生物学的学名は随時、段落後に注する(前掲したものも再掲した。何故なら、「淸國輸出日本水產圖說」の「寒天の說」本文では、現在の細分種名が正確に書かれていないからである。その学名は「BISMaL」のものを採用した。漢字表記は私が所持する複数の海藻書から信頼出来るものを附した。一部、割注も入れた。なお、本書は、「ログインなしで閲覧可能」で、誰もが見ることが出来る。

   *

      第二章 原  料

寒心天(ところてん)製造の原料は、總て海藻類に仰ぐものにして元來是等海藻類は其組織成分として體中(たいちう)に糊質分(こしつぶん)に含有する者多きを以て本性分(ほんせいぶん)あるものは皆總て原料となし得るものにして、現今利用されつゝあるは、テングサ類、ツノマタ、オゴノリ、イギス、エゴノリ、トサカノリ、トリアシ等(とう)を主(おも)なるものとす。

[やぶちゃん注:「テングサ類」広義には、アーケプラスチダ界Archaeplastida紅色植物門紅藻綱テングサ(天草)目テングサ科 Gelidiaceaeの海藻。狭義に一般的に代表種として「テングサ」と呼ぶのは、テングサ属マクサ(真草) Gelidium elegans ではある。しかし、以下で作者が示す三種は、現在では、テングサ属ではないものが含まれる(後注を見よ)。

「ツノマタ」紅色植物門(後は前に出した同タクソンは、以下、略す)スギノリ(杉海苔)目スギノリ科ツノマタ(角叉)属ツノマタChondrus ocellatus

「オゴノリ」オゴノリ(海髮苔・於胡苔)目オゴノリ科オゴノリ属Gracilaria vermiculophylla

「イギス」イギス(海髪)目イギス科イギス属イギス Ceramium kondoi

「エゴノリ」イギス科エゴノリ(恵胡苔)属エゴノリCampylaephora hypnaeoides

「トサカノリ」スギノリ(杉苔)目ミリン(味醂)科トサカノリ(鶏冠苔)属トサカノリ Meristotheca papulosa

「トリアシ」テングサ属ユイキリ(結い切り)Gelidium yoshidae の異名「鶏の足」の縮約異名。

       ()てんぐさ類

一、テングサ第一圖) 別名トコロテングサ(心太草(ところてんぐさ))、カハテン、キヌモグサ、マグサ、ツトグサ、マルブサ、アラツチ、ナガマルスジ、キヌクサ、イソクサ

本草は其名の如く原料として最も多量に使用せられ、漢名を石花菜と稱して古(いにしへ)に於ては主(おも)に本藻より製造せられ今日に於ても原料中最優(さいいう)なるものとして尊重せらる。其(その)生ずるや、干潮線以下の岩石に密生するものにして、海深(かいしん)五尋[やぶちゃん注:約十・九一メートル。]より、九尋[やぶちゃん注:約十六・四メートル。]に至る閒に多く成長し、時には、十四、五尋[やぶちゃん注:約二十五・五~二十三・三メートル。]の深(ふかさ)に繁茂する事あれども、北海道に於ては、四、五尋の深所(しんしよ)に盛(さかん)に成育するを普通とす。蓋し、水溫の相異は。如上の結果を見るに至れるなり。其形狀、基部は福平にして、細く、兩緣より、細繊(さいせん)なる多數の枝を出す事、密にして、羽狀(うじやう)をなす、叉、此枝より、不規則なる羽狀小枝を分岐す。根は、系狀に、莖は一所(いつしよ)に數(すう)十茎(けい)を叢生(そうせい)し、其丈(たけ)、四、五寸[やぶちゃん注:約十二・一~十五・二センチメートル。]より長きは、七、八寸[やぶちゃん注:約二十一・二~二十四・二四センチメートル。]に至る、又、巾は、廣きも、五、六厘[やぶちゃん注:約一・五~一・八センチメートル。]より一分(ぶ)[やぶちゃん注:四センチメートル。]を出(いで)ずして、極めて細く、色は、紅紫色(こうししよく)を普通とすれども、紅紫、黃綠等(とう)あり[やぶちゃん注:ママ。後の「紅紫」はダブるので、以下の記載から、例えば、「薄紅紫」・「暗紅紫」等の誤記か誤植である。]。一般に、テングサは其產地を異にすると共に、其色澤、形狀に差を生ずるものにして、本邦南海に產するものは、細く、且、黃色(こうしよく)なるも、北海道方面に產するものは、紫黑色にして其巾(はゞ)も廣きを見る。又、同一の地にても、生育の位置、時期等により、多夕の差あるを見る。總て、本藻は、空間に、採集して乾燥する時は、深紅紫色となり、光澤を增し、彈力性に富むに至るものなり。而して、通例、製造地にて呼ぶテングサの中には、次の三品種の別あるものにして、植物學上、同一のテングサ科に屬すと雖も、決して、同一のものに非ざるり。今、其名稱、及び、相違の主(おも)なる點を、次に記さん。

二、ヒゲモグサ(第二圖) 至る所の沿海、五、六尺[やぶちゃん注:一・五二~一・八二メートル。]以下の深所に生育し、一名オホブサヒゲグサとも呼ぶ。枝條繊維(しでうせんゐ)、伸長して、比狀、鬚髯(すうぜん[やぶちゃん注:ママ。「すぜん」「しゆぜん(しゅぜん)」が正しい。])の如きより、此名あり。扁壓(へんあつ)して線狀をなし、頂末(ちやうまつ)の小枝(せうし)は對生し、稀に大なる線狀を、なし、長さ、八、九寸より、一尺二寸に至る、[やぶちゃん注:読点はママ。]製造原料として優れるものなり。

[やぶちゃん注:「ヒゲモグサ」これは、国国立国会図書館デジタルコレクションの「大阪工業試印驗所報告 第十一回第十四号 寒天ニ關スル硏究(第二報) 寒天製造用海藻類ノ成分 寒天質ノ試驗法(其一)」(昭和五(一九三〇)年工政會出版部発行)の「寒天製造用海藻類ニ就テ」のここで(学名の種小名が斜体でなく、頭が大文字であり、後で示すのと一部の綴りが違い、命名者名も微妙に違うのはママ)、

   *

4ひげもぐさ 學名 Grelidium Linovides Kütz

  別名 ひげくさ

  てんぐさニ似タル形狀ヲ有シ五乃至十尋ノ深所ニ生ジ全長八寸乃至一尺以上ニ及ブモノナリ。安房、志摩、阿波ニ產出セラル。

   *

とあるのが、本種である。何時もお世話になっている鈴木雅大氏の「生きもの好きの語る自然誌」の「キヌクサ Gelidium linoidesの学名と酷似するので、間違いない。そちらに拠れば、これは(マサゴシバリ亜綱 Rhodymeniophycidae の漢字表記は同サイトのここで確認した))、

紅藻植物門真正紅藻亜門真正紅藻綱マサゴシバリ(真砂縛り)亜綱テングサ目テングサ科テングサ属キヌクサ(絹草)Gelidium linoides Kützing 1868

で間違いない。

三、ヲニグサ第三圖) 各地至る所の沿海に生じ、其枝條は、甚だ、硬くして末端は左右に枝を分ち、形狀、大にして、中筋(ちうきん)を生じ、枝條の羽狀に分岐すると、互生に生ずるものとありて、七不規則に、色は暗綠叉は暗紫色をなし、質硬く常に淺所の岩上に平臥(へいぐわ)して生育し、直立する事無く、原料としてはテングサ中、劣等なるものなり。

[やぶちゃん注:これは、

テングサ属オニクサ(鬼草)Gelidium japonicum

である。鈴木氏の「生きもの好きの語る自然誌」の「オニクサ Gelidium japonicumのページに、膨大な写真及び動画(撮影地:兵庫県 洲本市 由良(淡路島):他では同種の動画は見られないので必見!)があるので、是非、見られたい。]

四、ヒラクサ第四圖) 本藻も又、質、硬くして、形狀は扁平に廣く、兩端は、薄く、羽狀に分岐して、主枝(しゆし)は、中央部に筯を生ず。硬質なるより、原料としては、中等品なれども、製造に當り、步留(ぶどま)り多きより、他の優良藻(いうりやうも)と共に混(こん)じて、用ひらる。

[やぶちゃん注:これは、

テングサ科ヒラクサ(平草)属ヒラクサ Ptilophora subcostata

である。私が最も重宝させて戴いている田中次郎先生の著になる「日本の海藻 基本284」(二〇〇四年平凡社刊)に拠れば、種名の『学名の由来』は『準(ある程度)+中肋のある』とあり、キャプションには『マクサに似るが、触るとかなりかたい。もっとも大きくなるテングサ類』とあり、『分布』は『日本沿岸中部・南部』とし、『生育場所』は『潮下帯の深所』、『高さ20~30㎝、枝の幅5㎜』で、『ヒラクサ属Ptilophoraは「やわらかい+持つ」の意。日本には2種が知られる。本種は、深い場所にしばしば生育し、潜水するともっともよく目につく海藻である。平たいからだをもつ。枝の中央部が少し膨らむ場合があることが学名の由来となっている。しかし中肋と判断できるはっきりした構造はない。テングサ類のなかでは。もっとも大型になる種。藻体の質はかたい。付着根はとても太い繊維からなる。』とある。]

五、テングサの産地[やぶちゃん注:「産」が新字なのはママ。] 既述のテングサの產地は本邦海岸至る所にありと雖も、伊豆七島、安房、志摩、日向、能登、越後、北見等に產し、中にも靜岡、三重、千葉、和歌山、島根の諸縣、特に多く、就中(なかんづく)、伊豆神洋島(しんやうじま)[やぶちゃん注:こんな島はない。「神津島」の誤記である。]、三宅島產、及(および)、紀伊產を優良品とす。本藻は原料として最も多く使用せられ、其產額百萬貫[やぶちゃん注:三百七十五キログラム。]に近く、價格、亦、四十萬圓に近し。今、最近の產額を見(みる)に、八十三萬九千八百十六貫[やぶちゃん注:三百十四万九千三百十キロゴラム。]にして、此價格三十八萬一千五百七十一圓なる事、既に揭載せる表の如し[やぶちゃん注:この表は、ここから視認出来る。]。

六、テングサの繁殖法 海藻類の多少は、直接、本業の隆盛如何に關するものなる故、是が繁殖の方法を知るは、叉、餘事に非ずと云ふべし。テングサは無性生殖、有性生殖の二法によりて繁殖を營むものにして、前者は其枝表(しひやう)に四分胞子(《し》ぶんほうし)なる物を生じ、此各個體は枝條より分離して、他物(たぶつ)に適宜寄着して、玆(こゝ)に母體と同樣なる成長を遂ぐるに至るものなり。有性生殖にありては、其精子、成熟するに及ぴて雄(おす)生殖器より出でゝ、波に動搖されつゝ、雌の卵細胞に達し、玆に、受胎作用を起して、新胞子を生ず。次に、是等の胞子は、數多(あまた)相集りて、囊果(のうくわ)と呼ぶ囊狀の器管中に藏(ぞう)せられ、各(かく)胞子は新(あらた)に發芽して、玆に母體となるに至る。而して、此二者の繁殖時期は春期三、四月の候と、秋期八、九月の二期あれども、春季は無性生殖に依るもの多く、秋期は有性生殖に依るもの多きを見る。而して、其春季に蕃殖(はんしよく)せしものは、五、六月頃、老成せしもの、脫落して、幼者(えうしや)、是に換り、此ものは、七、八月頃に至りて、成熟すると共に、幼者、是に換りて、翌年、三、四月の候に成熟するものなり、故に、是が採集に當りては、其成熟、及。脫落の時期を知る事、必要なりとす。

(二)ツノマタ (第五圖) 別名カパノリ、カイソ、タンバ

本藻は、干潮線に近き所の岩上に群生し、少しく波荒き場所を好む。其根は圓盤狀をなして、岩石に固く附着し、形狀、扁平にして、巾、廣く、叉狀に分岐して、其項端(ちやうたん)[やぶちゃん注:漢字は「頂端」の誤植。以下でも、これが続く。]は圓形をなすを見る。長さ、四、五寸、巾、四、五分にして、色は紅綠色を呈し、成長するや、體(たい)の項部(ちやうぶ)、複叉(ふくさ)狀、叉は、不規則なる分岐をなすに至る。其繁殖法も亦、テングサの如く四分胞子(《し》ぶんほうし)、及、囊果(のうくわ)に依るものにして、是等は、葉面(えうめん)に、卵形、叉は、蛇の目狀の斑點となりて表(あらは)れ、成熟するや、是より、胞子は飛散す。通例、ツノマタと總稱すれども、此の海藻には、數多(あまた)の種類ありて、コトヂツノマタ、ギンナンソウ、ヒラコトヂ、ソラキウツノマタ、オホバノツノマタ等(とう)、是なり。是等のツノマタは、總て、糊料(これう)として、左官用(さかんよう)に用ひらるゝ事、多く、地方によりては、蒟蒻狀となして、食用に供する地あり、と、聞く。產地は廣くして、東海道沿岸、及、陸前地方に多く、相模、安房、上總、遠江、伊豆、常陸、磐城の氣仙沼等に產す。原料としては、劣等なるものにして、使用せらるゝ事、少(すこ)し、是、質、粗剛(そがう)にして、容易に煮熟(しやじゆく)して、溶解せられざるが、爲(た)めなり。

[やぶちゃん注:これ以降の種名は太字になっていない。まず、この「ツノマタ」は既注の、

真性紅藻亜綱スギノリ(杉苔)目スギノリ科ツノマタ(角叉)属ツノマタ Chondrus ocellatus

である。前掲の田中先生の「日本の海藻 基本284」に拠れば、種小名は『蛇の目模様の』で、キャプションには『平たいものから鶏冠状のものまで形もさまざまである。』とあり、『分布』は『日本各地』とし、『生育場所』は『潮間帯下部~潮下帯』、『大きさ』は『高さ10~15㎝』で、『潮間帯下部に生育代表的な紅藻である。体色は七変化。緑、青、紫、赤などの色合いのものがある。基本的には広い枝が二叉分岐する。枝はねじれることが多い。高血圧などの民間薬の原藻としても知られる。カラギーナン寒天』(カラギナンは紅藻類から抽出される多糖類の呼称で、カラギナンはその構造の違いから κ(カッパ)カラギナン・ι(イオタ)カラギナン・λ(ラムダ)カラギナンの三種に分かれる。当初は「アイリッシュ・モス(Irish moss)」という紅藻類の海藻のみが、カラギナンの原料に用いられていたが、後の、多様な紅藻類から抽出されるようになった。「カラギナン」という名は、古くからアイリッシュ・モスを利用してきたアイルランドの“Carragheen”という街の名に因んだものようである。現在でも「カラギナン」のことを“Irish moss extract”と呼ぶことがある。カラギーナンは基本的には、ガラクトース(Galactose)基に硫酸基が附いた構造をしており、同じく紅藻類から作られる通常の「寒天」とは、硫酸基の含有量の相違によるものと謂われている。寒天よりもカラギーナンは多量の硫酸基を含有している。以上はサイト「食品開発ラボ」の「カラギナンとは~基礎から徹底解説」に拠った)『としても食されることが多い。』とある。続く以下の種を示す。

「コトヂツノマタ」はツノマタ属コトヂツノマタChondrus elatus

「ギンナンソウ」小学館「日本大百科全書」の「ギンナンソウ ぎんなんそう / 銀杏草」に拠れば、『紅藻植物、スギノリ科の海藻の一群をさす。東北地方、北海道の沿岸に産し、藻体の煮だし液が土壁、漆食(しっくい)などの粘着糊料(こりょう)に使われた。革膜質で、上部が二又に分岐する葉状型となる海藻で、アカバギンナンソウとクロバギンナンソウとがあったが、研究が進み、アカバギンナンソウ(別名ウスバギンナンソウ、ホトケノミミ』(「仏の耳」)『)はRhodoglossum japonicum Mikamiであり、クロバギンナンソウ(別名アツバギンナンソウ)は新しくエゾツノマタChondrus yendoi Yamada et Mikamiとする説が出され、採用されている。糊料としての用途は衰え、食用にされることが多い。』とあった。現在、流通では、単に「銀杏草」(或いは採集地の名前を冠す)として、味噌汁の具等として販売されている。サイト「北海道へ行こう!」の「ほとけのみみ?稚内銀杏草(ぎんなんそう)を美味しくお召し上がりいただくために(レシピ・食べ方)」が採取からリピシまで、写真があるので見られたい。学名は、

スギノリ目スギノリ科アカバギンナンソウ(赤葉銀杏藻)属アカバギンナンソウ Mazzaella japonica

であるが、他に、以上に引用した通り、アカバギンナンソウに非常に似た、属レベルで異なった別種に分離された、

スギノリ科ツノマタ属クロハギンナンソウ(黒葉銀杏藻)Chondrus yendoi

を別に挙げねばならない。別に「エゾツノマタ」の異名がある。後者に就いては、鈴木氏の「生きもの好きの語る自然誌」の「クロハギンナンソウ Chondrus yendoi」のページが画像も豊富で、よい。そこで鈴木氏も、『クロハギンナンソウ( Chondrus yendoi )は,東北地方太平洋沿岸以北で良くみられる海藻ですが,アカバギンナンソウ( Mazzaella japonica )との区別にしばしば頭を悩ませます。アカバギンナンソウとは生殖器官の構造が異なり,分類学上は属のレベルで異なりますが,見た目はとても良く似ています。ツノマタ属の例に漏れず,外部形態が激しく変化するため確実とは言えませんが,アカバギンナンソウと比べて分枝が少ないこと,色が黄色っぽいことなどによって区別しています。色は重要な特徴ですが,押し葉標本にすると褪せてしまうため,生育時の写真を撮影し,残しておく必要があるでしょう。』とあった。流通では、アカバギンナンソウと区別した記載は認められないが、信頼出来る記載に拠れば、『若いものは食用になる』とあったから、大きくなると、硬くなって食用には向かなくなると推定される。

「ヒラコトヂ」これは、

ツノマタ属ヒラコトジ(平琴柱)Chondrus pinnulatus

である(「コトヂ」は歴史的仮名遣である)。前掲の田中先生の「日本の海藻 基本284」に拠れば、種小名は『羽状の』で、キャプションには『細い枝が不規則に出ている。』とあり、『分布』は『日本沿岸北部』とし、『生育場所』は『潮下帯』、『大きさ』は『高さ15~20㎝』で、『分布は日本の北部が中心であるが駿河』『でも生育が見られた。このような分布の例は、瀬戸内海や伊勢湾などの内湾で見られる。冬に水温が低くなるとことが理由のひとつである。からだはかたくしなやかで、二叉分岐して平面的に広がる。太い枝から不規則に細かい枝が多数出る。ツノマタ、マルバツノマタ』(丸葉角叉: Chondrus nipponicus )『に似るが、茎や枝は平たく、枝の先はとがる。』とあった。

「ソラキウツノマタ」✕いろいろ調べたが、国立国会図書館デジタルコレクションでも、この書にしかヒットせず、不詳である。識者の御教授を乞う。

「オホバノツノマタ」(大葉角叉) Chondrus giganteus 。]

) オゴノリ(第六圖) 別名ウゴノリ、オゴ、ウゴ

本藻は靜溫(せいをん)なる內灣、及、河口等の淺所(せんしよ)に生育し、岩石、介殼片(かいこくへん)等(とう)に着生し、其丈(そのたけ)、一尺より長きは、三、四尺に及ぶ。枝條は圓柱狀にして、極めて細く、直徑三厘[やぶちゃん注:二・七センチメートル。]內外にて、不規則なる叉狀線、又は、羽狀線をなし、表面、滑澤(こつたく)に、質は柔軟にして、色は深褐色をなせり。囊果(のうくわ)は、枝の表面に半球狀の疣狀(いうじやう)隆起をなして生じ、是より、胞子の飛散するを見る。又、食用に供し、糊料[やぶちゃん注:底本は「湖料」。誤植と断じ、訂した。]、漉布糊(すきふのり)等(とう)にも用ひらる。產地は東海道沿岸、及、瀨戶內海に多く、モヅサと供ひて產する事、多し。粘力、强くして、製造の步留(ぶどま)り多きを、利ありとすれども、其品質、惡しきより、多く使用する時は、製品を劣惡ならしめ、惡臭を附するの恐れ多き爲め、信州諏訪水產組合にては、使用を禁ず。

[やぶちゃん注:これは、刺身のツマとしてよく知られており、私も好物である、

紅色植物門紅藻綱オゴノリ(於胡海苔・海髪)目オゴノリ科オゴノリ属オゴノリ Gracilaria vermiculophylla に代表されるオゴノリ科Gracilariaceae のオゴノリ類

である。本邦産だけでも、

オオオゴノリ Gracilaria gigas

ミゾオゴノリ Gracilaria incurvata

フシクレオゴノリ Gracilaria salicornia

シラモ Gracilaria bursa-pastoris

カバノリ Gracilaria textorii

シンカイカバノリ Gracilaria sublittoralis 

等、実に二十種が知られている。★なお、生食で、中毒症状を呈し、死亡例も、複数あることは、あまり知られていないので、注意が必要である。★それに就いては、「大和本草卷之八 草之四 ナゴヤ (オゴノリ)」(「ナゴヤ」はオゴノリ類の九州での方言)の私の注で、中毒・死亡例の推定機序を述べてあるので、御存知ない方は、必ず、見られたい。

「漉布糊(すきふのり)」和紙の漉き工程で使用するものであろう。]

)イギス (第七圖) 別名ヱギス、イギリス、オキテン

本藻は干潮線以下に於て生育し、枝條、圓柱狀をなし、質は柔軟にして粘滑に、下方には、小枝(せうし)、輪生し、全體は、不規則なる叉狀に分枝せる枝條、廣まりて不定なる塊狀をなし、先端は尖りて、內曲(ないきよく)するものあり、全體に環紋(くわんもん)あるを見る。他の多くの海藻上に着生し、其色、暗紅紫色を帶(おべ)り。本藻は、味噌、洒精に漬けて、食用となす。又、イギス蒟蒻(こんにやく)なるものは、酢、又は、米泔汁(こめとぎじる)を加へ、煮て、溶解せしめ、是を凝固せしものなり。其外、酢、味噌として食用になす等(とう)、其用途、廣し。本邦に廣く歲出すれども、兵庫縣產を以て、最も優良なり、とす。

[やぶちゃん注:これは、解説から見て、

マサゴシバリ亜綱イギス目イギス科イギス連エゴノリ属イギス(海髪)Ceramium kondoi

である。前掲の田中先生の「日本の海藻 基本284」に拠れば、種小名は『人名にちなむ』とあり、調べたところ、発見者の姓が近藤であったことに拠る(学名規則に姓名が母音で終わる場合は「i」を語尾に追加せねばならない)。『分布』は『日本各地』とし、『生育場所』は『潮下帯』、『大きさ』は『高さ20~30㎝』で、『潮下帯のホンダワラ類などの海藻の上に生育する。エゴノリ』(既注)『やアミクサ』(イギス連エゴノリ属アミクサ(網草)Campylaephora boydenii )『と同様な場所に生育する。類似種とは、枝が三叉状に分岐する特徴で区別される。』(☜重要!)『また、エゴノリのように他の海藻にからみつく鉤状の枝葉できない。山陰』(さんいん)『や瀬戸内海地方で食されるイギス豆腐はとみに有名である。』とある。藻体画像と分類学では、やはり、鈴木氏の「生きもの好きの語る自然誌」の「イギス Campylaephora kondoi」のページが画像も豊富で、よい。そこで鈴木氏が、『分類に関するメモ:イギスは,Ceramium属の1種として記載されました。Barros-Barreto et al. (2023) は,イギスをCeramium属からエゴノリ属(Campylaephora)に移しました』とあるのに注目せねばならない。

 さて、田中先生が最後に述べておられる「イギス豆腐」に就いて、当該ウィキを引く(注記号はカットした)。『いぎす豆腐(いぎすどうふ)とは、愛媛県今治市を中心とした瀬戸内海地方に伝わる郷土料理。愛媛県の越智地方・今治地方で、夏の風物詩としてお盆や法事の際に食される。見た目は高野豆腐に似る』。『紅藻の一種であるいぎす草(Ceramium kondoi Yendo)』(学名に注目! これは正しく、種としての「イギス」である)『と生大豆の粉を出汁で煮溶かし、寒天のように固めた料理である。いぎす豆腐には具入りと具なしがある。具入りはエビや枝豆などを入れ、華やかな見た目になる。家庭によって具とする食材は様々である。具なしは醤油や辛子味噌をつけて食べる』。『長崎県の島原半島の郷土料理である』「いぎりす」の異名は『いぎす豆腐に由来するとされる』とある。「イギス豆腐」に就いては、「農林水産省」公式サイト内の「いぎす豆腐 愛媛県」を見られたい(種名を示さない。なお、私は食したことがない。四国には足を踏んだだけで、高知に至っては、唯一の未踏県である)。なお、この注をするのに際し、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「いぎす 海髪」の種同定に誤りがあったので、修正した。お暇な方は、ご覧あれかし。]

)ヱゴノリ(第八圖) 別名ヱゴ、オキウト、麒麟菜(漢名)[やぶちゃん注:丸括弧閉じるがないので、補った。]

本藻は四、乃至、五尋の海底の岩石に多く附着して生育し、大なる塊狀をなし、枝條は圓柱狀にして、多枝(たし)を分岐し、互に各枝(かくし)、卷き合ひて、其區別、困難なり。各枝の先端は、卷き、肥大にして、彎曲(わんきよく)せり、而して此部に四分胞子(《し》ぶんはうし)を附着す。食用にも供せらる。產地は九州近海に最も多く、又、陸中以南、及、越後以西の海岸に生じ、肥後、明石、三河、江の島、安房、松島、凾館、釧路の厚岸、出雲、能登、佐渡等(とう)、主(おも)なる產地にして、原料として良品なるを以て、テングサに次ぎて、廣く貴重され、其使用料も從(したがつ)て多額なりとす。

[やぶちゃん注:これは、「おきゅうと」の原料として知られる(ご存知ない方は当該ウィキを見られたい)、

イギス目イギス科イギス連エゴノリ属エゴノリ(恵胡海苔)Campylaephora hypnaeoides

である。田中先生の「日本の海藻 基本284」に拠れば、種小名は『ハイゴケ(蘚類)に似た』とあり(マゴケ(真苔)植物門マゴケ綱ハイゴケ目ハイゴケ科ハイゴケ属ハイゴケ Hypnum plumaeforme 当該ウィキの画像。似てるとは思えないな)、『分布』は『日本各地』とし、『生育場所』は『潮下帯』、『大きさ』は『高さ20~30㎝、枝の直径1mm』で、『類樹種』は『アミクサ、イギス』とあり、『エゴノリ属』の属名『は「曲がったもの+もつ」の意。日本には3種が知られる。本種の和名は九州地方の方言による。細い円柱状のからだをもつ。アミクサ、イギスとともにホンダワラ類などの他の海藻の上に付着することが多い。カギイバラノリ』(スギノリ目イバラノリ(茨苔)科イバラノリ属カギイバラノリ(鉤茨苔)Hypnea japonica )『と同じような鉤状の枝で他の海藻にからみついている。この鉤状の枝を持つことで類似種のイギス、アミクサと区別できる。寒天原藻として重要。イギス類とオゴノリを、糊分の強い順に並べるとエゴノリ、オゴノリ、イギスの順であり、エゴノリが一番かたい。枝はもろい。』とあった。]

)トリアシ(第九圖) 別名スヾクサ、セラサ

本海藻の枝條は瞰軸的(かんじくてき)に成長す。卽ち、海綿質を有せる圓盤體(ゑんばんたい)、相重(あひかさな)りて、一條の中軸に貫(つらぬか)れたる貫錢(くわんせん)狀をなし、其表面は粗糙(そざう)[やぶちゃん注:「ざらざらとして粗いこと」。]にして、長さ、七、八寸より一尺に至る。其色、枝條に紫色の輪を無數に篏(は)めたるが如くにて、其形狀、宛然(さながら)、鳥の足の如くなるより、此名あり。四分胞子は、各圓盤體の緣邊(えんぺん)より生ずる微細(こまか[やぶちゃん注:二字へのルビ。])なる小羽中(せいうちう)にあり。又、其枝條の表面に凸凹(とつあふ)あるにより、土砂、海綿、石灰質の海藻を附着する事、多し。原料としては、其質、剛硬(かたき[やぶちゃん注:二字への略訓的なルビ。])に失するの缺點あり。產地は太平洋に面する國に多く、下總、安房、相模、伊豆、志摩、紀伊、阿波、土佐、日向等(とう)を主產地とす。

[やぶちゃん注:これは、少し手間取った。現代の正式和名が以上と異なっていたためである。国立国会図書館デジタルコレクションの大島勝太郞著「海藻と漁村」(一九四九年目黒書店刊)のここで、「トリノアシ」を正式名とし、学名は『Acanthopeltis japonica』となっている(斜体でないのはママ)。異名に「ユイキリ」「スズクサ」とあった。これは、現在の、

テングサ属ユイキリ(結い切り)Acanthopeltis japonica

である。但し、以上の学名はBISMaL」のものであって、鈴木氏の「生きもの好きの語る自然誌」の同種のページのタイトルは、

ユイキリ Gelidium yoshidae

となっている。以下、正式には、『Gelidium yoshidae G.H.Boo & R.Terada in Boo et al. 2016: 368.』で、以下に『分類に関するメモ』として、『ユイキリは,ユイキリ属(Acanthopeltis)の1種としてテングサ属(Gelidium)と区別されていましたが,Boo et al. (2016)は,遺伝子解析を基にユイキリ属をテングサ属に含めました。ユイキリをテングサ属に移すに当たり,オニクサ(G. japonicum)の後続同名になるのを避けるため,新名G. yoshidaeを提唱しました。』とあったから、最後のものが、ユイキリの最新の学名である。

田中先生の「日本の海藻 基本284」に拠れば、『分布』は『日本中部・南部』で、『生育場所』は『潮下帯』。『大きさ』は『長さ10~20cm』、『解説』に前者の学名について、『 Acanthopeltis は「棘のある+楯」の意。日本特産種で、日本では2種が知られる』とあるが、調べてみても、この二種の違いは判らなかった。『和名は、枝を糸で切り結んでいる様による。別名の「トリノアシ(鳥の足)」は、本種の枝の外形がニワトリの足のすねに似ているから。からだは円柱状、二叉分岐し、老成するにつれてその間に海綿動物が多量に着生するために、体色は白く、円筒状の枝となることが多い。外洋に面した水深2~10mに多く、太平洋沿岸では千葉県から九州までいたる地方に生育する。密生して生育し、大量に浜に打ち上げられることも多い。テングサ類のひとつだが、その寒天原藻としての品質は他のテングサ類に劣る。』とある。]

)トサカノリ(第十圖) 鷄冠菜、紅菜、鳳美菜(はうびさい)(漢名)

本藻は、形狀、扁小にして、叉狀、及、羽狀等に分裂し、又、綠緣邊より、副枝を出(いだ)す事、あり。各節(かくせつ)の表面、及、綠邊には無數の突器(とつき)ありて、子嚢を附着し、其四分胞子は、表面に、散じて附着せり。暖地に生ずる者は、大にして、オヽトサカと呼ばる。日光に曝露(ばくろ)する時は、白色に變ずるより、陰乾(かげぼし)となる。淸國(しんこく)にては、五色菜として珍重せらると云ふ。

[やぶちゃん注:これは、

ミリン(味醂)科トサカノリ(鶏冠海苔)属トサカノリ Meristotheca papulosa

である。但し、以上の学名はBISMaL」のものであって、鈴木氏の「生きもの好きの語る自然誌」の同種のページのタイトルは、

トサカノリ Meristotheca japonica

となっている。そして、以下に、「分類に関するメモ:トサカノリは,"Meristotheca papulosa"に充てられてきましたが,Yang et al. (2023) は,日本産種をM. papulosaとは別種として区別し,M. japonicaに充てました。」とある。前注と同じで、こちらが最新の学名である。田中先生の「日本の海藻 基本284」に拠れば、『分布』は『日本各地』で、『生育場所』は『潮下帯』。『大きさ』は『長さ20~50cm』、『解説』に学名の属名について、『 Meristotheca は「分かれた+莢(さや)」の意。日本では2種が知られる』とあるが、調べてみても、前と同様、この二種の違いは判らなかった。『本種は枝の先端の枝分かれ形が、ニワトリの鶏冠のようなのでこの名がある。平面的に広がる肉質のからだは、成長すると折れやすい。成長すると瘤(こぶ)状の突起がたくさん出る。老成した個体と若い個体では形態がいちじるしく異なることがある。鶏冠を連想させる形態は若い時期のものである。生体は紅色であるが、熱湯を通せば、赤い色素が変成して、葉緑素の色が緑色として残る。さらにそれを水にさらすと、すべての色素が溶け出して白くなる。これらの乾燥させたものを組み合わせて、「赤トサカ」、「青トサカ」、「白トサカ」の海藻サラダ3点セットとして売られている。その食感と味は海藻サラダの絶品といってもよい。』(私も諸手を挙げて賛同する!)『煮出して冷やしてかためたものは、「トサカコンニャク」と呼ばれて食用になっている。』とあった。]

以上の海藻類は、現今、專ら、使用せらるゝものなれども、將來、一層、善良なる原料も發見せらるゝ事もあるべく、主產地なる長野縣下に於ては、大正二年度より、各原料の試驗に從事しつゝあれば、他日、是が成績に就き詳記する事とすべし。

   *

★以上を以って、ほぼ四日と半日をかけて、底本では全くと言っていいほど、示されない「寒天」の材料となる種を、知られたものは、一部を除いて、示すことが出来たと考えている。★

「『大《おほ》ふさ』・『ながまるすぢ』を上品とし、『あらつち』、之に次き、『姥草(うばくさ)』ハ、扁平にて、下品とす。」これはテングサ類の素材の上等物から下等物の呼称のようである。

「紀伊にて『鬼草(おにくさ)』、一《いつ》に『おにもくさ』、又、『ひらもくさ』と唱(となふ)るものは、形、平たくして、堅く、煮て溶(とけ)ること、遲し。故に、最も下等とす」これは、前の引用で注した、テングサ属オニクサ(鬼草)Gelidium japonicum である。

「海に入りて搔採(かきと)り、」これ以降は、先に引用した「冬期副業寒天製造法」の「第二章 原料」に続く、「第三章 原料の採集法」を見られたい。十全に視認でき、特に注を附すもない平易な内容なので、見られたい。「)蜑女(あま)」相当である。また、「()潜水器」も含まれる。

「一は、器具を用ひて、搔き揚げ」当該部は「(二)ドレツヂ(drag)」(英語表記はママ。正しくは“dredge”である。)を見よ。

「一は、波浪の爲(た)め、海岸に打寄せたるを拾ふ」今も普通に行われる海岸での打ち上げられたもの、或いは、岸辺・浜辺直近で浅い所の波に漂流するものを、素手で収穫する方法である。同前の章末の「()漂着藻採集(へうちやくさうさいしふ)」を見られたい。

「天突(てんつき)」不審。これは、寒天原藻を刈り取る道具ではなく、最後に処理した心天(ところてん)の塊を突いて細長く切り出す特殊な道具である「心太突き」だからである。河原田氏が、うっかりと入れてしまったのではあるまいか。福岡県遠賀郡水巻町(みずまきまち:ここ。グーグル・マップ・データ)の「水巻町歴史資料館」の「ところ天突き」を見られたい。私は、どこかの資料館で手にとったことはあるが、実際に突き出したことはない。

「じよれん」「鋤簾」で現代仮名遣では「じょれん」。対象物を掻き寄せる道具。長い柄の先に、浅い歯を刻んだ板・鉄又は竹を、箕()のように編んだものを取り付けたもの。鋤簾鍬(じょれんぐわ)。「コトバンク」のここで図画像が見られる。

「のふと搔(かき)」不詳。「野太搔き」か。前者よりもがっちりとした鋤簾のようなものか。識者の御教授を乞う。

「てんとり鎌(かま)」不詳。「ところてん」の「てん」で原藻を「獲る」「鎌」状の道具か。同前。

「がんがりまんぐわ」不詳。冬の原藻を刈る「寒刈(かんが)り」用に特化した「馬鍬」(まぐわ→(音変化で「まんぐわ」ともなる):牛馬に牽かせて水田の土を掻き馴らす農具。長さ一メートルほどの横の柄に、刃を櫛状に取り付けたもの)か。「第三章 原料の採集法」の「(三)アンガ」に、『此法は北海道に主として行るゝ方法にして、幅五寸內外の刷毛形をなせる板に、長さ五寸幅四五分なる頭部に尖れる釘狀(ていじやう)の扁(ひらた)き柄を附して採取するものなり。通例三四尋の淺所(せんしよ)に行(おこなは)る。蓋し寒冷なる爲め蜑女(あま)に依る事困難なるより、自然本器をしようするものならん。』とあるのは、先に示した私の発想と一致し、「まんぐわ」もぴったりである。

「小たけ網」不詳。「小竹網」か。同前。

「木製二股(もくせいふたまた)かき」不詳。「木製の二股掻き」か。竹で編んだ二股になったものを舟で牽き、そこに原藻を掻き集めるものか。同前。

「てんとりあみ」「ところてん」の原藻を採取する「採り網」か。同前。]

2026/03/22

「BISMaL- ビスマル -Biological Information System for Marine Life」の和名のミスを通報した

現在、『河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その3)』の注をしているのだが、多数ある寒天とする海藻を、同定比定している最中、最も信頼出来るものとして「BISMaL- ビスマル -Biological Information System for Marine Life」を使っているのだが、ある属和名が、ミスとしか思われないものを発見したので、昨日、午前中にメールした。

   *
私は、個人で文学・博物学の諸電子化注を作成している者です。
現在、ブログで「淸國輸出日本水產圖說」の「寒天の說」を電子化注しておりますが、その注をしている最中、BISMaLで学名を参考にしているのですが、「ヒラクサ」を検索したところ、
以下の分類ツリーの属和名が「ヒサクサ属」となっています。
これは「ヒラクサ属」の誤植ではないでしょうか?
他の信頼出来るデータを見ても、「ヒラクサ属」です。 
以下に画面(https://www.godac.jamstec.go.jp/bismal/j/view/9021276)から、当該箇所以下をペーストしておきます。
   *
Genus Ptilophora Kützing, 1847 ヒサクサ属 非表示
Species Ptilophora irregularis (Akatsuka & Masaki) Norris, 1987 ナガヒラクサ
Species Ptilophora subcostata (Okamura) Norris, 1987 ヒラクサ
Genus Yatabella ヤタベグサ属
   *
さても先ほど土曜なのに、返信があった。以下。
   *
ご指摘の通り、誤りのようです。
再度文献等々を確認し、和名ほかの修正を行います。
ご連絡いただきまして、ありがとうございました。
引き続き、BISMaLをご活用いただけますと、ありがたく思います。
海洋研究開発機構
BISMaL運用チーム
2026年3月21日土曜日 9:14:55 UTC+9 Yabuno Tadashi:
   *
私の指摘は正しかった。

2026/03/16

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その2)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。書名は、既に本電子化注で出たものは書名注を再掲しないつもりだったが、大分、時間が経過しているので、一部は再掲した。]

 

 「本草綱目」「閩書(びんしよ[やぶちゃん注:原本は『みんしよ』であるが、訂した。])」「廣東新語(カントンしんご)」其他の本草書、府縣志等(とう)にも、『石花菜(せつくわさい)』、一名、『瓊枝(けいし)』は沙石(させき)の間(あいひだ)に生じ、高(たかさ)二、三寸、珊瑚の如く紅白の二色(ふたいろ)ありて、枝上(えだのさき)に細齒(さいし)あり。一種、畧(ほゞ)、大にして、面(おもて)、鷄爪(けいさう)に似たるを『鷄脚菜(けいきやくさい)』といひ、白色(はくしよく)なるを『瓊枝(けいし)』といひ、紅色(こうしよく)なるを『草珊瑚(さうさんご)』と稱し、煮て、凝結(こゞら)せ、食する等(とう)を載せたるは、我が『ところてん』に疑ふ可らざるを以て、先哲は、之に充てたるなるへし[やぶちゃん注:ママ。]。而して、今、淸國產の『石花菜』を見るに、本邦の『つのまた』にて、『牛毛菜(ぎうもうさい)』が、本邦の『ところてんくさ』なり。茲(こゝ)に於て、又、疑(うたがひ)を生し[やぶちゃん注:ママ。]たりしが、「本草綱目拾遺」に、『麒麟菜(きりんさい)は瓊枝菜の類(るい)なり。一種、石花菜あり。又、細く、牛毛の如きものを牛毛(ぎうもう)とす。』。而して、淸國より來(きた)る『騏菜(きさい)』を見るに、『琉球角股(りうきうつのまた)』にして、三種を混稱することあるが如し。本草書・府縣志等(とう)各書に、夏月(かげつ)、煮沸(にわか)して、凝結せしめ、或は、膠凍(りやうとう[やぶちゃん注:ママ。「こうとう」が正しい。])となす、といひ、或は、『瓊脂(けいし)』と稱し、「本草綱目拾遺」には、『石花膏(せつくわこう)』等の製法ありて、薑酢(しやうがす)等(とう)を以て、廣く、食用に供することを載せたり。面して、現今、藻(くさ)のまゝ、本邦よりも輸出し、之を賣買するには、皆、『石花菜』の稱を以てせり。

[やぶちゃん注:「本草綱目」今年正月からアクセス不具合であった「漢籍リポジトリ」が回復したので、それで示すと、ここの「卷二十八」の「菜之三【蓏菜類一十一種 內附一種】」で、ガイド・ナンバー[071-22b]の五行目以下。一部に手を加えた。

   *

石花菜【食鑑】

 釋名璚枝【時珍曰並以形名也】

 集解【時珍曰石花菜生南海沙石間高二三寸狀如珊瑚有紅白二色枝上有細齒以沸湯泡去砂屑沃以薑醋食之甚脆其根埋沙中可再生枝也一種稍粗而似雞爪者謂之雞脚菜味更佳二物久浸皆化成膠凍也郭璞海賦所謂水物則玉珧海月土肉石華卽此物也】

 氣味甘鹹大寒滑無毒主治去上焦浮熱發下部虛

 寒【寗原】

   *

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南產志」(びんしょなんざんし)。一六〇八年成立。「中國哲學書電子化計劃」の「閩書」で「明府」で検索すると、結果して、「石介屬判」に、

石花菜生海礁上性寒夏月煮之成凍

   *

とあった。

「廣東新語」全二十八巻。広東地方の百科全書。これは、「中國哲學書電子化計劃」で「卷五 石語」にあるのだが、これ、ちゃんと読めたわけではないが、このパート、どうも珊瑚類、或いは、類似した石灰質を含んだ海藻類に就いて述べているように思われ、当該部は、そのまま示すと、

   *

青花明顯,如石花菜者,石工稱為芊紋,品中中◦

   *

とあるだけで、これは当該対象の性質の比喩として述べているに過ぎず、「石花菜」そのものを記載しているのではないから、資料になり得ないものと判断した。

「鷄爪(けいさう)」ニワトリの蹴爪(けづめ)。

「つのまた」紅藻植物門紅藻綱真性紅藻亜綱スギノリ目スギノリ科ツノマタ属ツノマタ Chondrus ocellatus「大和本草卷之八 草之四 鹿角菜(ツノマタ)及び海藻総論後記」の私の「鹿角菜(ツノマタ)」の注を参照されたい。

「『牛毛菜(ぎうもうさい)』が、本邦の『ところてんくさ』なり」「百度百科」の「牛毛菜」に学名を

『石花菜( Gelidium amansiiLamouroux Lamouroux,1813)』

とするが、これは、本邦の、

紅藻植物門真正紅藻亜門真正紅藻綱マサゴシバリ(真砂縛り)亜綱テングサ目テングサ科テングサ属マクサ(真草)Gelidium elegans Kützing 1868

のシノニムである(鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」の「マクサ Gelidium elegans で確認した)。

「本草綱目拾遺」淸の本草家趙学敏が、一八〇〇年頃に「本草綱目」の誤りを正したもの。当該部は、「維基文庫」のここで、以下のように出る。一部の漢字に手を入れ、半角字空けを詰めた。

   *

諸蔬部

麒麟菜

出海濱石上,亦如枝菜之類,瓊州府海濱亦產。周海山煌琉璃國志載:雞脚菜、麒麟菜,皆生海邊沙地上,又名鹿角菜。今人蔬食中多用之,煮食亦酥脆,又可煮化爲膏,切片食。綱目鹿角菜云:甘大寒滑。陳芝山食物宜忌云:微鹹性平,大有消痰功用。瀕湖反引孟洗一說,以爲有微毒,不可久食,能發痼疾;且其主治,只載下食風氣,小兒骨蒸,治丹石熱結,解面毒,何昧其功用乃爾耶,兹特表之;朱排山《柑園小識》:石花菜生海中沙石間,高二、三寸,狀如珊瑚,有紅、白二種,洗去沙土,煮化凝成膏,糟醬俱佳。又有細如牛毛者,呼牛毛石花,味稍劣。郭璞海賦所謂土肉石華是也。味鹹性平,消痰如神,能化一切痰結痞積痔毒。敏按:盛京志龍須菜生于東南海濱石上,叢生,狀如柳根,長者至尺余,白色,以醋浸食,亦佳蔬也,土人呼爲麒麟菜,出金州海邊。鹿角菜生東南海中,大如鐵線,分丫如鹿角,紫黃色,乾之爲海錯,水洗醋拌,則如新味,今金州海邊有之,據志則似一類二種也。石花膏毛世洪養生集:治辛苦勞碌之人,或嗜酒多欲,忽生外痔,發作疼痛,步履難移。服此,或大便瀉一遍,或不瀉,亦卽止痛,可以行走;再用搽洗等藥,自能斷根。用麒麟菜洗去灰一兩,用天泉水煮烊,和白糖五錢食之。此方乃李治運臬司傳靈隱寺僧。杭人蕭成子患此症,僧往候,授以此方,服之隨愈。予記之,後治數人多效。

   *

「琉球角股(りうきうつのまた)」これは、

スギノリ目ミリン(漢字表記は「味醂」のようである)科キリンサイ(麒麟菜)属キリンサイ Eucheuma denticulatum

の異名である。平凡社「世界大百科事典」に拠れば、『熱帯および亜熱帯に多く生育する海藻で,1020cmの大きさの軟骨質のミリン科の紅藻。体は初め』、『円柱状であるが,後に不規則に分枝し,あたかも潮間帯の岩上にうずくまるような形状を呈し,また体の周囲には多数のいぼ状突起をもつ。世界各地の熱帯および亜熱帯海域に分布する。日本では太平洋沿岸の四国以南に知られる。近縁の種にカタメンキリンサイE.gelatinae J.Ag.,オオキリンサイE.striatum Schmitz,トゲキリンサイE.serra J.Ag.などがある。いずれも暖海に生育し,寒天の原藻となる。潮間帯に網を水平に張った施設をつくり,ここにキリンサイ類を生育させて養殖が行われる。養殖はフィリピンでとくに盛んである。』とある。

「膠凍」これは中国語で、対象物を水で煮、ペースト状にし、自然冷却してゼリー状にすることを言う。浙江省の製法であるようだ(「維基百科」の「膠凍(浙江食品)」を参照した)。]

2026/02/14

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(六)寒天の說(その1)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]

 

  (六)寒天の說

寒天は本邦にて、菓子職(くわししよく)、及び、割烹家(りやうりか)の用に供し、缺く可らざるの品(しな)たり。加之(しかのみならず)、海外へ輸出する水產物の中(うち)にて、重要のものとす。此品(このしな)は、石花菜(てんくさ)を煮て、凝(こヾら)せし瓊脂(ところてん)を寒天(かんてん)に曝(さら)して、凍(こヾら)せたるものなり。

[やぶちゃん注:「石花菜(てんくさ)」アーケプラスチダ界 Archaeplastida 紅色植物門紅藻綱テングサ目テングサ科 Gelidiaceae に属する海藻類の総称。私の電子化注では、複数あるが、まんず、かなりの拘りで注をやらかした「大和本草卷之八 草之四 海藻類 心太 (ココロフト=トコロテン)」がよいであろう。転写すると、膨大になるので、リンクに留める。

 

「漢語抄」・「和名抄」に『大凝菜(こヽろふと)』あり。「本朝式」にハ、『凝海藻(ぎやうかいさう)を『古留毛波(こるもは)』と訓ず。「延喜式」に、上總(かずさ)より『凝海藻(ぎやうかいさう/こるもは)』、阿波より『凝海菜(ぎやうかいさう/こるもは)を貢獻す』とあり。又、同書、「主計式諸國輸調(かぞへしきしよこくゆてう)」に『凝海藻(ぎやうかいさう)を奉(さヽ)げたる事、每國(まいこく)四十斤(しじうきん)[やぶちゃん注:二十四キログラム。]、内膳の所須月科(いかよるつき)四斤八兩(しきんはちりやう)』とあり。「賦役令(ふやくれい)」の輸雜物(ゆざうぶつ)の部にも、『凝海藻(こるもは)一百二十斤[やぶちゃん注:七十二キログラム。]』を載(のせ)たり。然(しか)るに、「大和本草」に『石花菜(せつくわさい)』、今、按ずるに『心太(こヽろぶと)』なるべし。『國俗、『ところてん』と稱す。』とありて、寬永の頃には、『ところてん』の名も、ありて、此漢名に充(あて)たり。是より、さき、慶長・元和の頃には、是等の稱なかりしと見へ[やぶちゃん注:ママ。]、「多識篇」には、『石花菜は南蠻美留(なんばんみる)なり。』と、せり。此他(このた)、貞享(ていけう[やぶちゃん注:ママ。「じやうきやう」が正しい。])以後の書には、『石花菜』を『こヽろぶと』又は『ところてんくさ』と訓せり。「書言字考」・「和漢三才圖會」の『石花菜』の部に『小凝菜(こヾりくさ)』の名を載せたれども、是は「漢語抄」の『小凝菜(せうぎやうさい)』、「崔氏食經(さいししよくきやう)」の『海髮(かいはつ)』にして、「倭名鈔」に『以木須(いきす)』と訓じ、「延喜式」に、志摩より貢獻する所の別物のものなり。而して、近世に至りて、一般に、『石花菜』の字を用ひ、俗に『天草(てんくさ)』、『寒天草(かんてんぐさ)』と稱し、又、『ぶとさう』・『ぶとのり』といふ地方もあり。また「和名鈔」に、俗に『心(しん)』・『太(たい)』の二字を用ひ、『古々呂布止(こヽろぶと)』と、いひ、「庭訓往來(ていきんわうらい)」にも、『西山(にしやま)の心太(こヽろぶと)』とあるを、『こヽろたい』、又、『こヽろてい』と訓し、『こゝろてん』『ところてん』と轉訛(てんくわ)したり。此『ところてん」を畧して『てん』といふより、『寒天』、或(あるい[やぶちゃん注:ママ。])は『干天』の名あるに至れり。然(しか)るに、これに充つる漢字なきにより『凍瓊脂(とうけいし)』と名づけたるは、「製品圖說」を編むの時に、あるなり。但し、淸俗は『洋菜(ヤンツアイ)』と稱せり。

[やぶちゃん注:『「漢語抄」・「和名抄」に『大凝菜(こヽろふと)』あり』これの「漢名抄」は「和名類聚鈔」の孫引きである。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板の「卷十七」の「菜蔬部第二十七」・「海菜類第二百二十六」の当該部を視認して、推定訓読して示す。

   *

大凝菜(コヽロフト) 「本朝式」に云《い》はく、「凝海藻は【「古留毛波(こるもは)」。俗に、「心太」二字を用ひて、「古々呂布止」と云ふ。】、「楊氏漢語抄(やうしかんごしやう)」に云はく、『大凝菜』。」と。

   *

而して、「漢語抄」は、ここに出た「楊氏漢語抄」で、別名「桑家漢語抄」(そうかかんごしょう)とも言い、奈良時代(八世紀)の成立とされる漢語辞書であるが、散佚して残っておらず、「和名類聚鈔」等に逸文で残るのみである。

「本朝式」「延喜式」に同じ。当該ウィキによれば、延喜五(九〇五)年に醍醐天皇の命により、藤原時平らが編纂を始め、時平の死後は』、彼の弟『藤原忠平が編纂に当たった』。後、「弘仁式」・「貞觀式」(じょうがんしき)と、『その後の式を取捨編集し』、延長五(九二七)年に完成した』。『その後』、『改訂を重ね、康保』四(九六七)年『より施行された』とある。

「主計式諸國輸調」「延喜式」の巻二十一から二十三に該当する箇所で、「主計寮」(国の組織の財政・税収を担当)が管轄した部署を指し、諸国の調・庸・中男作物(ちゅうなんさくもつ:令制で、中男(「養老令」で十七歳以上二十歳以下の男子を指す。「大宝令」では「少丁」(しょうてい)と称した)に課した租税。養老元(七一七)年以降、調副物及び中男の「調」を廃止して、中男の「雑徭」(ぞうよう:令で定められた歳役のほかに、国司によって公民に課せられた労役。年齢を分けて、土木工事などに従わせたもの)により、中央官司や封主の必要物品を調達させた)などの物品貢納に関する規定を記した重要部分。国家的な食料や特産品の生産・物流・保管に関する古代法典の基礎史料。

「内膳」内膳司。宮内省に属し、天皇などの食事の調理・毒味などを司った。奉膳(ぶぜん)二名・典膳六名・令史一名・膳部四十名などから構成された。長官である奉膳には高橋・安曇両氏がなり、二氏以外の長官の場合は内膳正(ないぜんのかみ)と称した。

「所須月科(いかよるつき)」一ヶ月に必須な資材料。

「四斤八兩」二・五五キログラム。

「賦役令(ふやくれい)」東洋文庫版では、校訂者によって『〔『令義解』第二巻〕』という挿入附注がある。

『「大和本草」に『石花菜(せつくわさい)』、今、按ずるに『心太(こヽろぶと)』なるべし。『國俗、『ところてん』と稱す。』とあり』先に紹介した「大和本草卷之八 草之四 海藻類 心太 (ココロフト=トコロテン)」を見よ。

「多識篇」本草辞書。林羅山編。全五巻。明の林兆珂が「詩経」中の動植物を分類して注を施した「多識篇」に倣ったもので、「本草綱目」から物の名を抜き出し、万葉仮名で和訓を施したもの。「羅山林先生文集」の「多識編跋」に、「壬子之歲本草綱目を拔き寫して附するに國訓を以てす」とあり、慶長一七(一六一二)年の著述であることが判る。配列は「水部門」から「蔴苧(おま)門」までの部門別。版本に寛永七(一六三〇)年古活字版さ三巻本があるが、翌寛永八年に、諸漢籍から、異名を抜き出して追加し、万葉仮名に片仮名ルビを施し、五巻に仕立て直した整版が出た。以上は国立国会図書館デジタルコレクションの解題・抄録に拠ったが、そこには、当館本は慶安』二年(一六四九)『版で、寛永』八『年版の覆せ彫りである。本草学者白井光太郎の「白井氏蔵書」の印記あり』とあり、当該部はここの六行目で、「菜部」第二に配されてある。推定訓読すると(「留」の字は「グリフウィキ」のこれだが、表示出来ないので、近い異体字である「畱」で示した。「異名」は黒地で白抜きだが、太字に換えた。また、注意されたいのは、「瓜」は漢字の「うり」ではなく、「爪」の異体字であることである。

   *

石花菜【今、案《あんず》るに「菜南蛮美畱」。】異名璚枝(キツシ) 雞瓜菜(ケツ《サウナ》)

   *

「貞享」一六八四年から一六八八年まで。徳川綱吉の治世。

「書言字考」近世の節用集(室町から昭和初期にかけて出版された日本の用字集・国語辞典の一種。「せっちょうしゅう」とも読む。漢字熟語を多数収録して読み仮名を付ける形式を採る)の一つである「書言字考節用集(しょげんじこうせつようしゅう)」のことか。辞書で十巻十三冊。槙島昭武(生没年未詳:江戸前中期の国学者で軍記作家。江戸の人。有職故実や古典に詳しく、享保一一 (一七二六) 年に「關八州古戰錄」を著わしている。著作は他に「北越軍談」など)著。享保二(一七一七)年刊。漢字を見出しとし、片仮名で傍訓を付す。配列は語を意味分類し、さらに語頭の一文字をいろは順にしてある。近世語研究に有益な書。

『「和漢三才圖會」の『石花菜』の部に『小凝菜(こヾりくさ)』の名を載せたれども、是は「漢語抄」の『小凝菜(せうぎやうさい)』、「崔氏食經(さいししよくきやう)」の『海髮(かいはつ)』にして、「倭名鈔」に『以木須(いきす)』と訓じ、「延喜式」に、志摩より貢獻する所の別物のものなり』私のサイト版の「和漢三才圖會 卷第九十七 水草 藻類 苔類」の「ところてん 石花菜」を見よ。しかし、そこでは、私は、この部分を問題としていない。近いうちに、補注する。なお、ここで河原田氏が「別物」と指摘する種は、現在の「イギス」で、

紅藻綱スギノリ目イバラノリ科イバラノリ属カズノイバラ(鹿角茨) Hypnea cervicornis 

を指す。★而して、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見ても、本種を「寒天」に加工するという記載は、ない。河原田氏の指摘は正しい。珍しく(失礼)、河原田氏の考証が冴える!

「『ぶとさう』・『ぶとのり』」孰れも、ネット及び国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても出てこないが、「太藻・太草」・「太海苔」と想起は出来る。

「製品圖說」東洋文庫版の編者注に、『『日本製品図説』のこと。明治六年(一八七三)のウィーン万国博覧会、明治九年(一八七六)のフィラデルフィア万国博覧会等、開国後の国際情勢に沿って、『日本製品図説』(内務省蔵板)は、明冶一〇年、高井鋭一の編輯、山中市兵衛緒言、小田行蔵参訂、狩野雅信絵写で出版された。』とあった。

「凍瓊脂(とうけいし)」「大阪医科薬科大学」公式サイト内の「高槻 寒天雑話 其の三【2015年6月8日】高槻 寒天雑話 其の一」に、『寒天発明の経緯はどのような根拠をもって語り継がれているのでしょうか。寒天ハンドブックによれば、「凍(こおり)瓊脂(ところてん)の説(桂香亮著、大日本水産会報告書)」に以下の記述があり、「年一年より盛大に至りし元治初年頃より世の変遷に依り大に盛衰ありと雖も美濃長右衛門なる者は今(明治6年)に於いてこの業を営めり・・・」とあることから、明治6』(一八七三)『年頃に美濃家を訪ねて古文書などを調査しての記述であると思われるので、信憑性が高いとしています。』として、引用がある。これは、全体が講座での講演が元で、全五回に分かれており、非常に有益な内容である。さて、引用を調べたところ、国立国会図書館デジタルコレクションの「大日本水產會報告・第十六」(大日本水產會発行・明治一六(一八八三)年六月刊/本登録でないとアクセス出来ないので注意)のここで、当該部を見出せたので、そこから正規表現で引用する。

   *

     沿革

夫れ凍瓊脂製造の濫觴と唱へ來るや明曆年間島津大隅守幕府へ參勤の途次山城國紀伊郡伏水驛御駕籠町(美濃長左衞門十一世の祖)美濃太郞左衞門なる者方へ休泊ありたりき一日 太郞左衞門石花菜を煮詰め以て膳部の一味に供し其殘余を棄却せしに沍天嚴寒[やぶちゃん注:上記引用では、講演者による『コテンゲンカン』と読みがある。])の候忽[やぶちゃん注:同前で『タチマチ』と読みがある。]氷結しては宛も干物の如き凝質に化せり於是太郞左衞門甚奇異の想ひを起こし百方工夫を運らし形狀(長方形)を作爲し以て瓊脂[やぶちゃん注:底本では、「瓊」の字の(へん)が「月」になっているが、表示出来ない。これは上記引用では「瓊」となっており、これは原著の誤植と断じて、訂した。]の干物と名く食物の一部に置くと云ふ降て[やぶちゃん注:「くだりて」。]萬治年間歸化の僧隱元なる者寒中に製するを以て之を寒天と稱すと云ふ爾來諸國へ販賣し(現今支那に多く輸出す)明和年間迄ハ伏水特有の名產たりしが是より經年同業者增加し遂に二十戶余に及ひ[やぶちゃん注:ママ。]攝、丹地方に廣まる年一年より盛大に至りしが元治初年頃より世の變遷に依り大に盛衰ありと雖も美濃長右衞門なる者は今に於いてこの業を營めり而して我京都府管內即ち城丹二國にて製造する高左の如し但五十年を平均にし其槪略を擧ぐ

 山城製造高凡十余萬斤

  此代價凡金壹萬余圓

 丹波國製造高凡二十余萬斤

  此代價凡金三萬余圓

     製造法

元種石花菜を淸川に線滌し日光に晒すこと凡一週間にして後之を石臼に入れ水に浸して搗くこと三四百杵(石花菜の善惡に依りて杵數の不同あり)搗終て之を大籠に入れ又水に浸し大杓を以て之を攪拌し[やぶちゃん注:妙な切れ方であるが、ここで、製造法は終わっており、以下、突如、明治元年から八年までの国外への輸出額・代価の話に移っている。

   *

「洋菜(ヤンツアイ)」白水社「中国語辞典」に、「洋菜」があり、『yángcài』(イァン・ツァィ)で、『⦅通称⦆名詞  寒天.≒琼脂,石花胶,洋粉⦅通称⦆.』とあった。]

2026/02/11

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その18) / 鱶鰭の說~(図版13) / 鱶鰭の說~了

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。この図版の鱶鰭は幾つかの図に縦・横の白いスレが入っており、甚だ、気になったため、違和感が生じないように考えて、線状の白をランダムに黒塗りした。なお、これを以って、「鱶鰭の說」を終わる。主に図の補正に、甚だ、時間を食ってしまった(延べ四十四日)が、やって見れば、相応に、いい仕事が出来たと私は思っている。まず、この図を、大真面目に人力で清拭しようという閑人は、僕の後には、恐らく出てこないだろうから、である。

 

【図版13】

 

Fka13

 

■「つまくろふか四枚揃鰭」

[やぶちゃん注:ページ上方の総標題。まず、第一に言っておかなくてはならないのは、これは、現代の種である、

軟骨魚綱メジロザメ目メジロザメ科メジロザメ属ツマグロ(端黒)Carcharhinus melanopterus ではない

ことである。当該ウィキを引く(注記号はカットした)。この種は、『インド太平洋熱帯域のサンゴ礁で最も豊富なサメの一つで、主に浅瀬に生息する』。『インド太平洋熱帯・亜熱帯域全域の沿岸で見られ』、『インド洋西部では南アフリカから紅海、マダガスカル・モーリシャス・セイシェル。東部ではインドから東南アジア、スリランカ・アンダマン諸島・モルディブ。太平洋では、中国南部・フィリピンからインドネシア・オーストラリア北部・ニューカレドニアに加え、マーシャル諸島・ギルバート諸島・ソシエテ諸島・ハワイ諸島・トゥアモトゥ諸島のような多数の海洋島にも分布する。いくつかの資料とは矛盾するが、日本からの確実な記録はなく』(☜★)、『日本産とされる標本は実際には台湾産のようであると考えられてきたが、2017年に八重山諸島の西表島から得られた標本をもとに初めて日本での生息が確認された。2019年に黒島研究所も同諸島に属する黒島で夏に幼魚が多く捕獲されていることを確認し』、『標識調査を行っていることを発表した』という記載で明白々である。しかし、ネット上の記事で、この正体を、素人が容易に知り得る記事は、殆んど、ないのである。

 では、明治一九(一八八六)年刊の本書に出現した、この正体は何か? それは、私が、本邦の江戸、及び、近代の魚類の異名を確認するに、最も信頼しており、検索も容易な国立国会図書館デジタルコレクションの宇井縫藏氏の著になる「紀州魚譜」(昭和八(一九三二)年淀屋書店出版部刊・三版)のここの右丁の、

『ヒロアンコウザメ 廣鮟鱇鮫 Scoliodon laticaudus Müller & Henle.)』

で、明らかである(この本を知ったのは、ブログ・カテゴリ『「畔田翠山「水族志」」』の注作業で、である)。そこでは、宇井先生は、

『〔方言〕 ツマグロ(田邊・串本・屋・和歌浦)、ハタグロ(太地)』

とされてある。而して、この「まくろふか」とは、現在の、

メジロザメ目メジロザメ科トガリアンコウザメ属トガリアンコウザメ Scoliodon  macrorhynchos の異名

なのである。漢字名は「尖り鮟鱇鮫」である。この学名は、以下で引用するウィキの「トガリアンコウザメ」の学名(シノニムを含む。なお、そこでは、宇井先生の示した Scoliodon laticaudus Müller & Henle, 1838 をトップに掲げている)と一致しないが、サイト「川のさかな情報館」の「トガリアンコウザメ属」で確認したものを示した。但し、そこには最後に、『なお,実際に日本に本種が分布するかは不明である.生息水深はよくわかっていない(Weigmann 2016)』と附記がある)。

 以下、ウィキの「トガリアンコウザメ」から引く(注記号はカットした)。『インド洋・西太平洋の熱帯に生息し、大きな群れを作る。体長72cmで平たい吻が特徴。餌は小魚や無脊椎動物。魚類の中では最も発達した胎生。雌は毎年、6か月の妊娠期間を経て6-18匹の仔を産む。人には無害。漁業上の重要種で、IUCNは保全状況を準絶滅危惧としている』。『1838年、ドイツの生物学者ヨハネス・ペーター・ミュラーとヤーコプ・ヘンレによってSystematische Beschreibung der Plagiostomenに記載された。ホロタイプはフンボルト博物館所蔵の42cmの剥製と推定される[2]。属名Scoliodonは古代ギリシャ語skolex(ミミズ)、odon(歯)、種小名laticaudusはラテン語latus(幅広い)、cauda(尾)に由来する』。『形態系統学・分子系統学のデータからは、本種はヒラガシラ属』( Rhizoprionodon :「平頭」)『と共にメジロザメ科の基底群を構成するとされる。さらに、解剖学的な類似は、始新世中期』『に他種から分岐したシュモクザメとの類縁も示唆している。2012年の分子系統解析では、ヒラガシラ属とともにトガリメザメとの類縁関係が示唆された』。『形態』は、『体は小さくずんぐりしており、幅広い頭と非常に平たいシャベル型の吻を持つ。眼と鼻孔は小さい。口角は眼のかなり後方に至り、溝は』、『あまり』、『ない。上顎歯列25-33、下顎歯列24-34。個々の歯は鋸歯のない、細く剣状で斜めの尖頭を持つ。胸鰭は短くて幅広く、第一背鰭は胸鰭より腹鰭に近い。第二背鰭は臀鰭よりかなり小さく、背鰭間に隆起はない。背面はブロンズグレー、腹面は白。鰭の色は体より暗い。最大74cmだが、不確実な記録では1.2mというものもある』。『インド太平洋西部に分布し、タンザニアから南アジアで見られる。深度10-13mの沿岸の岩礁底に生息する。かつては東南アジア・ジャワ島・ボルネオ島・台湾・日本など西部太平洋海域にまで生息するとされたが、2010年の研究結果より、同海域に住む個体群はボルネオトガリアンコウザメであると確認された。近縁のボルネオトガリアンコウザメはマレーシア・スマトラ島・ボルネオ島の河川下流域からも報告があるが、塩分濃度のデータがないため』、『オオメジロザメのように淡水に耐えられるのかは不明である』。『個体数が多い所では、よく大きな揃った群れを作る。餌は主にアンチョビ・サイウオ科・ハゼ・テナガミズテングなどの小型硬骨魚。時折』、『エビ・カニ・コウイカ・シャコなども食べる』。『条虫Ruhnkecestus latipi 、回虫の幼生などの寄生虫が知られる』。『排卵時の卵は直径1mm程度で、直径3mm程度から栄養を母体に頼るようになる。胎盤との結合は卵黄嚢から形成され、特異な柱状構造とガス交換を行う毛細血管網・長い付属物を持つ。胎盤組織は"trophonematous cup"という構造物で子宮壁に接し、母体の血流から栄養が送りこまれる。これは魚類での胎盤性胎生として最も発達したものである』。『雌は年に一度繁殖する。妊娠期間は6か月で出生時は12-15cm。産仔数6-18。雄は24-36cm、雌は33-35cmで性成熟し、それに達するまでに6か月-2年かかると推定されている。寿命は雄で5年、雌で6年』。『人には無害である。刺し網・延縄・底引き網・罠・トロール網・釣りなどで零細・商業漁業共に広く捕獲されている。肉は他魚の釣り餌として、鰭はふかひれとして、粗は魚粉として用いられる。また、肉を氷酢酸で処理し』、『粉末状ゲルとすることで、サプリメント・生分解性フィルム、ソーセージの皮などにも用いられる』。『重要種だが』、『漁業統計データは』、『ない。1996年の報告では、中国市場で、また』、『北オーストラリア漁業で見られる最も一般的なサメだった。インド・パキスタンでも大量に漁獲され、インドのある都市では1979-1981年にかけて年平均823t漁獲されていた。カリマンタン島などで刺し網により混獲もされている。繁殖周期が短く多少の漁獲圧には耐えられるが、繁殖力自体は低いためIUCNは保全状況を準絶滅危惧としている。沿岸性のため、沿岸の開発による影響も無視できない』とあった。]

 

■「明治十六年

  水産博覽會の時、

  『廣業商會』出品。」

[やぶちゃん注:これは、図の中央に配されてあるキャプション。

「廣業商會」ずっと前の「河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(二)昆布の說(その13)」の最初の注で解説しておいた。]

 

■「鱶鰭『つまくろふか』背鰭」

 「肥前國《ひぜんのくに》平戸産。」

 

■「『つまくろふか』胸鰭・左」

 「一尺。」

 「中央、五寸二分。」

 

[やぶちゃん注:これは、左側の胸鰭で、まさに裏側の感じが、今までの図中、もっとも正確に描かれている。

「一尺」は、左胸鰭の前方部分に書かれているが、わざわざ、図の中に破線で十字型の指示線が引かれてあるので、ここは、そのスケールであると採っておく。]

 

■「『つまくろふか』

  胸鰭・右」

  「一尺。」

[やぶちゃん注:ここにも破線で十字型の指示線が引かれているが、左上から右下に降ろしてあるそれは、前図と異なって、腹部に近い位置に下がっている。しかし、この線の方のキャプションは、ない。この胸鰭の根に近いスケールを書き忘れたものと思われる。

 

■「つまくろふか」

 「尾鰭。」

 「背骨、末《すゑ》。」

[やぶちゃん注:キャプションは逆立ちして記してある。]

 「壹尺壹寸。」

 「二尺壹寸。」

[やぶちゃん注:これは、同種の複数の実体画像を見るに、これは、背骨の終わりの部分を含んだ尾鰭の切断部を描いたもので、右側が正体位の下方に相当するものと考えられる。

 

■「靑ふか」

 「背鰭。」

 「二個。青。」

[やぶちゃん注:何故か、唐突に、ここにネズミザメ目ネズミザメ科アオザメ属アオザメ Isurus oxyrinchus の胸鰭が置かれてある。意味不明。最後の「二個青」もわからんちん。]

2026/02/10

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その17) / 鱶鰭の說~(図版12)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。この図版の鱶鰭は一図に縦の白いスレが入っており、甚だ、気になったため、違和感が生じないように考えて、線状の白をランダムに黒塗りした。この図版は優れもので、

ネズミザメ目ネズミザメ科アオザメ属アオザメ Isurus oxyrinchus

を例に挙げて、各鱶鰭の等級を、ヴィジュアルに判り易く、子細にビシッと解説している。これを本文で文章に拠って示したとすると、恐らく私は、永久にそれを理解し得なかったと断言出来るのである。逆に、この図のキャプションを判り易く電子化するのは、なかなか大変であった。

 

【図版12】

 

Fuka12

 

■「あをふか」

[やぶちゃん注:まず、図の上方にアオザメの全体が描かれあり、それぞれの鰭に「鱶鰭」としての等級号がキャプションされている。ここでは、漫然に各「號」を時計回りや同逆回りに列挙しても、判り難い。そこで、以下、等級を降順に示し、その「ひれ」が、どの部位であるかを説明してゆくこととした。

 

「壹號《いちがう》」

「壹號」

[やぶちゃん注:これは、二箇所にあるので注意が必要。

 一つは、サメの腹部の中央の下の「腹びれ」(二対)を指示している。但し、図の関係上、反対側(右手)のそれは、描かれていない。

 一方、サメの腹部の後部の下の「尾びれ」の根から後方に下がっている「尾びれ」の部分のみを指示している。]

 

「二號《にがう》」

「貳號《にがう》」

[やぶちゃん注:これも、二箇所にあるので注意が必要。

 一つは、サメの頭部の終わりの直後に下がっている「胸びれ」(二対)を指示している。但し、図の関係上、反対側(右手)のそれは、描かれていない。

 一方、差別化して呉れている「貳號」のそれは、サメの背部頭部の少し後ろにある正統の「背びれ」を指示している。]

 

「三號」

「三號」

[やぶちゃん注:これは、二箇所にあるので注意が必要。一つは、腹の最も後部の下に一つだけある「尻びれ」を指示している。

 一方、サメの背部の「尾びれ」の前方ある「背びれ」の後ろにある「第二背びれ」を指示している。]

 

「四號」

[やぶちゃん注:これは、尾鰭の内、前の「壹號」相当の後方から分岐して上部に伸びている「尾びれ」部分を指示している。

 私には、どの「ひれ」が上品なのかは、よく判らないが、調べたところ、先般、紹介した「フカヒレと中華食材の専門卸 中華・高橋」公式サイト内の「フカヒレ散翅(ほぐし)ふかふか散翅」のページの「部位」が簡潔にして判りが良いと感じたので、見られたい。]

 

■「甲   毎尾込《まいをこ》ミ

  日本産 百斤五十両」

 「肉骨ヲ去ル。」

 

■「乙   毎尾込《まいをこみ》

   百斤三十四両」

 「肉骨、付《つき》。」

 

「此《この》甲・乙二鰭ハ、精粗《せいそ》を示

 すも、此《これ》にて甲圖ハ、肉付《にくつき》

 を、切棄《きりすて》たるも、此《この》乙圖ハ

 肉付を着《つ》けたるも、此《これ》なり。

 必《かなら》ず、肉付を切棄《きりすつ》るを、「よ

 ろし」とす。」

[やぶちゃん注:図中央の二つの「鱶鰭」製品「甲」「乙」二図のキャプション。最後の解説は、図のやや左上方に附した、二図の解説文。この「甲」「乙」は単に図に附したものではなく、製品の良し悪し(無論、「甲」が上)の等級を示していることは、解説文から明らかである。なお、この二図の形状と、「毎尾込」という謂いから、この図は最高級の「壹號」相当である「腹びれ」の図であり、それに同一の「壹號」である「尻びれ」を、それに合わせて「込み」で、最上級商品として売ったことを意味していよう。

 さればこそ、この「両」というのは、清国の当時の通貨単位である。「銀錠」と呼ばれる銀の塊の質量を測り、それに基づいて貨幣としての価値を決定したところの、「銀両」=「テール」と呼ばれるものである。「百斤」は六十キログラムであるから、肉・骨を除去した「甲」は、「乙」一・四七倍の値段である。

 以下、最下段の文字表。

 

■「鱶鰭」

  「毎尾分にて、

   『拾斤』と見る

   内譯《うちわけ》。」

 

 「第 一 号  貳 斤  毎斤、代、四匁五分。」

 

 「第 二 号  五 斤  仝《どう》 三 匁。」

 

 「第 三 号  壹 斤  仝     二 匁。」

 

 「第 四 号  貳 斤  仝    壹匁五分。」

 

 「合《あはせて》、每《まい》百斤、代、二十九両。」

   「伹《ただし》、毎尾分《まいをぶん》ハ、

    銀、毎尾分ハ、銀貳両九匁ノ割《わり》。」

[やぶちゃん注:事実上の清が支払った金額が、当時や現在に換算して幾らに相当するかは、悪いが、知りたいあなたが、調べて戴きたい。そこまで、オンブニダッコはする気は、ない。悪しからず。]

2026/02/09

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その16) / 鱶鰭の說~(図版11)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。この図版(これ以降は、「図版12」を除き、総てが、鱶鰭の製品用に切り取ったものである)の鱶鰭は幾つかの図に縦・横の白いスレが入っており、甚だ、気になったため、違和感が生じないように考えて、線状の白をランダムに黒塗りした。特に下方に配された竹籠には、致命的な橫白線が入っていたので、自然に見えるように、かなり気を使って補正した。恐らく、原版と比較しない限りは、気づかれないであろうと存ずる。なお、ここは、「いてう」なるサメの鰭の四図と、それらから裁断した製品二種の加工品を入れた竹籠が下方に描かれてある。なお、今回は、左右上下の二重罫線を、総て、かットした。罫線があると、その内外の汚損を清拭うのに、倍近い時間が掛かるからであった。残りも、同様に処理することとする。

 

【図版11】

 

Fuka11

 

■「いてう」「尾鰭。」

        「對島國《つしまのくに》産。」

 「百六十目。壹斤《いつきん》、

  價《あたひ》五十五錢。」

  「長《ながさ》、壹尺壹寸。」

  「八寸。」

[やぶちゃん注:最後の「八寸」は尾鰭の下の短い方の下方の先端までの長さを指す。

この「いてう」については、既に、「鱶鰭の說(その1)」の「いつちやう」の私の注で考証してある。そこでは、

ネズミザメ目ネズミザメ科ホホ(ホオ)ジロザメ属ホホ(ホオ)ジロザメ Carcharodon carcharias

と、

メジロザメ目メジロザメ科イタチザメ属イタチザメ Galeocerdo cuvier

を挙げておいたが、鱶鰭の高級品となると、圧倒的に後者であることが、ウィキの「イタチザメ」の記載で明確に記されてあるので、決まりであり、対馬産であることも、分布から問題ない。

「百六十目」「目」は「匁(もんめ)」に同じであるから、六百グラムである。

「壹斤」同じく六百グラム。]

 

■「仝《どう》 胸鰭、二《ふたつ》ノ一《ひとつ》。

                   「裏。」

  「全形、七寸。」

   「四寸五分。」

[やぶちゃん注:敢えて、「全形」と頭に附けているのが、気になる。今までのものでは、鰭の前方の曲線にスケールのみが記されてあったからである。私が考えたのは、この場合は、附け根の切り口から、鰭の先端までの直線でスケールを示しているのではあるまいか、という気がした。しかし、左の中央にある、同一個体の反対の胸鰭の図には、前方の曲線の中央に、ただ「七寸」とある。されば、この「全形」には拘る必要は、ない、ように感じられた。]

 

■「仝。

   背鰭。」

  「淡黑色《たんこくしよく》

   の者。」

[やぶちゃん注:この左部分の背部の断面がよく判るように描いてある。今までの図ではなかった立体的に捉えることが出来る描き方で、よい。特に、背鰭を支えている細かな軟骨群が綺麗に周回していることが判るのである。]

 

■「仝。

   胸鰭 二ノ一。」

  「表。」

      「七寸。」

 

■「きんひれ」

 「ぎんひれ」

[やぶちゃん注:これは、「金鰭」「銀鰭」で、「フカヒレと中華食材の専門卸 中華・高橋」公式サイト内の「フカヒレ散翅(ほぐし)ふかふか散翅」のページの画像と解説で納得出来た。そこに「広東式散翅」とあり、『金糸と金糸の間のゼラチン質を丁寧に取り除いていますので、すっきりとした料理に最適です。』とあり、「上海式散翅」には、『金糸と金糸の間のゼラチン質を適度に残しているので白湯などを使った濃厚な料理に最適です。』とあって、まさに前者が「金鰭」で、後者が「銀鰭」であると思う。]

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(五)鱶鰭の說(その15) / 鱶鰭の說~(図版10)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。この図版(これ以降は、「図版12」を除き、総てが、鱶鰭の製品用に切り取ったものである)の鱶鰭は幾つかの図に縦・横の白いスレが入っており、甚だ、気になったため、違和感が生じないように考えて、線状の白をランダムに黒塗りした。なお、このページの鱶鰭四個体は、総て、一頭のサメから切り出したものである。

 

【図版10】

 

Fuka10

 

■「やじふか」 「上等品。」

  「一名、そこふか。」

        「一尺四寸。」

        「尾鰭一枚。」

[やぶちゃん注:「やじふか」「そこふか」これは、何度も出ている、

軟骨魚綱メジロザメ(目白鮫)目メジロザメ科メジロザメ属メジロザメ(別名ヤジブカ:こちらを正式和名とする記載もあるが、「BISMaLが『メジロザメ/ヤジブカ』とするのに従った。後者の由来は、調べた限りでは、「親父鱶(おやじぶか)」の縮約のようである) Carcharhinus plumbeus

である。但し、「そこふか」という異名は、ネット上にも、国立国会図書館デジタルコレクションでも確認出来なかった。しかし、メジロザメは、基本的に海底附近で生活しており、「底鱶」(推定)という異名は、自然ではある。

「一尺四寸」四十二・四センチメートル。これは、メジロザメの尾鰭の長い上部の、その上方部のスケールである。]

 

■「尾鰭の切らざるもの。」

  「壹尺六寸。」

  「壹尺三寸五分」

[やぶちゃん注:前者が、右の上方の縁(へり)の長さで、後者が左の下方の縁の長さということになるが、両者の長さが、センチメートル換算で七センチ六ミリしか違わないというのは、メジロザメの尾鰭の形状から、尾鰭を切っていないそのままのものと言っていることから、これは、絶対にあり得ないのである。メジロザメの尾鰭は前の図で見た通り、遙かにずっと長いのである! 不審である。当初、尻鰭の誤りかと思ったが、形状が違い過ぎる。識者の御教授を乞うものである。

 

■「背鰭一枚。」

  「六寸五分。」

  「九寸五分。」

[やぶちゃん注:数値は、前者は、体部に接続していた箇所の切り取った部分のスケールで、右下方にひっくり返って斜めに下から書かれてある。後者は図の上方で、この部分が背鰭の前方部である。スケールは左から右に書かれてある。]

 

■「胸鰭。」

  「二枚の一。」

  「六寸。」

  「壹尺壹寸五分。」

[やぶちゃん注:下方の腹部からかなり乱暴に切り出したその傷の様子と、鰭の後方(図では右手に当たる)の鰭の薄くなっている感じから見て、恐らく、左の胸鰭を引っ繰り返して描いたものと推定する。数値は、前者が、腹部に着いていた部分の長さで、後者は胸鰭の前方部の長さである。]

 

■「肥前國《ひぜんのくに》

  東松浦郡《ひがしまつうらのこほり》

  呼子《よぶこ》産。」

[やぶちゃん注:これは、本図版の左部分の罫線(底本画像では、ご覧の通り、「のど」の部分が真っ黒になって罫線が消えて存在しない)の右に沿って、上下に一行で書かれてある。則ち、前の前の「背鰭一枚」の図の左端にある。

「肥前國東松浦郡呼子」現在の佐賀県唐津市呼子町。]

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