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カテゴリー「「淸國輸出日本水產圖說」」の133件の記事

2026/08/04

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その7) 乾玉筋魚

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここから。]

 

   乾玉筋魚(ほしいかなご) 一名「ほしかなぎ」

 

玉筋魚(いかなご)は軟鰭類(なんぎるひ[やぶちゃん注:ママ。])に屬する海魚中(かいごぎよちう)の、一種、小(しよう)なるものにして、俗に『かますこ』又は『かまちこ』とも云ひ、筑前にて『いかなこ』、紀伊にて『しやしやらなご』、安藝にて『かますなこ』、又、『あぶらめ』、丹後宮津にて『いさなご』、北陸道、及び、攝津・尾張・三河・肥前の五島、及び、平戶等(とう)にて「少女子(かうなこ[やぶちゃん注:ママ。一般的に歴史的仮名遣では「こうなご」のママである。])」とも稱せり。但し、陸中・佐渡の海に多く產する「めらうど」は同種なれども、大にして、長さ八、九寸に成長せるものなり。

[やぶちゃん注:これは、本邦には、現行では、以下の三種が棲息する(以下は「北海道大学のLASBOS」の髙津哲也氏の「陸奥湾のイカナゴ属(Ammodytes sp.)の生活史」他を参照した)。

条鰭綱ベラ(倍良・遍羅)目 Labriformesイカナゴ(玉筋魚・鮊子)科イカナゴ属イカナゴ Ammodytes japonicus(瀬戸内海・伊勢湾・若狭湾・陸奥湾・三陸沿岸・北海道周辺)

オオイカナゴ Ammodytes heian(「大玉筋魚・大鮊子」:陸奥湾・三陸沿岸・北海道周辺)

キタイカナゴ Ammodytes hexapterus (「北玉筋魚・北鮊子」:北海道周辺の内、石狩湾・稚内周辺。但し、陸奥湾には棲息せず)

髙津氏の解説に拠れば、『2015年以前は「イカナゴ Ammodytes personatus」と表記されていましたが,DNA解析の結果,2種が混じっていたことがわかりました。DNA解析でのみ区別できます』。前二種と『キタイカナゴとの区別は,産卵期や背鰭軟条数で』、『おおよそは区別できますが,実際には外見からの区別はほとんど無理です。本種もDNA解析が望ましいです』。『2015年以降,A. personatusはベーリング海からカリフォルニア沖の太平洋沿岸に生息し,日本周辺には生息しないことになりました(Orr et al., 2015)』。『シワイカナゴ Hypoptychus dybowskii という紛らわしい名前の魚がいますが,この種はトゲウオ亜目Gasterosteoideiの仲間です。』とあった。その「シワウカナゴ」については、「小学館 日本大百科全書」に、漢字表記は『皺玉筋魚』とし、『硬骨魚綱トゲウオ目シワイカナゴ科に属する海水魚。相模』『湾以北の北日本、日本海の本州沿岸、北海道、オホーツク海に分布する。日本では北海道に多い。体形はイカナゴに似るが、背びれが後方にあって臀(しり)びれと対位すること、鱗(うろこ)がないこと、体の背中線と腹中線にしわがあること、体が黄色で半透明なのが特徴。全長9センチメートル。4~7月に水深2~3メートルのところで群れをつくり、1回に数十粒の卵をブドウ状の卵塊にして海藻に生みつける。雄は卵を保護する。10℃の海水温で1週間後に孵化(ふか)する。産卵期の雄は背びれと臀びれの前半部は暗色で、後半部は紅色。』とあった。

 以下、当該ウィキを引く(注記記号はカットした)。『イワシなどと並んで、沿岸海域における食物連鎖の底辺付近を支える重要な魚種である。日本においては食用とされ、釘煮(くぎ煮)、天ぷらなどに調理される』。『イカナゴには様々な地方名があり、稚魚は東日本で「コウナゴ、コオナゴ(小女子)」、西日本で「シンコ(新子)」と呼ばれる。毎日新聞ではイカナゴについて取り扱った記事で、東京本社版は「コウナゴ」、大阪本社版は「コウナゴ(イカナゴ)」「イカナゴ」と表記した例がある』。『また、成長した個体は北海道で「オオナゴ(大女子)」、東北地方で「メロウド(女郎人)」、西日本では「フルセ (古背)」「カマスゴ(加末須古)」「カナギ(金釘)」などと呼ばれる』。『イカナゴ科』Ammodytidae『は北半球の寒帯域から温帯域を中心に熱帯域まで、沿岸部に5属18種が分布する。沿岸の粒径0.5ミリメートルから2.0ミリメートル程度までの砂泥底に棲息し、主にプランクトンを食べる。産卵期は冬(12月)から翌年春(5月)で、寒冷な水域ほど遅い傾向が見られ、水深10メートルから30メートル付近の砂底に、粘着質の卵を産卵する。なお、北方系の魚であるため、温暖な水域では、夏季に砂に潜って夏眠(かみん)する』。『日本産イカナゴは移動性が小さく、各地に固有の系統群が存在している』。『1歳で体長10センチメートル程度まで成長し、成熟する。3年から4年で20センチメートル程度まで成長する。ただし瀬戸内海や伊勢湾では大きくても15センチメートルである』。『日本では沿岸漁業で漁獲される。集魚燈を用いた敷網漁や、定置網漁や、船曳網によって捕獲する。日本では生食や加工食品以外に、太刀魚、スズキ、メバル等の釣り餌や養殖用飼料としても利用される』。『しかし、乱獲や生息環境の悪化および海砂の採集による生育適地の破壊により、日本各地で漁獲量は激減した。特に、瀬戸内海のようなイカナゴが夏眠を行う水域において、イカナゴの夏眠に適した粒度分布の海砂が、ちょうどコンクリートの骨材に適していたため、その海砂が建設資材として大量に採取され、多くの漁場が壊滅的な被害を受けた』。『下水処理の普及、海水浴場の衛生維持を想定した水質規制により、河川から流れ込む栄養塩類の減少もイカナゴの資源量を減らす原因とみられる』。『このような状況を受けて、伊勢湾や瀬戸内海では、年ごとにイカナゴの生育度合いや推定資源量を調査し、その年の漁獲量を決定している。それだけでは資源量回復に不十分であるため、以下のように各地で禁漁が実施されている』。『青森県の陸奥湾での漁獲量は、1973年に1万トンを超えていたが、乱獲により1980年代には100トン以下に激減した。1990代後半に、漁獲量は一旦回復して1,000トンを超えたものの、その後は減少を続け、2012年には1トンまで減少した』。『漁獲量の減少傾向を受けて、青森県庁は2007年に「イカナゴ資源回復計画」を立案し、漁期短縮などを行い資源量の回復を目指した。しかし、資源量回復に失敗した。陸奥湾における2012年の親魚は、約1,000万尾程度と推定され、適正水準の3億尾を大きく下回っていた。そのため、2013年漁期から資源回復のために、陸奥湾での「集魚灯を使った漁や小型の定置網漁の全面禁漁」を決定した。ところが、2019年2月に陸奥湾湾口周辺海域で実施された調査では、稚仔が全く採集されなかった』。『伊勢湾と三河湾では2016年から禁漁が続いている(2024年時点)』。『伊勢湾では冬季に資源調査を行い、春のイカナゴの漁獲実施の際の漁獲量を判断している。前年末から2月にかけて行われる資源調査の結果、2016年以降は稚魚の捕獲数が著しく少なく、ゼロの年度もあるため、愛知県及び三重県で、イカナゴは禁漁の状態が続いている』(調べたところ、本二〇二六年も続行中のようである)。『大阪湾のイカナゴ漁は、2016年まで毎年1万トン以上の漁獲があったものの、2017年以降には極端な不漁に陥り、2019年1月の仔魚採集調査では1998年以降で最も少ない漁獲であった。実際の漁においても、2019年には漁業者が3日で漁を打ち切ったほど、漁獲量が僅少だった。これに対して、2019年の段階では淡路島以西の海域では、それなりの漁獲量は維持されていた』。

以下、「調理方法」の項。『釘煮』『→詳細は「釘煮」を参照』。『四国を除いた、播磨灘や大阪湾に面した瀬戸内海東部沿岸部で、イカナゴは釘煮と呼ばれる郷土料理で親しまれ、阪神地区、播磨地区では春先に、各家庭でイカナゴの幼魚を炊く光景が見られてきた』。『釘煮は佃煮の1種であり、水揚げされたイカナゴを、醤油やざらめ糖、千切りにしたショウガなどで味付けして煮込み、煮汁が減った段階で味醂を加えながら、焦がさぬように、煮汁が無くなるまで数回煮詰める事を繰り返す。この際に、箸などでかき混ぜると』、『身が崩れ、団子状に固まってしまうため、一切』、『かき混ぜない。炊き上がったイカナゴの幼魚は、茶色く曲がっており、その姿が錆びた釘に見えるため「釘煮」と呼ばれるようになったとする説が有力である。なお「くぎ煮」は、神戸市長田区の珍味メーカーである株式会社伍魚福(ごぎょふく)の登録商標である』。『ある種の風物詩として、また毎年3月末頃に、阪神地区、播磨地区の食料品店に、製品化された釘煮が山積みされてきた。また、この地域の土産物店でもイカナゴの釘煮は販売されており、ショウガ味以外に、サンショウ味、トウガラシ味の製品も見られる』。『常温で日持ちする釘煮は、郵送で親類・知人に送付することも多く行われており、郵便局だけでも年間100万件近く、釘煮が送付されている。これに着目し、明石市の郵便局の一部では、レターパックに収まるサイズのプラスチック容器の販売を行っている』。『神戸市の垂水区はイカナゴの釘煮発祥の地と呼ばれており、それを示す石碑が垂水区塩屋町に建てられた。ただし、これには異説も唱えられており、2013年10月2日には、神戸市長田区駒ケ林の駒林神社の大鳥居前に「いかなごのくぎ煮発祥の地」の石碑が建立され』てもいる。『一方で、同じ近畿地方でも、前述の地域を除く他の地域では』、『イカナゴの釘煮は、あまり食されない。顕著な例として、京都ではイカナゴの釘煮よりも』、『ちりめん山椒が主流であり、そもそも京都の住人などは、イカナゴ自体を下魚』(げざかな/げうお)『として嫌う傾向も散見される』。以下、「フルセの佃煮」にの項。『イカナゴの釘煮と類似の調理法だが、一般に釘煮はイカナゴの幼魚を調理したものであるのに対して、成魚であるフルセを佃煮に調理する地域も見られる。そのような地域としては、例えば、淡路島が挙げられる。フルセを調理した佃煮は、釘煮と明確に区別するため、釘煮とは呼ばず、そのまま「佃煮」の名称で扱われる』。以下、「ちりめん」の項。『水揚げされた体長2センチメートル程のイカナゴの幼魚は、鮮度が落ちないよう、水揚げ後にただちに釜揚げにされ、店頭に並ぶ。これを』『新子』(しんこ)『または』『新子ちりめん』『と呼ぶ。また、釜茹でした後に、乾燥させた場合はカナギ(小女子)ちりめんと呼ばれる』。以下、「カマスゴ」の項。『体長4 - 5センチメートル程度の大きさのイカナゴを釜茹でしたものはカマスゴと呼ばれ、そのまま酢醤油やからし酢味噌で食べる。この際に、1回炙ると香ばしさが出て』、『美味しくなるとされる』。以下、「いかなご醤油」の項。『→詳細は「いかなご醤油」を参照』。『香川県では、イカナゴを原材料とした魚醤である、いかなご醤油が見られる。かつては「しょっつる」および「いしる」と共に、日本三大魚醤と呼ばれたものの、1950年代に製造が途絶えた。しかし、その後、少量ながら』、『復活生産されるようになった』。「その他」として『東北地方では成魚を調理する方が一般的で、干物にされることもあるが、総じて安価に売られている。』とある。

『一名「ほしかなぎ」』「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページに拠れば、「カナギ」という異名は『福岡県福岡市』採取とある。同ページは、以上のウィキの記載よりも、遙かに勘所を押さえた解説があり、さらに異名については、実に、二十五種が挙げられてあるので、見られたい。特に、イカナゴを加工した食品群は画像が附されており、解説と相俟って誠に理解し易い。ここでは、「漢字・学名由来」の項を引用させて戴くこととした。

   《引用開始》

漢字 玉筋魚、如何子、以加奈古、鮊 Ikanago

由来・語源

〈東京ではコウナゴと云ひ、六月上総から来るものはコウナゴカマスと云い、佃煮ではカマスジャコとして賣っている。九州北部、山口縣ではカナギ、関西でイカナゴと云い、大阪や神戸で本種の幼魚をカマスゴと云う〉『図説有用魚類千種 正続』(田中茂穂・阿部宗明 森北出版 1955年、1957年)

大言海 〈語源、詳ナラズ、如何な子ノ義ニテ、梭子魚ト混ジテ、知ラレヌ意ナリナド云フ説アリ〉。

魚鑑 〈状ひしこ. かます雑子(ざこ)に似て、小さく脂多し、三四月の頃、これあり、このものにて、いかなご醤油を作る。〉

和漢三才図会 〈玉筋魚 俗に以加奈古という。また加末須古ともいう〉、〈『三才図会(明の時代1607年にでた中国の絵入りの時点のようなもの)』に「玉筋魚は身体は丸くて箸のようである。やや黒くて鱗がなく、両目店は黒い。菜の花の開くときになると子を持って肥えている。これを菜花玉筋という」〉。漢字、玉筋魚は中国明の魚でイカナゴとは限らない。江戸時代の本草の世界は中国に習うということが多く、こじつけも少なくない。

■ 「いかり魚=カマス」の幼魚の意味。地方の呼び名に「かます子」とあるのと同じ。「いかり」とは「いかる=とがる」の意味で栗の毬(いが)と同義語。

■ イカナゴの小さいものが、いかなる魚の子であるかわからないため、「如何子」の意味。

■ 〈い〉は語声強調の接頭語、〈かな〉は古語で糸のように方添いもの、〈ご〉は接尾語。『新釈魚名考』(榮川省造 青銅企画出版)

   《引用終了》

なお、以上のうち、「和漢三才図会」の記載に就いては、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚  寺島良安」の「いかなご かますご 玉筯魚」で、本文、及び、私の注も添えてあるので、是非、確認されたい。

「軟鰭類(なんぎるひ)」旧分類名。Malacopterygii。軟条鰭(棘鰭がない)のみを持ち、背鰭と脂鰭が、それぞれ一つずつで、背鰭と腹鰭が、背中と腹部の輪郭のほぼ中央に位置し、胸鰭が体の低い位置にあることを特徴とする「下等」硬骨魚類(Osteichthyes)のグループ(上目)を表わす。「上等」硬骨魚類は通常、棘鰭類(Acanthopterygii)として分類される。、ギリシャ語由来の“malakos”(柔らかい)と“pteryx”(鰭)を合成した語で、「柔らかい鰭を持つ魚」を指す旧分類名として成立したものである。]

 

 此魚の漢名は、未だ、詳(つまびらか)ならず。「掌中市鑑(しやうちうしかん)」には『玉筋魚(ぎよくきんぎよ)』とす。「海魚考(かいぎよこう[やぶちゃん注:ママ。])」『いかなご』の條に、田中宣宗(たなかせんそう)、云ふ。『京攝(けいせつ)の俗、春の頃、「かますこ」と云ふ者を食(しよく)す。山陽、四國邊(へん)の海邊(かいへん)より出づるものなり。按ずるに、如何なる子(こ)なりや、又、長(てう[やぶちゃん注:ママ。「ちやう」が正しい。])じて、如何なるものとなるや、不分明なれば、斯(か)く名(なづけ)し。』とぞ。

[やぶちゃん注:「掌中市鑑」東洋文庫版の後注に、『初版は青苔園著、高嶋春松画『海川諸魚掌中市皆全』、天保八年(一八三七)に刊行され、嘉永二年(一八四九)に『魚貝能毒晶物図考』と改題刊行。図入りで、二〇〇種ほどの魚介類の食性、毒、形状、味の良し悪し等が記されている。』とあった。

『「海魚考」……田中宣宗』東洋文庫版の後注に、『饒田喩義著『海魚考』、文化四年(一八○七)自序。『天柱録』(楠本碩水〈写〉、一八九四)の識語によれば、饒田喩義(一七七一。-一八三三)は、桜井開斎に師事し、長崎聖廟の助教を務めた儒者。この二書のほか、『長崎名勝図絵』『西疇転筆学論』がある。田中宣宗は未詳。』とある。]

 

此魚は、形狀の相似(あいに[やぶちゃん注:ママ。])たると、「かますご」の名あるとによりて、世人(せじん)、往々(おほおほ[やぶちゃん注:ママ。「わうわう」が正しい。])『梭魚(かます)の兒(こ)なり』と誤り、『之れを捕獲するは、稚魚(ちぎよ)を捕ふるものにして繁殖の妨害なり。』といふもの、あり。然(しか)れども、元來、此ものは、槪ね、二、三寸のもの、多く、成長するも、三、四寸にして、「かます」とは、全く、異(ことな)れり。

[やぶちゃん注:「梭魚(かます)」スズキ目サバ亜目カマス(魳・梭子魚・梭魚・魣)科カマス属 Sphyraena「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のこちらに従うと、本邦に棲息する真正のカマス類は、

アカカマス(赤梭子) Sphyraena pinguis 

イブリカマス(以布利梭子) Sphyraena iburiensis

オオカマス(大梭子) Sphyraena putnamae

オオメカマス(大目梭子) Sphyraena forsteri

オオヤマトカマス(大大和梭子) Sphyraena Africana

オニカマス(鬼梭子) Sphyraena barracuda

タイワンカマス(台湾梭子) Sphyraena obtusata

タツカマス(龍梭子) Sphyraena qenie

トラカマス(虎梭子) Sphyraena jello

ホソカマス(細梭子) Sphyraena stellata

ヤシャカマス(夜叉梭子) Sphyraena arabiansis

ヤマトカマス(大和梭子) Sphyraena japonica

である(各種を説明する気はないので、各自でリンク先の記事を見られたい)。BIMaL」の同属リストを比較してみたところ、日本名を附さない(調べたが、和名はないようである)

Sphyraena acutipinnis

があった。]

 

「飮膳摘要(いんぜんてきよう[やぶちゃん注:ママ。])」には、『『いかなご』は、梭魚(かます)の子なり。又、「かますこ」とも云ふ。』とし、「魚鑑(うをかヾみ)」は、『いかなこ』は『ひしこ』。『かます』に似て、少さく、脂(あぶら)、多し。三、四月の頃、これあり。」とし、又、「大和本艸」は『梭魚(かます)の苗(こ)を、俗に「いかなこ」といふ。』とし、「水族志」は『『いかなこ』の『かます』の兒にあらざる』ことを、詳記せり。近頃、出版の「漁產一班(ぎよさんいつはん)」には、『梭魚』の條下に、『玉筋魚(いかなご)、一《いつ》に『かますこ』。』とす。其他、數部の書册を閱(けみ)するに、『かます』を載せたるもの、あれども、『いかなこ』を記せる書、甚だ、少なし。

[やぶちゃん注:「飮膳摘要」東洋文庫版の後注に、『文化一四年(一八一七)刊。著者は小野蘭山(一七二九―一八一〇)、小野畝(?―一八五二)。』とあった。

『「大和本艸」は『梭魚(かます)の苗(こ)を、俗に「いかなこ」といふ。』とし』私の「大和本草卷之十三 魚之下 梭魚(かます) (カマス/イカナゴ誤認)」を見よ。

『「水族志」は『『いかなこ』の『かます』の兒にあらざる』ことを、詳記せり』私は、実はブログ・カテゴリ『畔田翠山「水族志」』を持っているのだが、二〇二三年を最後に、長くペンディングしている。この際、ここで、字起こしだけをやっておくことにする。国立国会図書館デジタルコレクションの当該部は、ここである。一部の読みを推定で《 》示した。

   *

(一七七)

イカナゴ 一名カマスナゴ シヤシヤラナゴ【紀州海士郡《あまのこほり》加太浦《かだうら》】カマスゴ【攝州兵庫】カナギ【筑前姪ノ濱《めいのはま》】

大和本草曰「イカナゴ」尼崎兵庫等ノ海ニテ網ニテ多クトル大ナル假屋ヲ海邊ニ作リ釜ヲナラベ「カマスゴ」ヲ煎シ[やぶちゃん注:「せんじ」。]油ヲトリ賣ル燈油トス或《あるいは》田圃ノ糞《こやし》トス兵庫漁人曰三月初捕ル梭魚(カマス)子に非ス[やぶちゃん注:「あらず」。]按《あんずる》に「イカナゴ」ハ海底砂アリテ泥鰌《どじやう》ノ如ク無鱗ニ乄[やぶちゃん注:「にして」。]箭[やぶちゃん注:「や」=「矢」。]ヲナスヿ[やぶちゃん注:「こと」。]火箭(ヤガラ)觜《はし》ニ似タリ形狀梭魚ニ似タリ脂《あぶら》多シ此魚梭魚ノ苗に非ス[やぶちゃん注:「あらず」。]梭魚ノ苗ハ寸許ニ乄モ細鱗アリテ口二ツニ切レ自《おのづか》ラ別也

   *

流石は、私の好きな翠山! 正しく指弾している!]

 

玉筋魚(いかなご)は、長さ、二寸許(ばかり)より、三、四寸許、身、狹(せま)くして、蒼(あを)・黑(くろ)・銀色(ぎんいろ)なり。背鰭(せひれ)、肩(かた)より起りて、尾(を)に連(つらな)り、後鰭(しりひれ)もまた、胴の半(なかば)より起り、背・尾・兩鰭、共に、其質(そのしつ)、軟(やはらか)なり。梭魚(かます)は、之に反し、大なるもの、七、八寸、身(み)、圓長(ゑんてう[やぶちゃん注:ママ。])にして、細鱗(こまかなうろこ)あり。背鰭、二つあり、後鰭、一基(ひとつ)あり、共に剌狀(しじやう)を、なす。是れ、二者の、判然、別なるの証(あかし)とす。

 

 玉筋魚は、生鮮(なま)のま〻膾(なます)となし、或(あるい[やぶちゃん注:ママ。])は、烹(に)て食し、炙(あぶ)りて食し、佃煑(つくだに)とも、なし、又、煑乾(にぼし)、䀋乾(しほほし)、白乾(しらほし)となし、又、魚醬(ぎよしやう)をも、製せり。北陸道の如きは、多額の收獲あるより、搾榨(しぼりかす)[やぶちゃん注:「榨」はママ。「榨」は「搾」の異体字であるから、おかしい。「滓」の誤植であろう。東洋文庫版では、「榨滓」となっている。]となして販賣せり。其油は鰯油(いはしあぶら)に優(まさ)り、滓(かす)は肥料となして、効(こう)あり。此製法中、淸國に輸出するは白乾なれども、淸國にも魚醬の製方あるを以て見れば、將來、輸出するも量(はか)るべからず。此魚を以て、魚醬を製することは、往時(をほじ[やぶちゃん注:ママ。])、景行天皇の御宇(ぎよう)、第十の皇子(わうじ)神櫛玉命(かんくしたまのみこと)、讚岐(さぬき)の國守たりし時、皇子(みこ)、自ら䀋藏(ゑんざう[やぶちゃん注:ママ。])して、肉醬(にくしやう)を造り、献(けん)じたまひしに創(はじ)まり、其後(そのご)、菅公(くわんこう)の國守たりし時も、數々(しばしば)、都(みやこ)へ送られたりし、と。又、「明月記」にも、屋島(やしま)の內裡(だいり)より肉醬(にくしやう)を贈ることも、載せたり。

[やぶちゃん注:「景行天皇の御宇(ぎよう)、第十の皇子(わうじ)神櫛玉命(かんくしたまのみこと)、讚岐(さぬき)の國守たりし時、皇子(みこ)、自ら䀋藏(ゑんざう[やぶちゃん注:ママ。])して、肉醬(にくしやう)を造り、献(けん)じたまひし」探したが、見出せなかった。識者の御教授を乞うものである。

『「明月記」にも、屋島(やしま)の內裡(だいり)より肉醬(にくしやう)を贈ることも、載せたり』藤原定家は大嫌いなので、調べる気がしない。悪しからず。]

 

 近世、下總國(しもをさのくに[やぶちゃん注:ママ。])千葉郡(ちばこほり)野田驛(のだゑき[やぶちゃん注:ママ。])三枝(みつえだ)某の製する魚醬は、天保年間の創業にして、今に、年々(としとし)、價額(かがく)二千圓內外を產出せり、といふ。其魚醬の製法は、魚一升に食䀋三合を混和し、樽に詰め、蓋をなし、其上を紙にて密封して藏すること、百有餘日)ひやくゆうよじつ)、卽ち、土用に至り、其樽の下部に、小孔(こあな)を穿(うが)ち、管(くだ)を揷し、これより、汁を滴らし、其(その)出(で)たるものを、紙漉(かみごし)にし、鍋に入れ、火に掛け、沸騰せしめ、其冷(そのひゆる)を待つ。其色、透明にして、味(あじわひ[やぶちゃん注:ママ。])、芳美(ほうび[やぶちゃん注:ママ。])なり。これを『一番取(いちばんどり)』といふ。殘(のこり)の滓(かす)に、又、食䀋若干を入れ、再製するを『二番取(にばんとり[やぶちゃん注:ママ。差別化するためかもしれない。])』といふ。玉筋魚の油、及び、搾粕(しぼりかす)を產出するは、加賀・能登・越中・越後・佐渡等(とう)にして、煑乾(にぼし)、及《および》、白乾(しらほし)を出(いだ)すハ、志摩・伊勢・筑前・四國・淡路地方等を多しとす。

[やぶちゃん注:「千葉郡(ちばこほり)野田驛三枝某」不詳。場所は現在の匝瑳市のここ。地名が残っていないので「ひなたGIS」で示した。戦前の地図に「野田村」が確認出来る。ここであろう。]

 

 此ものを淸國に輸出するは、近年のことにて、未だ、多數ならずと雖も、明治十六年、神戶港より輸出するもの、一萬七千二百九十八斤、價《あたひ》四百三圓六十錢、又、長崎・橫濱兩港より、輸出するもの、若干あり、とす。

[やぶちゃん注:「明治十六年」本書の刊行は明治一九(一八八六)年。

「一萬七千二百九十八斤」十・三七八八トン。]

2026/08/01

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その6) 乾鰯幷䀋鰯

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここから。]

 

   乾鰯幷䀋鰯《ほしいはし ならびに しほいはし》

 鰯(いわし)は「倭名鈔」に「漢語鈔」を引《ひき》て『以和之《いわし》』と訓ず。「新撰字鏡」は、獨(ひと)り、『𩺮』の字を『伊和志』とすと雖ども、「延喜式」には『鰯』の字を用ゆ。是「閩書」の『鰮魚』あり。鰯の種類ハ、『大羽(おほは)』、一名『まいわし』、『中羽(ちうは)』、『うるめいわし』『こしながいわし』等(とう)なり。而して、鮮(なま)にて膾(なます)とし、又、炙(あぶ)りて食ひ、煑(に)ても食(しよく)し、醃乾(しほぼし)、白乾(しらほし)、目刺、鰓刺(あごさし)、開乾(ひらきぼし)、等(とう)ともなし、[やぶちゃん注:原文は読点であるが、句点に代えた。]煑(に)て搾滓(しめかす[やぶちゃん注:「しぼりかす」以外に、こうも訓ずる。])とし、肥料(こやし)に供し、又、其油をとり、收益の多きこと、本邦の海產物中、此上(このうへ)に出づるもの、なし。近年、此目刺鰯は、淸國へ輸出せり。

[やぶちゃん注:『「倭名鈔」に「漢語鈔」を引《ひき》て『以和之《いわし》』と訓ず。』国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板の当該部を推定訓読して示すと、

   *

鰯(イハシ) 「漢語抄」に云はく、『鰯【以和之《いわし》。今、按ずるに、本文、未だ、詳らかならず。】。』≪と≫。

   *

である。「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で、奈良時代(八世紀)の成立とされる辞書であるが、佚文のみで、原本は伝わらない。さて、ここで明確に言っておくこととするが、

★読者は、この記事が、おかしいことに気づく。

即ち、作者源順(みなもとのしたごう)は、立項した「鰯」に「いはし」と読みを記していながら、後の割注で、和訓を「以和之」としているのである。これは、まさに「いわし」であって、「いはし」とは――逆立ちしても――読めない。即ち、これが何を意味するかと言うと、

☆平安中期に成った「和名類聚鈔」(承平年間(九三一年~ 九三八年)に執筆完成)の時代にあっても、正式な歴史的仮名遣表記では「いはし」であったものの、実は、この時代にあっても、実際の当時の京都の口語上の発音では、現代仮名遣と同じく「いわし」であったことを示唆しているとしか採れないのである。

☆続いて、本文で『「新撰字鏡」は、獨(ひと)り、『𩺮』の字を『伊和志』とす』とあるが、ここも「いわし」である。「新撰字鏡」は当該ウィキによれば(注記号はカットした)、『平安時代に編纂された字書の名。現存する漢和辞典としては最古のもの』で、『平安時代の昌泰年間』(八九八年~九〇一年:醍醐天皇の治世。因みに、同四年には正月二十五日、左遷左大臣藤原時平の讒言により、菅原道真が大宰府に左遷されている。所謂、「昌泰の変」である)。)『に僧侶・昌住が編纂したとされる』。寛平四(八九二)年に三『巻本が完成したとされるが、原本や写本は伝わっていない』。後、三『巻本をもとに増補した』十二『巻本が昌泰年間に完成したとされ、写本が現存する』。十二『巻本には約』二万一千『字を収録』する。『古い和語を多く記しており、古代日本における漢字受容を知り得る資料として、日本語学史上きわめて重要である。また、平安時代になると失われた上代特殊仮名遣のうち』、『コの甲乙を区別していることでも知られる』(ウィキの「上代特殊仮名遣」を見よ)。以下、「諸本」の「享和本」の項。十八『世紀後半に村田春海によって再発見され』、享和三(一八〇三)『年に刊行された。和訓をつけた漢字だけを抜き出した抄録本で、部首を』百七『に分類している』。以下、「天治本」の項。『天治元』(一一二四)年『の写本で、唯一の完本』。安政二・同三(一八五六)年~安政四・五(一八五八)『年に発見された。和訓の付いた字は』三千『字以上あり、部首を』百六十『に分類している』。以下、「群書類従本」の項、『塙保己一』(はなわほきいち)『の』「群書類從」『に収められている抄録本』。以下、「構成」の項。『部首内の漢字は規則的に配列されてはおらず、同じ部首を持つ熟語では、二文字を』、『ひとつの項目として扱っている。読みを反切で示してから、字義を類義の漢字で説明するほか、万葉仮名で和訓を付けているものもある』。『本居宣長は』「玉勝間」『の中で「あつめたる人のつたなかりけむほど、序の文のいと拙きにてしるく」「其字ども多くは世にめなれず、いとあやし」』(卷十四)『と酷評しているが、著者は』、『部首分けの上で部類立ての字類のようなものを構想していたとみられ、配列上の混乱は彼の独創性の裏返しであったと見られている』とある。

さて、実は、「鰯」=イワシ(類)を「いはし」と訓ずる語源は明確ではない。しかし、漢字の字面から、一般には「弱(よは)し」から「いはし」になったとの説が知られているが、これは、実は、正確な定説なのでは、ない。例えば、イワシには別に「大きなイワシ類」を意味するとされる「鰮(いはし)」の字があるが、この字素の一つである「囚」の字を穿って解釈すると、「囚(とら)はれ人(びと)」=「囚人」を想起し、恰も「獄屋の囚人に食べさせる卑しい魚」だったのではないか? という勘繰りも生ずる。実際、「いはし」の語源説には「卑しい民(たみ)のみが食べる雑魚(ざこ)」だったから、「いやし」が「いわし」になったとする説もあるらしい。即ち、このように、言語形成自体がブラック・ボックスである以上、イワシを指す歴史的仮名遣は、絶対的に「いはし」のみが正しいとする根拠は全くないことが判るのである。従って

――明治期の本書で「鰯」に「いはし」「いわし」が混淆すること自体が、実は、全く以って、有意な誤用混淆として、いちいち、指摘する価値が全くない――

のである。されば、以降は本文・ルビで、「いはし」「いわし」が混淆していても、一切、ママ注記を附すことやめることとする。

 

「延喜式」によれば、神祇部に『鰯汁(いわしじる)』あり。主計部に『乾鰯(ひしわし)』、又、『鮨(すし)』ありて、紀伊・若狹・丹後・備中・備後・安藝・周防・讚岐等(とう)より貢獻し、本邦往古より種〻(しゆしゆ)の製法ありて、常陸の水戶、伊豫の宇和・肥前の松浦等を著名とす。

[やぶちゃん注:「鮨」言うまでもないが、これは、現行の鮨ではなく、馴(な)れ鮓(ずし)である。]

 

 此魚は、性(せい)、至(いたつ)て脆弱なる故に、「いはし」の名、あり。又、「おむら」ともいふ。凡そ、漁業の大利を得ること、鯨の右に出るもの、鰯なり。「大和本草」に曰く、『最も大なるを䀋につけて、苞(むしろ)にいれて、遠(とふき[やぶちゃん注:ママ。])に、よす。賤民、朝夕(てうせき)の饌(せん)[やぶちゃん注:これは「食事」の意。]に用ゆ。又、醢(しほから)とし、糟藏(かすづけ)・飯藏(めしづけ)とす。味、よし。』とありて、從來、乾製・目刺等(とう)は、良品ありしも、䀋藏鰯(えんざういわし)は、精良の製法、なく、且(かつ)、苞(むしろ)に藏(ざう)するか[やぶちゃん注:ママ。「が」。]如き、粗造(そぞう[やぶちゃん注:ママ。])の取扱(とりあつか[やぶちゃん注:ママ。])なりしと見たり。近來(きんらい)、各地にて䀋藏するものは、槪(おほひ[やぶちゃん注:ママ。誤植。])ね、樽詰(たるづめ)にして、較(や)〻精良のものもあれども。䀋加減等(とう)、末だ、一定せずして、淸國の輸出の如《ごとき》も、「華蠻交易洽聞錄(くわいかうえきこうぶんろく)」に載(の)する如く、從前より、䀋鰯を輸出するも、僅々《きんきん》に[やぶちゃん注:ごく、わずかなさま。]過(すぎ)ざるなり。然《しか》れども、䀋量(ゑんりやう)を適度ならしめ、壓搾噐(あつさくき)を以て、搾(しぼ)めて、漬汁(つゆしる)を去り、樽に密封して、輸出せば、其需用を擴(ひろ)むるに至るべし。

[やぶちゃん注:『「大和本草」に曰く、⋯⋯』私の「大和本草卷之十三 魚之下 鰛(いはし) (マイワシ・ウルメイワシ・カタクチイワシ)」を見よ。]

 

 此鰯は、油漬(あぶらづけ)・酢漬等(とう)とし、鑵詰(くわんづめ)にしたるは、歐州諸國に於て、甚だ、嗜好するものなれども、寧ろ、淡乾(しらぼし)・鹹乾(しほぼし)の精良品を、多く、造り出し、淸國人の需求に充つるを得策とす。

[やぶちゃん注:「淡乾(しらほし)」しらすを生のまま、または、蒸して干したもの。]

2026/07/31

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その5) 田作

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここから。]

 

   田作(たつくり)

 

田作は鯷(ひしこいわし[やぶちゃん注:ママ。以下、「いわし」は本文でも何度も出るので、注はしない。「いはし」が正しい。])を乾したるものにて、「延喜式」に『小鰯腊(こいわしきたひ[やぶちゃん注:ママ。])』と、ありて、俗に『伍眞米(ごまめ)』といふ。「漢語抄」「和名鈔」共に、『鯷魚(しぎよ)』を『比師古以和之(ひしこいわし)』と訓ず。『ひしこ』、一名『かたくち』、又名(またのな)『せぐろいはし』。此(この)小魚(こうを)は、『鰮魚科(をんぎよくわ)』に屬す。身の長さ、五寸位(くらい[やぶちゃん注:ママ。])を極度(きよくど)とす。其形(そのかた)の「いわし」に、較(やヽ)、類(るい)するを以て、世人(せじん)、之を混同して『「いわし」の兒(こ)』とし、又、『小鰛(こいわし)』と云ふ等(とう)、各地、皆、同(おな)し。然(しか)れども、『ひしこ』の名は『ひしこいわし』の畧(りやく)にして、『かたくち』の名は、下顎(したあご)、小《せう》にして、無(なき)が如きより、名(なつ)けたり。故に、俗は「ごまめのはぎしり」と云ふ諺(ことわざ)あり。是は、『齒ぎしりするも合(あ)ふことなし』との義にして、齟齬(そご)することを云ふ。是は『ひしこ』を形容すと云(いふ)へし。『ごまめ』は『田作』のことにして、乾物(ほしもの)を云ふ。又、「せぐろいわし」の名は、背部、深藍色(しんらんしよく)、幾(ほとん)ど、黑色(こくしよく)の看(くわん)をなすにより、名(なづ)く。是亦(これまた)、「いわし」と異(ことな)る所なり。此「ひしこ」の長(ながさ)、寸許(ばかり)の者を乾(ほし)たるは、『いりぼし』・『にぼし』・『ちりめんざこ』等(とう)の名あり。然(しか)れども、此內(このうち)には、『いわし』の兒(こ)も、交(まじ)りて、あり。故に、必ず、『ひしこ』のみとは、云ひかたし。又、『たゝみいわし』と云(いふ)は、『「いわし」兒(こ)』なれども、亦、『ひしこ』も交(まじ)るならん。『しらすほし』は、『しらす』の乾物(ひもの)にして、『しらす』は『ひしこ』と異(ことな)り、鱒科(まんくわ[やぶちゃん注:ママ。「ますくわ」の誤植。])に入(い)るべき小魚(しようぎよ[やぶちゃん注:ママ。「せうぎよ」。])にして『しらうを』と(ことな)り。以上、示す如きも、世人、之を混科(こんくわ)するのみならず、往々(をうをう[やぶちゃん注:ママ。「わうわう」。])、混淆(こんこう)するにより、遂(つい)に、辨別(べんべつ)しがたきに至るが如し。此ものは、本邦、往古(むかし[やぶちゃん注:二字へのルビ。])より、歲賀(さいが)、又ハ、婚儀の賀膳(かぜん[やぶちゃん注:ママ。一般には「がぜん」。])に供(きやう)し、民間日用の常菜(じやうさい)に用ひ、亦、稻粟(いなあは)の肥料とも、なし、水產物中の貨殖(くわしよく)[やぶちゃん注:「利殖」に同じ。]たり。而して、『ひしこ』の小(しよう[やぶちゃん注:ママ。])なるを、『ちりめんいわし』とも、いふ。之を、生のま〻、簀干(すぼし)にしたるを『たゝみいわし』といふ。『ひしこ』を『ひらご』といふ所も、あり。

[やぶちゃん注:まず、ウィキの「田作」を引く(注記記号はカットした)。『田作、または田作り(たづくり、たつくり)は、カタクチイワシ』(条鰭綱ニシン(鰊)目ニシン亜目カタクチイワシ(片口鰯)科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシEngraulis japonicus )『の幼魚』(成魚は最大長で十八㎝、標準体長は十四㎝であるが、田作を製造している複数の業者の記載を見るに、傾向としては、より小さいものの中でも乾燥後に戱色に輝くものを上品とし、概ね四、五~七㎝のものを選んでいるようである)『の乾燥品、および』、『それを調理した料理。別名、ごまめ(鱓、五万米、五真米、古女)、ことのばら。正月のおせち料理、祝い肴』(ざかな)『として欠かせないものの一つである』。『乾燥させた小さいカタクチイワシを乾煎りし、冷ましてから、醤油、みりん、砂糖、赤唐辛子少量を煮詰めた液を絡めてつくる』。『健全』『を意味する「まめ」の字が入ること、豊作を祈念する祝い肴であることから』、古く『京都御所において年始の儀式用に用いられたことが、正月祝いや祝儀としてのはじまりとされる。田植祝い(さなぶり)』(平凡社「百科事典マイペディア」に拠れば、『田植終了後,田の神を送る行事。〈さのぼり〉とも,西日本では〈しろみて〉とも。田や水口(みなくち),屋内の荒神や竈(かまど)神に苗を供え,田植に参加した人を招いて祝宴をはり(早乙女(さおとめ)を特に上座にすえた),のち』、『忌』(いみ)『ごもりを行った。今日では』、『その祝宴が消滅し,忌ごもりが転じた単なる休息の日としている所も多い。』とあり、同社「世界大百科事典」には、『〈さ〉は田植もしくは田の神を意味し,サナブリはこの神が昇天するサノボリの転訛といわれる。地方ごとの呼称も多く,サノボリは四国,九州地方に,サナブリは東北,関東地方に多い。北陸,中国地方にはシロミテという地域もある。シロは植田,ミテは完了の意味で,神事としての意識が薄れてからの呼称と思われる。』とあった。)『でも』、『豊作を祈念し』、『食べられた』。『田作りという名称は、干したイワシ(主にカタクチイワシ)を「干鰯(ほしか)」と称して、田畑の高級肥料(金肥)として使われていた事に由来し、豊作を願って食べられた』。『別名のごまめの語源は「細群」(こまむれ)だが、祝い肴であることから「五万米」「五真米」の文字があてられたとする説、目がゴマのように黒いことからごまめの名がついたとする説、豊穣を祈ったことから「五万米」と名付けられ、転訛したとする説などがある』。『ごまめという単語を使ったことわざとして』『ごまめの歯ぎしり』『がある。実力の無い者が、無闇に悔しがったり』、『ジタバタとすることの例えである。』とあった。

「鯷(ひしこいわし)」はカタクチイワシの異名。「干小鰯(ほしこいはし)」のハ行内の音転訛によるものであろう。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のカタクチイワシのページの「地方名・市場名」に「ヒシコイワシ・ヒシコ」(青森県・三重県鳥羽市答志島)・「イシコイワシ」(東京)・「シコ・シコイワシ」(東京・神奈川県江ノ島)とある。なお、似て非なるものに「へしこ」があるので言っておくと、これは、青魚に塩を振って塩漬けにし、さらに糠漬けにした郷土料理、及び、水産加工品で、福井県若狭地方・京都府丹後半島・石川県の伝統料理・越冬保存食である。当該ウィキに拠れば、『名前の由来については、漁師が魚を樽に押し込むことを「へし込む」と言ったことから』、『「へし込まれた物」が略されて「へしこ」となったという説、魚を塩漬けにする際に滲み出てくる水分のことを「干潮(ひしお)」と呼んだことから、これが訛ったものであるとする説、アイヌ語で「へしこ(pe-si-kor)」=「滲み出てくる水分が・それ(味、保存性)を・産む」に由来する説(萱野茂『アイヌ語辞典』)などがある。』とある。私は、二〇〇七年の冬に行った左京区花背(はなせ)の美山荘(みやまそう:私の永遠の一押しの宿である)で初めて食し、大好物となった。

「小鰯腊(こいわしきたひ)」「腊」は漢語で、音は呉音「シヤク(シャク)」・漢音「セキ」で、広義の「乾し肉・よく乾燥させた肉の一片」の意である。和訓としては、現代仮名遣「ほじし・きたい」で、やはり「魚や鳥などを丸干しにしたもの」を指す。「延喜式」は平安時代中期の編纂であるが、既にこの「きたひ」は、奈良時代末期成立の「出雲国風土記」・「万葉集」に用例がある。なお、前者(「嶋根の郡(こほり)」の「朝酌(あさくみ)の促戶(せと)の渡(わたり)」の項)は「大(おほ)き(ちさ)き雜(くさぐさ)の魚」、「或(ある)は日に腊(きたひ)を製(つく)る」)は「魚の丸干し」であり、後者(巻第十六・三八八六)は「難波」の「蘆蟹(あしがに)」の塩漬けである。

「漢語抄」「楊氏漢語抄」で、別名「桑家漢語抄」(そうかかんごしょう)とも言い、奈良時代(八世紀)の成立とされる漢語辞書であるが、散佚して残っておらず、「和名類聚鈔」等に逸文で残るのみである。

「和名鈔」国立国会図書館デジタルコレクションの当該部(右丁四行目)を見られたい。

「鰮魚科(をんぎよくわ)」「鰮」は「鰛」の正字で、「鰯」と同じ。「イワシ」は、マイワシ科のマイワシ(ニシン(鰊)亜目ニシン科ニシン亜科マイワシ(真鰯)属マイワシ Sardinops melanostictus)と、ウルメイワシ(潤目鰯)科のウルメイワシ(ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres )、本カタクチイワシ科のカタクチイワシの計三種を指す人為的分類で、生物上の「類」の名ではない。

 

淸國へ輸出するのはじめは、明治十年[やぶちゃん注:本書は明治一九(一八八六)年刊。]にして、橫濱港の商(せう)、串田八百吉(くしだやをきち)の見込(みこみ)を以て、始めて、輸出を試みしが、淸國、凶荒の際にて、大(おほい)に嗜好に適(かな)ひ、倍々(ますます)、盛んに赳(をもむ)き、一旦は、一ヶ年、大約(おほむね)、拾五、六萬圓の多きに至りしが、荷造(にづくり)の惡(あし)きが爲めに、價格を落(おと)し、去る十七年の輸出額は、二百四十四萬〇九百九十八斤[やぶちゃん注:千四百六十四・五九八八トン。]、其價(そのあたい[やぶちゃん注:ママ。])、五萬四千九百拾壹圓に至れり【十七年、長崎縣の調査は、仝港《ぜんかう》輸出高三十七萬斤[やぶちゃん注:二百二十二トン。]、價《あたひ》七萬五千圓、橫濱仝《どう》[やぶちゃん注:「同」の異体字。]百七十萬斤[やぶちゃん注:百二トン。]、價五萬〇四百九十圓なり。】)。本邦の商家は、荷造等(とう)の事に意を留(とめ)るもの少(すくな)しといへども、橫濱にて、再び、不廉(ふれん)なる[やぶちゃん注:「値段が安くない」の意。]藁繩(わらなわ[やぶちゃん注:ママ。])を買人(かいい)るゝ等(とう)の諸費を要するにより、改良せざるべからず。

[やぶちゃん注:「串田八百吉」「乾貝並貝柱の說(その12) 乾蠣」で既出既注。]

 

此(この)田作の乾製法は、日乾(ひぼし)するに過(すぎ)ざれども、此他(このた)、煑乾(にぼし)、鹹乾(しほぼし)の製あり。然(しか)れども、輸出するは白乾(しらほし)なり。而して、乾方(ほしかた)の不良なるものは、大(おほい)に價格を落(おと)すこと、あり。注意すべし。

 

2026/07/28

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その4)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページの四行目から。]

 

 夫れ、本邦の地況(ちけい[やぶちゃん注:ママ。「ちきやう」の誤植。])たる魚䀋(ぎゑん[やぶちゃん注:ママ。誤植。])の利に富むこと、東洋に其比(そのひ)なく、外(ほか)には、淸國に䀋藏魚類の需用者、億を以て數(かぞふ)る、あり。若(も)し、彼(かれ)の需用に適する精製品を輸出するに至らば、其利、巨額に登るべし。目今、本邦より淸國輸出する䀋魚類(ゑんぎよるい[やぶちゃん注:ママ。])は、僅(わづか)に、七、八種にて、其額も、甚だ、少なく、七、八萬圓に過(すぎ)ず。然(さ)れども、明治一、二年頃は、䀋魚を輸出せることなきを以て見れば、漸(やうや)く、其步(そのほ)を進めたりといへども、之を、淸國の需用者(じゆようしや)に比すれば、九年(きうぎう)[やぶちゃん注:ママ。「九牛」の誤植。]の一毛(いちまう)に過ず。然(しか)れば、本邦產䀋藏魚類の輸出は、將來、巨額に登る可きを信ずるなり。現に、長崎・神戶・橫濱等(とう)に來舶の淸國人は、其本、國產の䀋藏魚類を食用となすもの、少(すくな)からず。曾(かつ)て、或淸國人に聞(きく)こと、あり。「該國(がいこく)にて、嗜好する䀋藏魚類の數は、二百餘種にして、一年に消費するの額は、算(かぞ)ゆべからず。」と。然(しか)れども、淸國內部に漫遊せし人の說によるも、古今の書籍の上に就て見るも、其魚類の貴重、且(かつ)、高價(かうか)にして、貧民の口に及ばず。又、香港(ほんこん[やぶちゃん注:ひらがなはママ。])其他、南部の地方にては、西洋人の食用とするもの、あり。然(しか)る時は、之に適する精良品を出(いだ)す計畫、宜(よろし)きを得(ゑ[やぶちゃん注:ママ。])ば、必らず、盛大に至るべし。今、此編には、是まて[やぶちゃん注:ママ。濁点ナシ。誤植。]、多少、淸國に輸出せしものヽ槪況を擧(あげ)て、當業者の參考に供す。

[やぶちゃん注:以下の段落は、本書では特異的に一字下げとなっている。それは、取りも直さず――前の『淸國內部に漫遊せし人の說による』とする内容が――まさにその人の語った内容が――以下であることを意味している、と判断出来るものである。されば、ブラウザ上、一字下げでは上手く出来ないから、二重括弧で括って示すこととした。

『凡そ、乾魚(ほしうを)、䀋魚(しほうを)、共に濕敗(しゆうはい[やぶちゃん注:「しつはい」の誤植。])し易く、貯藏者をして、大(おほい)に遺憾ならしむるは、本邦の氣候濕潤、殊に梅雨(ばいう)等(とう)の如き、多濕(たしゆう[やぶちゃん注:ママ。])のことあるに因ると雖も、尙、世人(せじん)の濕敗の理を知らざると、乾燥するの方法、宜(よろし)からざるとの、二つに、あり。今、若(もし)、乾燥は何の理(り)により、濕敗は、何の理によると云ふ、物理上より、眼(がん)を注ぐときは、乾燥するの方法より、貯藏して濕敗せざるの方を、案出すべし。岩手縣下にて、鰑(するめ)を乾す噐械の發明などは、即ち、乾燥は、空氣の流通を速(すみやか)ならしむるにあるの理(り)にして、實(じつ)に、物理に恊(かな)ふもの、と、云ふべし。又、世上に『亞米刺加乾(あめりかぼし)』と云ふ͡と[やぶちゃん注:約物。「こと」と読む。]、あり。長き竿上(さほのうへ)に吊りて、乾(ほ)す。是(これ)に日温(じつおん)の爲(た)めに非(あら)ずして、空氣通暢(くうきつうちやう)の爲(ため)なることは、理に於(おい)て、明(あきら)かなり。今(いま)、世(よ)の乾魚(ほしうを)、䀋魚(しほうほ[やぶちゃん注:ママ。誤植。])等(とう)の水氣(すいき)、去(さ)る度(ど)は、果(はたし)て、前(まへ)の理(り)に、合ふや否(いなや)を究(きは)むべし。此外(このほか)鹽の良否は、鹽魚に於て、最(もつとも)、關係、多し。又、乾魚にハ、油脂(ゆし)の性質に就(つ)き、硏究を、せざるべからず。是(これ)、乾方改良(ほしかたきりゃう)の要點なり。』≪と≫。

[やぶちゃん注:「亞米刺加乾(あめりかぼし)」幾つかの古い報告書の中に「亞米刺加乾貨物船」というフレーズはあったが、鰑に関してのそれは、見当たらなかった。識者の御教授を乞うものである。

「空氣通暢(くうきつうちやう)」空気がよく通る・換気がスムースに行われるといったシステムとしての表現としては、腑に落ちる。]

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その3)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページの五行目から。]

 

 䀋魚(しほうを)は漢名『䱒魚(ゆうぎよ)』なれども、淸俗は、渾(すべ)て『鹹魚(キヤンユ)』と稱す。即ち、是、魚類を盬漬(しほづけ)になしたるもの〻、總稱なり。本艸書(ほんさうしよ)、「正字通(しやうぢつう[やぶちゃん注:ママ。「せいじつう」でよい。])」・「行厨集(ぎやうとうしう[やぶちゃん注:ママ。])」等を案ずるに、淸國には、䀋魚の製方、數種(かずかず)ありて、微(すこし)く、鹽を用ひたるを、『鰎(けん)』といひ、多く䀋を用ひたるを『滷魚(ろぎよ)』といひ、䀋漬にして壓(を[やぶちゃん注:ママ。「お」でよい。])したるを『鹹魚(かんぎよ)』とし、䀋にて器物の中(うち)に漬込(つけこみ)たるを『醃魚(ゑんぎよ[やぶちゃん注:ママ。「えんぎよ」でよい。])』といふ。本邦にても亦、古來、『一䀋(ひとしほ)』・『一夜䀋(いちやしほ)』・『一日䀋(いちにちしほ)』。『煑䀋(にしほ)』・『濱䀋(はましほ)』・『白䀋(しらしほ)』・『鹽壓(しほをし[やぶちゃん注:ママ。])』等(とう)あり。又、『鹽切(しほきり)』・『鹽引(しほひき)』等あり。

[やぶちゃん注:「䱒魚」「䱒」は漢語で、音は「エフ(ヨウ)・オフ(オウ)」で、意味は「魚の塩漬け」である。

「鹹」は呉音「ゲム(ゲン)」、漢音「カム(カン)」で、「塩気・塩分」「塩辛い・苦い」の意。

「鹹魚(キヤンユ)」現在の拼音では“xián yú”で「シィェン (ユ)イー」。

「鰎(けん)」音は「ケン・コン」で「塩干にした魚」の意。

「滷魚(ろぎよ)」「滷」は「塩辛い」「にがり」の意。

「醃魚(かんぎよ)」「醃」は「醬(ひしお)」「肉醬(ししびしお)」の意。

「濱䀋(はましほ)」水揚げした魚の鮮度を保つために濃い塩水につける法。或いは、砂浜で作る「揚げ浜塩」式造塩法を指す。

「白䀋(しらしほ)」一つは、海水を精白した上級塩。また、それに昆布・椎茸・帆立貝等の旨味を凝縮して作った特製調味塩を指す。

「鹽壓(しほをし)」ご存知の通り、野菜等に塩を振り、重石(おもし)をかけて漬けること。また、その漬物。

「鹽切(しほきり)」米麹と塩を均一に混ぜ合わせる作業、又は、その状態にした「塩切り麹」を指す。主に味噌などの発酵食品を作る際の下準備である。

「鹽引(しほひき)」「塩引(しおび)き鮭(さけ)」に代表されるものであろう。「越後村上うおや」公式サイト内の「塩引き鮭の説明」以下に、『材料は鮭と塩のみ、添加物を一切使わず 自然の力だけで仕上げる究極のスローフード。そして村上独特の厳しい寒風も塩引鮭をおいしく仕上げるためには欠かせません。鮭と言えば』、『おなじみの「新巻鮭」との 最大の違いはまさにここ!』 『適度な低温と湿度、そして北西の潮風が運んでくる塩分と乳酸菌。これらの要素が絶妙に組み合わさって低温発酵を促し、鮭の持つ旨みを極限まで引き出すのです。』とあり、「塩びき鮭の歴史」には、『「鮭のまち」として知られる新潟県村上市。その調理法は100種類を超えるといわれ、身はもちろん頭や内蔵、中骨や皮に至るまで捨てることなく味わいつくします』。『村上の人々はなぜ、それほどまでに鮭を大切にするのでしょうか』。『村上と鮭。その歴史は古く、平安時代には 遠く京都の王侯貴族に三面(みおもて)川の鮭が献上されていたことが記録に残っています』。『越後村上は平安の昔、小泉の庄と呼ばれ、中御門大納言家(藤原氏)の荘園であり、村上を流れる三面川の鮭も、この頃より都に献上されておりました』。『古代、越後からの税は「鮭」で、鮭が越後の代表的な産物であることがわかります』。『また、古い書物には「塩引き鮭」の記述がいくつも見られます』。『平安時代の中期法典「延喜式」』『には越後国が納める物品として楚割鮭、鮭内子(こごもり)(子籠)もその中に記録されています』。『楚割(スワヤリ/ソワリ)鮭は雄鮭の身を卸して、魚肉を細かく割り、塩を附して干した物です。鮭内子(こごもり)は 雌のはら子を別途塩漬けにして腹に抱かせた塩引き鮭と言えます。この時代にはすでに塩引鮭製法が確立していたわけです。また、鮭の塩蔵品、乾燥品を納める国は越後、越中、信濃の三か国で、その中でも塩引き鮭を指定されていたのは越後一国だけです』。『平安時代の後期「今昔物語」』には、『次のような塩引き鮭の記述があります』。『「塩引の鮭の塩辛気になる、亦切て盛りたり」』。『鎌倉時代の前期「宇治拾遺物語」』には、『越後国から京へ運ばれる塩引き鮭を盗む頂禿げたる大童子の話が載っています』。『室町時代の「庭訓往来」』には『「各地から届く特産の品物の中に越後の塩引、隠岐の鮑、周防の鯛⋯」』とあり、『室町時代後期の「色部氏年中行事」』には、『「この中に鮭の加工品として塩引き鮭、乾鮭、筋子、はららご(いくら)、塩引の鮭すし(飯寿司の原点)が記述されています。また正月行事として、当主への挨拶参上と椀飯といわれる主従関係を確認する儀式の中で出される「正月祝儀之膳組」の元旦から三日までの祝膳の中に塩引き鮭が指定されています」。『江戸時代の『本朝食鑑』』には、『塩引き鮭について次の記述があります』。『「越後・陸奥の産は上品である。越州のものは柔らかく奥州のものは堅い。」』とあり、『また、本朝食鑑に子寵(こごもり)の作り方の説明もあります』。『「鮮鮭の鱗・エラをとり、腹を割いて諸腸を捜り棄て、洗浄し、子胞を充填して腹□を封じ、塩水に一昼夜淹ける。次いでこれを採り出し、一両日ほど陰乾にし、乾かしてからまた、初めのように塩水に滝ける。これをさらに探り出し、陰乾して乾いたら、さらに稲草で堅く封じて陰に乾し、一月余を経て収用するのである。これを子寵という。」』と記されています。『堀丹後守直奇の書状』には、『堀丹後守直奇の書状中に村上から江戸に送られた鮭のことが度々見受けられます。塩引鮭は数百尾単位で江戸に送られ、将軍家や大名への贈答用の献上物として使われていました』とある。以下、「塩引き鮭の製造工程」が書かれてあるので、是非、見られたい。]

 

 往古、延喜の朝貢品の如きは、䀋藏(えんざう)の法、精良にして、貯藏、久しきに堪へ、佳味(っかみ)なるものなりしも、中古より廢絕し、漸(やうや)く德川時代に至りて、諸國に於て、舊法を再興し、著名の產、各地より出(いで)たるも、近頃、亦、粗製に流れたり。

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その2)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページの六行目から。]

 

元來、乾魚(ほしうを)の效用は、久しく貯藏して、形狀、色澤(しよくたく)、眞味(しんみ)を失はざるを、貴(たつと)べり。然(しか)るに、近世は、其製の眞(しん)に佳良(かりやう)なるものは。甚(はなはだ)、鮮少(すくな[やぶちゃん注:二字へのルビ。])し。反(かへつ)て、今を距(さ)る一千餘年の昔(むあ)しは、淡乾(しらほし)、鹹乾(しほほし)、ともに精品を製出(せいしゆつ)したり。卽ち、「延喜式」に載する所の者、是なり。其後(そのこ[やぶちゃん注:ママ。])、德川時代に至りては、各藩より、幕府への獻上を良品なりとすれども、近來は、濫造に流れ、其良法の世に行はるゝは、甚(はなはだ)、少なく、產出も僅少(きんせう)となれり。統計年鑑によれば、明治十六年、全國乾魚(かんぎよ)の產額は、貳百六拾六萬九千百九十二貫目に過ぎず。

[やぶちゃん注:「淡乾(しらほし)」しらすを生のまま、または、蒸して干したもの。

「明治十六年」本書刊行は明治一九(一八八六)年。

「貳百六拾六萬九千百九十二貫目」十万九・四七トン。]

 

本邦の水產物中には、淸國の需用に適すべきもの多しと雖ども、彼(かれ)は、我產あるを、知らず、我は、亦、彼の嗜好を解せざるか[やぶちゃん注:ママ。「が」。]爲に、輸出の品類、少しと雖ども、年を逐(をふ)て、其額を增和(ぞうか)[やぶちゃん注:熟語はママ。「增加」の誤植であろう。]するの勢(いきおひ)ありて、明治元年の乾魚輸出額は十七萬八千八百二十七斤、其價五千五百五十五圓に過ぎざりしも、十七年には三百八十五萬八千二百四十八斤、其價拾萬〇九百拾四圓に至れり。

[やぶちゃん注:「十七萬八千八百二十七斤」百七・八八二七トン。

「三百八十五萬八千二百四十八斤」二千三百十四・九四八八トン。]

 

淸國は、陸地、廣くして、海を距(さ)ること、太(はなは)だ、遠し。是を以て、乾魚の需用、多し。其䀋(そのしほ)を用ひずして、乾燥せし魚類を、『柴魚(リヤンユ)』、又は、『乾魚(チユンユ)』と稱して、甚(はなはだ)、貴(たつと)べり。然(しか)れども、我產は、乾製(かんせい)の粗(そ)なるにより、腐爛(ふらん/くされ)し、貯藏に耐へざること、屢(しばしば)あるを以て、終(つひ)に、望みを絕(たゞ)しむること、あり。故に、其種類、甚だ少なく、目今、輸出するものは、田作(たつくり)・目刺(めざし)・鰯乾(いはし[やぶちゃん注:ママ。略訓。])・乾玉筋魚(ほしいかなご[やぶちゃん注:中国語名に和訓したもの。])・乾鱈(ひだら)・乾蝶(ほしかれい[やぶちゃん注:ママ。「ほしかれひ」が正しい。])・乾舒(ほしかます)・𩷧乾物(かさごのひもの)・大鯖(おほさば)・小鯖(こさば)、乾飛魚(ほしとびうを)・三摩乾物(さんまのひもの)・鰺乾物(あじのひもの)・乾火魚(ほしかながしら)・乾鯛(ほしだい[やぶちゃん注:ママ。])・鰹節(かつをぶし)・細魚物(さよりのひもの)[やぶちゃん注:「乾」の脱落であろう。]・乾鯖(ほじにしん[やぶちゃん注:ママ。「ほしにしん」の誤植。])・永良部鰻(えらぶうなぎ)等(とう)の數種に過(すぎ)ず。

[やぶちゃん注「柴魚(リヤンユ)」現行の拼音(北京語をベースにした標準中国語)は“chái yú”(チァィ (ユ)イー)である。「リャンユ」は清の公用語であった満州語で、サケ科Salmonidae、或いは、サケ属 Oncorhynchus を指す語であったようである。

「乾魚(チユンユ)」現行の拼音では、広東語などの南方方言では、“qián yú”(チィェン (ユ)イー)とあって、これに近い。無論、意味は文字通りの広義の「乾し魚」である。

「田作(たつくり)」正月の御節料理の「ごまめ(鱓・五万米・五真米・古女)」としてお馴染みの、カタクチイワシ(条鰭綱ニシン(鰊)目ニシン亜目カタクチイワシ(片口鰯)科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシEngraulis japonicus )の幼魚の乾燥品。以下、概ね、後で独立解説があるので、詳しくは、そちらで注する。

「目刺(めざし)」カタクチイワシやウルメイワシ(潤目鰯:ニシン目ウルメイワシ科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus micropus )などのイワシ類の小魚を塩漬けした後、目から下顎へ竹串や藁を通して、数匹ずつ束ね、乾燥させたもの。

「鰯乾(いはし)」硬骨魚綱ニシン目Clupeiformesに属する海水魚のうち、代表されるマイワシ(真鰯・真鰮)属マイワシSardinops melanosticta、及び、広義にはウルメイワシ・カタクチイワシの総称、または、これらの近縁種を含めたものの総称で、それらを乾製品化したもの。

「乾玉筋魚(ほしいかなご)」条鰭綱ベラ(倍良・遍羅)目 Labriformesイカナゴ(玉筋魚・鮊子)科イカナゴ属イカナゴ Ammodytes japonicus の干物。当該ウィキに拠れば、『イワシなどと並んで、沿岸海域における食物連鎖の底辺付近を支える重要な魚種で』、『釘煮(くぎ煮)』が知られるが、ここは、煮干しを指す。

「乾鱈(ひだら)」広義には、条鰭綱タラ目タラ亜目タラ科 Gadidaeに属するタラ類を指し、本邦では、タラ科マダラ(真鱈)属マダラGadus macrocephalus・タラ属スケトウダラ Gadus chalcogrammus・コマイ(氷下魚)属コマイ Eleginus gracilis の三属三種が分布する。但し、狭義にはマダラを指す。ここは、それらの干物である。

「乾蝶(ほしかれい)」狭義には、アジ目カレイ亜目カレイ科 Pleuronectidaeの干物で、本邦には凡そ三十種が棲息する。しかし、河原田氏は後の各個解説で、「鮃」を一緒に記しているから、広義の「ヒラメ類」=カレイ亜目ヒラメ(鮃)科 Paralichthyidae・ダルマガレイ科 Bothidaeも包括している。詳しくは、そちらで注する。

「乾舒(ほしかます)」アジ目カマス(魳・梭子魚・梭魚・魣)科カマス属 Sphyraena の干物。世界では二十七種を数えるが、本邦産食用種としては、ヤマトカマス(大和叺・大和梭子) Sphyraena japonica・アカカマス Sphyraena pinguis・アオカマスの三種を指す。詳しくは、各個解説で注する。

「𩷧乾物(かさごのひもの)」狭義には、条鰭綱カサゴ(笠子・瘡魚)目カサゴ亜目メバル亜科カサゴ属カサゴ Sebastiscus marmoratus の干物であるが、この「𩷧」は「廣漢和辭典」にも載らない国字である。但し、しっくりは、くる。私の大好物である。しかし、何故か、河原田氏は、各個解説を立項していない。狭義のカサゴ属は、当該ウィキでは、四種を掲げている。他には、アヤメカサゴ(文目笠子・文目瘡子)Sebastiscus albofasciatus ・ウッカリカサゴ Sebastiscus tertius Sebastiscus vibrantus である。しかし、最後の和名のないそれは、インドネシア・台湾の海域で新たに発見された、ウッカリカサゴ似た種であるものの、本邦で採集された記載を見出せなかった(二〇一八年で、記載者には日本人の三人が名を連ねてはいる。)。BISMaLにも掲載がない。

「大鯖(おほさば)」条鰭綱サバ目サバ科サバ属マサバ Scomber japonicus の大型個体の干物。

「小鯖(こさば)」これは、マサバの小中型個体の他、マサバ属ゴマサバ Scomber australasicus ・南西諸島にのみ棲息するグルクマ(虞留久満)属グルクマ Rastrelliger kanagurta・同前の分布に稀に棲息するニジョウサバ(二条鯖)属ニジョウサバ Grammatorcynus bilineatus が挙げられる。

「乾飛魚(ほしとびうを)」条鰭綱ダツ(駄津)目トビウオ(飛魚)科 Exocoetidae の干物。詳しくは各個解説に譲る。最も「くさや」で美味いのは、これ!

「三摩乾物(さんまのひもの)」ダツ目ダツ上科サンマ(秋刀魚・青串魚・秋光魚)科サンマ属サンマ Cololabis saira の干物。各個解説に譲る。

「鰺乾物(あじのひもの)」代表種は条鰭綱アジ目アジ科アジ亜科マアジ(真鯵)属マアジ Trachurus japonicus であるが、広義のアジは、マアジを含むムロアジ(室鯵)群・ヨロイアジ(鎧鰺)群・ギンガメアジ(銀紙鯵・銀亀鯵・銀河目鯵)群に分類され、非常に種が多い。各個解説に譲る。

「乾火魚(ほしかながしら)」狭義には、カサゴ目ホウボウ科カナガシラ((金頭・方頭魚・六角魚)属カナガシラ Lepidotrigla microptera であるが、ここでは、ホウボウ科 Triglidae の三赤九属百三十種を含む。各個解説(但し、短い)に譲る。

「乾鯛(ほしだい)」表向きは、条鰭綱ニザダイ目 Acanthuriformes、或いは、タイ科 Sparidaeの、ごく広義のタイ類の干物であるが、本邦で「~タイ」と和名にあってもタイ科に含まれない種が、多数ある。各個解説で検証する。

「鰹節(かつをぶし)」使用種は複数ある。サバ目サバ科マグロ族カツオ属カツオ Katsuwonus pelamis を筆頭に、マグロ族ソウダガツオ属 Auxisの宗田節(そうだぶし)等がある。各個解説で検証する。

「細魚物(さよりのひもの)」真正のサヨリの干物は、ダツ目ダツ亜目トビウオ上科サヨリ科サヨリ属サヨリ Hyporhamphus sajori である。他に、大型のテンジクダツ属オキザヨリ Tylosurus crocodilus crocodilus もある。各個解説で検証する。

「乾鯡(ほじにしん)」条鰭綱ニシン目ニシン科ニシン属ニシン  Clupea pallasii 。「身欠きニシン」で知られる。各個解説に譲る。

「永良部鰻(えらぶうなぎ)」これは、魚類ではない、南西諸島に棲息し、時に黒潮に乗って、九州以北まで漂流することもある、猛毒を持つ爬虫綱有鱗目コブラ科エラブウミヘビ(伊良部海蛇)属エラブウミヘビ Laticauda semifasciata の干物。各個解説に譲る。]

2026/07/26

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その1)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。]

 

淸國

日本水產圖說下卷

輸出

                河原田盛美  撰

 

   (九)乾魚(ほしうを)並に鹽魚(しほうを)の說(せつ)

本邦の海、河、湖、沼、に產する魚類(うをるい[やぶちゃん注:ママ。])凡(およそ)二百餘種にして、其數(そのかず)、千餘(せんよ)あり。而して、乾魚・䀋魚の法も、千有餘年前より行はれたりと雖も、之に製する魚類は百餘品に止(とヾ)まれり。其中(そのうち)、現今、淸國に輸出するものは、僅(わづか)に二十餘品に過(すぎ)ず。

 

 乾魚は「本朝式」に『䐹(しやう[やぶちゃん注:ママ。正しくは「しう」。])』又は『脯魚(ほぎよ)』とし、「和名抄」に『腊(ほしうを)』または『魥(をさし)』或(あるひ[やぶちゃん注:ママ。])は『炒㷶(ひほし)』とあり。是れ、卽ち、乾魚(かんぎよ)にして、『魥(をさし)』とは、繩、或は、竹の類(るひ[やぶちゃん注:ママ。])を以て、貫(つら)ぬき、風乾(かざほし)したるもの、『炒㷶』(しやうび[やぶちゃん注:この「㷶」に当てている崩し字は判読出来ない。カタカナの「ス」に近いが、合わない。取り敢えず、音の一つである「ビ」を相当させた。])とは火乾(ひほし)のものなり。又、「本朝食鑑」に載するところ、生乾(なまほし)、牧乾[やぶちゃん注:これは「枚乾(ひらきぼし)」の誤記である。注で「本朝食鑑」の当該部を示す。]、串貫(くしぬき)、魚條(すはやり)、醃乾(しほほし)、切暴(きりほし)、割乾(わりほし)等(とう)あり。現今、世上に於て製するものは、開乾(ひらきほし)、丸乾(まるほし)、割乾(わりほし)、䀋乾(しほほし)、白乾(しらほし)、簀乾(すほし)、吊乾(つりほし)、串差(くしさし)、切乾(きりほし)、薰製等(とう)なり。淸國に於ても、古しへより、種々(しゆじゆ)の乾製法あり。卽ち、䀋を着(つけ)て乾(ほす)ものを『鯫魚(すうぎよ)』といひ、䀋を着(つけ)す[やぶちゃん注:ママ。「ず」の誤記。]して乾(ほす)ものを『膽魚』、又、『鮝魚(しやうぎよ)』といふ。肉を切(きつ)て乾(ほす)を『脯脩(ほしう)』とし、肉を割(わり)て乾(そす)を『脡脯(ていほ)』とす。亦、陶朱公「致富全書」には、『灸魚(あぶりうを)』、『風魚(かざぼし)』等を載せたり。

[やぶちゃん注:「本朝式」何度も注しているが、「延喜式」に同じ。

「䐹(しやう)」「䐹」は現代仮名遣で音は「ショウ」。意味は「干し魚」。他に「肉を刻んで混ぜる」・「羹(あつもの)/スープ」の意もある。

「脯魚(ほぎよ)」魚の干物。乾し魚(ざかな)。

『「和名抄」に『腊(ほしうを)』または『魥(をさし)』或(あるひ)は『炒㷶(ひほし)』とあり』国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板で推定訓読しておく。「卷十六」の「飮食部第二十四」「魚鳥の類第二百十二」である。但し、以上は順序が違う。順に、ここの右丁冒頭、次いで、同右丁の次、最後は、左丁の後ろから四行目である。

   *

魥(をさし/よちよさし) 「唐韻」に云《はく》、『魥は【音、「佉」[やぶちゃん注:これでは、通音にならない。他の資料を点検したところ、これは「怯」の誤刻

である。これならば、呉音「コフ(コウ)」・漢音「ケフ(キョウ)」で完全に一致する。]。今、案ずるに、和名「乎佐之《をさし》」、一《いつ》に云《はく》、「与知乎佐之《よちさし》」。】竹を以《もつ》て、魚《うを》を貫ぬく。復州《ふくしう》[やぶちゃん注:遼寧省に嘗つてあった州。]の界《さかい》より出づ。』≪と≫。

   *

炒𤏛(ひほしのいを) 「唐韻」に云《はく》、『炒𤏛【「早」「備」の二音。「漢語抄」に《はく》、『炒𤏛魚は、【比保之乃以乎《ひほしのいを》」。俗。云《いふ》、「火旱《ひぼし》」。】火乾《ひぼし》なり。』≪と≫。

   *

腊(きたひ) 「唐韻」云≪はく≫、『腒腊《きよせき》【「居」「昔」の二音。和名、『木多比《きたひ》』。】は、乾肉《ほしにく》なり。方言《はうげん》に云≪はく≫、「鳥腊《てうせき》」[やぶちゃん注:鳥の肉を乾した肉。]を「膴《こ》」と曰ふ。【音、「無」、又、音、「武」。】』≪と≫。

   *

『「本朝食鑑」に載するところ、生乾(なまほし)、牧乾、串貫(くしぬき)、魚條(すはやり)、醃乾(しほほし)、切暴(きりほし)、割乾(わりほし)等(とう)あり。現今、世上に於て製するものは、開乾(ひらきほし)、丸乾(まるほし)、割乾(わりほし)、䀋乾(しほほし)、白乾(しらほし)、簀乾(すほし)、吊乾(つりほし)、串差(くしさし)、切乾(きりほし)、薰製等(とう)なり』これは、「本朝食鑑」の「鱗部之三」の「乾魚」の方である(同書には別に「乾魚」の項が、ここにあるが、そこではないので注意が必要)。これは長いので、国立国会図書館デジタルコレクションの元禄一〇(一六九七)年板を示して、各個注としておく。ここが冒頭で、当該箇所は、次のこのコマの【集觧】の三行目以降である。但し、最後の「割乾(わりほし)」は前後を見ても見当たらない。

・「生乾(なまほし)」原文では「生乾(ナマヒ)」である。

・「牧乾(ひらきほし)」本文で割注した通り、誤植で、正しくは「枚乾(ヒラキホシ)」である。

・「串貫(くしぬき)」原文では「串貫(クシヌキ)」。

・「魚條(すはやり)」原文では「魚條(スハヤリ)」。魚の身を細長く切って干した、保存食。漢字では「楚割」とも書き、同じく「すはやり」と訓ずる。現代仮名遣では「すわやり」である。

・「醃乾(しほほし)」原文では、訓読で「醃めて乾す有り」である。読み方は「(䀋(しほにて))しめてほすあり」であろうか。

・「切暴(きりほし)」原文では、訓読で「切て暴す有り」である。読み方は「きりてさらすあり」。

「淸國に於ても、古しへより、種々(しゆじゆ)の乾製法あり。卽ち、䀋を着(つけ)て乾(ほす)ものを『鯫魚(すうぎよ)』といひ、䀋を着(つけ)す[やぶちゃん注:ママ。「ず」の誤記。]して乾(ほす)ものを『膽魚』、又、『鮝魚(しやうぎよ)』といふ。肉を切(きつ)て乾(ほす)を『脯脩(ほしう)』とし、肉を割(わり)て乾(そす)を『脡脯(ていほ)』とす。亦、陶朱公「致富全書」には、『灸魚(あぶりうを)』、『風魚(かざぼし)』等を載せたり。」各個注する。

・「䀋を着(つけ)て乾(ほす)ものを『鯫魚(すうぎよ)』といひ、」「鯫」は、いい意味が、殆んど、ない。「廣漢和辭典」では、第一義に「みごい・にごい」とする。これはコイ目コイ科カマツカ亜科ニゴイ属を指す。ニゴイ Hemibarbus barbus は日本固有種であるから、属レベルとした。「みごい」は、その異名である。当該ウィキ(本邦固有種の記載なので注意されたい)に拠れば、『小骨が多いが、白身の上品な肉質で食味は良好な魚であ』るとしつつも、『味は良いが』、『骨が多く食べにくい雑魚』(ざこ)『として扱われ』るとある。更に『近縁種コウライニゴイ H. labeo 』『は朝鮮半島から中国、台湾まで分布する』とある。さて、戻すと、以下、辞書は「ざこ」・「小さい」等である。印象からは、中国では、塩漬けにして保存食とすることが多かった、ということなのかと思ったが、「百度百科」の同属の「䱻属」を見たところ、『肉質は美味しく』、『高品質な経済魚である』とあるので、私の判断は誤りのようだ。

「䀋を着(つけ)す[やぶちゃん注:ママ。「ず」の誤記。]して乾(ほす)ものを『膽魚』、又、『鮝魚(しやうぎよ)』といふ」「膽」は「きも・胆嚢」の意であるから、それを味わうために塩漬けにしないのであろう。「鮝」には「ひもの・ほしうお・干した魚」の意があるから、干物のまま塩味を添えず味わう、ということであろう。

「肉を切(きつ)て乾(ほす)を『脯脩(ほしう)』とし、肉を割(わり)て乾(そす)を『脡脯(ていほ)』とす」「脯」は「ほじし」の訓で知られる、動物・植物の乾燥品に用いる漢字である。「脩」も、ここでは、同義。中国では好まれる処理法である。十全に乾燥させた保存食として、長く保存が可能である。「脡」は「まっすぐに伸ばした干し肉」を指す語であるから、単に乾すだけでなく、魚肉を圧を加えて、薄く平らにして、乾燥させたもので、保存に使い勝手が良く、持ちもよい。しかも、味も濃厚になるであろうとは思われる。魚ジャーキーである。

『陶朱公「致富全書」』別タイトルは「汝南圃史」「圃史」「周光祿圃史」で、明の宮廷娯楽を司る光祿寺吏の書記官であった周文華(生没年などの事績不詳)が万暦四八(一六二〇)年にものした全十二巻からなる庭園文化史・園芸書である。画像がネット上に複数あるものの、部分であったり、画像の質が判読出来るレベルでなかったりで、諦めた。しかし、こうした植物記載の中に『灸魚(あぶりうを)』・『風魚(かざぼし)』等が記載されているというのは、解せないのだが⋯⋯。識者の御教授を乞うものである。]

2026/07/25

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その24) 図版7~(八)乾貝並貝柱の說~了

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。

 なお、一部に、明らかな、印刷時に生じた縦・横方向の白いスレがあるので、黒で、不自然にならぬよう、潰しておいた。

 これを以って、「(八)乾貝並貝柱の說」を終了する。また、ここで「中卷」は終わっている。

 

【図版7】

 

7_20260725065901

 

■「たいらきかい」「三分の一。」

 

■「ほしたいらきはしら」

         「自然形。」

     「一」

     「二」

     「三」

     「四」

 

[やぶちゃん注:既に解説ページの「(その17) 玉珧介柱」で示した通り、学名に変更が求められているので、再度、私の注を部分的に引用する。これは、

斧足綱翼形亜綱イガイ(貽貝)目ハボウキガイ(羽箒貝)科クロタイラギ属タイラギ

であるが、同種については、長く

タイラギ Atrina pectinata Linnaeus, 1758

を原種とし、本邦に棲息する

殻表面に細かい鱗片状突起のある有鱗型

と、

鱗片状突起がなく殻表面の平滑な無鱗型

を、

生息環境の違いによる単なる形態の個体変異

としたり、二種ともに、

Atrina pectinata の亜種

として扱ったりしてきたのであるが、一九九六年、アイソザイム分析(isozyme:イソチーム・アイソエンザイム isoenzyme・イソ酵素とも呼ぶ。同位酵素のこと。従来は均一の成分と考えられていた酵素は、蛋白分画技術の進歩によって,いくつかの成分に分離されることが判ってきた。そこで、酵素としての働きは同じであっても、電気泳動法などの分離方法によって分類すると、分子構造や物理的・化学的性質などの異なる一群の酵素を「アイソザイム」と名付けたものである。以上は「ブリタニカ国際大百科事典」の解説を元にした)の結果、

◎有鱗型と無鱗型は全くの別種である

ことが明らかとなった。現在、前者の有鱗型は一応、

 Atrina lischkeana Clessin,1891

に同定されているが、確定的ではない。

 さらに加えて、これら二種間の★雑種が、

自然界には一〇%以上は存在する

ことも明らかとなっている状態である。種同定に十数年以上も専門家の間で決着が着いていない。この最初の図だけでは、判断が出来ないが、

★殻表の描き方から見るに、つるりとした照(て)カリが、全く、見えないことから、有鱗型である可能性が極めて高い

と私は判断するものである。

 

■「いたやかい」

     「二分≪の≫一。」

 

■「いたやかいはしら」

     「自然形。」

          「一」

          「二」

          「三」

          「四」

 

■「いたやかい」

     「二分ノ一。」

 

■「いたやかいはしら」

          「一」

         「自然形。」

          「二」

          「三」

          「四」

          「五」

 

[やぶちゃん注:これら十二図は、

翼形亜綱イタヤガイ(板屋貝)目イタヤガイ上科イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans

である。解説ページは「(その14) 板屋貝柱である。]

 

■「ばかかい」

     「三分≪の≫二。」

 

■「ばかがひはしら」

        「一」

        「二」

 

[やぶちゃん注:これは、専ら、「アオヤギ(青柳)」の呼称で知られる、

異歯亜綱バカガイ科バカガイ属バカガイ Mactra chinensis

である。但し、本説では、当該ページが存在しないのである。その代りに、「(その9) 乾潮吹」(=斧足綱異歯亜綱バカガイ科バカガイ属シオフキ Mactra veneriformis )があり、そこで、バカガイについての問題に関わる私の注を附してあるので、そちらを見られたい。

 

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その23) 図版6

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。解説ページは「(その10) 蛭貝」である。

 なお、一部に、明らかな、印刷時に生じた縦・横方向の白いスレがあるので、黒で、不自然にならぬよう、潰しておいた。]

 

【図版6】

 

6_20260725061501

 

■「とりかひ」

    「二分≪の≫一。」

 

[やぶちゃん注:これは、

斧足綱マルスダレガイ目ザルガイ科トリガイFulvia mutica

である。解説ページは「(その13) 鳥貝」である。]

 

■「ほしとりか≪ひ≫」

    「自然形。」

     「表靣」

     「裏靣」

 

■「いかひ」 「三分≪の≫一。」

 

■「ほしいかひ」

    「自然形。」

       「大ノ一」

          「側靣」

 

       「第ノ二」

         「小形。」

 

       「大ノ二」

         「小形。」

 

■「ほしいかひ」

     「自然形。」

   「中形ノ一自然形。」

 

   「中形ノ二」 「自然形。」

 

[やぶちゃん注:これは、

イガイ(貽貝)目イガイ科イガイ属イガイ Mytilus coruscus

及び、

イガイ属エゾイガイ(蝦夷貽貝)Mytilus (Crenomytilus) grayanus

の孰れか、である。解説ページは「(その10) 蛭貝[注意!!! この標題及び本文冒頭の「蛭貝」は「姥貝」の大誤記である!!!]」である。そこで、同名異名を持つ別種を掲げてあるが、図の貝殻の形状と、産地を示していないことから、上記二種に絞ることが出来る。

2026/07/24

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その22) 図版5

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページ。解説ページは「(その10) 蛭貝」である。

 なお、一部に、明らかな、印刷時に生じた縦方向の白いスレがあるので、黒で、不自然にならぬよう、潰しておいた。]

 

【図版5】

 

5_20260724173001

 

■「ほつきかひ」

  「一名、うハがひ。」

   「二分ノ一。」

 

[やぶちゃん注:「うハがひ」ママ。「うばがひ」が正しい。次の「うはかひ」も同じ。]

 

■「ほしうはかひ」

  「自然形。」

 

    「表靣」

 

    「裏靣」

 

[やぶちゃん注:以上は、

異歯亜綱バカガイ科ウバガイ(姥貝)属ウバガイ Pseudocardium sachalinense

である。解説ページは「(その10) 蛭貝[注意!!! この標題及び本文冒頭の「蛭貝」は「姥貝」の大誤記である!!!]」である。

 

■「をほのかひ」[やぶちゃん注:「を」はママ。]

      「二分≪の≫一。」

 

■「ほしおほのかひ」

 

[やぶちゃん注:これは、

異歯亜綱オオノガイ(大野貝)目オオノガイ上科オオノガイ科オオノガイ属オオノガイ亜属オオノガイ Mya (Arenomya)  oonogai

である。解説ページは(その11) 尾斧貝である。

「二分≪の≫一」であるが、実際には、ご覧の通り、「二」と「一」の右半分がスレで消えている。推定で補った。

 「乾姥貝」は、水管に櫛を貫いた四個体である。

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