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カテゴリー「「淸國輸出日本水產圖說」」の47件の記事

2025/12/07

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その6)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

『明鮑』【鼈甲《べつかう》】・『灰鮑』【白乾《しらほし/しらぼし》】とも、品位、數等ありて、三番【上】・二番【中】・壹番【小形下】)の三段あり。三番中(ばんちう)に大・中・小、貳番中に大・小の別、あり。『明鮑』は一《いつ》に『鼈甲』と唱(とな)ひ、『本鼈甲』・『馬爪(ばず)』等《とう》の差(たがひ)あり。

[やぶちゃん注:「馬爪(ばず)」ネット検索・国立国会図書館デジタルコレクション検索でも掛かってこない。但し、馬の蹄(ひづめ)の裏(地面に接する側)の形は、乾鮑の形状に、よく一致する。その様態が、今一つ綺麗でないものを、かく、呼んだものであろうという推理は容易に出来る。]

 

『明鮑』は、製法も、地方によりて、其法、大同小異ありと雖ども、其中(そのうち)に於て、最も良好の方法を擧ぐれば、鮑肉(あわびにく)を、殼より放《はな》ち、鮑百個に、食䀋、凡そ五、七合許(ばかり)の割を以て、殼へ付(つい)たる方に、𭢀(なすり)つけ、一晝夜を過きて[やぶちゃん注:ママ。]、竹笊(たけざる)にいれて、海水に浸(ひた)し、足を以て、踏(ふみ)、よく汚物(をぶつ)をさり、而して、沸湯(にへゆ)に投じ、煑熟(しやじやく)し、後《のち》、淡水(まみづ)にて洗ひ、竹簀(たけす)に並らべ、水分を飛散(ひさん)せしめ、大陽(たいよう)[やぶちゃん注:漢字・ルビともにママ。以下、同じ。]にて晒すこと、二、三日にして、石爐(せきろ)の炭火(すみび)に藁灰(わらばい[やぶちゃん注:ママ。])を覆(おほ)ひ、培乾器(ほいろ)を、其上に置き、上下(うへした)、轉換(とりかへ)すること、數回(すたび)の後(のち)、大陽に晒し、再び、火力を與へ、全く、乾くを、まちて、箱に收(をさむ)へし[やぶちゃん注:ママ。]。本邦人(ほんほふじん[やぶちゃん注:ママ。])の『削(けづ)り鮑(あはび)』となして食するものには、生乾(なまぼし)を、よろしとすれども、淸國に輸出するには、充分に乾燥すべし。しからざれば、需用地に達せざるうちに、腐敗を、きざし、價(あたひ)を低落(おと[やぶちゃん注:二字へのルビ。])せしめ、國產の名聲を失ふに至れり。是、廣東(カントン)地方等(とふ[やぶちゃん注:ママ。])に於て、美麗良好なる『明鮑』を欲(ほつ)せずして、粗造なる『灰鮑』の方を、高價(たかね)にて、好み、買取(かひと)る所以(ゆゑん)なり。

[やぶちゃん注:「培乾器(ほいろ)」「コトバンク」の講談社「食器・調理器具がわかる辞典」の『ほいろ【焙炉】』に、『①茶葉・薬草・海苔(のり)などを下から弱く加熱して乾燥させる道具。元来は木枠や籠(かご)の底に厚手の和紙を張ったもので、炭の遠火で用いた。伝統的な製法では、茶は蒸した茶葉をこの上で手で揉みながら乾燥させる。こんにちでは電気やガスを用いた熱源の上に同様のものを備えた、手揉み工程の作業台もいう。』とあった。アワビの「ほいろ」は画像で見出せなかったが、古風の茶のそれが、練馬区立石神井公園の「ふるさと文化館」の「所属アーカイブ」の「焙炉」で見ることができ、また、里成子さんのブログ「MORE THAN WORDS」の「焙炉(ほいろ)」があり、近代型のものを見ることが出来る。そこには、『出雲特産の板若芽や海苔を炙るもので、ほんのりと温められた若芽をご飯に揉んでかけると、優しい塩気が食欲をそそります』。『昔は火鉢に置いたものですが、今は白熱灯で、炙り過ぎない工夫がされています』。『改築時の障子の桟で作られた女将のアイディアだそうです』。『出雲弁で「おい、そろそろ晩ご飯だけん、ほいろにめのは入れちょけや。」』『(訳 「おい、そろそろ晩ご飯だから、わかめや海苔などの乾燥機にわかめを入れておけよ。」)』という解説があった。]

 

灰鮑にも數法ありと雖ども、其最も要(かなめ)とするは、乾燥(ほしかた[やぶちゃん注:「乾し方」の当て訓であろう。])にあり。北海道粗造品の、他國產より、高價(たかね)を占(しむ)るものは、乾しかたのよろしきによるのみ。他國產も、北海道の如く、乾燥(かんそう[やぶちゃん注:ママ。])せば、極めて良價を得べく、北海道產をして、他國良製品の如くならしめば、一層の良價を得るや、必(ひつ)せり。故に、茲(こヽ)に、灰鮑の尤(もつとも)適切なる方法を擧ぐれば、鮮肉(なまあはび)百顆(くわ)に鹽三合許(ばかり)を以て、漬け、暑中は、二日間、寒中は、四日間を經て、淡水(まみづ)にて洗ひ、沸湯(にへゆ[やぶちゃん注:ママ。])に投じて、煑沸(にわか)し、復た、淡水にて洗ひし竹簀に並べ、水分を飛散せしめ、太陽にて、乾かすこと、五日乃至(ないし)十日間にして、箱に收め、蓋(ふた)を覆ひ置き、自(おのづか)ら、表面に白粉(しろこ)を發せしむなり。

[やぶちゃん注:「表面に白粉(しろこ)を發せしむなり」複数の干し鮑業者の記載を確認したところ、「旨味が滲み出たもの」、及び、「塩分」と記し、黴(かび)ではない由の記述があって、「最良の状態である」と記してあった。]

 

兩製共に、日光を借り、乾製するの習慣(ならはし)なりと雖ども、若(も)し、霖雨(ながあめ)に遭ふときは、糸に繫(つな)ぎ、急に焚火(たきび)の上に掛け、薰(いぶ)し、燥(かわか)すが故(ゆゑ)に、其色、變じて、暗黑色(まつくろいろ)となる、あり。三陸・北海道に於ては、日光に乾かすに、鮑の中心を、蔓(かづら)、或(あるひ)は、蒲葉(がま)を以て、貫(つらぬ)くの弊(へい)あり。此等の製法の如きものは、價格の下(くだ)る、實(じつ)に夥(おびたヾ)し。現に、明治十五年中、橫濱其他、各港の貿易上に就(つい)て見るに、百斤[やぶちゃん注:60㎏。]の價(あたひ)、僅(わづか)に貳拾三圓にして、千葉縣製『明鮑』、及び、北海道・三陸等の『白乾上製(しらぼしじやうせい)』の如きは、百斤五拾圓、乃至、五拾五圓に昇り、其差(そのたがひ)、最も甚(はなはだ)し。然(しか)れども、北海道の如きは、竹簀(たけす)に竝べ乾すときは、烏(からす)の啄(はむ)ところ、夥しく、爲(た)めに、之れが、番衞(ばんにん)等に費(つひや)すこと、多く、寧(むしろ)、賣價(ばいか)は、幾分の廉(やすね)なるも、斯(かヽ)る煩-冗(わづらはしき)を免(まぬか)るゝに、若(し)かず、とて、舊慣(きうくわん)の蔓吊乾(かづらつりぼし)を、改めざるあり。亦、靑森縣下にて、貫穿(ぬきとうし[やぶちゃん注:ママ。])の舊法を改めざるが如き、共に遺憾の至りなり。千葉縣の如きは、近時、焙爐(ほいろ)に掛け、炭火(すみび)を以て、之を乾製するの方法に改め、上製をなすもあり。

[やぶちゃん注:「蔓(かづら)」平凡社「世界大百科事典」の「カズラ(蔓//葛)」に拠れば、多数の全く異なった植物である『つる草の総称。ヒカゲノカズラ』(ヒカゲノカズラ(日陰の鬘・日陰の蔓)植物門ヒカゲノカズラ綱ヒカゲノカズラ目ヒカゲノカズラ科ヒカゲノカズラ属ヒカゲノカズラ Lycopodium clavatum )・『テイカカズラ』(双子葉植物綱リンドウ目キョウチクトウ科キョウチクトウ亜科 Apocyneae 連テイカカズラ(定家葛)属テイカカズラ Trachelospermum asiaticum )・『スイカズラ』(マツムシソウ目スイカズラ(吸い葛)科スイカズラ属スイカズラ Lonicera japonica )・『サネカズラ』(被子植物門アウストロバイレヤ目Austrobaileyalesマツブサ(松房)科サネカズラ(実葛)属サネカズラ Kadsura japonica:以下では、知られる種は、一部を除き、学名追記をしない)『などは』、『その例である。上代つる草を髪に結んだり,巻きつけたりして頭の飾りとし,これを鬘(かずら)といった。そのためつる草を〈かずら〉と称するようになったという。鬘は〈髪つら〉の略,〈髪つら〉の〈つら〉は〈つる〉の古名で,長く連なるので〈つら〉といったものらしい。ただし,のちにはつる草に限らず,ヤナギ,タチバナ,サクラ,ウメ,ユリ,ショウブ,ムラサキグサ』(これは、蔓性植物の代表の一つである正式和名フジ(藤)の異名であろう。事典としては、甚だ、よろしくない記載である)『,イネ,藻などの植物も鬘に用いられた。このように,草木のつるや』、『茎や花などを取って髪飾りとすることを〈鬘く〉』(「かずらく」、歴史的仮名遣「かづらく」)『といい,もともと,植物の盛んな生命力を人間の体に取り入れようと願ったことから始まった』。『地方により特定の植物,例えばテイカカズラ(岡山),クズ』(マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属亜種クズ Pueraria lobata subsp. lobata )『(香川)などを単に〈かずら〉と呼んでいる。また蔓水,蔓壺というと,それぞれサネカズラ(美男蔓)』『の粘液と』、『そのつるを浸すに用いる壺のことである。』(サネカズラの粘液は奈良時代に整髪料として使われていた)とあった。

「蒲葉(がま)」単子葉植物綱イネ目ガマ科ガマ属ガマ Typha latifolia の葉や茎は、莚(むしろ)や簾(すだれ)の材料として使われてきた。

「貫穿(ぬきとうし)の舊法」不詳。前後から、アワビのど真ん中を穿孔し、そこに太い蔓や繩を通して、軒端に乾し吊るすといったような、損壊リスクが高まる乾し方を言っているようではある。]

2025/11/29

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その5)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

鮑を區別すれば、『めかひ』・『またかひ』の二種は、乾(かはか)して、其色(そのいろ)、褐黃(ちやいろ)にして、微(すこ)しく透明なるが故に、『明鮑(めいほう)』となすによろしく、其中(そのうち)、『またかひ』は、形(かたち)の大(だい)なるものは『明鮑』によろしく、小(しやう)なるものは『灰鮑』によろし。『くろかひ』は、乾(かはか)して、外面(そとづら)、淡黑色(うすくろいろ)なれば、『明鮑』・『灰鮑』ともに、形色(かたちいろ)、よろしからず。故に、別に『くろ』と稱し、廉價(やすね)を以て、賣買(うりかい[やぶちゃん注:ママ。])せり。然(しか)れども、鮮食(せんしやく[やぶちゃん注:ママ]/なまくひ)には『またかひ』に次ぎ、『めかひ』に優(まさ)れり。『とこぶし』・『みゝかひ』の二種は、鮮食(せんしよく)となすも、味(あぢはひ)、佳(よか)らざるのみか、『明』『灰』二鮑(はう)となすも、前品(ぜんひん)に劣れりと雖(いへ)とも[やぶちゃん注:ママ。]、是(これ)を、薄片(うすへぎ)の連接製(うすへぎこしらへ)となす時は、遙かに『明』『灰』二鮑の上位に居(を)るものにして、淸國漢口(ハンカウ)等(とう)の市場(しじやう)に於て、佳(もつとも)高價(かうか)を占(しめ)たり。

[やぶちゃん注:以下、アワビの種で、既に注してあるが、改めて解説する。初めに、古いが、貝類学・貝類収集家にとってはバイブルである「吉良図鑑」=吉良哲明著「原色日本貝類図鑑」(保育社・初版昭和二九(一九五四)年・私の所持するものは書いて居二十刷で昭和四九(一九七四)年版である)を引かない訳には行かない。現行和名とは違い、濁音がない、学名が後に全面的に変更された点などがあるのは、注意されたい。図版のスケール指示はカットした。

「めかひ」腹足綱直腹足亜綱古腹足上目原始腹足目ミミガイ科アワビ属メガイアワビ(雌貝鮑) Haliotis gigantea 。「吉良図鑑」には、以下のように載る。記載の関係上、クロアワビも一緒に引いた。学名部分は、ブラウザの不具合を考えて引き上げた。

   《引用開始》

1. メカイアワビ(俗名メカイ

         Notohaliotis discus REEVE

殼は大きく丸味を帯びた耳形で,螺状肋は太く明瞭である。殼高極めて低平で3種中最も扁平である。表面は赤褐色で,外唇縁は著しく張出し,殼頂は前端に近く上下端のほぽ申央に位置する。貫通孔数は45で,棲息水深は以下の2種の中間で本州以南九州に至る10fms.内外に棲息する。

2. クロアワビ(俗称クロ, オンガイ

         Notohaliotis sieboldi REEVE

 殼は前種より前後に細長く且つよく膨れる。殼表の肋脈は甚だ不明瞭で平坦である。緑色調の黒色で,貫通する孔数は45, 棲息深度は3種中最も浅い。本州以南九州に亘り10fms.以内の岩礁に棲む。本型の亜種に, 殼表の皺が強くて内面の真珠光沢青色調のH. d.  hannai INO エゾアワピがある。

   《引用終了》

ウィキの「アワビ」の記載には、『別名:メンガイ(雌貝)オンガイ』(クロアワビの別名。後の引用を参照)『の「オン」は雄という意味でも使われることから対比する意味で使われる。メガイアワビは産地が限られ』、『生産量も少ないため、実際にクロアワビの雌と思われていた』。またの『別名』として『ビワガイ』があり、これは『足が黄土色(ビワ色)をしていることから来ている』。『3段階ある絶滅危惧種のランクのうち、2番目に深刻な「絶滅危機(EN)」に指定されている』とある。最後にグーグル画像検索の学名のものをリンクしておく。メカイアワビはここで、クロアワビはこちらだが、後者は、あまりお勧めしない。

「またかひ」アワビ属マダカアワビ(眼高鮑) Haliotis madaka 「吉良図鑑」には、以下のように載る。なお、後にポイント落ちで、アワビ三種の包括追記があるので、それも同ポイントで示す。

   《引用開始》

3. マダカアワピ(俗称マダカ)

         Notohaliotis gigantea GMELIN

 殼は3種中最も大成して厚く,背腹緑共に張出して円く長径205mm,短径175mm 高さ75mmに及ぶ。殼表の肋脈も明らかで,背面で孔管高く突出し,内唇縁高く孔列の直下に1溝を刻む。棲息深度は最も深く,肉量多く甚だ美味である。本州~九州 1020fms.

 

 以上大形のアワピ3種はこれまで種的区別が朋らかでなかったが,漁夫はこれをマダカ・クロ(オンガイ)・メカイ3種に区別し,市価もそれぞれによって甲乙がつけられていた。それがだんだん研究され,まず解剖学的に立証され(猪野峻:日本水産学会報531953),その後発生学的にも研究されて今日に至っている。大型アワピはトコブシよりも美味で食用に供せられ,また乾製して重要な輸出水産物となっている。

 昔から日本の贈答品には必ずノシをそえる習慣がある。この昔のノシはアワビの肉を延ぱして乾したものを用いたが, 今は紙製品または包み紙に形を印刷したものとなっているが,それでもこの習慣は残っている。しかし伊勢神宮では今もなおアワビでノシを製して神饌として供えられ,また結婚式用品として用いられることもある。貝殼は貝ボタンとなりまた切貝,摺り貝として婦人の装身具や,机・硯箱・花瓶等の装飾品にはめこむのに用いられ(これを螺鈿という),貝の粉はうるしにまぜて共にぬりこみ美しい漆器をつくる。

   《引用終了》

「吉良図鑑」の素晴らしさは、最後の解説のように、民俗学的解説があることである。不滅の綺羅たる「吉良図鑑」の所以である。「日本大百科全書」の奥谷喬司先生の「マダカアワビ」の解説には、学名を『 Haliotis (Nordotismadaka 』とされ、『軟体動物門腹足綱ミミガイ科の巻き貝。北海道南部から九州に分布し、潮間帯下から水深30メートルの岩礁にすむ。殻長20センチメートル、殻径17.5センチメートル、殻高7.5センチメートルに達し、卵円形で殻頂は後方に寄り、水孔は大きく高い。肉は美味である。』とある。ウィキの「アワビ」には、『別名:メタカアワビ(メダカアワビ)マダカ、メタカは貝殻の「目が高い」という意味。目は潮吹き穴の事』とし、『別名:アオガイ 足が緑色をしていることから来ている』とあり、『3段階ある絶滅危惧種のランクのうち、2番目に深刻な「絶滅危機(EN)」に指定されている。』とある。グーグル画像検索の学名のものは、ここ

「とこぶし」アワビ属トコブシ(床伏・常節・常伏) Haliotis diversicolor aquatilis 。同前で引用する。冒頭の「ミミガイ科」の槪説を最初に示す。

   《引用開始》

  みみがい科(あわびがい類)(1) Family Haliotidae

 耳貝科はアワビ類で,螺塔甚だ低平で螺層は大きい。これは螺管が急に増大するので耳形の殼が形成される。古来この貝は2枚貝の片側のように思われ“磯の鮑の片思い”などと歌われたが,よく注意して見ると殼の前端に巻貝形の小さな螺塔がある。岩礁に着く方は殼口で殆ど全殼の大部分を占めている。殼口の厚いヘリの方が内唇で,うすい方が外唇である。その内唇に近く沿うて孔列がある。孔は貝の成長と共に新しく造られていくが,古い孔は次第に埋められていくから孔数は常に一定している。内面は美しい真珠層があつて[やぶちゃん注:ママ。]種々の装飾に用いられ,肉は甚だ美昧で食用として賞味せられる。

   《引用終了》

以下、トコブシの項。手書きの図が載るが、国立国会図書館デジタルコレクションのここで見られる(一九六四年刊の増補改訂版。カラー図版も見ることが出来る)。但し、本登録をしないと、見れない。

   《引用開始》

3.トコブシ(ナガレコ) Sulculus supertextta(LISCHKE)

 本種は小形のアワビとして広く食用に供せられ,或は大形アワビの幼殼と誤られているが孔数の多いこと,孔の背面が管状とならないこと,決して大成しないこと等によつて[やぶちゃん注:ママ。]明らかに区別せられる。貫通孔数は6~-9に達し北海道南部以南全国の浅海の岩礁に棲息する。動物[やぶちゃん注:生体のこと。]運動が甚だ活発で流れ子の別名がある。このトコブシを全国的に蒐集して見ると3つの型がみられる。その1つは九州からそれ以南の島々に産するナガラメと俗称されるもので,殼が厚く大きく殼頂がひどく端にかたより,表面には太く深い脈が一面にきざまれ,その脈にはこまかい鱗片が密生している(a)。第2は小笠原・八丈・伊豆の各島々から本州の一部に達しているフクトコブシといわれている貝で、ナガラメ[やぶちゃん注:三種の別名であるが、恐らく、直腹足亜綱古腹足上目ニシキウズガイ上科ニシキウズ/ニシキウズガイ科キサゴ  Umbonium costatum を指していると思われる。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをリンクしておく。]のような彫刻のない平滑な表面で,殼の申央部がよくふくれて肉量の多い型である(b)。第3は関東・近畿・中国等にみられる殼の少し小さい扁平で外形の円い彫刻も不定な貝で(c),古書にトコブシと和称した貝はこの型だと思われる。この3つの型が単なる変異にすぎないものか,別種であるのかは残された問題で,今後の研究にまたなければならない。

 尚,沖繩に産するコピトアワビ[やぶちゃん注:ミミガイ科コビトアワビ Haliotis jacnensis のこと。]は長径22mm,短径16mm内外の小さなもので,我が国産としては最小のアワビとされている。

   《引用終了》

「日本大百科全書」の奥谷先生の記載は、学名を『 Sulculus diversicolor aquatilis 』とされ、『軟体動物門腹足綱ミミガイ科の巻き貝。北海道南部から九州に分布し、潮間帯付近の岩礁にすみ、干潮時は石の下などに潜み、はう速度が速い。殻長70ミリメートル、殻幅50ミリメートル、殻高15~20ミリメートルに達し、殻は卵形で形態はアワビ類に似ているがやや長めで扁平(へんぺい)。背側縁に沿って水管孔が6~8あり、アワビ類の4~5より多く、孔の縁も低くて管状をなさないことなどでもアワビ類と区別できる。殻表は殻頂から弱い放射肋(ろく)が出て、粗い成長脈と交わっている。色は通常黒みを帯び、全体に緑褐色斑(はん)がある。殻の内面は真珠光沢をもつ。産卵期は9~10月。肉は灰褐色を帯びて柔らかく美味。アナゴ、ナガレコ、ナガラミなどの地方名がある。九州以南に産し、螺塔(らとう)がやや高くて螺肋が明らかな型をフクトコブシS. d. diversicolorというが、両亜種の境界はかならずしも明らかでない。』とある。ウィキの「アワビ」には、『別名:ゴケンジョ』とし、『「後家の女」の意で、平たい貝殻が二枚貝の殻に似ているにもかかわらず、1枚しかないありさまを夫を失った未亡人(後家)に例えたもの。』とある。グーグル画像検索の学名は、ここ

「みゝかひ」アワビ属ミミガイ(耳貝) Haliotis asinina

   《引用開始》

1ミミガイ  Haliotis (s.s.)  asinina  LINNÉ

 殼は細長く大なるものは120mm.内外に達するが殼幅は約½に過ぎない。殼頂は前端に偏し,表面は平滑で光沢があり,褐色の地に緑色の雲彩がある。貫通孔数は57で屋久島以南の浅海の岩礁に棲息する。

   《引用終了》

吉良先生の学名の『(s.s.)』は、亜種で、"subspecies" 、現行では subsp. ssp. で略記される。「日本大百科全書」の奥谷先生の記載は、『軟体動物門腹足綱ミミガイ科の巻き貝。四国以南、太平洋およびインド洋の干潮線下の岩礁やサンゴ礁にすむ。殻長12センチメートル、殻幅5.5センチメートルに達し、耳形。殻頂は後端にあり、螺塔(らとう)は小さく、体層が殻の大部分を占め、膨らみは弱い。殻表は光沢があり、褐色の地に黒、緑、黄色などを基調とした放射状斑紋(はんもん)があって、水孔はほとんど管状にならず57個開いている。内面は真珠層がよく発達し、虹(にじ)のような光沢がある。軟体は大きくて殻内に収まらない。岩礁をはうだけでなく、滑るように移動する。肉は食用にされる。』とあった。]

2025/11/26

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その4)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。]

 

其(その)、今日(こんにち)に最も要用なる『明鮑(めいはう)』、『灰鮑(はいはう)』、及ひ[やぶちゃん注:ママ。]、『薄片製(うすへぎせい)』の三法(ほふ)も、一《ひとつ》は品種により、一は製法の精粗(ていねいそざつ)によりて、其品位を異(こと)にせり。左(さ)に、其區別を說き明(あか)すべし。

[やぶちゃん注:「明鮑(めいはう)」アワビの肉を煮てから干した食品で、中国料理の材料として古くから知られる。国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の「干しアワビの作り方を知りたい。」の「回答」には(太字・下線は私が附した)、『②『日本食品大事典 新版』によると、「現在、干しあわびの製法は中国料理などに使われる明鮑(めいほう)と灰鮑(かいほう)が主となっている。」とあり、明鮑は「塩漬した大型のあわびを蒸し煮して、焙乾した後乾燥したもので、あめ色をしたものが良品とされる。」灰鮑は「すべて小形のあわびを用塩量をやや多くし、煮熟、焙乾を簡略化してからカビ付けを行い、表面がカビにより灰白色を呈したものである。」と説明がある。』とし、『③『日本の伝統食品事典』の中で、「干しアワビはアワビの肉を煮熟後、乾燥したものでほしこ、むしこ、むしあわび、むしかなどとも呼ばれ、明鮑と灰鮑の2種がある。」』とした後に、明鮑『は西日本地方で』、灰鮑は『東北・北海道地方で作られる。」』とある。なお、後の二つに注も参照のこと。

「灰鮑(はいはう)」概説は前注でよいが、今一つ、サイト「第三春美鮨」(そこには、『このサイトは主に長山一夫の著書、仕入覚書を掲載するものです。』という記載がある)の「『増補』 の その後」の「外房の特大マダカアワビを訪ねて(その2) 干鮑の異常な世界」に、

   《引用開始》

明鮑(めいほう)と灰鮑(はいほう)、網鮑(もうほう)

 日本でつくり中国に輸出される干鮑には、製法の違いから明鮑と灰鮑の2種類がある。

明鮑と灰鮑

 明鮑は九州五島列島の加工業者達の加工技術によるもので、灰鮑は三陸の業者の加工技術による。「熊寛」の加工は両者の中間的なやり方となる。

   《引用終了》

とあり、次に「網鮑」を立項し、

   《引用開始》

網鮑

 網鮑は100mからの海底に網を広げ、乗ってきた鮑を漁獲し、そのアワビの加工品のことを言ったのだが、今では網漁は全く行われなくなっている。網漁の特長である瑕の無いものを総称して網鮑と言うようになっている。鮑に糸を通さずに乾燥するため、糸穴が生じていない。

「原料に大型のマダカアワビやメガイアワビを用いた明鮑は、仕上がりも大きく、亀の甲羅のように盛り上がり光沢があって、色は透き通るような鮮やかな橙黄色を呈し、ちょうどベッコウあめ色に干しあがる。黄金色といってもいい。まさに逸品だ。中国向けに高価で取引される。中国では大型のマダカアワビからつくられた明鮑を網鮑と呼ぶ。これを使った料理は、味も見映えもすばらしい料理に仕立てられる。中国で最高値で取引される明鮑は、1斤(600g3粒くらいの特別に大きいものであり、千葉県夷隅郡大原産明鮑は普通56粒程度で、ちょうど手ごろの大きさだった。三陸物のエゾアワビからつくられる明鮑は吉品(キッピン)と呼ばれ、1斤大体2025粒である。

   《引用終了》

とした後に、さらに「灰鮑」を立項されてありそこに、

   《引用開始》

灰鮑

 おもにクロアワビやエゾアワビからつくり、明鮑に比べて小ぶりとなる。ある程度干した後に、かび付けする。一番かびが発生した後に、表面に付いた青かびをはらって日干し、さらに二番かびを付ける。外面に白いかびが繁殖してくる。表面に白粉を帯び、やや暗褐色で、ここから灰鮑という名がついた。特有の香味を持つ。」

参照「あわび文化と日本人 大場俊雄著 ベルソーブックス

   《引用終了》

とあった。

「薄片製(うすへぎせい)」先の国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の「干しアワビの作り方を知りたい。」の回答の③に引用が続く④に(太字は私が附した)、『④『鮑』の中でも、明鮑と灰鮑(はいほう)の製造工程が詳しく書かれている。それ以外にも、薄片鮑「トコブシやミミガイを用いた乾鮑である。これを半乾の時に片々に切ったものを薄片鮑とよび中国では嗜好した。」金銭鮑(きんせんほう)「『日本水産製品誌』では、全く明鮑の製法に異ならず、小形のものを粒を揃えて別に製し、この名称で売ると高くなるとある。」縄貫乾鮑「小さなアワビを縄に貫いて乾したもの。」鮑熨斗干瓢(あわびのしかんぴょう)「普通の熨斗のごとく?き[やぶちゃん注:「?」はママ。誤字の指示か。]、洗って日干して貯えて置くもの」の紹介がある。』とあった。

 さても、ここで以上の注で出た各種の学名を、順に、示しておく。画像を「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」で後に附す。なお、そこで属名を「ミミガイ属」とするが、これは和名のシノニムである)

腹足綱直腹足亜綱古腹足上目原始腹足目ミミガイ科アワビ属マダカアワビ(眼高鮑) Haliotis madaka (「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」はここ。以下ではリンクのみで示す)

アワビ属メガイアワビ(雌貝鮑) Haliotis gigantea ここ

アワビ属クロアワビ(黒鮑) Haliotis discus discusここ

アワビ属クロアワビ亜種エゾアワビ(蝦夷鮑) Haliotis discus hannai ここ。クロアワビの北方亜種とする一方、同一種とする説もある)

アワビ属トコブシ(床伏・常節・常伏) Haliotis diversicolor aquatilis ここ

アワビ属ミミガイ(耳貝) Haliotis asinina ここ

最後の二種は、(その1)の最後で、別新説を示したが、決定的に和名変更が確実であるかどうかは未確認なので、従わないこととする。

2025/11/25

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その3)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]

 

前條は往古の製法にして、又、德川時代には、隱岐・佐渡の、串鮑(くしあはび)・丸鮑(まるあはび)を上品となしたり。其後(そのご)、䀋煮鮑(しをにあはび[やぶちゃん注:ママ。])を製し創(はじめ)しは、元祿の頃にして、其方法たる、鮑肉十箇に、食䀋(しよくえん)四合を抹(まぶ)し、空鐺(からなべ)にて熬(い)り、自然に、汁(しる)、湧出(わきい)てヾ[やぶちゃん注:ママ。「でヽ」の誤刻。]、盡(つき)るを挨(ま)ちて、取り出(いだ)し、藍(かご)にならべ陰乾(かげほし)とし、二十日《はつか》を經て、これを收む。肥後熊本藩より幕府の獻じたるもの、卽ち、是なり。熨斗鮑(のしあはび)も古(いに)しへは、神饌(しんせん)に供し、又、食品となしたるものなりしが、近世に至りて、單(ひとへ)に、慶賀(よろこび)の章符(しるし)に用(もちゆ)るのみとなりたれども、此等の符(しるし)の如きは、榮螺熨斗(さヾいのし)、海茸熨斗(うみたけのし)、海蘿熨斗(しやうじんのし)等(とう)の如き、廉價のものにて事足(ことた)るを以て、今、世に貴重せらるヽ食品の鮑を用ふるに及ばざるなり。

[やぶちゃん注:「串鮑」サイト「日本の食べ物用語辞典」の「串鮑」に拠れば、『串鮑(串あわび・串アワビ・くし鮑・くし鰒・くしあわび・』『)は、鮑(あわび)を串に刺して干したもの』とあり、単に『串貝』とも表記してある。『あわびを殻から外し、二枚にそぎ切りして串に刺し天日干』(てんぴぼ)『しに』したもので、『古くからある日本の伝統的な高級保存食の一つであり、縁起物として知られる』とし、天正一〇(一五八二)年五月十五日・十六日『に織田信長が、徳川家康らを安土城に招いて饗応した際の本膳料理の二の膳や』、天正一六(一五八八)年四月『に豊臣秀吉が聚楽第に後陽成天皇を迎えて饗応した際の二日目の七献に「串あわび」が出された、という記録が残る。』とあった。

「丸鮑」小学館「日本国語大辞典」に、『(「まる」は接頭語)切ったりしないで、そのまま乾した鮑。まろあわび。』とあり、例文を『「削物者、干鰹、円鮑、干蛸」(出典:庭訓往来(1394‐1428頃)』とある引用書の成立は室町時代である。

「元祿」一六八八年から一七〇四年まで。徳川綱吉の治世。

「熨斗鮑」辞書その他を管見したが、ウィキの「熨斗」その他の中の「熨斗鮑」の記載その他の幾つかが、一番、判り易く纏まっていると判断したので以下、引用する(注記号はカットした)。『アワビは古来より不老長生の妙薬とされてきた。熨斗鮑はアワビの肉を薄く削ぎ、引き伸ばして乾燥させたものである。古くは食用に供され、後世になり三方に載せて儀式の肴とした。さらに祝意を表すために用いられるようになり、進物に添えて贈った』。『以下、伊勢神宮における熨斗鮑」の項。「三重県鳥羽市国崎町の神宮御料鰒調製所では」、『伊勢神宮に献上するため』、『古来の製法に従って熨斗鮑の調製が行われている。貝殻を外した後、熨斗刀(のしがたな)と呼ばれる半月状の包丁を使って身をむき、さらにリンゴの皮をむくように長く削いで3 - 4メートルの紐状に加工する。これを琥珀色になるまで天日干しにし、生乾きになったところで室内に移して竹筒で押しながら伸ばしていく。干し終わった後、短冊状に切り揃えて藁紐(わらひも)で束ねる。熨斗鮑は伊勢神宮で神饌とされ、伊勢神宮の御師によって御守りとともに配られていたこともある』。『国崎町の「熨斗あわびつくり」は2004年(平成16年)に三重県無形民俗文化財に指定された』(前の(その2)で示した「海士潜女神社(あまかづきめじんじゃ)」(三重県鳥羽市国崎町のここ)公式サイト内の「熨斗鰒(のしあわび)」のページの画像も参考にされたい)。以下、「熨斗の形式」の前半部。『本来は熨斗鮑を紙に包んだ包熨斗(つつみのし)で、あくまでもアワビが本体で紙が風袋であった。熨斗の部分は熨斗鮑を切った切熨斗(きりのし)か、熨斗鮑を結んだ結び熨斗とした。しかし、包熨斗は次第に風袋のほうが主となり折熨斗(折りのし)に変化した』。なお、最後の「熨斗に関するしきたり」の項の中に、『熨斗はアワビを意味していることから、本来は魚介類など動物性食品を贈るときは熨斗は用いないものとされていた。生ぐさが重複することになってしまうためで』あるとあった。これは私は、迂闊にも知らなかった。

「榮螺熨斗(さヾいのし)」「さざい」の読みは、「さざえ」の音変化とするが、小学館「日本国語大辞典」の使用例には、『*言継卿記‐天文一五年三月二〇日「予又内々へ参、ささい数十被下之」』とあるので、戦国時代には既に一般に使用していたことが判る。しかし、現行では作られていないようなので、国立国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、「日本水產製品誌」(農商務省水產局編纂・復刻版・一九八三年岩崎美術社刊)の「食用品 乾製品」の「第七十三 乾榮螺(ホシサヽエ)」(ルビはママ)の、ここに以下のようにあった。

   *

 (三)榮螺熨斗 長く伸して乾したるものなり。

而して上古より榮螺に鹽藏及乾製のものありしことは賦役令、延喜式等に螺の朝貢あるを見て知る可し、上古は和漢共に鮑と榮螺とは兩立の佳肴たりしに六七十年以來世人知らず識らず之を賤む[やぶちゃん注:「いやしむ」。]に至り、價甚た[やぶちゃん注:ママ。]廉にして或は漁夫の飯米代に足らざるに至れり、然れどもよく乾製するときは其利少々ならざるなり。

   *

「海茸熨斗(うみたけのし)」これは、

斧足綱異靱帯亜綱オオノガイ目ニオガイ上科ニオガイ科ニオガイ亜科ニオガイ属ニオガイ(ウミタケ)亜属ウミタケ Barnea ( Umitakea )  dilatata

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの、「歴史・ことわざ・雑学など」に『熨斗 岡山県の児島湾では熨斗はウミタケで作っていた。『児島湾』(同前峰雄 岡山文庫)』とあった。まず、水管部を乾して熨斗にしていたものと判断される。国立国会図書館デジタルコレクションで検索したところ、「明治前期産業発達史資料:勧業博覧会資料」百二十二(一九七四年明治文献資料刊行会刊)のここの「熨斗」の項に、熨斗の製法を語る下りの最後に、熨斗の現代化による変化が語られ、

   *

故ニ他ノ必要ナラサル者ヨリ之ヲ製スルハ蓋經濟上ノ得策ト謂フ可シ卽チ岡山縣ノ海茸熨斗ノ如キハ能ク此趣旨ニ適合セリ元來海茸ハ地方ノ需用ニ供ス可キ者ニ非ス之ヲ熨斗ニ製スルハ亦利用ノ一端なり仍テ其解說ヲ擧ケテ參考トス

   *

この記載は明治二三(一八九〇)年のものである。過渡期の見解として、興味深いではないか!

「海蘿熨斗(しやうじんのし)」いろいろと調べてみたが、これは、私の推定結論として、

河原田氏の誤認

と思っている。

 まず、「海蘿」であるが、これは、私が、殊の外、好きで、常に味噌汁に欠かさず入れる、

紅色植物門紅藻綱スギノリ目フノリ科フノリ属 Gloiopeltis のフノリ類(フノリという和名種はいないので注意)である。私は、二〇一八年に公開した「大和本草卷之八 草之四 海蘿(フノリ)」で、

『本邦産種は、

ハナフノリ Gloiopeltis complanata

フクロフノリ Gloiopeltis furcata

マフノリ Gloiopeltis tenax

であるが、食用に供されるのは後者のフクロフノリ・マフノリの二種である。』

と述べたのだが、今回、ネット上を調べ直してみたところ、いつもお世話になっている鈴木雅大氏の「生きもの好きの語る自然誌」の「 Gloiopeltis frutex で、

   《引用開始》

分類に関するメモ:Yang & Kim (2018) が韓国済州島で記載した種類です。Hanyuda et al. (2020) は長崎県と鹿児島県で採集されたGloiopeltis frutexの塩基配列データを公開しました。配列データのみで標本や形態に関する情報はありませんが,日本新産と考えられます。九州地方でハナフノリ(Gcomplanataと同定されている種の一部あるいは全てがGfrutexである可能性が考えられます。

   《引用終了》

と述べられた上で、下方で、『押し葉標本(採集地:鹿児島県 薩摩川内市 西方;採集日:202531日)』の画像を添えられて、さらに、

   《引用開始》

鹿児島県川内市で確認したGloiopeltis furtexです。Gloiopeltis furtexは,ハナフノリ(Gcomplanataに酷似していますが,体の大きさや三叉分枝すること,皮層の細胞層数などに違いがあるとされています(Yang & Kim 2018)。恥ずかしながら著者は,ハナフノリよりも体が小さいということ以外に違いを見つけられず,遺伝子解析によって同定しました。遺伝子解析が最も確実と考えられますが,今のところ,Gfurtexとハナフノリが同所的に生育する例は知られていないので,生育地によって区別出来るのではないかと思います。これまでの記録により,九州地方西岸で報告されてきたハナフノリは,Gfurtexであると考えられます。

   《引用終了》

と記されていた。このことから、現行では和名がない「BISMaL」のここの『フノリ属』を見よ。同サイトで、この学名で検索しても、エラーとなる)、

 Gloiopeltis furtex

を追加する必要があると言える。実際、ウィキの「フノリ」には、和名なしで、

この、

 Gloiopeltis furtex が列挙されている

のである。但し、そのラテン語の学名のリンクを見ても、別記載ページは存在しない。

 話を戻す。

 そこで私は、国立国会図書館デジタルコレクションで、「海蘿熨斗」を分離して「海蘿」と「熨斗」のフレーズ検索をしてみた。すると、浅野建二校注の「人国記・新人国記」(岩波文庫・一九八七年刊)の「人国記 卷之上」の「伊 勢 国」のここが、引っ掛かってきたのである(右ページの最終行、「伊勢国」の記載の掉尾である)。

   《引用開始》

熨斗(のし)・海蘿(かいら)は天下に名高し。但し口伝。

   《引用終了》

この本は、「デジタル大辞泉」には、『地誌。著者・成立年未詳。2巻。室町末期の成立か。元禄14年(1701)改編本として刊行。日本各国の人情・気質を風土と関連づけて論じたもの。』とある。国立国会図書館デジタルコレクションでは、ここから、浅野氏の詳細な解説があるので見られたい。

 ともかくも、以上の引用で判る通り、作者も浅野氏も「熨斗」と「海蘿」を分離して、伊勢の国の名産として名が高いとし、但し、その名声は、あくまで、人々が語ってきたものに過ぎないと、やや辛口で添えてあるのであって、浅野氏の注でも、別々に――当たり前の「熨斗」と、当たり前の「海蘿」を言っているだけである。因みに、この場合の、「海蘿は天下に名高し」というのは、食用ではなかろう。ウィキの「フノリ」に(注記号はカットした。太字下線は私が附した)、『日本では古くから利用されており、『正倉院文書』(740年頃) には、万葉仮名で「布乃利 (フノリ)」が記されている。平城京出土の木簡でも「布乃利」または「赤乃利」の名で記されている。『延喜式』(927年完成) では貢納品に指定されている。『延喜式』では「鹿角菜」の漢字を用いているが、『延喜式』以外では』、『この字は』普通、『別の紅藻であるツノマタ類 (これも糊に利用された) を指し、フノリには「布乃利」、「布苔」などが使われている。また『和名類聚抄』(930) では中国名の「海蘿」を充てている』。『『和名類聚抄』の記述では食用としてはあまり好まれておらず (「味渋鹹ニシテ大冷」)、朝廷から寺院への食用としての支給も非常に少ない。一方で貢納国は多く (尾張、伊勢、紀伊、播磨、阿波)貢納価値も比較的高かったことから、食用以外の用途 (建築、工芸など) で広く利用されていたと考えられている。フノリは晒して煮溶かしたものを糊とする。これに石灰とすさ (刻んだわらや布) を加えて漆喰としていた。中国では古くからフノリを漆喰に使用しており、中国北部の渤海はフノリの産地として知られていた。フノリを用いた漆喰は飛鳥時代の頃に日本に渡来したと考えられており、高松塚古墳や法隆寺の壁画にも使われた可能性がある (高松塚古墳壁画の修復にはフノリが使われた)。その後も中世から近世にかけて、このような漆喰は建築物に広く利用されていた。またフノリの糊は絹織物や綿織物の糊つけにも広く使われていた[12][3]。他にも絹絵の下地、陶磁器の下絵の下地、さまざまな工芸品、紙の防湿、紙や皮の艶出し、丸薬、鋳型の砂を固める、水引や筆先を固める、布袋に入れて石けんの代用、洗剤、洗髪、整髪などさまざまな用途に用いられていた』。『江戸時代には広く売買され、宝暦4 (1754) には大阪に布海苔問屋 (フノリに加えてツノマタ、トサカノリ、テングサ、アラメなども取り扱っていた) が開業しているが、それ以前から広く売買されていたと考えられている。全国から集められたフノリは、大阪では西成郡伝法村、江戸では葛飾上平井村で晒フノリに処理されていた。『毛吹草』(1645) は諸国の名産品を挙げており、フノリ (海蘿) の産地として伊勢、紀伊、土佐、豊後、肥前が記されている。明治初期におけるフノリ採取地は北海道、宮城、岩手、千葉、三重、和歌山、徳島、愛媛、高知、山口、長崎、鹿児島と日本全国に及んだ。第二次世界大戦前には大阪には30軒ほどの布海苔問屋があった。しかし第二次世界大戦後には合成糊が使用されるようになり、糊としてのフノリの利用はほとんど消滅した』とある。「国人記」が『名声高し』と記す根拠は――万能な糊――としてだったに違いないのである。

 而して、私は――

河原田氏は、この「国人記」の、引用した箇所を見、『熨斗海蘿は天下に名高し』という部分を見て早合点し、「熨斗」の「海蘿は天下に名高し」と勝手に読み変えてしまい、「熨斗」に作った「海蘿」が「天下に名高し」と誤ったのだ。

と考えるのである。もし「フノリ類で製された熨斗が存在する」とおっしゃる方は、是非とも、お教え戴きたい。

2025/11/19

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その2)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

夫(そ)れ、鮑は、往古、種々の製法ありて、「延喜式」に載する所(とこ)ろ、豐後、筑前、隱岐、阿波、肥前に『御取鮑(おとりあはび)』あり。志摩に、『雜鰒(ざうあはび)』、『烏子鰒(とりこあはび)』、『都々伎鰒(つゞきあはび)』、『放耳鰒(み﹅はなてるあはび)』、『著耳鰒(につきあはび)』、『長鰒(ながあはび)』あり。安房(あは)に『丸鰒(まるあわび[やぶちゃん注:ママ。以下、幾つかあるが、注はしない。])』あり。相摸、隱岐、阿波、伊豫、肥前に『短鰒(みじかあはび)』あり。上總(かづさ)、出雲、常陸、紀伊、佐渡、阿波に『鰒(すしあはび)』あり。出雲、石見、長門、肥前、日向に『薄鮑(うすあはび)』あり。若狹に『鮑耳鮨(あはびのみ﹅すし)』あり。阿波、肥前に『鮨鰒(すしあはび)』あり。豐後、筑前、肥前に『羽割鰒(はわりあはび)あり。豐後に『葛貫鰒(くずぬきあはび)』あり。豐後に『蔭鰒(かげあはび)』、『鞭鰒(むちあはび)』、『腐耳鰒(くたしみ﹅あはび)』あり。肥前に「腹漬鰒(はらづけあはび)」あり。筑前に『陰鰒(かげあはび)』、『火燒鰒(ひやきあはび)』あり。肥前、肥後に『熬海鰒(いりうみあはび)』あり。豐後に『耽羅鰒(たんらあはび)』、『短七鰒(たんしちあわび)』、『堅鰒(かたあはび)』あり。是れ、皆、內膳、大膳、神祇(じんぎ)の三大式に供する所の貴重の食品にて、天智天皇の時、大甞會(だいしやうゑ[やぶちゃん注:清音「し」はママ。])の御饌(ぎよせん)に供したること、「日本書紀」に載せたり。而(しか)して、以上、各種の製法の如きは、「本朝食鑑」に詳かなるを以て、茲に畧す。

[やぶちゃん注:最後は! きたねえゾ! 河原田! 「本朝食鑑」に丸投げカイ!

『「延喜式」に載する所(とこ)ろ、……』「古事類苑全文データベース」の「動物部/介下」の「鰒産地」で「延喜式」から電子化されたもの(二部)があったので、転写(正字不全があるのはママである)する。まず、『〈二十四/主計〉』から。

   *

相摸國〈◦中略〉中男作物、〈(中略〉短鰒〈◦中略〉

安房國〈◦註略〉調、〈◦中略〉鳥子鰒、都都伎鰒各廿斤、放ㇾ耳鰒亠ハ十亠ハ斤四兩、著(ツケル)ㇾ耳鰒八十斤、長鰒七十二斤、〈◦中略〉

若狹國〈◦註略〉調、絹、薄鰒、〈◦中略〉

佐渡國〈◦中略〉中男作物、布、鰒、〈◦中略〉

出雲國〈◦註略〉調、〈◦註略〉鰒廿四斤〈◦中略〉

石見國〈◦中略〉中男作物、〈◦中略〉薄鰒、〈◦中略〉

隱岐國〈◦註略〉調、御取鰒、短鰒、〈◦中略〉

長門國〈◦中略〉調、〈◦中略〉雜鰒〈◦中略〉中男作物、〈◦中略〉薄鰒、〈◦中略〉

紀伊國〈◦註略〉調、〈◦註略〉鰒〈◦中略〉

阿波國〈◦中略〉調、〈◦中略〉御取鰒二百斤、細割鰒三百卅三斤、横串鰒卅九斤、〈◦中略〉

伊豫國〈◦中略〉調、〈◦中略〉長鰒卅六斤、短鰒三百卅斤、〈◦中略〉

筑前國〈◦註略〉調、〈◦中略〉御取鰒二百亠ハ十斤、羽割鰒六斤、葛貫鰒一百八斤、蔭鰒一百卅五斤、鞭鰒廿四斤、 腐耳鰒一百八十二斤、〈◦中略〉

庸、〈◦中略〉腐耳鰒、鮨鰒腸漬、鰒鮨、〈◦中略〉

肥前國〈◦註略〉調、〈◦中略〉御取鰒三百六十四斤、短鰒五百卅四斤、長鰒廿四斤、羽割鰒廿四斤、〈◦中略〉

肥後國〈◦註略〉調、〈◦中略〉躭羅鰒卅九斤、〈◦中略〉

豐後國〈◦註略〉調、〈◦中略〉御取鰒五十二斤、短鰒七十二斤、蔭鰒卅斤、羽割鰒十二斤、葛貫鰒十二斤、躭羅鰒

十八斤、〈◦中略〉

日向國〈◦註略〉調、〈◦中略〉薄鰒、〈◦中略〉

壹岐島〈◦註略〉調、〈◦中略〉薄鰒、

   *

次に『〈三十九/内膳〉』から。

   *

諸國貢進御贄〈中宮准ㇾ此〉

旬料〈◦中略〉志摩國御厨鮮鰒螺起九月明年三月、月別上下旬各二擔、味漬腸漬蒸鰒、玉貫、御取、夏鰒等、月別揔五擔、〈◦中略〉

年料〈◦中略〉

太宰府〈御敗鰒四百五十九斤五裹、短鰒五百十八斤十二裹、薄鰒八百五十五斤十五裹、陰鰒八十六斤三裹、羽割鰒卅九斤一裏、火燒鰒三百卅五斤四裹、已上調物、(中略)鮨鰒一百八斤三缶、腸漬鰒二百九十六斤九缶、甘腐鰒九十八斤二缶、已上中男作物、◦中略〉

右諸國所ㇾ貢、並依前件、仍收贄殿供御、〈◦下略〉

   *

このうち、後者の「志摩國御厨鮮鰒螺起九月明年三月、月別上下旬各二擔、味漬腸漬蒸鰒、玉貫、御取、夏鰒等、月別揔五擔、」が着目される。「本朝食鑑」でも、これ他を引いて(国立国会図書館デジタルコレクションの元禄一〇(一六九七)年板の当該部はここの左丁の四行目下方から)後、最後の六行目で、

   *

乾醃糟ノ類

   *

と推定している。補正推定訓読すると、

   *

是れ、乾(ほし)・醃(しほづけ)・糟(かすづけ)の類(たぐひ)か。

   *

と言っているようである。なお、所持する東洋文庫版「本朝食鑑」(島田勇雄訳注)の訳では、『味漬・腸漬・蒸鰒・玉貫(たまぬき)・御取(みとり)・夏鰒』と部分ルビがある。

「味漬」は「あぢつけ」で、アワビを塩・醬油等で塩蔵・味漬けしたもの

「腸漬」は「わたづけ」で、アワビの腸(わた)と肉を合わせて漬けたもの

「蒸鰒」は「むしあはび」で、「蒸しアザビ」

「夏鰒」は「なつあはび」で、夏場に採取した旬の物(通常のアワビ類は七月から九月。エゾアワビは冬(十一月から三月))

であろうと思われる。「玉貫(たまぬき)」・「御取(みとり)」については、「海士潜女神社(あまかづきめじんじゃ)」(三重県鳥羽市国崎町のここ)公式サイト内の「熨斗鰒(のしあわび)」のページに、この神社から南東直近にある「伊勢神宮調進所」で伊勢神宮へ献上する熨斗鰒が『大身取鰒(おおみとりあわび)・小身取鰒(こみとりあわび)・玉貫鰒(たまぬきあわび)・乾鰒(ほしあわび)・乾栄螺(ほしさざえ)を』『調整』するとあった。多くの作業写真があるが、どれがそれなのかは、指示されていない。少なくとも、本書の食用製品の名ではないことが、これで判ったので、不満は、全く、ない。

『以上、各種の製法の如きは、に詳かなるを以て、茲に畧す。』ムッツとしていてもショウがねえから、見てみたが、以上のアワビを加工した「料(りょう)」(神饌も含まれているの「(食)製品」とはしない)の各呼称は、ただ載っているだけで、それに就いての製法なんぞは、一切、書かれていないぜ! 河原田さんよ!!! なお、二〇二一年に全電子化注した「日本山海名産図会」の中に、「第三巻 目録・伊勢鰒」があり、以上の「志摩」のそれは、そちらの「伊勢鰒【長鮑(のし) 附 真珠】」が、ある程度、援用出来るものとは思う。

2025/11/17

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(四)乾鮑の說(その1)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]

 

  (四)乾鮑の說

乾鮑(ほしあはび)は鮑肉(あはびにく)の乾(かは)かしたるものにて、一《いつ》に[やぶちゃん注:ここは「また」の意。]「ほしこ」「むしあはび」「むしかひ」とも云ひ、淸國にて『鮑魚(ほうぎよ[やぶちゃん注:ママ。以下、正しい「はう」と「ほう」の混在はママ。恐らくは、植字工の誤りと思われる。])』と稱せり。而して、此鮑は、介中(かいちう)の長(ちう[やぶちゃん注:ママ。])として古へより賞美し、朝貢(みつぎもの)・神箭(ごくう)[やぶちゃん注:「御供(ごくう)」(「ごく」の音変化)に同じ。神仏への供え物。]に供(きやう)したり。而して又、淸國ヘ輸出する海產の重要品たり。「新撰字鏡」に『鮑(ほう)』、並(ならび)に『※(ふく)』[やぶちゃん注:「※」=(へん)「魚」+(つくり)「辶」+「福」。後注参照。]の二字を『阿波比(あはび)』と訓じ、「延喜式」は『鰒(ふく)』の字とし、「和名鈔」は『鰒、一名(《いち》みやう)、鮑(はう)、和名(わみやう)、阿波比(あはび)。』とし、「鰒(ふく)」、「鮑(ほう)」の二字を用ふること、久し。而して、「本朝食鑑」は、『「鰒」は俗稱、「鮑殼(あはびから)」を「石决明(せきけつめい)」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く』とし、「大和本艸」は、『石决明、又、蚫(あはび)と云ふ』とあり。本艸書、及び、「府縣志」等(とう)、數十部の書を案ずるに、「鰒(ふく)」及び「石决明」の文字あるも、「鮑(ほう)」・「蚫(ほう)」の二字を「あはび」に充(あつ)るを、見ず。弘景・蘇恭は、「石决明」と「鰒魚(ふくぎよ)」を一物(《いち》ぶつ)とし、「異魚圖賛」にも『二名同物(にめいどうぶつ)』とす。而して、蘇頌(そしやう)と時珍は、『一種二類』とし、「閩書(みんしよ[やぶちゃん注:ママ。既に述べた通り、「びんしよ」が正しい。])」は『石决明』、『鰒魚(ふくぎよ)』との、二種、あるが如く記載したるを以て、小野蘭山は「石决明」を「あはび」、「鰒魚」を「とこぶし」に充てたり。而して、各書とも『「鮑(はう)」は「乾魚(かんぎよ)」なり』とありて、更に「石决明(あはび)」、「鰒(あはび)」等(とう)の名に、あらず。然(しか)れども、方今(ほんこん)、淸俗は『鮑魚(ほうぎよ)』の字を用ゆ。故に、此編、專ら、これに從ふ。

[やぶちゃん注:アワビ類に就いては、古くは、

サイト版の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の冒頭に配された「鰒(あはび) [アワビ]」

があるが、最も新しいものでお薦めなのは、

『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 石决明雌貝(アワビノメガイ)・石决明雄貝(アワビノヲカイ) / クロアワビの個体変異の著しい二個体 或いは メガイアワビとクロアワビ 或いは メガタワビとマダカアワビ』

である。一見されたい。後者で、本邦種の学名その他を注してあるので、今、ここでは、改めて示すことはしない。必要と判断したところでは、無論、示し、解説を加える。なお、私は、「鰒」の字が、現行の日本では、専ら「フグ」類を指すので、これをアワビに当てるのは、甚だ、好まないが、仕方がない。

「ほしこ」漢字表記は「干し鮑」であろう。所謂、先行する「煎海鼠」を「いりこ」と呼称する場合は、「なまこ」の「こ」であるが、小学館「日本国語大辞典」の「ほりこ」では、「干海鼠」を第一義に挙げた後に、『方言』として『小鰯(いわし)の干物』と後に、『②鮑(あわび)を乾したもの。千葉県夷隅』採集とする。しかし、これでは、「こ」の原義が判らない。この場合は、私は「成貝を干して製品にしたもの」を「本来のものから作った「子(こ)」=製品」を広く意味するものと採っている。大方の御叱正を俟つ。

「むしあはび」「蒸し鮑」。

「むしかひ」「蒸し貝」。

『「新撰字鏡」に『鮑(ほう)』、並(ならび)に『※(ふく)』[やぶちゃん注:「※」=(へん)「魚」+(つくり)「辶」+「福」。後注参照。]の二字を『阿波比(あはび)』と訓じ』「新撰字鏡」は平安時代の漢和字書。全十二巻。僧の昌住(しょうじゅう)著とされるが、事績は不詳。昌泰年間(八九八年~九〇一年)に成立。漢字二万余字を偏・旁などによって百六十部に分け、字音・字義・和訓を付したもので、現存する最古の漢和字書である。一説に寛平四(八九二)年に三巻本が完成したとされるが、原本や写本は伝わっていない。その三巻本を元に増補した十二巻本が同年間に完成したとされ、写本が現存する。この十二巻本には約二万千字を収録する。しかし、ネット上で当該本を画像化されたものについて、二つのサイトで「魚部」を調べたが、いっかな、見つからなかった。因みに、奇体な「※」の単漢字も、それ自体をネットで探してみたが、どこにも記載がない。万事休すである。識者の御教授を乞うものである。

『「和名鈔」は『鰒、一名(《いち》みやう)、鮑(はう)、和名(わみやう)阿波比(あはび)。』とし』「和名類聚鈔」の「卷十九」の「鱗介部第三十」の「龜貝類」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板を視認して推定訓読する。冒頭の「鰒」のルビは「アハヒ」であるが、「ビ」と濁点を打った。

   *

鰒(アハビ)  四聲、「字苑」に云(いは)く、『鰒【「蒲」と「角」の反。「雹《ボク/ハク[やぶちゃん注:前が呉音、後が漢音。前者の方が納得出来る感じはする。]》」と同じ。今、案ずるに、一音は、「伏《フク》」。「本草音義」に見たり。】、魚《うを》の名。蛿《オフ》に似て、偏《ひらた》に石に著《つ》く。肉、乾して、食《くひ》つべし。靑州《せいしう》の海中に出づ。「本草」に云《いはく》、『鮑、一名は鰒【「鮑」、音「抱」。和名、『阿波比《あはび》』。】《と》。崔禹錫が「食經」に云《いはく》、『石決明【和名、上に同《おなじ》。】、之《これ》を食へば、心《しん》・目《もく/め》、聡了《さうりやうす》。亦、石に附《つき》て生ず。故に、以て、之《これを》名《なづく》。]

   *

やや注が必要である。

・「魚」は魚貝類の通称。

・「蛿」は現代仮名遣「オウ」で、小学館「日本国語大辞典」の『おう おふ 白貝〘名〙「うばがい(姥貝)の古称。』とあって、引用例に、『*常陸風土記』(霊亀三・養老元(七一七)年年から養老・神亀元(七二四)年頃の成立)『―行方「其の海に、塩を焼く藻・海松(みる)・白貝(おふ)・辛螺(にし)・蛤(うむき)・多(さは)に生(お)へり」*新撰字鏡「蛿 於夫 又阿波比』(以下、略すが、この直後に「延喜式」の「內膳司」から引いて『年料』『尾張国』から『白貝二担四壺』と出る)とあった。この「白貝」「うばがひ」「姥貝」というのは、

最近では流通名「ホッキガイ」で専ら知られる、斧足綱異歯亜綱バカガイ科ウバガイ属ウバガイ Pseudocardium sachalinense のこと

である。「ホッキガイ」は知っていても、成体を見たことがある人は、それほど、いないだろうから、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ウバガイ」のページを見られたいが、すると、

「何で、こんな二枚貝が、巻貝のアワビに似てると言うんカイ!? チャウやろ!!」

と喚くであろうが……では、あなただって、寿司屋で「青柳!」と注文する貝の生貝の一般的な大きさがどれくらいで、貝殻外面の模様が、どんなものか、即座に、正確に、絵に描けますかね? 出来んでしょう?……あなたでさえ、さればこそだ、中古の頃の内陸の人々は、圧倒的に、実際の多くの生貝を見たことは、殆んど、ないのである。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の写真解説に『殻長15cm、殻高12cm、重さ600gを超える。黒っぽい殻皮があり、膨らみが非常に高く三角お握り型。前後の側歯は強く大きい。』とあるので想像出来るであろう。内陸の民俗社会では大方、せいぜい、淡水産の貝類で二枚貝を見る程度でしか知っていたに過ぎない(貴族は「貝合わせ」で二枚貝であることは古くから知ってはいた)。而して、「磯の鮑の片思い」の謂いで判る通り、鮑は大きな貝の片割れと喩える認識程度のレベルでしかなかったのだ。だから、「字苑」の筆者東晋の道士葛洪(かっこう)も(というより、古代中国では、海浜地方でない内陸では、同様だったのは言うまでもない)、風土記の記載者も、そのような幼稚な比較認識しか持っていなかったのである。寧ろ、「四聲字宛」(私には書誌不詳)の作者の叙述はアワビの生態をしっかりと認識している点で、よく書けている。しかし、大半は、則ち、「表は黒くてでっかい」だけで、十分に「似ている」と言うのが、これ、至極、当然なのである。

『「本朝食鑑」は、『「鰒」は俗稱、「鮑殼(あはびから)」を「石决明(せきけつめい)」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く』とし』国立国会図書館デジタルコレクションの元禄一〇(一六九七)年板の当該部(左丁「介類」の冒頭)を、訓点が致命的にひどいので、大幅に手を入れて読み易くした推定訓読で示す。読者は原文と対照して見られたい。

   *

鰒【音、「薄」[やぶちゃん注:ママ。「鰒」は呉音「ブク」、漢音「フク」で、「薄」は呉音「バク」漢音「ハク」で一致しない。]。本邦、讀みて、音は「伏」。「阿和比(あはび)」と訓ず。】

釋名鮑【俗稱。】殻を「石决明」と名づく【「本草」、〇鮑、本邦、素(もと)より、此の字を用ゆ。𢴃(よ)れるところ、無きに非ず。源順が曰はく、『「四聲字苑」に云く、『鰒は、「薄」-「⻆」の反。「窇(ハク/バク)」と同じ。今(いま)、案ずるに、一音は、「伏」。「本草音義」に見えたり。又、「本草」に云はく、『鮑。一名は「鰒」。音は「抱」。和名に「阿和比(あわび)」』と。愚、按ずるに、源順が言ふ「本草」は、未だ、詳かならず。時珍が「綱目」に曰はく、『鮑は乾魚なり。今(いま)、此の諸說を以つて、之れを考ふれば、則ち、「鰒」を以つて、「鮑」と爲(す)る者(もの)、本(もと)、訛(あやま)れり。謝肇淛が「五雜爼」に曰はく、『鰒、音「撲」。今(いま)、又、讀みて、「鮑」と作(な)す者(もの)は、非なり。』と。】。

   *

『「大和本艸」は、『石决明、又、蚫(あはび)と云ふ』私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 石決明 (アワビ)」を見られたい。

『弘景・蘇恭は、「石决明」と「鰒魚(ふくぎよ)」を一物(《いち》ぶつ)とし』「弘景」は、六朝時代の医師で本草学者道士の陶弘景。「蘇恭」は蘇敬(五九九年~六七四年)の別称。初唐の官人で本草家。二人とも、明の李時珍の「本草綱目」によく引かれ、これも同書からの孫引きである。「漢籍リポジトリ」の当該巻のガイド・ナンバー[108-11b]の「石决明」の項の「集解」の冒頭の部分が、それ(漢字に一部に手を入れた。太字下線は私が附した)。

    *

集解弘景曰俗云是紫貝人皆水漬熨眼頗明又云是鰒魚甲附石生大者如手明耀五色內亦含珠恭曰此是鰒魚甲也附石生狀如蛤惟一片無對七孔者良今俗用紫貝全非

   *

『「異魚圖賛」にも『二名同物(にめいどうぶつ)』とす』この「異魚圖賛」は、明の楊慎の撰になる「異魚圖贊」(四巻)のこと。同名の書名は日中に複数あるので、注意が必要である。楊愼(一四八八年~一五五九年)は明の優れた文人。当該ウィキによれば、一五一一年『の会試に第2位、殿試では24歳で第1位(状元)となり、翰林修撰を授けられる』一五一四年には『経筵展書官となり「文献通考」を校訂する。楊慎は時の皇帝であった武宗正徳帝が宣府鎮・大同鎮・楡林鎮などを軍人訓練と称して巡回』と称して『遊蕩にふけっていたことを憂い、たびたび切諫したが』、『聴かれなかった。世宗嘉靖帝が即位し』、『経筵(皇帝に対し講義をする役職)を開いたとき』、『その講官となり』、『「尚書」を進講した』。一五二三年には『「武宗実録」を編纂』した、しかし一五二四年、『父の楊廷和が大礼の議問題のために内閣大学士を辞任し、さらに桂萼・張璁らが起用されたことに反対し、皇帝に再三』、『具申したため』、『平民に落とされ』、『雲州永昌衛に流刑となり』、そこで没した。『享年72。著述は百余種におよび、ほとんど』三千『巻に近いという』とある博覧強記の博学者でもあった。当該記事は、「維基文庫」のここで電子化されている(四庫全書本)。その卷四に以下のようにある(一部の漢字に手を入れた。太字下線は私が附した)。

   *

  石决明

  【朱角切句】似蛤【句】無鱗有殼一靣附石【石叶音錯】細孔雜雜或七或八【入藥品者以七孔八孔爲佳九孔十孔不堪用也 郭璞爾雅贊 此贊尤竒】

   *

詳しくはここでは述べないが、この彼のアワビ類の観察や、続く蘇頌のそれは、孔の数に問題はあるものの、その孔を以って、種の違いを無意識的に嗅ぎ出して、ちゃんと記しているのは、流石である!

『蘇頌(そしやう)と時珍は、『一種二類』とし』蘇頌(そしょう 一〇二〇年~一一〇一年)は北宋の科学者で宰相。時珍の引くのは、恐らく、一〇六一年に完成した「本草圖經」である。もとは二十巻だったが、散佚した。但し、「証類本草」に引用されたものを元にして作られた輯逸本が残る。而して、やはり「本草綱目」によく引かれ、これもまた、同書からの孫引きである。「漢籍リポジトリ」の当該巻のガイド・ナンバー[108-11b]の「石决明」の項の「集解」の以下の部分が、それ(漢字に一部に手を入れた。太字・下線は私が附した)。

    *

頌曰今嶺南州郡及萊州海邊皆有之采無時舊注或以爲紫貝或以爲鰒魚甲按紫貝卽今砑螺殊非此類鰒魚乃王莽所嗜者一邊着石光明可愛自是一種與决明相近也决明殻大如手小者如三兩指大可以浸水洗眼七孔九孔者良十孔者不佳海人亦噉其肉宗奭曰登萊海邊甚多人采肉供饌及乾充苞苴肉與殻兩可用時珍曰石决明形長如小蚌而扁外皮甚粗細孔雜雜內則光耀背側一行有孔如穿成者生於石崖之上海人泅水乘其不意卽易得之否則緊粘難脫也陶氏以爲紫貝雷氏以爲眞珠牡楊倞註荀子以爲龜甲皆非矣惟鰒魚是一種二類故功用相同吳越人以糟决明酒蛤蜊爲美品者卽此

   *

『「閩書』(びんしよ)『」は『石决明』、『鰒魚(ふくぎよ)』との、二種、あるが如く記載したる』「閩書」は、明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南產志」。一六〇八年成立。この書、今までも何度も探すのだが、バチッと一致するものに遭遇出来ない。この回も、やはり試したが、だめなので、明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書で、一五九六年成立である「閩中海錯疏」を「漢籍リポジトリ」(ガイド・ナンバー[003-10b]以下)で同内容と見受けられる箇所を見出せた(字下げ部分はそのまま再現し、漢字の一部に手を加えた。ここでは「石决明」でなく「石決明」であるが、「决」に代えた。太字・下線は私が附し、後の注のために太字番号を振った)。

   *

石决明①附石而生惟一殻無對大者如手小者如兩三指旁有十數孔一說卽鰒魚本草圖經云鰒魚别是一種與决明相近石决明俗名將軍帽溫州與登州海中俱有之卽名鰒魚溫人醃用登人淡晒乾串入京餽遺【補疏】

  按閩部䟽云蠣房雖介屬附石乃生得潮而活凡

  海濵無石山溪無潮處皆不生余過莆迎仙寨橋

  時潮方落兒童羣下皆就石間剔取肉去殼連石

  不可動或留之仍能生其生半與石俱情在有無

  之間殆非蛤蜊比也後漢書鰒魚註云鰒無鱗有

  殻一面附石細孔雜雜或七或九卽以狀蠣房何

  所不可南蠣北鰒是故造化介生别搆

   *

①の最後では、「石决明は、一説に、即ち、鰒魚である。」と言っている。この「一説に」は、しかし、断言ではなく、別物とする考え方があるということを強く含むように読める

②では、「鰒魚は、別の一種で、(石)决明と互いに似ている。」として、似ているが、同属別種と述べている。

では、「石决明は俗名を『将軍帽』とする。温州と登州の海中には、どちらにも、これが棲息し、即ち、それを『鰒魚』と名づける。」であって、これは、全くの同一種扱いである

最後の下った段落部分の終わりの記載は、『「漢書」の「鰒魚」の注に言うに、『鰒には鱗(真珠光沢か?)が無く、殼一面に石が附着し、細い穿孔があるが、雑然としていて、七つ、或いは九つで、見た感じは、南方の牡蛎(カキ:このカキはお馴染みのマガキではなく、温暖な南方に棲息する斧足綱翼形亜綱カキ目イタボガキ亜目カキ上科イタボガキ(板甫牡蠣)科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa が念頭にあろう)類と、北方の鮑(アワビ:本邦のお馴染みのアワビ類の棲息域は中国本土から見れば、北方に当たる)の殼の形態の違いを、理解出来ない。自然は、実に計り知れない別々の生き物を創造したのである。』と言っているか? 但し、この引用は、「漢書」で、以上の三つに比べて、古過ぎ、比較にはならない。しかし、作者は、その殻の激しい相違だけを問題にいており、暗に、同一だと匂わせているようにも、私には見えるのである。

『小野蘭山は「石决明」を「あはび」、「鰒魚」を「とこぶし」に充てたり』国立国会図書館デジタルコレクションの弘化四(一八四七)板の「重訂本草綱目啓蒙」のここから「石决明 アハビ」が視認出来る。読み易いので、全文電子化はしない。当該部は次のコマの左丁の五行目からである(読み易さを考えて句読点・記号を打った。漢文部は推定訓読した、そこでは、バランス上、読み以外はカナカナを用いた)。

   *

トコブシハ、鰒魚ナリ。陶弘景ハ石决明・鰒魚ヲ以テ一物トス。非也。蘇頌・李時珍ハ一種二類トス。可也。「蝦夷志」ニ『鰒魚・石决明、一類兩種。其形、小大、亦、自《おのづから》同ジカラズ。石决明ヲ以ツテ、鰒魚ト爲スハ、疑フニ非《あら》ズ。』ト云《いふ》。

   *

ここで、学名を示す必要が起った。本邦産のアワビ属は、以下の三種である。

腹足綱直腹足亜綱古腹足上目原始腹足目ミミガイ科アワビ属クロアワビ(黒鮑) Haliotis discus discus 

アワビ属メガイアワビ(雌貝鮑) Haliotis gigantea

アワビ属マダカアワビ(眼高鮑) Haliotis madaka

アワビ属クロアワビ(北方系)亜種エゾアワビ Haliotis discus hannai (クロアワビと同一種という向きもある)

……而して……

ここで問題になっている「トコブシ」であるが、これは「BISMaL」や英文“Haliotis diversicolor”では、以前と同様、

ミミガイ科アワビ属基亜種フクトコブシ(福床臥)Haliotis diversicolor diversicolor

アワビ属亜種トコブシ Haliotis diversicolor aquatilis

であるのだが、

ウィキの「トコブシ」を見て驚いた!

そこでは、

ミミガイ科トコブシ属(或いはミミガイ属 Haliotis )基亜種フクトコブシ(福床臥)Sulculus diversicolor diversicolor 同ウィキには、『インド洋、西太平洋全域の岩礁潮間帯に分布し、模式産地はオーストラリア。日本では九州南部以南、奄美群島、沖縄諸島、八丈島に分布する。』とある)

ミミガイ科トコブシ属(或いはミミガイ属 Haliotis )フクトコブシ亜種トコブシ Sulculus diversicolor supertexta 同ウィキには(下線は私が附した)、『日本固有亜種で、北海道南部、男鹿半島以南、九州以北の日本全国の潮間帯から水深10mぐらいまでの岩礁浅海域に分布し、原記載の模式産地は長崎。殻長7cm、殻幅5cm、殻高1.5-2cmに達し、クロアワビ、メガイアワビ、マダカアワビといった狭義の、大型のアワビの子供に似る。殻の表面は黒みを帯びた褐色で、個体によっては緑褐色の斑紋がある。殻の内側は強い真珠光沢を持つ真珠層で覆われる。トコブシの名称は、海底の岩に臥したように付着している姿からつけられたと考えられている』。『狭義のアワビの子供とは、殻の背面に並ぶ穴の状態で識別できる。この穴は鰓呼吸のために外套腔に吸い込んだ水や排泄物、卵や精子を放出するためのものであるが、殻の成長に従って順次形成された穴は古いものからふさがっていき、常に一定の範囲の数の穴が開いている。アワビではこの穴が4-5個なのに対し、トコブシでは6-8個の穴が開いている。また、アワビでは穴の周囲が富士山の噴火口のように管状に盛り上がっており』、『穴の直径も大きいのに対し、トコブシでは』、『穴の周囲は管状に盛り上がらず、それほど大きくは開かない。』とある)

となっており、そこでは既に、

既にして「アワビ属」ではなくなってしまっている

のである。後者に就いては、個人的には『相応に美味しい……ちっやなトコブシちゃん……可哀そう……』と呟く私では、あるのだが……向後の学名の推移に注意を向けておこう。

2025/11/11

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その16)~図版・注・分離公開(そのⅦ) / (三)煎海鼠の說~了

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページ。なお、本図版に就いては、(その10)の冒頭注記を、必ず、見られたい。

  なお、これを以って、「(三)煎海鼠の說」は終わっている。二十二日もかかったが、達成感は計り知れない。

 

Iriko7

 

【図版7】

[やぶちゃん注:以下は、斜め右方向で、まず、示し、左側の中央、その右下の個体の順に示した。]

 

■「其二」

[やぶちゃん注:前の図の標題が「生海鼠《いきなまこ》」であるので、注意されたい。

 

■「琉球やへやまなまこ」

 「一《いつ》に、『ちりめん』といふ。」

 「凡、十分《の》一。」

[やぶちゃん注:「やへやまなまこ」(八重山海鼠)「ちりめん」(縮緬)は、「その8」の注で示した、

楯手目クロナマコ科クリイロナマコ属トゲクリイロナマコ(刺栗色海鼠) Actinopyga echinites

である。]

 

■「同」 「はねぢなまこ」

[やぶちゃん注:これも、「その8」の注で示した、

クロナマコ属ハネジナマコ(羽地海鼠)Holothuria ( Metriatyla ) scabra

である。]

 

■「同」 「まるなまこ」

[やぶちゃん注:「まるなまこ」は「丸海鼠」であるが、一般に、本土では、「丸ナマコ」と呼称する場合、マナマコの「アカ」型を指すことが多いと思う。しかし、ここは、琉球産であり、マナナコは棲息しない。従って、この黒っぽいずんぐりムックリの形状から、間違いなく、

クロナマコ科クロナマコ属クロナマコHolothuria (Halodeima) atra

である。疑う方は、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」同種のページの画像を見られよ。]

 

■「きんこ」

           「脊《せ》」

 「半形《はんけい》。」  「凡、三分《の》一。」

           「腹」

[やぶちゃん注:文句なく、

ナマコ綱樹手亜綱樹手目キンコ(金古・金海鼠)科キンコ属Orange-footed sea cucumber亜種 Cucumaria frondosa japonica

である。注意しなくてならないのは、この種は、上部四個体(「をきなまこ」は除く)とは関係なしに、図が空いていた箇所に横のオキナマコと一緒に投げ込んだものと思う。既に述べた通り、キンコは、沖縄には、いない。同種は北方分布で、

茨城県以北・千島・サハリンに分布

するのである。

「半形《はんけい》」「半円」に同じ。これは、キンコの成体の形状を、よく示している熟語である。当該ウィキに拠れば(注記号はカットした)、『長楕円形をしており、全長 1020cm(カナダ太平洋沿岸では、30cm以上の個体もみつかる)で、幅・高さはその半分程度、ずんぐりと太い。体色はさまざまで、灰褐色のものが多いが、暗褐色、濃紫色、黄白色のものは肥厚して滑らかな触感である』。『細かい枝に分岐した触手を10本持っており、長さは均等である(腹側の2本も他の8本と同大)。口周りや、すぼめた触角は白や赤交じりでかなり色彩豊かであるが、叢状に広げられた触角は黒色である』。『背腹の区別がつきにくいが、腹側は湾曲し、背側は扁平ぎみである。』とある。取り敢えず、同ウィキの画像を見て貰うと、特異な形状が、ある程度、判るであろう。今一つ、学名で画像検索したものもリンクさせておく。則ち、横から見たキンコの成体は、球体を中心で切ったような形に見えるというのである。

 しかし、読者の中には、「どこが半形なんだよ!?」とツッコみを入れる御仁があろうから、言っておく。思うに、河原田氏は、学者ではないが、本書の構成を見れば判る通り(本電子化の初回の「目次」を見よ)、当時の水産物のエキスパートなのである。本書では、扱っていないが、「真珠」の知識も、一般人よりも遙かに、よく知っていたはずである。但し、本書の刊行時(明治一九(一八八六)年)には、天然真珠しか存在しない。

 以下、やや脱線なので、時間が惜しい方は、読まんでもいい。本邦の真珠養殖は、明治二六(一八九三)に、「東京帝國大學理科大學附屬三崎臨海實驗所」を開所していた、前にちらりと注した、同大の動物学教授(本邦最初の日本人教授)箕作佳吉(みつくりかきち 安政四(一八五八)年 明治四二(一九〇九)年)先生(この方は、私のような素人の海産生物フリークで知らない者は、まず、いないのである)の指導をうけた御木本幸吉氏が、英虞湾神明浦(しめのうら)で、養殖アコヤガイの半円真珠の生産に成功するのが、前史であり、明治三八(一九〇五)年に御木本幸吉が、英虞湾の多徳島(たとくしま/たとくじま)で、半円の核を持つ球状真珠を採取したことも知られている。この採取によって御木本幸吉は真円真珠の養殖成功を確信し、後、大正五(一九一六)年と六年に、彼の姻族が真円真珠生産の特許を得ている。)が、以上も参考にしたウィキの「真珠」にある通り、『真珠養殖の歴史は古く、中国大陸で1167年』(本邦では、仁安元・二年相当。この二月に平清盛が太政大臣となっている)『の文昌雑録に真珠養殖の記事があり』、一三『世紀には仏像真珠という例がある』。但し、『これらは』、『貝殻の内側を利用する貝付き真珠である』とある通り、この仏像真珠は、私も、多数、中国及び日本で見たことがあるが、内側に真珠層を持つ淡水貝類(斧足綱イシガイ(石貝)目イシガイ科カラスガイ(烏貝)属カラスガイ Cristaria plicata・イシガイ科ドブガイ(溝貝)属ヌマガイ(沼貝) Sinanodonta lauta(ドブガイA型/大型になる)・ドブガイ属タガイ(田貝) Sinanodonta japonica(ドブガイB型/小型)等。知らん人のために、私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 馬刀(バタウ)・ミゾ貝・カラス貝・ドフ(ドブ)貝 / カラスガイ』をリンクしておく)の中に、鉛製の小さな仏像を生貝の内側を掘って埋め込むことで、まさに半円型に脹れた真珠層が形成されるのである。知らない読者のために、鉛製であることを参考にした「株式会社未来宝飾」公式サイト内の『真珠の歴史を振り返る!「世界最古の養殖真珠」編』をリンクしておく。そこには書かれていないが、多分に、奇蹟の超自然の仏陀の力で出来たものとして、トンデモない値段で売る詐欺師も、かなり、いた。また、『このステップを踏み』、『仏像真珠が作られますが、あくまで核のみの挿入であり、パールサック(真珠袋)を形成しない』ため、『完全には養殖真珠とは言えないかもしれません。しかしながら』、『この中国由来の仏像真珠が養殖真珠の元祖として捉えられていることは事実で、そこから500年以上の停滞期を経て欧州で多くの養殖技法開発が行われるようになるのです』。『なお』、『清朝が滅亡し』、『この技術も失われかけましたが、現在はマベ貝』(斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ亜目ウグイスガイ上科ウグイスガイ科ウグイスガイ属マベガイ Pteria penguin :これは海産。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをリンクしておく)『などを使用し、異なる形の核を外套膜の下に挿入した半形状の養殖真珠が作られています。また中国の養殖真珠のパイオニアであるYu-Shun Yangを偲ぶ寺院も建てられており、私達が御木本幸吉に畏敬の念を覚えるのと同様に崇められています』とあった。則ち、もっこり半円型の種を以って真珠層の物品が出来ることは、古くから知られていたのである。

 さても、話しを本題に戻すと、現代の真珠養殖に於いても、この手法で、斧足綱ウグイスガイ目ウグイスガイ亜目ウグイスガイ上科ウグイスガイ科アコヤガイ(阿古屋貝)属アコヤガイ Pinctada fucata に核を植え込んで真珠が作られるのであるが、その一つに、

半形養殖真珠

があるのである。一般社団法人 日本真珠振興会の「真珠スタンダード2014年版」の中に(同振興会公式サイトのここで、PDFでダウンロード出来る)、

   《引用開始》

Ⅰ--半形養殖真珠(養殖ブリスター)半形状(3/4形も含む)の核を人為的に真珠貝の貝殻内面層に固着させ、核表面を真珠層で覆ったもの。養殖時に使用された核が養殖後も真珠中に残るか、あるいは除去され他の物質に置換されるか否かは問わない。天然真珠あるいは真円養殖真珠を切断、研磨などにより半形状または3/4形状に整形されたものはこの範疇外とする。

   《引用終了》

これは、現代に続く養殖真珠時代の用語ではあるものの、仏像真珠工程の場合も、この語は既に使用されていたのではないか? と私は思うのである。而して、中国で用いられていたものか、当時の日本で使われていたかは、判然としないのだが、単に、丸いものを半分の形にしたというのを、「半形」と書いたとは、どうも、私には思えないのである。大方の御叱正を俟つものではある。

 

■「琉球慶良間(ケラマ)島産」

              「凡、六分《の》一。」

[やぶちゃん注:産地と、食用ナマコで、長さ約二十七センチメートルほどであること、背部が細かな横線で描かれていること、描かれている口部の触手の描き方が如何にも多くあるように見えること等を勘案すると、私は、少し迷いつつも、

クロナマコ科クリイロナマコ(栗色海鼠)属トゲクリイロナマコ Actinopyga echinites

を第一候補に挙げることとする。

 根拠は、本邦では沖縄のみに分布すること、長さは十五~三十センチメートルであることがポイントであるが、触手は二十本で、同じ本数のナマナコ(沖縄には分布しない)に似て見えるのは納得される。

 しかし、

『トゲクリイロナマコの背部には、細かくて小さな疣足が密生しているのだが、果して、それをランダムな多量の横線で描くものだろうか?』

という疑問が生じて、ちょっと引っ掛かるのである。そして、トゲクリイロナマコを挙げるなら、沖縄・八重山でゾウリゲタの異名を持つ、

クリイロナマコ属クリイロナマコ Actinopyga mauritiana

も、同等、或いは、二番手の候補としないと、おかしいとも思うのである。クリイロナマコは、小笠原と奄美大島以南の岩礁帯に普通に見られ、上からみると楕円形に近く、背面は褐色から濃い褐色を呈し、白い斑点があること(しかし、それを、本図の如く横線で描くかどうかという疑義は、ある)、触手は大きく、トゲクリナマコよりも多い二十五本であることから、対抗馬の資格は十二分にあると言えるのである。

 

■「をきなまこ」[やぶちゃん注:ママ。]

 「此《この》ものハ、

  中國にて、『ふぢこ』。」

[やぶちゃん注:「をきなまこ」「沖海鼠」であるから、この表記は誤りである。

シカクナマコ科マナマコ属オキナマコ Apostichopus nigripunctatus (シノニム:Parastichopus nigripunctatus

である。これは、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページが、都合が、甚だ、よい。「由来・語源」に、『沖合いで揚がるナマコという意味。』とあり、「生息域」には、『海水生。水深20-600m。』『北海道〜九州までの太平洋・日本海沿岸。』とし、「基本情報」に、『北海道から九州までの太平洋、日本海での底曳き網などで揚がる。主に加工用であり、生鮮品として出廻ることはない。福島県相馬市原釜などでは出荷されているので、干しナマコなどの原料として利用されているのだと思われる。』とある。

「中國にて、『ふぢこ』」問題は、ここである。先のリンク先の写真を見て貰うと、捕獲からそれほど経っていないと思われる下の個体は、くすんだ藤色をしていると表現してよく、「藤子」でいいのだが、上記の通り、本種は中国沿岸には棲息しないのである。しかも、ぼうずコンニャク氏のおっしゃるように、清国へは、「煎海鼠」の一種である「乾し海鼠」の製品として送られていたのであり、即ち、清の人々は、それを見て、「藤海鼠」と呼称していたことになる。そうなると、「オキナマコの乾し海鼠」自体が紫色をしていなければ、「藤海鼠」とは呼ばないことになる。そこで調べてみた。あった! 島根県海士町(あまちょう)の『小さな離島で冬場だけ、ひっそりと稼働するなまこの加工場です。』とする「たじまや」公式サイトの「干しなまこ」だ! その上から四番目の笊に盛られた「干しなまこ」は! しっかりと! 藤色をしているじゃないか!!! このページには、このナマコがオキナマコとはどこにも書いてない。しかし、そもそも、この場所は日本海で、まさに、オキナマコに相応しい隠岐(おき)諸島の隠岐郡の島前にある中ノ島を主島とするのが海士町なのだ! さても、その画像の次の三枚は、食するために、水に入れて、戻しの様子を撮影したものであるが、これを見た、私は思わず――「オキナマコ!」――と叫んだのである。最後の注を、自信を持って終えることが出来た。私は隠岐が大好きである。再訪する時は、必ず、「たじまや」を訪ねて、じかに、この「干しなまこ」を買って、御礼したいと思うのであった。

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その15)~図版・注・分離公開(そのⅥ)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここの左ページ。右ページは白紙であるが、これは、恐らく、図版は本文製本とは別に挟み込むが、どうしても、この右ページを白紙で挟み込まないと組版上、当時の技術では物理的に出来なかったためであろうと思われる。他の古い書籍では、しばしば、こうしたことが生じているからである。なお、本図版に就いては、(その10)の冒頭注記を、必ず、見られたい。

 

Iriko6

 

【図版6】

 

■「生海鼠《いきなまこ》の圖」

[やぶちゃん注:「鼠」の字は、底本では、「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので、かくした。]

 

■「まなまこ」

 

■「あかなまこ」 「凡、六分《の》一。」

 

■「いそなまこ」

 「凡十分《の》一。」

[やぶちゃん注:「そ」は「勢」の字を元にした「ひらがな」の「せ」の崩し字である。]

 

■「とらなまこ」 「凡、十分《の》一。」

[やぶちゃん注:上の左端に縦で描かれてある。]

 

■「獨乙國《ドイツこく》動物學教授セレンカ氏試験

    生 殖 噐 の圖」

    「二」

    「三」 

 「四」  「五」

[やぶちゃん注:「授」の字は、底本では、(扌:てへん)に、(つくり)は、{上部が(「並」の一・二画を除いたもので、最終画の左だけが下にカギ状に下がったもの)+(攵)のような形}であるが、「授」に、このような異体字はないので、「授」とした。同じく、「試」の字は、(扌:てへん)に、(つくり)は、(「式」の第二画の右払い先の手前に右上から左下に「戒」の最終画の払いが不随したもの)であるが、これも「試」の異体字には、ないので、「試」とした。なお、東洋文庫版の活字化(新字)されたキャプションでも、『独乙国動物学教授セレンカ氏試験 生殖器の図』と起こしてある。このドイツの動物学教授セレンカ氏という人物は、東洋文庫版の後注に、

   《引用開始》

Emil Selenka 1842 – 1902)。ドイツの動物学者、人類学者。無脊椎動物や人類の研究を行い、東南アジアや南アノリカにおける探検調査で知られている。初期は海洋の無脊椎動物、とくに棘皮動物門の発生組織、分類の研究を進めた。「生海鼠の図」に掲げられた図は、セレンカの下記の論文の図版とよく似ている。Emil Selenka, Zur Entwickelung der holothurien holothuria tubulosa und cucumaria doliolum).  Ein Beitrag zur Keimblättertheorie. Zeitschrift für wissenschaftliche Zoologie. 27.1876.pp. 155-178. p1.9-13.

   《引用終了》

とあった。彼の英文ウィキは、ここドイツ語のそれは、ここにある。以上のドイツ語部分は、私は大学時代の第一外国語がフランス語であるため、ドイツ語は全く判らないので、機械翻訳した限りでは、

   *

エミール・セレンカ、「ナマコ( holothuria tubulosa と cucumaria doliolum )の発生について。胚葉理論への貢献」『Journal of Scientific Zoology

   *

であった。

 この“ Holothuria tubulosa ” (ホロチュリア・チューブローサ:ラテン名学名の頭は大文字にした。以下同じ)は、和名はなく、英語で“cotton-spinner” (綿糸の紡績業者・紡績工。「綿紡ぎするナマコ)又は、“tubular sea cucumber”(管状ナマコ)で、現行の正式な学名は、クロナマコ属 Holothuria ( Holothuria ) tubulosa である。参照した英文の当該ウィキに拠れば、大西洋東部の温帯地域、特にビスケー湾北部から地中海にかけての地域に広く分布し、地中海では豊富に生息している。砂地の海底・海草( Posidonia 属)の間、水深約100メートルの泥岩に棲息しているとあった。

 次の“ Cucumaria doliolum ”は、Pentacta doliolum (ペンタクタ・ドリオルム)のシノニムで、和名はなく、樹手目キンコ科キンコ属である。ネット検索では、英文のこのページ(画像有り)しか、詳細な記事は見当たらない。

 なお、主にドイツ語の情報源からの分類学・書誌・著者、及び、標本データのオンライン・カタログ“Zobodat のここブロックされる方は、以下のアドレスで見られたい。

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.zobodat.at/pdf/Zeitschrift-fuer-wiss-Zoologie_27_0155-0178.pdf

)で、PDF
で原本がダウンロード・視認が可能であり、PDF仕様の右の画像指示ページの『25』以下に、以上の発生過程図が幾つかのチャートの中に総て確認出来るので、是非、見られたい。但し、劣化が激しい。

 下部の右端の図に「一」が無いのはママ。これは、ナマコの発生過程を示したものである。先の本川先生の「ナマコガイドブック」の「第1部 ナマコQ&A」の25ページの「マナマコの発生」の写真画像から参考推測すると、

「一」相当の図は、原腸胚。

「二」は、オーリクラリア( auricularia )幼生(種が異なるので、前記か後期かは判断出来ない)。

「三」は、ドリオラリア(doliolaria)幼生か、ペンタクツラ(pentactula)幼生。形状として一致するのは、断然、後者である)。

「四」は、稚ナマコ。

「五」は、成体の透視図である。

2025/11/10

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その14)~図版・注・分離公開(そのⅤ)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここの左ページ。なお、本図版に就いては、(その10)の冒頭注記を、必ず、見られたい。

 

Iriko5

 

【図版5】

 

■「其 五」

 

■「チリメンイリコ」「沖縄縣八重山島産」

 「表」

     「正面」

 「裏」

[やぶちゃん注:「チリメンイリコ」前の図版4の最後にある「カズマル」で、前掲の大島先生の論文「沖繩地方產食用海鼠の種類及び學名」の『緖言及び總論』の引用に出たが、『亞屬 Actinopyga BRONN, PEARSON emend.』の『10. Holothuria (Actinopyga) miliaris (Quov et GAIMARD』の項で(『第5圖』附き。国立国会図書館デジタルコレクションのものでは、ここの左ページの上)、

   《引用開始》

體長 27 cmに 達 する。生時は全体一様に 暗紫色乃至暗褐色を呈し, 腹面は少しく淡色である。体表の骨片は細い稈状體の左右に多くの短い小枝を生ずるもの, 及び小形やゝ不完全な花紋様體。分布はモザンビク・紅海からカロリン・トンガ諸群島に亘り,  北はわが奄美大島に及ぶ。箕作博士は大島の蘇苅で本種を獲られた。本種で製した熬海鼠(第5圖)はチリメンと呼ばれる。蓋し表面が強く細かい皺襞を生じてゐることに因んだ名である。蘭領印度諸地方の名は tripang balibie, t. batoe, t. belangoeloe, t. bikaloe, t. djepoeng 等々多数あるが他は省略する。トルレス海峽地方では烏参(black fish)の名がある。價格はさきに引用した如く100斤の債淸貨 140兩(テール), 箕作博士によれば沖繩で120, KONINGSBERGER によれば1ピクル50-70グルデンであると云ふ。

   《引用終了》

とあるのがそれである。これは既に注で示した、クロナマコ科クリイロナマコ属チリメンナマコ(縮緬海鼠) Actinopyga miliaris である。]

 

■「黒ウサ」 「沖縄縣下産」

 「表」

 「裏」

[やぶちゃん注:これも、同前の大島先生の同論文の国立国会図書館デジタルコレクション版の『第8圖』がそれであり、前に私が述べたチリメンナマコ(縮緬海鼠) Actinopyga miliaris であるが、前ページの解説文の中で、先生は『本種の熱製品にはシロウサー(白鼠第7圖),クロウサー(黒鼠第8圖)の2品種があるが箕作博士は多分生時の色彩の変異に因るのであらうと云はれる。トルレス海峽產のものに石參(teat fish, 白靴(white  test fish,烏双蟲(black sneke)等の外に乳房をもつ魚と云ふ意味の名がある。さてさきに引用したもの』『にクラウソウ・白ウサフなどと書いてあつたのは勿論本種のことであるが, 別の所に』『烏縐(ウスウ)卽ち肉刺なく縐』(=縮み・皺)『あり色黒きものとあるのもこれに當ると思はれる。ウサー或はウソウは烏縐を讀んだもの, 烏双・鼠なとの字は音に合せて作つたものではなからうか』と述べておられる。]

 

■「羽地《はねぢ》イリコ」

 「沖縄縣下琉球國頭《クンジヤン》産」

 「表」

     「正面」

 「裏」

[やぶちゃん注:「羽地イリコ」(その8)で既に述べた通り、これは製品名として認識しているのであろうが、実際には、その製品に使う、生体の、

クロナマコ科ジャノメナマコ属フタスジナマコ(二筋海鼠)Bohadschia bivittate

を指す沖縄方言と思われる。

「國頭」現在の「やんばるの森」を有する沖縄県国頭郡(くにがみぐん)国頭村(くにがみそん)。ここ何故、私が『クンジヤン』と振ったかと言うと、次の図で、そう振っているようからである。

 

■「シナフヤー」

 「沖縄縣下琉球國頭(クンジヤン)産」

 「表」

     「正面」

 「裏」

[やぶちゃん注:「國頭(クンジヤン)」のルビであるが、拡大しても「シ」には濁点はないのだが、現在の国頭郡国頭村は、古くから沖縄方言で「くんじゃん」と呼ばれていること、東洋文庫版の、活字化したキャプション一覧でも『くんじゃん』と判読して振っていることから、かくした。

「シナフヤー」は(その8)で示した通り、

クロナマコ科ジャノメナマコ属フタスジナマコ(二筋海鼠)Bohadschia bivittate

である。]

 

■「メーハヤー」

 「沖縄縣琉球國頭(クンジヤン)産」

 「表」

     「側面」

 「裏」

[やぶちゃん注:珍しく「側面」図を下方に示してある。

「メーハヤー」同じく(その8)で示した通り、

クロナマコ科ジャノメナマコ(蛇の目海鼠)属ジャノメナマコ Bohadschia argus

である。]

 

■「ナンフ」

 「沖縣下産」

 「表」

 「裏」

[やぶちゃん注:「ナンフ」(その8)で示した「なんふう」と同じであろう。そこで注した通り、全く分らない名前である。識者の御教授を、再度、乞う!

2025/11/04

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注上卷(三)煎海鼠の說(その13)~図版・注・分離公開(そのⅣ)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回は、ここの右ページ。なお、本図版に就いては、(その10)の冒頭注記を、必ず、見られたい。

 

Iriko4

 

【図版4】

 

■「其 四」

 

■「光参」「三分ノ一。」「琉球産」

 「おして、海參ノ最上ナルモノ。」

 「表」

 「裏」

[やぶちゃん注:これは、産地・大きさ・形状と、自信を持って最高級の製品であるとすることから、(その11)で示した、楯手目クロナマコ科クロナマコ属クロナマコHolothuria (Halodeima) atra である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」同種のページの画像の二枚目を見ると、「裏」とする管足側の凸凹な感じ(管足自体は煎海鼠にすると、収縮してしまい、そこが、陥没したようになるのであろう)とも、よく一致する。

「おして」「推して」で、「ある状態に於いて最も相応しいものとして他者に薦める」の意。]

 

■「琉球産」

 「『長大ナル』ト、称《しやう》スルモノナリ。」

 「四分ノ一。」

 「表」

 「裏」

[やぶちゃん注:同前で、クロナマコである。スケール縮小から、前者より大きい。底本実物の高さは二十六センチメートルほどである。前掲のリンク先には、『35㎝前後になる』とあり、二枚目の画像の物差しも三十五センチメートルである。何度も引用している本川先生の「ナマコガイドブック」では、『体長5~25㎝』とするものの、『熱帯地方では、50㎝以上の大型個体もみられ、乾かして海参を製する。』とある。]

 

■「白ウサフ」 「沖縄下産」

 「表」

      「正面」

 「裏」

[やぶちゃん注:「白ウサフ」既に紹介した「九州大学附属図書館」公式サイトのここの、大島廣先生の論文「沖繩地方產食用海鼠の種類及び學名」(『九州帝國大學農學部學藝雜誌』昭和一〇(一九三五)年二月発行所収・PDF)の『亞屬 Microthele BRANDT』『13. Holothuria (Microthele) nobilis (SELENKA)』(=クロナマコ属イシナマコ亜属イシナマコHolothuria (Microthele) nobilis (Selenka, 1867)の項の解説の中で(部分引用。注番号はカットした)、

   《引用開始》

 本種の熬製品にはシロウサー(白鼠、第7圖), クロウサー(黒鼠, 8圖)の2品種があるが箕作博士は多分生時の色彩の変異に因るのであらうと云はれる。トルレス海峡[やぶちゃん注:トレス海峡。]產のものに石參(est fish),  白靴(hite test fish), 烏双蟲(black snke)等の外に乳房をもつ魚と云ふ意味の名がある。さてさきに引用したものにクラウソウ・白ウサフ[やぶちゃん注:☜]などと書いてあつたのは勿論本種のことであるが, 別の所に烏縐(ウスウ)[やぶちゃん注:「黒い縮んだもの」の意であろう。]卽ち肉刺なく縐あり色黒きものとあるのもこれに當ると思はれる。ウサー或はウソウは烏縐を讀んだもの, 烏双・鼠などの字は音に合せて作つたものではなからうか。

   《引用終了》

とあった。この次の150ページの冒頭に三体の乾燥写真が載るが、その一番右の『第9圖』『サバ  Holothnria (Microthcle)  nobilis  (SELENKA). × 3/4 八重山産・(原圖).』を、是非、見られたい! 本図の「表」を彷彿させる図である! なお、同論文は国立国会図書館デジタルコレクションでも見ることが出来るので、当該図のリンクを張っておく。 なお、大島先生の記載の中に『サバは八重山語で草履を意味する。』とあった。激しく、ナットク!

 さて、本川先生の「ナマコガイドブック」から、イシナマコの項の解説を引用しておく。『体長3040cm。 一名タラチネナマコ。体は堅く、やや平らな太い円筒形で、腹面はより平らである。背面は黒に近い褐色で、腹面は背面より淡い。生時は体表に砂を付ける。触手は20本。口は前端腹面に、肛門は後端に開き、やや石灰化した5個の肛歯がある。管足は腹面に密であるが、背面や側面には管足または疣足がまばらに分布する。浅海のサンゴ砂礫上に生息する。沖縄諸島、ニューカレドニア、オーストラリア、グアム、中国、台湾に分布。』とある。

「沖縄下産」は「おきなはか」で「沖縄県下」の意であろう。沖縄県は明治一二(一八七九)年三月二十七日に琉球藩を廃止して置かれていた。

「正面」製品の頭部の吻部を正面から描いたもの。]

 

■「琉球産」「ヒラカタニミーハイ」

 「二分ノ一。」

 「裏」

 「表」

[やぶちゃん注:「ヒラカタニミーハイ」意味不明。識者の御教授を乞う。ただ、図(変則で、裏→表の順である)を見るに、クロナマコと思われる。]

 

■「琉球産」 「丸形《まるがた》。」

 「五分ノ一。」

[やぶちゃん注:本図の最初と、二つ目の図との類似性から、クロナマコ比定。]

 

■「シビー」「沖縄縣下産」

 「凡、四分ノ一。」

 「表」

     「正面」

 「裏」

[やぶちゃん注:前掲の大島先生の論文「沖繩地方產食用海鼠の種類及び學名」の『亞屬Actinopyga BRONN, PEARSON emend.』『9. Holothuria (Actinopyga) lecanora (JAEGER)』の項の解説の中で(部分引用)、

   《引用開始》

箕作博士は沖繩島糸滿・喜屋武崎等で本種を採集されたが, 沖縄でも八重山でも本種の製品をシビーと稱する(第4圖)。箕作博士はこれに志比宇と云ふ字をあて, 子安貝に似ると云ふ意味なりと記して居られる。八重山では子安貝のことをシビーと云はず訛つてスビ(sbü

)と云ふ。この海鼠が體壁を縦に裂かれ强く短縮して圓くなつた製品の形がやゝ子安貝こ似てゐる所からかく呼ぶのであらう。CLARK1, p.188)によればトルレス海峽地方の漁夫はこれを石魚と云ふ意味の名で呼んでゐると云ふ。本種は上品に屬し, 八重山での價格は100斤につき50圓である。

   《引用終了》

とあって、右下方に』『第 4 圖』がある(国立国会図書館デジタルコレクションで、ここの右ページの左下方)。而して、このHolothuria (Actinopyga) lecanora であるが、後に属名が変更され、さらに近年、和名変更も行われて、ヨコスジオオナマコ Stichopus herrmanniとなっている。本川先生の「ナマコガイドブック」から、引用しておく。

   《引用開始》

ヨコスジオオナマコ(和名変更)[シカクナマコ科Stichopodidae

Stichopus herrmanni Semper, 1868

体長30cmを超える。体は角の丸い四角柱。体色は褐色、黄緑色、橙色と変化に富む。背面と側面には褐色から暗褐色の小さな疣足が散在し、体軸と垂直方向に多くの細い筋が見られる。触手は20本。沖縄以南の礁地の砂地に生息する。オーストラリア、フィリピン、スマトラ。『新星図鑑シリーズ第11巻 沖縄海中生物図鑑』(1990)でStichopus variegates var. hermanni Semperに対して和名ヨコスジナマコが用いられたが、その和名は以前から Actinopyga lecanoraJaeger, 1833)に対して用いられている。また学名については、F.W.E.Rowe1995)によって、hermanni が亜種名から種名に変更された。

   《引用終了》]

 

■「ゾーリゲタ」 「沖縄縣産」

 「凡、四分ノ一。」

 「表」

     「正面」

 「裏」

[やぶちゃん注:「ゾーリゲタ」は(その8)の「ぞうりげた」の私の注を見られたい。沖縄方言で、「草履下駄」で、楯手目クロナマコ科クリイロナマコ(栗色海鼠)クリイロナマコ Actinopyga mauritiana の沖縄での方言名である。]

 

■「カズマル」 「凡、一四分の一。」

 「沖縄縣産」

 「表」   「正面」   「裏」

[やぶちゃん注:この最後の煎海鼠は、特異的に三図が縦に並んでいる。

「カズマル」前掲の大島先生の論文「沖繩地方產食用海鼠の種類及び學名」の『緖言及び總論』の中で、

   《引用開始》

 琉球產海參の品種について水產局の調査した所(8,pp.9-10)に據ると“チリメン・シビー・ゾウリゲタ・クラウソウ・シロウソウ・カズマル・ハネヂイリコ・シナフヤシ・メーハヤー・ナンフウ等なり且つ其品位上好其價甚高し其中カズマルと稱するものは淸國にて開片梅花參と稱す上好のものなり又チリメンは百斤の淸貨百四十両(テール), 其他も上品五十兩, 中品四十三兩, 下品三十五兩の高價なりし” "とあり, この書には圖版にチリメンイリコ・シビー・ゾウリグタ・黑ウサー・白ウサフ・カズマル・羽地イリコ・シナフヤ・メーハヤー・ナンプ等の琉球產熬海鼠の圖を示してある(本文中の構呼と綴字を異にするものがあるがわざと原の通りに記して置く)。

   《引用終了》

とあった。この「開片梅花參」は、(その2)の注で示した通り、シカクナマコ科バイカナマコ属バイカナマコ Thelenota ananas  である。]

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