親友関野三晴君の逝去を悼む
先ほど、同い歳の二十代からの親友であった関野三晴君の弟さんから、九月十六日病気逝去の欠礼の葉書が着いた。青春以来の夜の大船の酒友であった……関野君よ! その内、あの世で、逢おう! そして……この大腸ポリープのプロタゴラス(彼が僕に贈った綽名だ)と、また、酒杯を挙げよう、な!…………真のタドジオよ!…………
亡き君に贈る……
Arvo Pärt - Pari Intervallo (Luca Massaglia, organ)
先ほど、同い歳の二十代からの親友であった関野三晴君の弟さんから、九月十六日病気逝去の欠礼の葉書が着いた。青春以来の夜の大船の酒友であった……関野君よ! その内、あの世で、逢おう! そして……この大腸ポリープのプロタゴラス(彼が僕に贈った綽名だ)と、また、酒杯を挙げよう、な!…………真のタドジオよ!…………
亡き君に贈る……
Arvo Pärt - Pari Intervallo (Luca Massaglia, organ)
私が本ブログを書いたのは、二〇〇五年七月五日であった。初回の記事は「ナナの死」であった。この月、私は仕事中、右腕の掌の根本の橈骨を粉砕し、入院・手術をした。かなり、ナーヴァスにメラコリックになった。同月の全投稿をリンクしておく。
この月は、多数の俳人の句の電子化に入れ込んでいたが、正直、当時の私は――現在のような膨大な分野の電子化注を私がやることを、全く予測していなかった――と言ってよい。そうさな、今、現に、おっぱじめてしまったカテゴリ『「和漢三才圖會」植物部』なんぞは、当時の私は、百%、脳内になかったことであり、今の私のそれを見たら、「けったいなことやってまんな? いつまで続けられるかね? 植物音痴のあんたに?」と吐くことは、火を見るより、明らかだ。
まあ、奇特な読者の方々よ、
――今日只今でブログ・アクセスは2,188,468である――
向後も、どうぞ、よろしく、おつき合いのほど、お願い申し上げるものである。
私は高校二年生の時、図書委員長として、図書部の文化祭参加をし、私の父や私の所持する「第二次世界大戦」以後の非人道的行為の複数の写真集を展示した。そこには、無論、ナチスによるユダヤ人虐殺を告白する希少な写真集を見られるように置いた。
しかし、今、人間獣シオニストらの非人間の行為を目の当たりにして、私は向後、死ぬまで、一切、それを訴えることを「拒否する!!!!!!!!」――
父が、私が教員になった二十二歳の秋、富山から寄越してきた、父自筆のケント紙にデフォルマシオンの線画を描いた中に、私へのアフォリズムが書かれた通信である――(四十五年前のもので、黄変がかなりあったが、念入りに補正して清拭した)
因みに、この文の中の「十間道路」(グーグル・マップ・データ航空写真)とは、国道四百十五号の内、私の中学・高校附近を貫通する、富山県高岡市伏木市街の西方の道路を指す。家は最終的に伏木の南東の西の山際の矢田新町に新築したが、十間道路の、その南端のところにガソリン・スタンドがあったと記憶する。私は、この十間道路の西側にある伏木中学校と伏木高等学校に通った。青春の忘れられない六年間を過ごした伏木のメルクマールであった。
この、
*
おなえは(この私である)例の茶色の空(から)の鞄に、黒々奌滅する内臓をひそませて あそこの「十間道路」のガソリンスタンドに立ってそこから步きだせばよいのだ。そこからおまえの詩・絵・音楽がはじまるのだ。
*
というアフォリズムが、結構、気に入っている。特に「黒々奌滅する内臓をひそませて」のところが、だ。「例の茶色の空の鞄」というのは、私が伏木高校時代、好んで持っていたジーンズ地で出来た肩掛け鞄のことで、大学卒業まで愛用していた。
左下のクレジットは父の誕生日である。
四日前の夜、父をベッドで起こす際に、自分の体を捩じってしまい、背骨の中央よりやや上に違和感を感じた。翌日から、そこが痛み出し、しゃがんだりする際、痛みが走る。湿布を張ったが、一向に痛みがとれないので、先ほど、主治医のところへ行ったら、「ぎっくり腰」と診断された。今まで「ぎっくり腰」になったことはなかった。年寄りのそれと思っていた。考えてみれば、六十六歳の私は、既にして立派な「年寄り」であることを痛感した次第である。
私は先月下旬、大腸に七つのポリープが見つかった。幸い、悪性腫瘍ではなかったが、次の月曜日に二センチメートルたらずのポリープを電気メスで除去する術式をすることになった。父も先月末より、歩行困難となったので、大いに、成すべきことが繁多となった。
しかし、私は、ただ粛々と、電子化注を続けるのみである。
当該箇所はS字結腸部で、私の大腸は憩室(へこみ)が異常に多いのだが、ここはまあ、綺麗だ。キノコ状のそれが、そ奴である。
因みに、私は自己疾患の画像データは、レントゲン写真も含め、概ね、総て自己のデータとして保存している。
ある記載の大きな誤記に就いて、丁寧に指摘したが、ボットで、訳の分からぬ、勝手な誤記載の当該部の削除により、「当該部が削除されたから除去しろ」と言われたので、馬鹿々々しくて(原記者の語りもなくである)、ウィキペディアの記載・訂正を、向後、一切、やめる。引用には使うが、永久に――おさらばダ!――
誰かさんと同じで――皆――最下劣だ!
人生は、少しくばかりではなく、大いに――下らない――
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