愛する奈良岡朋子に――
私が本気で貴女を愛したのは……黒澤の「どですかでん」の……唯一の――哀しい女の――それでありました…………
武ちゃん、俺は、ずっと、好きだったに――
「武ちゃん」とは私が最初に柏陽高校に勤務した時の優しき国語科の後輩である。昨年、癌で亡くなった。まだ、六十前だのに――
これだけは――言っておかねばならぬ――糞のように偉そうなおまえらよりずっとまともに生きた立派な女性であった。
「おまえら」とは?――文字通りの偉そうに教育を語る「おまえら」である。
彼女の名は武田麻佐子という。
僕は永遠に忘れない「美しき娘」である。
「おまえら」の記憶の批判など、いらない。
ただ、彼女の死を報知する必要を切に感じた。
彼女の最期に残した言葉はそうしたものだったからである。
これを語るのは恐らく私だけであろう――
「まさこ! 一緒に腕組んで 海へ、行こう!」
昔――僕が若い教師の頃知っていた少年がいた――彼はブログであらゆる現実に対して僕がいつも怒っていることを、いつも見ては、心配しては知人に語っていたという……昔馴染みのあの少年……僕はもっと愛さねばならなかった……あの少年のことを……僕はもっと愛さねばならなかった……
あの少年はもう……この世にはいないのだ……
……22の頃、毎日通っていた食堂の主人は、戦前、船員をしていた。その彼が、
「……船乗りの人生の中で一番のパラダイスだと思ったのはギルバート諸島だったね……あそこは美しかった……」
と厨房から遙か彼方の南の島を見るように如何にも懐かしそうに幸せな笑みを浮かべてぽつん呟いたのを忘れない……
35年も前のこと、新米教師としてどう生きるかに迷っていた頃、僕は本郷台の元船乗りのやる如何にも小汚い森食堂で、ガスの配送をしていた青年(僕と同世代)と出逢った。
その彼と僕は一瞬にして意気投合し、二人でとんでもない酩酊の世界を遊んだのだった……
……彼に呼ばれた彼の結婚式は僕の人生初のスピーチでもあった……
……さても……その二人の酔いの世界?……無免許の、しかも酒に酔った僕を運転席に座らせて
「やぶちゃん、運転してみいな!」
に始まり…………いやいや、こればっかりは、とてもブログには書けやしない……それほどにアブナイ面白さだったな……しかし……
しかし――それは確かに僕の「美しくしもやんちゃな青春」だったに違いない……
その彼が今、年賀状で教師を辞めた僕のことを知って(この二年、僕は母と義母の死を挟んで年賀状を出していない。その間に僕は教師を辞めたのである)。気にかけて、電話を呉れたのであった……
時計が鮮やかに巻き戻る…………
あの頃……確かに「僕ら」は自堕落でありながら……確かに――懸命に――「生」を活きていた……
それを僕はしみじみ懐かしく思った……
……そうして……現に僕を愛してくれている数少ない人が彼なのだとも、僕はしみじみ思うのである…………
――ありがとう、鈴木の兄イ!――
追伸:兄イ、静岡の空港の自然破壊を憤って焼身自殺した僕の友、井上英作氏の遺稿「フィリピーナ・ラプソディー」はここです。
僕が高校生の時、母が子宮外妊娠をした。女の子だったそうである。僕には十六離れた妹がいたのだった。
――芥川龍之介は僕の偏愛する「點鬼簿」の中で、彼の生まれる前に突然夭折した一人の姉「初ちゃん」のことを記している。……
……この姉を初子と云つたのは長女に生まれた爲だつたであらう。僕の家の佛壇には未だに「初ちやん」の寫眞が一枚小さい額緣の中にはひつてゐる。初ちやんは少しもか弱さうではない。小さい笑窪のある兩頰なども熟した杏のやうにまるまるしてゐる。………
……僕はなぜかこの姉に、――全然僕の見知らない姉に或親しみを感じてゐる。「初ちやん」は今も存命するとすれば、四十を越してゐることであらう。四十を越した「初ちやん」の顏は或は芝の實家の二階に茫然と煙草をふかしてゐた僕の母の顏に似てゐるかも知れない。僕は時々幻のやうに僕の母とも姉ともつかない四十恰好の女人が一人、どこかから僕の一生を見守つてゐるやうに感じてゐる。……
僕も時々、芥川と同じように――幻のように僕の年の離れた可愛らしい妹が、僕の背中で人形を抱えて唄を歌っているのを感じることがあるのである――
[やぶちゃん注:前回に引き続き、大和田建樹「散文韻文 雪月花」に載る今一つの鎌倉紀行、明治二七(一八九四)年八月の「汐なれごろも」の二年後の鎌倉遊覧記である「鎌倉の海」を電子化する。
底本は同じく早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」の同図書館蔵の明治三〇(一八九七)年博文館刊行の「散文韻文 雪月花」のPDF版を視認して用いた。但し、句読点は底本では総てが句点であるため、適宜、読点への変更を施した。踊り字「〱」「〲」は正字化した。歴史的仮名遣の誤りはママであるが、草書の崩し字(「江(え)「於(お)」等)は再現していない。一部の語句について当該段落の後に改行して注を附した。]
鎌倉の海 明治三十九年八月
ことしもかまくらに遊ぶ事二十日になりぬ。明暮友となりたる波の聲、山の姿、砂の色、貝の光、わすれんとしてもわすられず。
宿りとするところは材木座光明寺の前、ゐながらにして鎌倉の海を一目に望むべく、向には靈山崎につゞきて江の島の浮べるあり、少し右にはなれて雲まに富士の資聳ゆるあり、それより長谷の村里、由井の松原、たゞ手にとる如く汝をへだてゝ打ちむかはるゝもおもしろきに、南の方には伊豆の大島さへ、晴れたる日には鯨のしほふく心地して向ひたてるよ。左の方に隣してつきいでし浦里は飯島とぞよぶなる。
[やぶちゃん注:思い出して戴きたい……
『私は其晩先生の宿を尋ねた。宿と云つても普通の旅館と違つて、廣い寺の境内にある別莊のやうな建物(たてもの)であつた。其處に住んでゐる人の先生の家族でない事も解つた。私が先生々々と呼び掛けるので、先生は苦笑ひをした。私はそれが年長者に對する私の口癖(くちくせ)だと云つて辯解した。私は此間の西洋人の事を聞いて見た。』……
無論、「こゝろ」で初めて「私」が「先生」の鎌倉での借家を訪ねたシーンである。この「廣い寺の境内」について、かつて私は私の初出版「心」のこの章のテクスト注で、現在の神奈川県鎌倉市材木座六―一七―一九にある天照山光明寺であるとし、『浄土宗関東大本山。本尊阿弥陀如来、開基北条経時、開山浄土宗三祖然阿良忠(ねんなりょうちゅう)。漱石がこの寺の奥にある貸し別荘にしばしば避暑したことは、全集の注を始め、多くの資料に示されている。鎌倉から逗子へ抜ける街道沿いにあり、材木座海岸に近い。鎌倉の繁華街からは最も遠い「邊鄙(へんぴ)」な位置にある』と注した。大和田氏はまさにそのすぐ近くに居るのである。]
朝とくおきて渚にいづれば、貝は打ちよせられて砂の上にあり。薄紅にて花の如きもの、眞白にして鳥の如きもの、帆立貝めきたるもの、月日貝らしきもの、ぬれたる色のうつくしさよ。子供は走りよりて拾はんとするに、波は來りて拾はせじとすまふ。
[やぶちゃん注:「月日貝」二枚貝綱カキ目イタヤガイ亜目イタヤガイ科ツキヒガイ Amusium japonicum japonicum。殻長・殼高ともに一一センチメートル程度で本邦の普通の砂浜海岸に漂着する斧足類の貝殻としては大きい方に属する。幅は約二センチメートル。綺麗な円形を成し、膨らみは弱く、貝の表面は平滑で光沢がある。右殻が淡黄白色で左殻が赤紫色を呈するのを特徴とする。和名はこれを月と太陽に見立てた。
「すまふ」はハ行四段活用の動詞「争(すま)ふ」で抗う、反抗するの意。]
磯にひるがへる赤旗は海のあるゝをつげ、靑旗はなぎたるを知らすなり。今日も靑旗なりとてよろこぶ子供は、潮あびんとて勇むなるべし。朝けの煙こゝかしこにのぼりて、日影はやうやう我もとに來りぬ。白布の筒袖、麥はらの帽子、ものゝぐはよし、いざ汝とけふも戰はん。戰ひつかれては、磯にあがりて砂に臥し砂に座す、又たのし。子供は工兵となりて山を築けば、波また大擧し來りて一打に奪ひ去るもにくからず。
[やぶちゃん注:お気づき戴きたい……僕らの「こゝろ」の冒頭の、あの鎌倉材木座海岸の砂浜に、鮮やかな青旗が飜えるのを。……]
板を浮べて双の手に持てるは、およがんとする人、手を引きつれて舞踏しつゝあるは、波を飛びこす人、世にものおもひなしとほかゝる境界にやあらん。見る人も見らるゝ人も、罪なく慾なく又憂なし。
[やぶちゃん注:私は思い出す……私のブログ・カテゴリ何故か一番人気の「忘れ得ぬ人々」の巻頭に配した少女のことを……。ブログを始めて五日後に記した二〇〇五年七月十日の「忘れ得ぬ人々 1」を引用しておく。
*
不思議にその想い出はモノクロームだ。
僕は、はしかからやっと本復したばかりの痩せた体で、父や親戚の者達からはぐれて、海水浴客の間をおどおどとうろついていた。
突然、目の前に水着を着けた、よく焼けた活発そうな少女が立っていた。同年か一つ上か。彼女は鮮やかにきっぱりと「一緒に泳がない?」と僕に声をかけた。まだあの頃、純情で引っ込み思案だった僕にとって、この見知らぬ少女の誘いは言葉通り、七年の人生で初めての青天の霹靂だった(記憶がモノクロなのはその閃光のせいなのか)。
僕は手を捕られて、ずんずん海へ入った。泳ぎの苦手な僕は、時々不思議な微笑で振り返る少女に導かれるように、沖へと向かう。足が立たないところで、全く恐怖を感じずにいられたのは、生涯の中で、実はあの瞬間だけだったように思われる。
僕は攣りそうになる手足を必死に動かして、無様な犬掻きを繰り返して、かろうじて浮いていた。うねる波間に、彼女の笑顔が見えては隠れる。それは、今も鮮やかな映像。
遂にたっぷりと海水を飲み込んで咽せかえった時には、少女は僕の手を捕って、既に海岸へと向かって泳いでいた。ものの数メートルも泳ぐと、足は着いたのだった。上がった浜で、僕は自分の情けなさに、ただでさえ病み上がりの青白い顔を、一層青白くして突っ立ていたに違いない。
少女は「またね!」というと、人ごみの中へ、鮮やかに消えてゆく。一度だけ振り返った。その手を振る微笑、紺色のあの頃の安っぽい水着、濡れて額にはりついた黒髪、肌の小麦色、肩の種痘の痕……スローからストップモーション、そうしてホワイトフェードアウト……
小学校二年生、夏の日差しのハレーション。鎌倉、材木座海岸。一九六四年の七月。四一年前の記憶。
後年、「こゝろ」の上三を読んだ折、僕は強烈なフラッシュバックを起こした。
二丁程沖へ出ると、先生は後を振り返つて私に話し掛けた。廣い蒼い海の表面に浮いてゐるものは、其近所に私等二人より外になかつた。さうして強い太陽の光が、眼の屆く限り水と山とを照らしてゐた。私は自由と歡喜に充ちた筋肉を動かして海の中で躍り狂つた。先生は又ぱたりと手足の運動を已めて仰向になつた儘浪の上に寐た。私も其眞似をした。青空の色がぎら/\と眼を射るやうに痛烈な色を私の顏に投げ付けた。「愉快ですね」と私は大きな聲を出した。しばらくして海の中で起き上がる樣に姿勢を改めた先生は、「もう歸りませんか」と云つて私を促がした。比較的強い體質を有つた私は、もつと海の中で遊んでゐたかつた。然し先生から誘はれた時、私はすぐ「えゝ歸りませう」と快よく答へた。さうして二人で又元の路を濱邊へ引き返した。(夏目漱石「こゝろ」)
僕には、学生と先生を包み込む、この緩やかな海の「うねり」が確かに、見えるのだ。この海岸が、同じ鎌倉の材木座海岸であるという単純な事実からだけでは、なく。
カタストロフは、しかし、まだ待っていた。漫画家つげ義春の「海辺の叙景」だ。これは、語ってはなるまい。未見の方は、是非、ご覧あれ。僕の魂の致命傷が、如何に深いか、お分かりになるはずである。トラウマとしての妖精、無原罪のファム・ファータル、僕の忘れ得ぬ人々の一人。
→僕は著作権を犯してもその最終コマをここに示したい欲求を押え難いが、次のサイト(高田馬場つげ義春研究会内)の「つげ義春ラストシーン考2 第2回 生理的感覚としての音」で、小さいが、当該作品の最終コマを見るに留めよう。【2017年7月15日削除・追加:この時にリンクした記事が消失しているので、新たに『清水正氏のつげ義春評論―(2)「海辺の叙景」』をリンクさせることとした。最初に示されるのが見開きの最終コマである。】
先週のその日、午後三時過ぎ、僕は鰻の寝床のような庭と階段に通じる前の小道の雑草を取り終えて、下へ降りる階段の端に立っていた。階段の下は、車一台分が通れる坂になって、県道へと通じている。
ふと見ると、足元に、前の家の垣根に植えられているプチ・トマトの実が落ちていた。割れの入った一粒であった。
何気なく――サンダルの先で蹴った。
直径1㎝5㎜ほどのそれは、階段の端の側溝の蓋の上を、落ちて行き、更に坂を下って行った。
丁度その時、小学校5年生位の少年が、お父さんと思しい人と一緒にその坂を登って来た。
彼は、恐らく、山を越えた向こうにある養護学校の生徒で、階段の左手奥のアパートに住んでいるらしい。いつも父母のどちらかと一緒にいるのを見かける。
その少年が――僕の蹴った、転がってゆくプチ・トマトを見つけた。
少年は――坂を脱兎の如く急いで戻り下って――県道の手前で止まったトマトを拾い上げると――駈け上がり始めた……
……不審気に立ち止まって眺めているお父さんを尻目に……階段を タッタッタ! と掛け上がり……僕の立っている二段下で息を切らせて立ち止まると……僕に、ニッコリ! と笑いかけながら、
「落ちたよう!」
といって、右手の親指と人差し指で摘まんだプチ・トマトを僕の目の前に掲げて見せた。……
僕は、その少年となるべく同じ、思いっきり柔和な笑みを心掛けながら、
「ありがとう!」
と素直に受け取って謝辞を述べた。
少年は、また小鳥のように身を翻し、階段を降り、お父さんを後ろに、小鹿が跳ねるように左手へと消えて行った。……
――僕は
そのトマトを、前の家のポストの上に、静かに据えて――家へ入った。
*
その前夜――
僕は丁度、浦沢直樹の『20世紀少年』を読み終えたところだった。――
その少年は――
鼻こそ垂らして居なかったけれど――
よく焼けた――
「ドンキー」――
それも、映画版の少年期の「ドンキー」を名演した吉井克斗君と非常によく似ていたのだった。――
僕はそれから時々、彼に道で逢う。
僕は笑いながら挨拶をする。彼は振り返って笑う。
僕は勝手に彼を、今の孤独な僕の――「ともだち」――だと思っているのである……
今日の夕方、アリスを散歩させていると、近くの寺院の庭で餅搗きをしている音がした。子供らの歓声が聞こえた。……僕はそれを聴きながら、38年前のことを思い出していた……
……富山の隣りの田島のおばさんは当時、もう60がらみだったが、普段は一人で生活していた。時々、おじさんの姿を見ることがあったが、一緒に生活している風でもなかった。……僕の町の住居表示板には「田島ハル」とおばさんの名義が記されていた。……遊びに来た高校時代の友人が「凄いな、古代遺跡だぜ」と言った。何のことかと思ったら、「だってタージマハールだぜ」と言ったのを二人して笑ったのを覚えている。……
……あれは丁度、今日と同じ12月の末のことだった。
田島さんの玄関先で、久しく見なかったおじさんが臼と杵を持ち出して、おばさんと一緒に餅を搗いていた。
母と一緒に呼ばれて行った。
田島のおじさんは、何かの職人らしく、寒いのに半袖のシャツで隆々たる筋肉を見せて美事に餅を搗いていた――右手一本で――
おじさんの左の二の腕は搗いている杵と同じようになっていた。何でも若い頃に、仕事で怪我をして切断したのだということだった。――
しかし、その右腕は狙い済ました感もないのに、トン! と臼に搗き入れる杵の一打は確かであった。――
それは少しひねくれた不良学生だった僕から見ても――とってもカッコ良かったのだ。――
おじさんは、暫く搗いたところで、そばで黙って見ていた僕に、
「あんちゃん、搗いてみっか?」
と杵をすっと差し出した。
普段の非力の僕なら、きっと人見知りして断ったに違いないのだが、おじさんのすりこ木のような左腕をずっと見ていた僕には――おじさんの妙技に惚れてしまっていた僕には、それを断わることが、ひどく非礼なこととして感じられたことだけは、確かに覚えているのである。
緊張気味の腰つきで――おじさんの見よう見まねで――僕は餅を搗いた。
「あんちゃん、なかなかスジがええぞ!」
と、皺だらけの顏でおじさんが言った。
横に寄り添っていたおばさんも何だか普段と違ってつやつやとした肌で笑いながら、合いの手の水を打って呉れた。
あの日、僕ははにかみながら、生まれて初めての餅搗きをしたのだった。
あの日の、田島のおじさんとおばさんと、そして母と、懸命に黙々と餅を搗いている僕と。
――僕は、後にも先にも、餅を搗いたのは、この時ぎりだったんだ。――
――その時の、杵を振り下ろす片腕のおじさんの精悍な顔――僕はそれを今も忘れない――。
田島のおじさんは、それから二、三年後に病気で亡くなった――
……アリスがリードを引っ張った。……寺の庭の餅は、もう搗き上がったらしい……子供らの嬌声が聴こえてくる……
僕はアリスの行くがままに、その寺の前を、去った……
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