一昨日、横浜に頭を散髪に行く途中で無性に「ミッション・インポッシブル フォール・アウト」を見たくなって、二年振りにDVDを買いに行ったら、ニ店舗探しても単品無しで、シリーズ6作揃いセット(¥8400)しかなく、かなりムッときたが(初回は映画館で、Ⅱ以降は総てDVDを持っているからである)、仕方なく買った。CD同様、ネット配信で手に入るそれを買う人間も、化石に等しい時代となったようだ。
しかし、トム・クルーズはやっぱ! 半端なく凄いな!
特典ディスクの「フォール・アウト」のメイキング映像を見て、あの高高度ダイヴィング(「ヘイロウ・ジャンプ」(高高度降下低高度開傘)シーン)の実演と演技、ラストのヘリの追跡シークエンスでの総て自分独りで乗って操縦し、しかもしっかり演じているというのには、正直、たまげた。
彼のように、超危険なスタント・シーンをテツテ的にこなすことを「古武士」のように自己に課すという俳優というのは、スタッフらが口を揃えて言っているように、向後、そうそう出ないという気が確かにした。
クリストファー・マッカリー監督(彼による脚本も恐らくシリーズ出色の出来と思う)もトム・クルーズも生身で演ずることの覚悟を、シンプルに――観客(大衆)は「噓(作り物)を必ず見破る」――と言っている。
これはまた、世の総ての、ロクなことをしていない誰彼どもの座右の銘とすべき謂いだろう。
2018年 迎春
今年最初の、私が満を持して作成した電子テクスト、元日パブリック・ドメイン記念テクストとして「心朽窩旧館」に、
「ウルトラQ バルンガ(虎見邦男脚本 ベタ・テクスト・データ)」HTML横書版
及び
*
「ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注」HTML横書版
及び
の二篇四種を公開した。
――奈良丸明彦博士とサタン一号墜落事故で亡くなった御子息に捧ぐ――
ウルトラQ バルンガ 虎見邦男 附 放映版校合によるやぶちゃん注(予告・同冒頭注のみ)
[やぶちゃん注:以下は、昭和四一(一九六六)年三月十三日日曜日の午後七時から七時半にTBSで放映された特撮番組「ウルトラQ」(製作:円谷プロダクション・東京放送テレビジョン)の第十一話(シナリオ・ナンバーは十七・製作ナンバーは十六)として放映された「バルンガ」(監修:円谷英二・監督:野長瀬三摩地(のながせさまじ)・特技監督:川上景司(けいじ))の製作用台本の電子化である。
脚本を担当した虎見邦男氏は、本作の重要な登場人物である奈良丸明彦博士と同じく、事蹟記載の少ない謎めいた脚本家であるが、私の所持する膨大な特撮関連書籍の記載等によれば、彼は昭和四二(一九六七)年三月末に若くして亡くなっている(昭和五(一九三〇)年生まれか? 没年確認をされたい方は、例えば、ブログ「J・KOYAMA LAND番外地」のこちらの脚本家上原正三氏の証言を御覧戴きたい)ので、本作は二〇一八年一月一日午前零時を以ってパブリック・ドメインとなる。
底本は同作の台本をもとにした(故あって、本底本の出所は明かさない)。なお、現在知られる「バルンガ」の台本は一種のみのはずである。一行字数と柱・台詞等の字配位置は台本に従った。台本印刷の都合と思われるが、本文中では拗音や促音表記がなされていないが、それも再現した。シークエンスの柱の間は一行空けた。中に入った「◆」記号の前後は一行空けた。
完成放映作品のエンディングには、監督野長瀬氏によってなされたものかと思われる、脚本にない忘れ難い、ショッキングなナレーション(石坂浩二)が附されてあり、これ等については「ウルトラQ」のDVD(複数所持するが、今回は映像・音声ともにブラッシュ・アップされた「総天然色ウルトラQ」(二〇一一年初版)を使用)を用いてシナリオと放映版との違いを検証し、当該相違箇所に私が注を挿入した。放映版の台詞は聴き取りで、句読点や漢字化は私の好みに従った。放映版では台詞の前に添えられる感動詞が俳優によっては、もっと豊富にあり、脚本の表記とは異なるものも多いが、五月蠅くなるだけなので、前の台詞との絡みなどの特性のあるものに限って注記した。放映版のモブ・シーンや複数シーンでは、幾つかオフで、はっきりと聴き取れる主キャスト(一平の「先輩!」や由利子の声はかなりオフで入る)や端役の台詞もあるが、これは煩瑣になり読み難くなるだけなので、話の本筋に抵触しないものは採録しなかった。しかし、この仕儀は原シナリオを甚だ読み難くしてしまっているので、本データとは別に、私の注を除去した原シナリオ・ベタ・テクスト・データも同時に公開することとしたので、そちらも参照されたい。
なお、虎見氏は最初に発見されるその生物(バルンガ)を「半透明ゼラチン質の、動物とも植物としも見わけのつかぬ物体」とト書きしておられるが、この生々しい生理的視認感をバルンガの原造形にもう少し表現出来ていたら、と、私は正直、少しばかり残念に思う。また、江戸川由利子(ゆりちゃん)がこの生物を見て、「風船虫かしら?」と呟くシーンがあるが、先日、ヒョンなことから、通称「風船虫」なる生物がいることを知った。半翅(カメムシ)目異翅(カメムシ)亜目タイコウチ下目ミズムシ上科ミズムシ科 Corixidae の大型種に対する異名である。私実に永い間、私の愛するゆりちゃんが「バルンガ」に名づけた架空の生物名だとばかり思っていた。
本作は私の偏愛する作品であり、リアル・タイムで放映を見(小学校四年生であった)、放映の翌日である昭和四一(一九六六)年三月十四日月曜日の朝(当日は北海道の一部を除いて快晴であった)、思わず、太陽を見上げた少年であった。特に私には、奈良丸明彦博士を演じた俳優青野平義(あおのひらよし 大正元(一九一二)年~昭和四九(一九七四)年)氏の抑制の利いた素晴らしい演技と声が五十年以上経った今でも鮮やかに甦るし、彼の台詞は総て暗記しているほどである。【2018年1月1日(公開予定日) 藪野直史】]
今夕、「ローガン」を見た。
平行世界の時間軸の変容を収束させ、「Xメン・シリーズ」の最後を飾って余りあるよい作品であった。
同じ平行世界を扱いながら、昨夜見た「ターミネーター・ジェニシス」が、生死の問題を等閑視しており、存外に無感動であって失望したのとは大違いであった。
ローラとローガンの別れのシーン――まさか、このシリーズの中で、私の涙腺が緩むとは思っても見なかった。それは確かに私の老いの結果とも言えなくもないが、それはまた、アリスを失った私の今の心理状態によるものが甚だ大きい故であろう。
そもそも――「死ぬことが出来なかったはずの『絶対の孤独』者であるはずだったローガンが『絶対の死を迎える人間として』――しかも『他者から愛されて死ぬことが出来る』ということを知り得て、真の『ちっぽけな人間としての』死を『確かに』迎えることが出来たことを『安らかに人として実感する』――というエンディングは、禅の糞っ垂れた公案なんどより、遙かに『実感としての』説得力を持っている。
ネタバレにならぬ程度に言っておくと、子供たちが野放しのアメリカを脱出して銃規制のより厳しいカナダに向かうという設定、さらに往年の映画ファンには堪(こた)えられない大きな伏線が重要な形で張られている点でも、私は脚本もよく出来ていると思った。
十字架の洒落(皮肉)も私はすこぶるよいと感ずる。
人間を亡ぼし得るもの、且つ、逆にそれを救い得るもの、とは、神なんどではなく、人間そのものだ――ということに於いて、である――
俳優中島春雄氏が亡くなった。 初代1954ゴジラは殆んど(一部とギニョールを除く)彼が演じた(クレジットでは手塚勝巳が併記されるが、彼はリハーサルであまりの重さに音を上げてしまい、完成作では国会議事堂シーンぐらいでしか操演していない。中島と手塚は素では新聞社の記者(中島)とデスク(手塚)も演じている)。 だから私は唯一正統の初代ゴジラの命日を、向後、8月7日とし、追悼することとする。
僕は「君がもう一度、見ねばならぬと思う痛恨の一作は?」と問われれば、躊躇なくユルマズ・ギュネイの「路」だと答える――
僕は修学旅行の引率で[やぶちゃん注:この設定が如何にもしょぼいが仕方がない。]ロシアに行く――
そうして、あの「鏡」の故郷の家を訪れる――
そこにアンドレイと妹のマリーナが待っている――
僕は感激のあまり、言葉も出ない――というより、ロシア語も出来ず、頭に浮かぶ片言に組み立てられた英語の文字列が全く僕自身の感動を伝えていないことに絶望的になって――言葉が出ない――
アンドレイはただ黙って私を見つめている――
そのあの例の鋭い眼は
「――何でもよい――思いを語れ――」
と命じている――
僕は絶望的に発すべき言葉が吃って出てこない――[やぶちゃん注:これはまさに「鏡」のプロローグのあの青年のようだ!]
そんな僕の心を察した僕のすぐ横に座っているマリーナが――突如――僕を抱きしめ、キスをする――
アンドレイはそれを見て初めて笑ってうなずく……
*
モスクワ空港――
私は小さな紙切れにマリアに宛てて
「あなたの兄アンドレイは1986年12月29日に亡くなります」
と懸命に辞書を引きながら、ロシア語で綴って、泣きながらポストに投函した……
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