増田晃詩集「白鳥」再補正
増田晃詩集「白鳥」のテクスト化の際のミスについて、知人より細かな正誤表をメールで頂き、先ほど補正した。語句の脱落も相当箇所あるので、現在のもので再保存をされたい。これでほぼ確定版と言えるものとなったと思う。奇特な友よ、ありがとう! 心より感謝する。
増田晃詩集「白鳥」のテクスト化の際のミスについて、知人より細かな正誤表をメールで頂き、先ほど補正した。語句の脱落も相当箇所あるので、現在のもので再保存をされたい。これでほぼ確定版と言えるものとなったと思う。奇特な友よ、ありがとう! 心より感謝する。
増田晃詩集「白鳥」のテクスト化の際のミスによる脱落箇所を複数個所補正し、注も追加した。
増田晃詩集「白鳥」を「心朽窩 新館」に公開した。
この書き込みをもって僕のブログは丁度1000の記事数となった。以前に伊東静雄や冨永太郎の全詩集を作成した際、毎日打ち込んでいた詩を、ごっそり削除しているから(今回は思うところあって削除しないこととした)、それを残しておれば、とうの昔に1000ブログは達成していたと思われるが、とりあえず、一つの通過駅での、紀念と致そう。
追伸:我が玄室への御来駕、心より御礼仕る。
11:20AM現在(2006年5月18日のニフティのアクセス解析開始以来)
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遂に増田晃詩集「白鳥」の全文テクスト化ブログ公開を完了した。
この「覺書」は、彼の最期の魂の詩として、心して読まねばならぬ。
* 覺書 増田晃
一、蜜蜂が古い桶に年々新な花の蜜を集めるやうに、私もいろいろの花心から絶えず蜜を運んだ。ためられた蜜がいつか桶の縁を越すやうに、いつか私の歌誦も文筐を溢れてしまつてから久しい。最近移居を折に昔の歌を誦みかへしながら、なほ自ら捨てがたい數々があるのを知りひそかに上梓を志した。
二、この詩集中最も稚い「春の雲」を書いてゐたころ既に、日本にけふの夜明けが來てゐたのを知る。私は未だ少年であつたが既に日本の古代の藝術に身を涵しうる樣な幸な時代に惠まれた。飛鳥奈良の佛教に私らは讃仰といはんより、寧ろ懸想し迷うたのである。
三、私は聖德太子の在せるが故に、飛鳥を世界で一とう美しく尊い時代だと思つてゐる。太子の犠牲の大精神があつてはじめて、夢殿觀音も、玉虫厨子も、百濟觀音も生れた。この作者らは太子の御精神を服するだけで、かゝる佛像や佛画をつくり、又己がつくつた尊像のまへに自ら額づく歡喜もあつたのである。藝術なぞという名がつくられ、作者の署名があらはれる末世を思ふまい。私らはすでに返るよしもない昔を思ひ、幾分なりとその御精神に身を涵したいと希ふのである。
四、宗教のない時代は、藝術するものには最も悲慘な時代である。しかしこの悲慘な現代に生れたればこそ古い尊い時代を知り、藝術家の本質を知り、又私ら青年の目標も自ら明になる幸が存する。現代に果して宗教がないか、私らが死にゆく以上有る筈である。しかしその生死にむかふ私らの悲願と克服と蘇生のみが、また私らの宗教を自らつくるであらう。かつて聖德太子御一人のあらはし玉ふた御精神は、また陛下の萬歳を絶叫して仆れてゆく名なき兵士の精神に通ふのである。
五、詩を書きはじめてから今日に至る年月のあひだに、私は徐々と自分のゐる時代に目をひらいた。そしてかうした混亂せる時代、眞と僞が紙一重で見分けがたい時代に生き乍ら、私らのものする新詩の分野に於ていつも鷗外、柳村、晶子、荷風のながれを、菲才ながらうけて末席に加りたいと念じて來た。取るに足らぬ私の詩に何らかの野心があればこの操のみであり、私の鷄肋に何らか煮るに足る肉がついてゐたとすればこの志だけである。
六、詩は神的なものである。私は昔からさういふ信仰をもつてゐた。その意味で私は祈禱と禮讃と感謝の詩形を採るを常とし、この歌唱法のみが私の思ふところを最も自然にあらはしてくれたのである。詩はつねに生命の驚愕であり、さういふ原始の體驗である。そして又それは日本民族が本來もつてゐた詩歌であり、將來の日本民族はかかる詩歌の韻律のうちにのみ、自らを發見するであらう。この信條に於て私は自ら所謂現代の詩人でないことを言明せねばならぬ。ひととき私はそれを寂しく思つたが、今日むしろそれを喜悦とし光榮とする。
七、私はこの一集を自ら閲し乍ら、哀しみに堪へきれない折々にこの詩章の多くが記された事を思出づる。あるときは開かれた傷口から呻いて流れでることもあつたし、又もう癒えたと思つた傷がかすかに疼くこともあつた。そのたびに私はこれらの詩を自ら歌つてきかせて感情の危機を救つた。時にはひとり言でそのまゝ忘れられることもあつた。しかし偶々記されたもののうち、何度も自分に云つてきかせたいものがいくらかある。しかも悲しいことに、私らの綴るものが韻文といへるであらうか。けふさういふ羞恥と自棄の下心から、この一卷を編まうとするのである。
八、卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に屬する「桃の樹のうたへる」(一九三九)を竝べた。その間には八年の徑庭があり、暖い多くの師友の御指南に惠れた幸福な日々が思出さる。入營をあすに控へた今日、この些々たる一卷を以て御恩報じの幾分かでも爲し得たであらうかとひとり思佗びるのである。装丁は木彫の西田明史氏に御願ひした。數々の我儘を快く容れて下さつた事に深く感謝する。
昭和十六年一月豪德寺小房にて晃誌す
[やぶちゃん注:これは遺書として読まねばならぬ。
一
・「文筐」は「ふみばこ」と訓じたい。
二
・「涵し」は「涵(ひた)し」。
五
・「柳村」は上田柳村。詩人、上田敏の号である。
・「菲才」は「ひさい」で、劣った才能という自身の才能を言う際の謙称。]
日輪の語れる 増田晃
人々よ われは來るべき人間を信ず。わが夏の弓はその人の花の腕(かひな)に引きしぼられむ。人々よ われは日輪なり、すべて哀れなる處刑囚の解放者なり、教育者なり。
人々よ 野菜や魚を商へる市場に、煤煙いぶりたる工場に 土の見えざる石疊の廣場に、汝らは歩み佇み激昂すれども、絶えて己が囚人なるを 悲しみの徒弟なるを知らざるなり。
かつて人間は過ぎし日と來る日を知る時ありて鳥獸に打克ちぬ。されど見よ、汝らは今日復讐と危惧にもえつつかくも流浪す。汝ら嬉び悲しみ怒り怖れつつ歩めども、見よ その影は極めて薄し。そは汝ら既に命了へしものか或は流産せるものなるが故なり。
人々よ 嬰兒は長じて成人となれども、成人の長じて再び嬰兒となるは稀なり。かれらは中途にして事きるるか、或は老人となりて生存す。われまこと汝らに告ぐ、汝ら昨日を患ふなかれ 明日に惑ふなかれ。われと共に脈搏し 呼吸し 歩行せよ。
人々よ、今日汝が法馬(ふんどう)を※ち、汝が巻尺を捨てよ。己が血と肉もて箴言せよ、己が呼吸と聲帶もて作歌せよ。かくて産れ更るべき人間は再び嬰兒なり、かかる生命の肯定者なり、新しき精神なり 肉體なり。
われは常に驚愕せるものを愛す、そは生命はたえず瞎目するもののみに與へらるゝが故なり。驚愕せざるものは自ら萎えて死せり。
われは常に肯定せるものを愛す、そは自ら切捨てし爪をさへ蘇生しうべけばなり。否定せるものは自ら萎えて死せり。
われは常に報酬を求めざるものを愛す、そは自らよりも自らの純潔を愛する故なり。報酬を求むるものは自ら萎えて死せり。
われは常に恐怖を知らざるものを愛す、そはあらゆる奇術を一瞬に果てしうべけばなり。恐怖するものは自ら萎えて死せり。
われは常に掘下げざるものを愛す、掘下ぐるものはその穴の底に全身の自由を失ふ故なり。土を掘るものは自ら萎えて死せり。
われは常に規定せざるものを愛す、そは溢れ泡立つ春の土壤と共なればなり。規定するものは自ら萎えて死せり。
人々よ われは紅(くれなゐ)の罌粟と薊(あざみ)を愛す、戰闘と愛撫と沈默を愛す、ざわめく緑草に身をうづめる嬰兒を愛す、われは湖に張りたる氷を裂きて渡るごとき跫音を信ず。
人々よ 心ふかき夫にまもらるる妻のごとく、飾りなき微笑もちてわれと共に來れ、見よ われは日輪なり、われは雛の軸ほどく筈なり、産屋をきづぐ鳶師なり。見よ われは汝ら處刑囚の解放者なり、教育者なり。われは汝らを新しきかなてこに横ふ鍜冶工なり。
[やぶちゃん注:「※」={(てへん)+「放」}で、「抛」と同義で「(なげう)ち」と読ませるのであろうか。不明。
・「最終連の「われは汝ら處刑囚の解放者なり 教育者なり。」は底本では「われは汝ら處刑囚の解放者なり」で改行し、空欄なしに「教育者なり。」と続くが、以下の最終行から推測して私の判断で読点を打った。一字空けとしてもよいかもしれない。次の「をはり」は一頁中央。
・「釦」は、「ボタン」。
・「法馬」は、秤の分銅。地図上の銀行の印である繭型のものを言う。語源は不明であるが、全体が馬の顔のようにも鞍のようにも見えないことはない。法は標準・制度・規範の意である。
・「更る」は「更(かは)る」。
・「瞎目」は「かつもく」であるが、誤字ではなかろうか。「瞎目」では片目で見ることから、はっきり見えない、正確に見えない、全く見えないという意味で詩句として通じない。これは同音の「刮目」(かつもく)で、目をこすって対象をよく見ること、注意して見ること、ではなかろうか。ご意見を乞う。
・「うべけばなり」はこの後ももう一箇所現れるが、文法的に不審。「うべければなり」の誤りではなかろうか。ご意見を乞う。
・「罌粟」は「けし」。「芥子」とも書く。ケシ科ケシ属ケシに属する一年草。鴉片(アヘン)採取の出来るケシは殆んどが白花であるので、ここは観賞用の鮮烈な赤い花をつけるボタンゲシ等であろう。
・「薊」はキク科アザミ属。
・「雛の軸ほどく筈」の「雛の軸」雛祭りの人形を描いた軸絵(掛け軸)で、それを飾るために上部の紐に引っ掛けて持ち上げる道具を、弓矢の筈に引っ掛けて「矢筈」と称するのである。
・最終連の「われは汝ら處刑囚の解放者なり、教育者なり。」は底本では「われは汝ら處刑囚の解放者なり」で改行し、空欄なしに「教育者なり。」と続くが、冒頭一連から推測して私の判断で読点を打った。一字空けととれなくもない。
日光尊者再讃 増田晃
―天平時代・三月堂佛像
一、月も日もすがたなき 夏のあかつきの空を見れば、一抹の薔薇油のみその束の間の うす赤きちぎれ雲よりしづくせり、日はまこと黑く艷ある夜にやをら 瀧なす産湯おとして捧げられしか。われいま三月堂大扉の前に在りて、ただ聖き磁力にうたれをののけるなり。
二、闇より産れ 闇を知り いま闇を拂はんとする日輪よ。いつかわれ御身を拒みしことありや。否! 否! されど われ哀れなる靴工のごとく、弱き寡婦の母さへ忘れ、ゴルゴタの夜にさまよひ、極光の襞(ひだ)をつたひて、今このアジアの渚にむせびなくなり。いつかわれ御身を呪ひしことありや。否! 否! されど われ哀れなる釘工のごとくわが工場に鐵滓あるなく、わがパン皿に白鳥の羽ちり、わが肌着はや釦なければ、この露はなる胸 雪に洗はれ凹みはてぬ。
三、されど見よ百合を! 夏に濯がれしかの白百合は、火なき光なき闇に在れども、おのがほのけき熱によりて 聖きその存在を語る。されどこの可憐なる手巾(ナフキン)の 盬ひかるごと白く薫るは、自らを誇りてかくあるにはあらず。たゞ日輪よ、御身のみ待ち御身のみ讃へ、電光相うつ嚝野にあるとも、掠奪に人絶えし國境にあるとも、空に浪うつ御身の出現を たゞ信じゐたればなり。われこの世にいのち亨けしより以來、御身が名もてわが名とすれども、いまだ御身のほのほを知らず。たゞ語れ、日はいづくにありや、曉はすでに始まりしや、すでにこの大扉よりわが足もとに 雪崩しひかりを明したまへ。
四、雪崩よるそのひかりを! 大いなる炬火を! 開かれたるこの大扉のおくに いま動く衝動と啓示を! 鳴きつぐ鶯にみちびかれつつ ベテレヘムへ急ぐナオミのごとぐ われこの啓示を早く知れり。朱の麥さして燻りたるその脣をあふぎみれば、また群がる闇を見貫(みつらぬ)くその眼をみれば、われすでにかの聖きひかりの如何(いかん)を曉る。草の杪(こづえ)を脈うたす柔き諸手をあふぎ、その合掌に遠き過去を知り未來を曉り、そを合はす優しく且は強き力に、創造の息吹の通ふを見れば、やかて御身天に立ち すべてを領ずる眞晝の時を信ぜずんばあらず。まこと燃ゆる雨ふらす日輪よ! すでに日輪は御身尊者の謂なりや。オーロラを赤めし御身なりや。群れゆく黒鹿に丹塗矢放つは 御身が夏の弓なりや。
五、御身尊者もし天日にあらば、わが賤しきからだこころを濯ぎたまへ。わが古き血をなべて落し、わが萎えし舌を切りとり、のちわが全身を鮫のごと、白きタイルのうへに濯ぎたまへ。鉛色のわが血管を刄もて裂き、腦膸より青葱のごとき蕊をぬき、疲れたる振袖の肺臟をゆすぎ、古き記憶を落さしめよ。天日よ、わが唾は疲れ、わが精液は穢れたり。そをただ水もて流し、わが狂ひたるピアノの簾(すだれ)を寸斷せよ。かくてわれを立たしめ われに新しき血を與へよ。われに新しき言葉を與へ、われに新しき聽力を與へよ。われに正しき歩行を教へ、のちかくてわが全心身を灼きたまヘ!
六、御身尊者もし天日にあらば、わが全心身を灼きたまへ。魔藥くゆらす青き髪のうちに わが潔き齒ははや穢るることなし。屈辱と冷罵と拒絶のうちに わが頸(くび)ははや折らるることなし。蒼白に稻光する市街のうちに わが肺臟ははや蝕さるることなし。國境に硝煙たち戰あるとも、もしそれ歴史を展く力あらば、わが新しき血そこにもえよ。歴史を進ましむるもののみに、わが全心身を犠牲(にへ)とせよ。御身尊者もし天日あらば、わが血管に御身の新酒をそそぎ、御身の言葉のみたゞ語らしめよ。わがうちに白金のピアノの簾をかけ、火の鍵盤をそろへよ。また燃ゆる七絃琴(リイル)をめざましめ、のちかくて御身が指を、その輝ける絃のうへに馳らせたまヘ! この輝ける絃をしてただ、御身が歌に共嗚せしめよ!
七、はや火の絨毯の朝燒は、東の方に展けそめたり。見よ 麺麭のごと赤く湧き立つ かしこ貫(ぬ)かんとする第一の矢は、波を切りゆく弾丸(たま)のごとく 速さゆるめつつ中天に屆き、そを追はんとする第二の矢は、白馬の曳ける日の車の 行くべきみちに射上げられたり。かゝるときわが白金の絃のうへに、はじめなる共鳴は合唱す!「われを見よ、われは正しく天日にして 汝の仰ぎし尊者なり。わが合掌既に天に生き、わが大道に雨あることなし。わが新酒既に汝に宿りたれば、汝の歌わが夏の弓に晴れん! 汝既に無力と屈托のときを歌ふなかれ。懶惰と夢のとき分おもふなかれ。ただ未來なる開港に、工場に田園に、また戰鬪に愛撫に沈默に、わが息吹あるところにのみ汝の讃歌を在らしめよ! そは汝のなせし祈禱の聲に果されたればななり。」
[やぶちゃん注:まずは前掲の詩「日光尊者」の注を参照されたい。
一
・「薔薇油」はナラから蒸留して得られる高級香料であるが、ここは朝焼けのイメージの隠喩。なお、以下の「一抹の薔薇油のみその束の間の」を私は「一抹の/薔薇油のみ/その/束の間の」と文節を切って、朝焼けの空の色彩の隠喩としての薔薇油のイメージを、そしてそれを限定の副助詞「のみ」で先鋭化している句法(やや無理があるのだが)と読む。疑義のある方は、眼から鱗の解説をお願いしたい。
二
・「極光」はオーロラ。
・「鐵滓」は本来は「てつし」と読むべきだが、慣用読みで「てつさい」と多くの文献が読んでおり、増田もそう読んでいるかもしれない。これは鉄の精錬の際にこぼれ落ちる鉄屑で、金糞(かなくそ)とも言う。卑しい釘職人にさえ、僅かの劣悪な鉄滓さえないように、という意味か。
四
・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「ベテレヘムへ急ぐナオミ」は旧約聖書の「ルツ記」に登場する女性。HP「大分聖公会」の「聖書の人物(20)ナオミとルツ(ルツ記より)」の叙述が分かりやすい。この日本人の名前のようなナオミとはヘブライ語で「快い」という意。
・「燻り」は「燻(ふすぶ)り」で、遠い日に脣(くち)に引いた麦の穂のような朱が長い年月の中でいぶされて古色を成していることを指しているか。
・「曉る」は「曉(し)る」=知る、と読んでいる。
・「杪(こづえ)」のルビはママ。
五
・「刄」は「やいば」。
・「ピアノの簾」とは、グランドピアノの内部の平行に走るスチールの弦のことを言っているか。
六
・「蝕さるる」は「蝕(おか)さるる」。
・「七絃琴」は和琴としては古琴の一種(平安時代に流行したが現存する完品は少ない)であるが、ここでは「リイル」のルビがあるので“lyre”(リラ・リュラー・ライアー・リール等と発音)と称する洋琴、7弦の竪琴を指すと考えるべきであろう。
七
・「麺麭」は、「パン」。]
城山燃ゆ 増田晃
乞食は山上で乾いた一箱の燐寸を拾つた。
彼は寒さにうづくまりながら、
城門のかげの落葉に火を放ち眠りおちる。
冬の夜ふけ羅卒のすがたも消え
堀には鴨が生乍ら氷るおびえに叫ぶとき、
ふと山上の城にかすか明りがゆれはじめ
廣い城下町が時ならず白んできてゐる。
人一人住まない城山のいただきの
城壁がいくども火に鏝あてられる。
それを見つけた夜番は思はず立すくんだ。
そして櫓にかけのぼると花札をきるほど早く
惡鬼の甲をつりあげたる半鐘亂打する。
そのあわただしい息は城下町の甍を鰓にかヘ
その動く一つ一つをはや火照りが縁どりそめる。
人一人住まない城山のいただきの
火を吸入れんとする大城門は
紅玉の顎なしていくどかうごき
天主閣はそのおくに身がまへる。
群集はくるへるやうに城山の火柱をあふぎ
古き時代の番人を打たふす破城槌のひひぎが
無數の揚物をしてはじき飛ぶのを聞く。
彼等の舌はしびれて昨日までの言葉を忘れる。
(石を運びあげ息ついた折穴に突落された人柱、
また背後から飛ついた通り魔にたふれた戀人たち
さては宴げの呼子の鳴る夜、土窂に餓死した最後の人)
亡靈はかの開かれざる城門の敷石の下にあつた。
しかし見よ、燃ゆる薪の雨にその錠は容易(たやす)く落ち、
彼等は故わかぬ幾百年の血だらけの足跡を迫り寄り
敷石をさしあげて神に祈つたとき
それはむしろ奔る楯であつた。
火は美人を抱あげるやうに四方から天主閣に殺到した。
巨大なる材とともに舞へる蜘蛛はその眼のまへを
鎧と私通にみちた幾世紀が走馬燈のごとく飛ぶのを見た。
昔からこの甍に棲んできた蝙蝠は火に自らを投じて叫ぶ。
「おゝ古き城よ、われらはただ古きが故にのみ亡さる。
われら今日何の惡事をなし、何の犯罪をなすであらう!」
しかし見よ、天主閣は火に撫廻されて身悶えた末、
身を任すのを恐れてくづ折れる女王のやうに
大きく搖ぐとみると雪崩こんでいづこへか溺れていつた。
その火明りで雪と泥の平野は祭になつて彩られる。
人々は胸そこから夥しい歡呼のわくのを覺えた。
かれらは故もなく大聲で泣き叫び笑ひながら
眞紅の櫨にそまり城下町へ津浪のごとく押寄せる。
そのとき乞食は既に逃げる力を失つた。
われら知る曉をみちびくものは賢者にあらず
王者にあらず 豫言者にあらず、そは唯失火のみ。
唯失火のみ 浮浪者のみ 言葉穿つ方言のみ。
しばしかの泉のほとりで渇せしもの貧しき殉死者を見よ。
かれがいまはの息をわれらは産聲ときくその一瞬を見よ。
おお われらが求愛すゐ新生、若さと無謀にみちた未來よ。
いまや一たびつむじ風が城山の一切を巻上げたとき、
かれは常に落葉よりかるく吹上げられて散華する。
そしてそれはこの癈城の道伴になる唯一の人間であり、
このエピタフを身をもつて草する昨日の詩人であり、
彼はその悲劇的陶醉的なる一夜を心ならず
曉の弓弦に張つたのだ。
城下町は晝のやうに明るくなつた。
火の先發隊はすでに城山をめぐる濠にせまり、
無數の柳は濠に身を投げんと絶叫した。
火は大包圍戰を構成して堀にうつり映え、
水底からも金の鯉の群の火はなだれ上つてきて
津波のやうに
轟然たる人々の聲に和した。
[やぶちゃん注:本詩の取材する城は何処のものなるか知らず。私は自然、架空幻想の城ととるのであるが、万一、増田がイメージのモデルとした城をご存知の方はご一報願いたい。黒澤明が撮影しているような幻暈を憶える慄っとする素敵な詩だ。
・「燐寸」は「マツチ」。
・「鏝」は「こて」。
・「鰓」は「えら」か「あぎと」であるが、炎の比喩とすれば「えら」の方が、鋭角的で良いように私には思われる。
・「破城槌」は「はじやうつい」で、城門を突破するために使用される兵器。元禄忠臣蔵の巨大な槌(つち)やただの丸太を吊るした遊動円木のようなものを想起すればよい。
・「揚物」は「あげもの」で、兵器としての投石機を言うのであろう。ここの部分、「群集は」「ひびきが」「はじき飛ぶの聞く」という構文は、やや無理があるように思われる。
・「土窂」=土牢。
・「撫廻されて」は「撫廻(なでまは)されて」。
・「櫨」は「はぜ」で、バラ亜綱ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ハゼノキで、その赤い葉を隠喩に用いた。
・「エピタフ」は“epitaph”で、墓碑銘。]
長詩 飛鳥寧樂のための序歌(一) 増田晃
乙女らが糸紡ぐをききつつ
長きかなしみにわれは浸りつ。
おお わがうちにある偉大なる詩人らよ!
夜沈々 御身らわれを飛鳥にみちびき
二十三才のこの開花に變貌のきざしを來し、
ゆくべき大道を遠く示したまへり。
しばし今宵、糸下り來る蜘蛛拂ひつつ
御身らがために讃歌し ここにわれ
あたらしき靈異記と相聞がために立たんとす。………
………………………………………………
まこと常春藤(きづた)に祝されしプラトオよ。
御身が産れながらに妊娠せるたましひは
その分娩を美はしき魂のうちになしたり。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
またわが歌調(アリア)なる御身バツハよ、
沈みゆく悲しみと抑へがたき欣びは、
開きゆく花のごとく タぐれの燕のごとく
美はしき收穫を神の御(み)倉にたたふ。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
更にまた羅馬女神と同衾せしゲエテよ、
御身はドロテアにつよき開眼をあたへ、
また西風の翼にズライカを扇ぎ、
美はしき欲念を神のみ業となしぬ。
さなり、わが飛鳥もまたかくのごとくなり。………
さればけふわれこの歡喜の遺産を相續し、
魂はかゝるエロスによりて生計をたて、
いつか希薄となる大氣はわれを放たず。
まことわれらがいにしへの旅する詩人が、
杜甫樂天の森をぬけ初めてかれらと語りしごとく、
われまた西歐が大いなる魂の森を
たゞ若き喜びにふるへ歩みゆくべし。………
…………………………………
乙女らが糸紡ぐをききつつ
長きかなしみにわれは浸りつ。
髪なしてけぶる雨は香を焚けば、
おお わがうちにある偉大なる詩人らよ。
日に灼かるるごとき磁力と愛溺!
また影響と共に見出されゆく自己よ。
願はくは御身らこの若き詩人によりて
飛鳥天平のいにしへに祝福せられよ。
長詩 飛鳥寧樂のための序歌(二)
いくたびかわれ古都の長道をあゆむは
物語のゆゑならず 考證にもあらず。
たゞここにして東大寺の杜よりひびく
おもひしづめる梵音にふかく太息し、
ぐづれかけたる築地に沿はむうれしさに
藥師寺より招提寺へと往來(ゆきき)がせんがためなり。
されば共に佇むものよ 夢にみよ、
夢にみよ 今斑鳩の白きあぶら壁に
姉のごと聖く腕(うで)まげし勢至を。
また戀人の露(あら)はのかひなを伸べつつ
薔薇に飾られてふくらむ柱を。
また懷しや 若き尼は金泥の経文に醉ひ
牝丹雌蕋のごと雄蕋にまみれたれぱ、
水滸傳にも見まはほし 帝(みかど)が御(み)子も
ちまたの酒肆をみそなはし車止めたまひぬ。
戸を開(あ)けよ 戸を開けよ 三條にちかく
朱雀大路を今し歌垣は下りゆくなり。
輪髪の乙女よ、共に來れ、こなた
伎樂のしらべほの聞ゆ内裏にそひて
かの群に加はらむ、共に速く!
………………………………………
共に速(と)く! 共に佇むものよ、
くづれかけたる飴いろの築地を沿はめ。
歌垣は了りぬ、大いなる高塔はもえぬ、
佛らの脣あせゆき 赤きかゞやきはきえ
斑鳩の壁画はその崩れを硝子もて支へらる。
飛烏は去りつ 飛島は去りつ
しかも天平のパルテノンなる招提寺の朱さヘ
日とともに寂び 雨とともに流れ
つひに秋篠のながれも田川となりぬ、
夢みつ醒めつ 大極殿の御跡をよぎり
後宮のみち芝にふしておもへば、
かつて橘の三千代夫人 また燦やかし
藤三孃安宿媛の春の宴はいづこに。
泣かまほし物偲べば青摺の歌垣乙女
またありや 誘ひつれし愛の言葉よ!
けふまたもわれ古都の長道を下るは、
物語のゆゑならず、考證にもあらず。
ただ失はれたる飛烏寧樂の夢に現(うつつ)に見えかくれ、
赤きひかりを放たむを慕はむがためなり。
おお愛と力にみちし日日よ、われ弱ければ、
愛人を慕ふごと昔をこがれ泣沈むなり。
[やぶちゃん注:標題の「飛鳥寧樂」は「あすかなら」で、「「寧樂」は奈良の古称。底本では「長詩」はややポイント落ち。
・「夜沈々」は「よしんしん」又は「よちんちん」で、静まりかえった夜のさま。
・「二十三才」は増田自身の本詩を創作した際の年齢を指していると考えられる。後掲する詩集末尾の「覺書」の「八」で、増田は『卷初には序詩として、やうやく詩が書けはじめた頃の作「白鳥」(一九三二)と、集中最近の詠草に属する「桃の樹のうたへる」(一九三九)を竝べた。』と記している。1989年より後の作品が含まれていないとは言えないが、この叙述を素直に読むならば、1989年前に創作されたものと読んでよく、1989年当時、増田は24歳である。
「靈異記」は「りやういき」(「れいいき」とも読むが前者で読みたい)で、通常は「日本国現報善悪霊異記」を指す。しかし、ここは一般名詞として、人知でははかりしれない神聖にして不思議な物語の創造という意味で用いていよう。
・「プラトオ」は“Plato”で、哲学者プラトン。
・「常春藤」はギリシャであるからセイヨウキヅタであるが、ここに記されたキヅタに祝された(?)という事蹟については、不学にして知らない。以下に続く、部分も意味不明であるが、プラトンが創始したイデアの認識とそこから生じるエロスの誕生を意味しているか。倫理社会の貧しい知識の牽強付会である。すべてに亙って識者の御教授を乞う。
・「羅馬女神」は「ローマじよしん」で、ゲーテが自室にその胸像を飾っていたユノを指すか。彼女は結婚と出産、既婚女性の守護神にして神々の女王である。
・「ドロテア」は、ゲーテの不滅の愛を描いた「ヘルマンとドロテア」のヒロイン。
・「ズライカ」はゲーテの「西東詩集」に載る詩で、シューベルトやシューマンの歌曲で有名。本来、「ズライカ」とはイスラムの文学にあって才媛を意味する語。但し、この詩はゲーテの作ではなく、彼の恋人であったマリアンネ・フォン・ヴィレマーの作であることが分かっている。「ズライカ(西風)」の詩は以下等を参照。
・「梵音」は「ぼんおん」で、鐘の音。
・「築地」は「ついぢ」。
・「招提寺」は唐招提寺。
・「あぶら壁」は「油壁」で、築地塀の一種。砂・粘土・餅米の汁を用いて塗り固めたもので、高い強度を持つ。
・「勢至」は勢至菩薩。阿弥陀三尊の右脇侍。この像の特定については、薬師寺等にある実際には勢至菩薩でない別な仏像等の幾つかの可能性を考えたが、ネット上での貧困な推理に過ぎない(親しく実見したものでなく、薬師寺から唐招提寺に至るどこか、或いはその周辺の寺院の勢至菩薩像である可能性も否定できない)ので、考察結果は控えたい。奈良に詳しい方の、御教授を乞う。
・「水滸傳にも見まはほし」は意味が取れない。「見まはほし」は「見まほし」で(そのような語はないが)、「水滸伝」に登場させたいような」という意味か。識者の御教授を乞う。
・「酒肆」は「しゆし」で、酒屋。
・「みそなはし」は「見る」の尊敬語。
・「歌垣」は、一般には、男女が春と秋に集まって歌い踊り合って互いに求愛を表現した行事。東国では歌(かがい)と言った。なお、「歌垣」には狭義に踏歌(とうか)の意味がある。踏歌は中国伝来の男女別の集団歌舞で、足を踏み鳴らして歌い舞うものであるが、女踏歌は紫宸殿の南庭でのみ行われ、市中には出てゆかなかった(男踏歌は市中に出る)ことから、前者としてよいであろう。但し、これは増田の奔放な幻想であり、彼自身が詩末で言うように、そのような『考證』にこだわる必要はない。
・「輪髪」は、一応、「りんぱつ」と読んでおくが、「わがみ」という発音が今ひとつピンとこないだけで根拠はない。以下に記すような理由から、「わげ」と読ませているのかも知れない。そもそもこの髪型がどのようなものを指しているか分からないのであるが、言葉や推定される形状からは頭上に輪の形に神を結う結い方で、唐子髷(からこわげ)・唐輪(からわ)と言う。但し、これは鎌倉時代末期から室町時代初期に結われた髪型の一種であり、更に当時は男子の髷(年少の武家や寺院の稚児)の髪型で稚児輪(ちごわ)とも言った。後にこれは兵庫髷というものに変化し、江戸期の遊女間にも流行したというが、奈良期の少女の幻影には合わぬ気がする。眼から鱗の解釈のあられる方は、お教え願いたい。
・「伎樂」は「ぎがく」で日本最初の外来の楽舞、無言の仮面劇を言う。推古20(612)年に百済(くだら)の味摩之(みまし)なる人物が中国の呉の国で学び日本に伝えたとする。飛鳥奈良朝が最盛期。
・「脣」は「くち」であろう。
・「斑鳩の壁画」は昭和24年に焼失した法隆寺金堂内の壁画を指すか。それ以前の状態が増田の言うようなガラスによる支持保護であったかどうか。
・「秋篠」は秋篠川。奈良県北部を流れる佐保川の支流で、西ノ京辺りでは薬師寺や唐招提寺や薬師寺のそばを流れる。
・「大極殿」は「だいごくでん」で、大内裏の朝堂院の中の、北部中央にあった正殿。南面して中央に高御座(たかみくら)があり、天皇が政務や、即位の大礼等を行う際に用いた。
・「みち芝」は一般名詞として道ばたに生えている芝草、雑草でよいと思われるが、一応、イネ科ヒゲシバ亜科のミチシバという種があることは掲げておく。
・「橘の三千代夫人」とは県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ)、橘三千代(たちばなのみちよ)とも言う。軽皇子(文武天皇)の乳母。敏達天皇の第一皇子難波皇子の孫である美努王(みぬおう)の妻となるが、藤原不比等が恋慕、三千代は夫を捨てて、不比等の後妻となり、光明皇后を産む。その後、軽皇子は祖母である持統天皇の後見によって皇位に就き、三千代は後宮に絶大なる権勢を有し、同時にこれが藤原時代の幕開けともなった。
・「燦やかし」は「燦(はなや)やかし」と読むか。
・「藤三孃安宿媛」は「とうさんじやうあすかべひめ」で、三千代の娘、光明皇后。前掲の詩「母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど」の注を参照。
・「青摺」は「あをずり」と読んだ場合、青摺衣(あおずりごろも)という古服を指す。原義的には「青葉で摺り染めされた着物」で、カワセミ(ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科)の羽のような色を指す。但し、これを「あゐずり」と読んだ場合は儀式用の青摺衣(あいずりころも)を指し、これは山藍摺りされた藍色の衣を指すという。山藍摺りとはトウダイグサ科ヤマアイ属ヤマアイの葉を搗いて出る汁によって青磁色に染められたものを言う。
・「考證にもあらず」……されば、さることなり、私の付け焼刃の注釈など、考證にもあらざるものと言ふべし……]
母の需めにより光明皇后のおおどをなさんとして作りたる小さきおおど
増田晃
かがやく安宿媛(あすかのひめ)
三千代夫人の御(み)子
いかにセント・アンヌの御(み)子にもまして
無垢に憐れみ深くいつの世までも
哀しみまどふわれらの歎きを
いつくしみ見守りたまふか?
かの赤光にもたぐふべき
優しさに御(み)手とりて涙ながし
誰か御后(みきさき)を戀はざるものありや?
われけふ蛙なく佐保の川ぢを
奈良坂を秋篠をい行きさまよひ
行きたどり 行き止まり 心天(あま)飛び
日(ひ)月も知らにいにしへ戀へども
あはれわが絃(いと)弱し もろし
わが器(うつは)病む しらべ副(そ)はず
おお 願はくは御后よ
かの法華尼寺の天才に
御像つくる悦び與へ玉ひしごとく
わが絃にも感ありたまへ。
戰ひに勇みゆく子らのため
またそを送る母らのため 妻らのため
たとへわが絃切るるとも 花ある頌を
讃への對句を大いなる詩章を
祈りのうたをなさしめたまへ。
たとへわが名かの彫師(ほりし)のごと
消えゆくとも 亡びゆくとも
誤られゆくとも、變りゆくとも
天下の御(おん)國母
藤三孃の御后
われに第一の頌をゆるしたまへ。
[やぶちゃん注:底本の傍点「丶」は下線に代えた。さて、光明皇后に注を附けるほど、私は半端に不遜ではない(というより興味が湧かない)。即ち私は十全に不遜である。それでも最低の注は、必要である。聖武天皇の皇后で安宿媛(あすかべひめ)、藤三娘(とうさんじょう)とも言う。父は藤原不比等で、母は本文に現れる県犬養三千代(あがたのいぬかいのみちよ。別名、橘三千代。一階の命婦から後宮の実権者に成り上がった烈女である)。仏教に深く帰依、東大寺・国分寺の設立を夫に進言したとされ、貧者のための福祉施設に相当する悲田院や医療施設としての施薬院を設置、興福寺・法華寺・新薬師寺といった多くの寺院の建立や修復を行った人物として仏教史に刻まれる(聖武天皇の死後にはその遺品を東大寺に寄進、その宝物を収蔵するために正倉院が作られた)。
・題名中の「おおど」はオード“ode”。 崇高な主題を、不特定多数の対象に呼びかける形で歌う自由形式の叙情詩。頌歌(しょうか)。
・題名中の「需めは「需(もと)め」。
……さて、以上の叙述からお分かりの如く、ここに至って、どうもこの詩は、素直に読んですんなり好きにはなれぬのだ。読後の感触もなんだかごそごそして悪い。それはこの詩が「母の需めによ」るものでちゃんとしたオードを作るつもりが、ちっぽけなものしか出来なかったという題名の歯切れの悪さが第一にある。また、詩の最後までその絶世の美貌の面影は、増田や我々の前に遂に姿を示さぬではないか……増田よ、我は君の反語の「戀はざるもの」の一人なのだ……増田よ、しかし……君はあの時、君の「絃切るる」時、彼女の「花ある頌」故に戦場に向うことが潔く出来たと、言うのか!?
・「安宿媛」の「あすかのひめ」という増田のルビは誤りで、上に記した如く、「あすかべひめ」とすべき。一見、どうでもいいように見えるが、実は「あすかのひめ」は明日香皇女(あしかのひめみこ)を指す訓で、こちらは天智天皇の皇女にして、有間皇子の母方の従兄妹、高松塚古墳の被葬者に擬せられる忍壁皇子(おさかべのみこ)の妻と目される人物を指す(ちなみに彼女も抹香臭い事績が多い)。
・「セント・アンヌ」は聖アンナで、マリアの母(キリストの祖母)とされる人物。
・「赤光」は前掲「赤光」の注参照。
・「佐保の川ぢ」の「川ぢ」は「川路」(川の流れ)。佐保川は『若草山東麓を走る柳生街道の石切峠付近に発し、若草山北側を回り込むようにして奈良盆地へ出、奈良市街北部を潤す。奈良市新大宮付近から南流に転じ、奈良市と大和郡山市との境で秋篠川を併せる。大和郡山市街東部を南流し、同市南端付近の額田部で大和川(初瀬川)に注ぐ。』(ウィキペディアより引用)。
・「奈良坂」はかつての京から南都に向かう古道京街道の途中にあり、東すれば伊勢,南に下れば奈良という古代からの交通の要衝であった。
・「秋篠」は奈良県奈良市秋篠町秋篠寺周辺、もしくは寺そのものを指している。秋篠寺は奈良時代の創建、伎芸天像と国宝の本堂で知られる(但し、平安末に焼失、鎌倉期に再建されたもの)。
・「知らに」の「に」は打消の助動詞「ず」の連用形の古い形。知らずに。
・「法華尼寺」は法華寺で、奈良県奈良市法華寺町にある。真言律宗、奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。本尊は十一面観音、開基が光明皇后である。
・「法華尼寺の天才」は以下に記すガンダーラ国の彫刻師文答師(もんどうし)。この名前、とても本名とは思われない。まさに増田の言うように本名は失われてしまって、ニックネームのようなこの名のみが残ったのであろう。
・「御像」は本尊の十一面観音を指す。この仏像については、北天竺の乾陀羅国(ケンダラコク=ガンダーラ)の王が、遥に日本国の光明皇后の美貌を伝へ聞き、彫刻家文答師を派遣、請いて光明皇后を写生して作らしめたる三体の肖像彫刻の内、一体は本国に持ち帰り、他の二体はこの国に留め、この法華寺と施眼寺とに安置したという記載が「興福寺流記」「興福寺濫觴記」等にあるとする(會津八一「南都新唱」注より)。
・「藤三孃」は「とうさんじやう」で光明皇后の別名。「藤三娘」と同じ。]
牧野のダビデ 増田晃
エホバのことばうけしサムエル、エサイにいひけるは、汝の男(を)の子(こ)は皆ここにをるや、エサイいひけるは、尚末の子のこれり、彼は羊を牧ひをるなりと
サムエル前書
五月の曠野の緑の息吹に
クリイム色の仄かな月はゆめもふるへ、
遙かをわたる風は飛越え乘あがり
遠く野の果(はて)におちて鳥を立たす。
立つ鳥の遠い野の果よりいま
見よ その背に白い山羊の仔をいだき
ひとりの神のごとき青年は歩みきたる。
その山羊の仔は幼い金の眼をかがやかし
その柔毛(にこげ)は日をうけてしろがねに溢れ
聖寵のごとく青年の額にかがやく。
見よ その額を その額は膏にきよく
流れすべる百合の露にかこまれ
エホバの擇べる薄紅(うすべに)の琴のごとく
神のみのもつ階調に晴れわたる!
見よ その眼を その眼は天の碧を
細くぬいてつくりたる蘆笛のごとく
飾りなく 曇りなく ただ未來のみを
その珊瑚鳴らすまたたきのうちに創る!
見よ その肩を その肩は隆く日に濡れ
雄叫び唸る牡牛のちからをうけて
山上の大岩の鹽ふいてゆらぐごとく
太陽の庶子の名あげて高まりゆれる!
見よ その足を その足は大樫さながら
天の炬火の力なして大地を斷定し
また 水あげて若やぎに露ふりこぼす
嫩枝のしなふ力で草を踏みゆく!
この草原の果をくぎる香りの森は
組みなづむ腕を縒(よ)らせて朱の息となり、
そのうへにかげろふ紫の山は
いただきに雪握(つか)んで日にくゆる。
見よ ふたたび この五月のうちを歩むものを!
エホバに擇ばれし青年は今歩みゆく。
見よ 三たび この神に擇ばれしものを!
神に擇ばれしこの人を、世にただひとつ
めぐる心臟を見よ、かがやく光源を見よ!
しばし今 野を歩みゆく人ダビデを指して、
萬物の耳は寄り その精はつどひ、
たとへば宇内の力凝つて人化(な)するごとく、
たとへば巖ふかくひそむ大いなるダイアモンドの
射通す光によつて星にまたゝきあるごとく、
山羊抱いて緑野をゆくダビデとともに
萬象宇宙の焦點は移りゆく………
[やぶちゃん注:聖書の注を附けるほど、私は不遜ではない(というより無学である)。詞書中の「牧ひ」は「牧(やしな)ひ」。
・「膏」は「あぶら」と読んでよいか。若さの象徴としての肌の脂ぎった感じを示すか。私のような多脂症の人間には不審不快のべたつく表現であるが。
・「擇べる」は「擇(えら)べる」。
・「碧」は「みどり」と訓ずるべきであろう。
・「大樫」はブナ目ブナ科コナラ属の常緑高木を総称する「カシ」の中でも、アカガシを特定する呼称。樹高は20mを超え、幹の直径も2m前後に達する巨木に生長する。材は強靭で赤味を帯びる。
・「炬火」は「きよくわ」又は「こくわ」でたいまつ、かがり火。
・「嫩枝」は「わかえだ」。
・「組みなづむ腕」の「なづむ」は恐らく、組むことが出来にくい、それほどに腕の力が満ち満ちていることを言っていると思われる(他に思い悩む、思いに打ち込むの義があるが前段からの流れの中で、その意をとらない)。
・「宇内」は「うだい」で、世界、天下。]
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